風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

運動会ふたたび

2010-10-18 23:20:41 | 日々の生活
 週末の秋晴れの一日、町内会対抗の運動会が開催されました。ちょうど去年の今頃も同じタイトルでブログに記しましたが、あれから一年経つとは、時の流れは早いものだと感じます。去年は、海外帰り、車社会からの復帰による運動不足を理由に、私自身はジーパンにサンダル姿で、敢えて参加を拒否するいでたちでしたが、家内はいつでも走れる格好・・・何を隠そう、我が家は運動会と言えば血が騒ぐ運動会大好き家族なのでした。ところが、今年も、私は不覚にも肉離れを起こして長いリハビリ中の身のため、運動会の華であるリレーは高校生の息子に任せ、私は二人三脚と綱引きという周辺競技でじっとガマンの一日でした。
 運動会好きだからと言って、別に運動神経が良いわけではなく、高校時代に陸上部だったのも、天性の脚力で勝負する短距離の世界ではなく、地道に努力すればそれなりにモノになる(それでも天性には勝てない)中距離の世界であればこそ。運動会は、脚力を競うだけではなく、障害物や騎馬戦といった要領の良さの方が幅を利かせる競技で鼻を明かして痛快だったり、リレーなどの団体戦で盛り上がったりするところが好きなのです。特に団体戦に関しては、高校時代のクラブ活動最後の競技会となった冬の駅伝大会で、調整に失敗してチームの足を引っ張るという、屈辱的な不完全燃焼に終わったことが一種のトラウマになっているのだと思います。調整に失敗したのは、自ら蒔いた種で、その直前にあった校内模擬試験で成績が落ち込んだのが原因で、既に夏の段階で早々にクラブ活動を卒業して受験準備に入っていた同級生が多かったからというのは言い訳に過ぎず、練習に身が入らなくなったからという、思春期ならでは?のほろ苦い思い出です。
 それはともかくとして、昨日の運動会では奇跡が起こりました。我が町内会は、何の気紛れか、昨年の停滞がウソのように、我が家だけでなく全ての参加者が見違えるように健闘し(正確に言うと、昨年はお年寄りが無理をして引っ張り出されていたような印象でしたが、今年はどこから降って湧いたか比較的若い人たちが大勢参加して盛り立ててくれて)、連戦連勝で総合優勝してしまったのです。実に24年振りの快挙だそうです。優勝は結果としてついて来たもので、競技の一つひとつで、普段は挨拶を交わす程度の、中には顔を見たことが辛うじて記憶にある程度のご近所さん同士でも盛り上がることが出来たのが、嬉しい。
 お陰で、今日は、両腕と両足のあちらこちらが筋肉痛で、たかがこれしきのことで情けないと思う反面、普段はぐうたらな私が久しぶりに身体を動かした確かな証拠として、身体の節々に残る心地よい痛みでもあります。身体を動かすことが、身体全体に息を吹き込むだけでなく、精神的にも爽快感を催すという快感を、久しぶりに思い出し、昨日のブログに続いて、ジャージを着ていてもジャージは楽だと連想されないような体型にしてみようとの思いをなお一層強くした一日でした。
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ジャージが似合う

2010-10-16 16:34:40 | 日々の生活
 昨日、定期健康診断を受けました。40歳を過ぎると、かつて成人病健診と呼ばれ今は生活習慣病健診と呼ばれる詳細な健診が隔年で行われ、バリウムを飲んでぐるぐる回されたり、超音波で腹をぐりぐりまさぐられたりと、半日近くかけて身体中をいじくりまわされるわけですが、今年はその端境期で、血液検査やレントゲン程度で30分で終わりました。
 自称ワイン健康法を励行・・・と言っても、晩酌のビールをワイン一杯に代えただけで、やっぱりアルコールは止められないという、健康法と呼ぶにはオコガマシイいい加減さですが、血液検査結果の悪化は何故か食い止めている私としては、今はBMI(肥満度)が課題です。それすらも、いや骨太で筋肉が多くて重いからとうそぶいていますが、結婚して以来10kg増えたままという事実は、十字架のようにずしりと重く心にのしかかっています。
 高校時代にがむしゃらに走っていた反動で、大学時代、軟派な軽音楽サークルでお茶を濁していた私に、合宿でたまたま着ていたジャージ姿を見とめたある先輩が、ジャージが似合うなあと、しみじみ声をかけてきたことがありました。その時は、なんだか馬鹿にされたようでもあり、その場の雰囲気でそうではないと理解できても、実のところその言葉が何を意味するのかよく分からないまま愛想笑いを返しただけでしたが、今にして思うと、ウエストがぎゅっと締まった逆三角形の上体に、お尻と太腿が張って、足首にかけて細くなるという、所謂アスリート体型(の端くれ)だったのだろうと、悔しいですが息子の無駄な脂肪のない身体を見ていて、ふとそう思います。今では、腹が出っ張ったビヤ樽とは言わないまでも、少なくとも丸太のようにずん胴で、ジャージを着ても、今にも走り出しそうなアスリート風情と言うよりは、ぷよぷよの身体に楽なジャージをだらしなく着くずしているオジサンにしか見えません。
 まさか当時に戻ることなど出来ませんし、10kg減らして標準BMIを目指すのも現実的ではありませんが、ようやく肉離れの傷も癒え、そろそろまた走りたい病が疼き始めたこの秋に、散歩がてらジョギングでも始めながら、せめてジャージを着ていてもジャージは楽だと連想されないような体型になりたいと思うのでした。
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コスモス街道

2010-10-14 23:47:52 | 永遠の旅人
 先週末、かれこれ30数年前、狩人のデビュー作「あずさ二号」に続く2曲目のタイトルにもなった長野県佐久市のコスモス街道に行って来ました。
 国道254号線沿い、佐久市内山地区の一部に、1972年、地元の老人会がボランティアで植えたのが始まりで、ちょうど狩人が歌った頃には、全長9kmに及ぶコスモス街道の原型が出来上がったそうです。毎年9月にほぼ三週間にわたって、コスモスまつりが開かれ、風船飛ばしや太鼓演奏、子供たちの合唱、農産物・特産物即売会、近隣の寺院散策や座禅体験会など、さまざまなイベントが目白押しです。
 今もなお長閑な田園風景の中の、一本道の国道沿いに、まさに“花道”と呼ぶに相応しい垣根をつくり、ご覧の通り、やや伸び切って、人間で言えばちょっとトウが立って、もはや可憐と言うわけには行きませんが、ピンクや紅や白など色とりどりの立派な花をつけて、秋の柔らかい日差しを浴びて揺れています。決して派手さはなく、そうと知らなければ通り過ぎてしまうほど。何事も続けること、維持することこそ難しいもので、コスモス街道はその難しいことを、さも何でもないことであるかのように佇んでいますが、そこには人々の手厚いサポートがあってこそ。そんな幸せがそこはかとなく溢れるような、淡い色合いの光景でした。
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チリ落盤事故

2010-10-14 01:09:52 | 時事放談
 それにしても感動的な光景でした。世界が固唾を呑んで見守ったことでしょう。事故が発生したのは8月5日と言いますから、実に69日振りの救出劇が、今もなお続いていますが、救出された人々を影像で見ていると、予想以上に健康的であるのが奇跡的に見えます。
 考えてみれば、人間が生きるということは、変化する環境の中で実に多くの刺激を受け続けることが常態なわけですが、地下700mの暗闇の中では、日光を浴びることもなく、蒸し風呂のように高温・多湿のまま、シャワーを浴びることもままならず、体臭がひどくなる一方で、皮膚病にも悩まされ、33人という、クセは違えど同じ面子に囲まれ、このまま助かるかどうか分からない恐怖に囚われ続けるという、余りに変化がない状態は、実にストレスだらけであったろうことは想像を絶します。
 こうした極限状況を生き残った33人は鉱山労働のプロと言われながら、経験僅か5ヶ月の19歳の若者から最年長の63歳まで様々で、その不屈の精神力と団結力は素晴らしいですし、それにも増してこの団結力を引き出した現場監督の統率力は見事と言うほかありません。その現場監督は、8月5日に閉じ込められるや、救出作業が始まるまで20日はかかるだろうと予想し、備蓄食料をその想定に応じて配給するシステムを作ったと言われますが、実際に生存が確認されたのは17日目で、その後、救助物資が送られることになったわけですから、実に的確な判断でした。そして18日目に電話が繋がった時に流れて来たのは、パニックに陥ることなく、皆で斉唱するチリ国歌だったと言われますし、カプセルで引き上げる順序を巡っては、最後になるほど取り残される危険やその被害者意識に囚われるであろうにもかかわらず、後回しにしてよいと志願するケースが相次いだそうで、なんと感動的な団結力でしょう。勿論、真っ先にカプセルに乗り込み、引き上げられる15~20分の未知の体験に対する恐怖もあったと言いますが、そんな中、最初の救出者は、不測の事態も想定しつつ一番の屈強者として、カメラを回し続けて自分の影像は殆ど地上に送ることが出来なかった副責任者で、二人目は33人のムード・メーカーだったオジサンでした。そして現場監督は、全ての救出を見届け、33番目に救出される予定です。
 その背後で、救出を信じて待ち続けた家族や知人の存在は彼らの大きな力になったことでしょう。
 現場のサンホセ鉱山は、脱出口や排気口がなく安全管理義務違反を犯している上、これまで死亡事故も起こしており、人災とも言えるような事故でしたが、プロジェクトXのような盛り上がりを見せたのは、ひとえに圧倒的な極限状況にあって、人間の魂をストレートに揺さぶる人命救助というシンプルなイベントに、血が騒いだ、ということなのでしょう。33人全ての無事を祈ります。
 オマケとして、これを機に、チリのピニェラ大統領の支持率は急上昇し、救出劇は威信をかけた国家的大事業となりました。世界が注目した惨劇ですので、救出に至るドラマは既に「33人」のタイトルで映画化が決定し、現場では救出を前に記録映像の撮影が始まったそうです。更に作業員に対してすらも手記の執筆依頼が殺到しているそうでし、まして地下の33人は、救出された暁には、世界的な有名人としてカネが乱れ飛ぶのは間違いなく、地下と地上を結ぶテレビ電話を使って、弁護士が契約関係の整理に入っているほか、ジャーナリストが講師役となって救出後のメディア対応に向けた訓練を行っていたと伝えられています。ヒューマニズムと背中合わせにコマーシャリズムが蔓延り、当事者を呑み込みかねない、ちょっと気の毒とも言えるような、また鼻白んでしまうような現実を見せつけられそうな予感です。
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ノーベル賞(下)

2010-10-13 01:00:02 | 時事放談
 ノーベル平和賞が、中国で「国家政権転覆扇動罪」というイカメシイ罪状に問われて今年2月に11年の実刑判決を受けて服役中の劉暁波氏に授与されました。既に選考前から外交ルートを通してノルウェーに対し「両国関係に否定的影響を及ぼす」と圧力をかけ、受賞が決まるや中国各紙は、「劉暁波は罪人で、こういう人物に平和賞を授与したのは平和賞への冒瀆」とする中国外務省報道局長の談話を伝えた国営新華社通信の配信記事を小さく載せただけで、ほぼ黙殺状態であり、中国政府は駐中国ノルウェー大使を呼び出して抗議した上、ノルウェーに対し対抗措置を検討しているとまで伝えられました。世界第二の経済力を誇り、着々と軍備増強しながら、環境問題に無策であるのは自ら小国だからと称して憚らず、人民元切り上げに対して、中国で工場が大量に倒産し社会不安になる、それは世界にとって絶対に好ましいことではないなどと強弁し、極めて異質にいびつに膨張を続ける中国の異形な存在感を、更に際立たせる結果となりました。
 ノーベル平和賞は、過去にも、体制を批判し民主化を求めて受賞した人の国から反発を受けて来ました。カール・フォン・オシエツキー(ドイツ)、アンドレイ・サハロフ(旧・ソ連)、ダライ・ラマ14世(チベット)、アウンサンスーチー(ミャンマー)が有名だとWikipediaは列記しますが、昨年の現役アメリカ大統領に続いて、今年は獄中の人物に授与するなど、極めて異例の措置をとった平和賞の授賞主体であるノルウェーという、香港並みの人口と一人当たりGDPをもつに過ぎない小国のありように、政治的に過ぎるとの批判はあるようですが、ここはやはり天晴れと賛辞を送りたいと思います。
 そして言論統制が厳しい中国では、劉氏の名前を伏せて受賞を祝福する書き込みが溢れているそうです。
 一方で、韓寒という上海生まれの所謂「80後」世代を代表する作家がいます。Wikipediaでは雑誌編集者、プロのラリーレーサー、歌手、ブロガーとしても活動していると紹介され、タイム誌の「2010年世界で最も影響力のある100人」に、芸術家部門25人中の24番目で選ばれたそうです。石平氏によると(産経新聞コラム)、18歳の時に書いた小説『三重の門』が203万部も売れてベストセラーとなったほか、彼のブログには06年からの4年間で全国から2億9600万以上のアクセスがあり、「中国の大学教授の全員を集めてきても、公衆に対する影響力は韓寒一人に及ばない」と、中国人民大学の張鳴教授が悔しげに評したとされ、中国で最も影響力のある一人だと言います。その彼は、ブログの中で体制批判を試みますが、党の政治支配を真っ正面から否定するような言論は注意深く避けるなど、とりわけ党が警戒する反体制活動とは一線を画し、そういう意味で、同じ反逆者とは言っても、今回、平和賞を受賞した劉暁波氏などの「08憲章世代」とはまったく違ったタイプと見なされています(石平氏)。たとえばネットで拾った彼の語録には以下のようなものがあります。
 「犯罪を除けば、この世には自分が好きなことをやる人は一人もいない。」
 「ぼくはこの人生で蒲団をたたむ必要がないことを最も多く言ったが、しかし、反論できそうもない(布団は広げて使うものだから)と思ったこの論はもっとも早く反駁されてしまうはめとなった。わかったか。それは規則なのだ。ぼくらが悲しんでいるのは、ぼくらには規則があまりに多すぎるからだ。」
 「中国の文学がよくならないのは、言行とも出鱈目ながら道徳家の顔をしている者が、長らく評論家の座を占領しているからだ。彼らの最大の理想はおそらく、文壇を老人ホームに変えることだろう。」
 彼の主張は政治活動と言うよりもむしろ政治的権威を認めない反逆精神と言うべきでしょう。それは、生まれた時から政治闘争を知らず、改革開放の90年代の経済ブームの中で育ち、好きなモノが買えるとか、大学に進学できるといったように、それ以前の人には不可能だった「豊かさ」を実感し、自分の人生を選択できるようになった初めての世代とも言われ、「ポスト天安門世代」特有の政治感覚と評する人もいます。
 果たして中国は変わり得るか・・・は永遠のテーマでしたが、たとえ冷戦崩壊とイデオロギーの危機を生き延びたとしても、インターネットという電脳空間だけは当局も制御できないのではないか、そこに微かな可能性を期待しています。
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ノーベル賞(上)

2010-10-09 15:46:46 | 時事放談
 クロスカップリングの共同開発という、文系の私にはどうにも理解しがたいテーマで、鈴木章氏と根岸英一氏がノーベル化学賞を受賞されました。自然科学系としては、21世紀に入ってからの10年間で7件目で、日本人ノーベル賞第一号の湯川秀樹さんが受賞された1949年から2000年までの50年間の6件を越え、科学技術立国ニッポンの面目躍如といったところです。
 鈴木さんは、「研究は1番でないといけない。“2位ではどうか”などというのは愚問」と蓮舫発言を切り捨てるとともに、年間の自然科学系論文数で、中国が日本の約1.5倍に達するなど、科学技術面でも中国の躍進が著しいことについては、国民総生産と同じで、人口が日本の10倍だから研究者が多く、絶対量で抜かれるのは当然で、問題は質だと、科学者の立場から日本のありようの本質を言い当てておられました。
 根岸さんは頭脳流出組で、若者の科学離れに危機感を抱かれるとともに、若者にもっと海外に出ることを呼びかけ、外から日本を見る体験の重要性を述べておられました。受験地獄のことを、基本を叩き込むという意味で支持されていたのも印象的でした。
 1920年代に日本人の山極勝三郎氏がノミネートされた際には、選考委員会で「東洋人にはノーベル賞は早すぎる」という発言があったことが明らかになっているそうですが(Wikipedia)、ドイツ語への翻訳で「世界初」が誤って記されなかったため注目されず受賞を逃した鈴木梅太郎氏はともかくとして、英語の論文をものしなかったばかりに受賞を逃した大澤映二氏(いずれもWikipedia)のように、言葉のハンディがありながらも、日本は、非欧米諸国の中で最も多くの受賞者を輩出し、経済大国としての知的資産の厚みを立証しています(日本人ノーベル賞受賞者に留学経験者が多いのも頷けます)。
 ノーベル賞はアカデミズムにおいて業績の評価がある程度定着してから決定されることが多いと言われるように、今回受賞された根岸さんが勤務されていたのは帝人というかつての繊維産業の有力企業で、時代の移り変わりを感じさせました。今回の受賞者まで、田中耕一さんを除いて皆さん戦前生まれで、過去10年で7件の受賞というのは、戦後復興を終えて1960年代から70年代にかけて高度成長を遂げていた頃の研究成果のようです(田中さんを除いて)。そういう意味では、1990年代以降に躍進する中国や、理系離れが懸念される日本の結果(プラスにせよマイナスにせよ)が表れるのは、今後20~30年経ってからといったところでしょうか。でもその時の日本は、いよいよノーベル賞といった過去の貢献に対するご褒美すらも、中国の後塵を拝することになったかと、諦めの境地にあるのでしょうか。そうならないで、これから否応なしに質を求めざるを得ない日本の科学技術基盤を維持するために、過去の遺産で食えている今こそ、若者の理科系離れや国内引き篭もり現象を克服して行かなければなりません。
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三鷹の森ジブリ美術館

2010-10-03 14:19:45 | 永遠の旅人
 昨日、懸賞で当たったというので、家内と下の子を連れて井の頭公園そばのジブリ美術館に行って来ました。キャッチフレーズは、「迷子になろうよ、いっしょに。」 あれだけの豊富なキャラクターをもつスタジオ・ジブリなので、期待が膨らみます。
 いきなり受付にトトロが座って出迎えてくれて、思わず気持ちがほっこりし、ぐいっとその世界に引き込まれます。勿論、この受付は言わばハリボテで、帽子のような形をした本物の受付は別のところにあり、ごく普通の人間が待ち構えていてがっかりするのですが、渡されるキップは映画用35mmフィルムが嵌め込まれたもので、何が出てくるか確かめるまでドキドキわくわくします。今回は、メイちゃんが穴ぐらを覗き込んだところと、メイちゃんの満面の笑顔があり、以前、家内と下の子だけで来た時にはキャラクターが映っていないただの風景だったので、今回はアタリと言えるでしょう。これだけで子供は幸せな気分になりますし、いつかトトロが出てくるまで、楽しみは続きます。
 館内は、木の素朴さを前面に出したつくりで、都会にありながら時代を超えた田舎の小ぢんまりとした美術館風情であり、二階の渡り廊下(橋)は危なっかしくて興味をそそられますし、窓には、ジブリのキャラクターをはじめ花や動物が描かれたステンドグラスが嵌め込まれていて、目を楽しませます(隠れミッキーならぬ隠れトトロがあるとなお楽しめそうですが)。部屋ごとにそれぞれ趣向を凝らし、スライドや人形を高速で連続して映すことによって動画に見える仕組みを紹介していたり、アニメを構想し制作するスタジオが再現されていたり、小学生限定ながら大きなネコバスの部屋があったりと、子供たちがさまざまに興味をもって迷いこめる工夫がなされています。地下1階にある映像展示室「土星座」でたまたま見た映画は「星をかった日」という16分の小品でした。前回、家内たちが見たのは「くじらとり」という、「グリとグラ」を描いた方の小品で、かわいらしいには違いないのですがジブリとして見るには物足りなかったそうですが、今回はいかにもジブリらしい、オトナの童話の不思議な世界と影像の美しさに驚嘆し、大満足のようでした。
 些か期待はずれのところがないでもないですが、美術館と冠する以上やむを得ません。ディズニーと並び称されるジブリですが、ディズニー自体がおとぎの国そのものを提供し私たちを楽しませてくれるのと対照的に、ジブリは飽くまでアニメが全て、アニメの世界を一歩も逸脱することなく、アニメを楽しませるための舞台裏や小道具を覗かせてくれる、抑制のきいた大人し目の美術館として、都会のエアスポットのように、時折、私たちの心を和ませてくれるのでしょう。
 上の写真は、美術館の守り神のロボットです。
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イチロー・スタイル

2010-10-02 12:54:01 | スポーツ・芸能好き
 いまさらイチロー選手が偉いなどと言っても白けるだけで、これほど絶対的なヒーローは野球界にあっては間違いなくON以来ではないかと思います。既に一週間前になりますが、10年連続200本安打の偉業を達成した時の記事を拾い読みしてみました。
 恐らく多くの人にとって「イチロー・スタイル」のようなイメージが出来上がっていると思います。多くの企業CMに起用され、「理想の上司」アンケートでも常連で、メディア業界では「物事をアカデミックに追求し、紳士的で品格のある生き方そのものが同世代に強く支持される。クリーンなイメージで、商品やサービスをストレートにアピールできるのも安定したCM起用の要因の一つ」と分析されています。他方、同じ球界の人からもさまざまなコメントが寄せられていて、ほぼ共通するのは、先ずは、どんなボールにも対応する巧みなバットさばきという「卓越した技術」を評価する点であり、次に、いくら打てる技術があってもコンディションを維持しなければいけない、大きなケガをすることなく10年間続けてこられたのは、「日々の準備とケアのたまもの」であるという指摘です(こうして高いレベルを「維持する」のは簡単なことではないという点については、また後で触れたいと思います)。
 そして最後に議論になるのが、アメリカ球界における評価で、一つは、内野安打より150メートルの本塁打に価値を置くような、メジャーでパワー全盛の時代に割って入って、「技術」と「クオリティー」を武器に活躍する姿が見直されていると評価するものであり、もう一つは、どうしてもメジャー最多の4256安打を放ったピート・ローズと比較したくなる時の日本球界での記録の扱いです。後者は常に人種差別的な見方も入り混じって微妙なのですが、ウエブサイトの「ベースボール・シンク・ファクトリー」のように、日本球界はメジャーのレベルではないものの、それほど差があるわけではなく、セイバーメトリックス(野球の統計学)によって、イチローの日本での1278安打はメジャーで1228安打に換算され、イチローの通算安打は3458本となって、ピート・ローズに約800本足りないだけだと、淡々と解説するところもあります。確かに城島選手のようにメジャー帰りの選手が日本で再び活躍する姿を見ていると、よく言われるように日・米野球には質の違いがあるのではないかということは承知の上で、一般的には打率で3分から5分くらいのレベルの差が客観的には見て取れます。しかしイチロー選手のように飛び抜けた存在はこうした違いを超越しています。いずれにしても、以上の二つの点は、今後もまだまだ議論がありそうです。
 さて、そんなイチロー選手を、自分に引き寄せて考えるのはオコガマシイのですが、私が勝手に感じていることがあります。アメリカ滞在最後の一年という短い期間に、フルマラソンに四度(駅伝で二区間計20キロを走ったことも加えると、同様のコンディション作りに五度)挑戦したとき、いかにフルマラソンを走るだけの体調を整えられるか、その肉体改造のプロセスを一種の彫刻作品を作成するプロセスのように錯覚したことがありました。イチロー選手も、「野球が上手くなりたい」という思いには「イチロー」という作品を作り上げる思いがあるのではないか。とりわけ30代後半ともなれば加齢の問題があります。誰しも経験があるように、若い時には何もしなくても体型を維持できますし、体力(野球選手にとっては例えば動体視力や脚力など)は35歳とか40歳という節目(別にキリが良い数字を言っているだけですが)にガクッと落ちるのを感じるものです。今月37歳になるイチロー選手にとっても、恐らく加齢による衰えと無縁ではないであろう中でシーズン200安打のハイ・レベルを維持し続けるのは並大抵ではなく、逆に言うと、衰える肉体を補う「進化」を遂げているからこそ、ハイ・レベルを維持していると言えます。
 王選手の868本の年度別記録を見ると、37歳の50本を最後に、その後の三年間は40本を越えられず(各39・33・30本)、引退されました。本塁打と安打は違うとは言え、突出した機能の衰えという点では、共通するところがあるのではないでしょうか。人一倍、身体のケアを気遣うイチロー選手の「進化」を、これからも見届けたいと思います。
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