風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ゲバゲバ90分

2011-08-09 08:40:05 | スポーツ・芸能好き
 8月5日、前田武彦さんが亡くなりました。享年82歳。
 開局間もないNHKの放送作家となり、ラジオやテレビの台本を書かれるとともに、テレビ放送開始当初から放送作家として活動されたそうで、まさにテレビ放送文化を黎明期から支えた功労者と言えます。
 などと書きながら、私が知っているのは殆ど唯一と言ってもいい「ゲバゲバ90分」という番組です。以前、坂上二郎さん追悼のブログで触れた「コント55号の世界は笑う」とほぼ同じ頃に放映を見ていた記憶があり、Wikipediaで調べてみると、1969年10月~翌70年3月及び同10月~翌71年3月まで、毎週火曜日8時から9時半まで、ナイターオフ編成の番組として放映されていたことが分かりました。ショート・コントの合間に「ゲバゲバおじさん」と呼ばれるアニメ・キャラクターが“あかんべー”をする時の「ゲバゲバ・ピィーッ」という素っ頓狂なピィーッ音ばかりが妙に耳に焼き付いていて、それは恐らくコントがどちらかと言うと大人向けで、子供の私には理解しづらいものだったであろうと思われますが、テンポの良さははっきりと覚えていて、それが、進行はほぼ台本に忠実でアドリブは殆ど許されないほど計算し尽くされたものとされていたこと、またアメリカNBCのコント番組「en:Rowan & Martin's Laugh-In」がモデルになっているというように、NHKのテレビ放送開始から16年、それまで台本を読み上げる形式が一般的だった放送司会に「フリートーク」、「楽屋オチ」、「世間話」といった手法を持ち込み、新しい番組づくりを模索していたことがうかがわれます。出演者も、小松方正、宍戸錠、常田富士男、藤村俊二、萩本欽一、坂上二郎、大辻伺郎、熊倉一雄、朝丘雪路、松岡きっこ、小川知子、岡崎友紀、うつみ宮土理、吉田日出子、野川由美子、宮本信子、沖山秀子、小山ルミ、キャロライン洋子、ジュディ・オング、太田淑子、七海水帆子、ハナ肇と、今から見れば豪華メンバーで、その後のテレビの隆盛を大いに予想させます。
 「ゲバゲバ」と言うのは、学生運動の時代に体制に対する実力闘争を意味した「ゲバルト」(暴力)からきているそうです。Wikipediaは、当時、既に低予算・タレント任せの安易な企画で粗製濫造されていたバラエティ番組に対する警鐘として「ゲバルト」を用いたと解説していますが、学生運動と呼応するかのように、改革者、新たな実験たらんとした当時の時代風景や精神を懐かしみます。今の私たちはこれまでの生活を守ることに汲々としていますが、閉塞した時代に必要なのは、こうした開拓者の精神だろうと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連帯感

2011-08-08 13:07:37 | 日々の生活
 旧聞に属しますが、野中郁次郎さんが「Voice」7月号に寄せた論文冒頭で、「東日本大震災のあと、日本が示した連帯感をみて、わが国にはまだ強固なコミュニティーが存在し、世界に誇るべき現場力が残っている、と多くの人が感じたのではないだろうか」と述べられておられました。時に、共感の余り、被災地でもないのに耐え忍ぶ、我慢する、そんなことをしたら共倒れになりかねないと警告の声があがるほどの連帯感を示したのは周知の通りであり、危機的な状況にあって日本をリードすべき政治の体たらくとは裏腹に、現場は活力に満ちていることを心強く思った人が多かったことでしょう。
 これも旧聞に属しますが、今回の大震災をきっかけに、幕末以来の仇敵である会津と長州との間に和解の兆しが見られたとの報道を見かけました。これまで、会津若松市は、長州(山口県萩市)から姉妹都市の申し出があっても、「ならぬことはならぬ」と、会津藩校・日新館の「什の掟」の一文を引用して断って来ました。ところが、会津若松市が津波や原発事故の被害を受けた沿岸部から避難者を大量に受け入れたことを知った萩市が、市職員や市議会などからの義援金を申し出て、受け入れられたというのです。美談の一つと称えられますが、私は、かつての江戸時代以前の郷土意識が根強いことをあらためて感じました。
 そこでふと思うのですが、血縁や地縁で結ばれる人々の絆(所謂ムラ意識)を超えて、大震災があったればこそ発揮し得た遠い人たちへの連帯感を、大震災がなくても、同じ日本人というだけで見ず知らずの同朋に対しても、日本人は保持し続けることが出来るのでしょうか。戦後だけ見ても、復興から高度成長を経て世界第二の経済大国に登りつめ、更にバブルを経て長い停滞に入り、戦後の前半と後半の世代間で意識が分断されて、共通の価値観がないばかりか生活実感も異なり、不公平感が渦巻く社会にあって、社会保障と税の一体改革と言いながら、私たちは、この国のありようをどうするかということに関して、今なおコンセンサスに至っていないように思います。
 そんなことを思いたったのは、ある雑誌で、あるスウェーデン人との対談記事を読んだからでした。所得の6割近くを社会保障費として政府に収める生活を、私たちは俄かに想像できませんが、日本でいえば団塊の世代か少し上の世代が、彼の地ではそうした高福祉社会をつくりあげることに成功しました。曰く、多くの富を得たところで、所詮出来ることは大きな家を買うことくらいではないか。それでシンプルな社会を作ることにした、というのは、彼の地では自然な発想なのかも知れませんが、私たちには一種の価値観の転換が必要で、俄かには想像できません。スウェーデンでは入院して大がかりな手術を受けても、日本人が思う以上にさっさと退院させられるのだそうです。制度としては効率的ですが、その代り自宅に戻ってから周囲のサポートを受けられる裏付けがある。結局、社会を支えるのは、「制度」ではなく、そうした「制度」を成り立たしめ、人々が社会にコミットする「理念」や「思想」、つまり人々の意識の中に根付く社会的「連帯」の感覚ではないか、というわけです。
 そういう意味での成熟を、日本人はまだ経験していません。そのように成熟するにはまだ時間が必要なほど、余りに激動の戦後だったと言えるのかも知れません。大震災は、こうした激動に冷や水を浴びせ、人々をして社会を冷静に見つめさせることが出来るのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発と放射線を巡る問題(4)

2011-08-06 00:00:28 | 時事放談
 前回に引き続き、武田邦彦さんの著作を読みました。「原発大崩壊!」(ベスト新書)の中で特に印象に残ったことを紹介します。
 武田さんが原子力安全委員会の専門委員をされていた2006年当時、「新耐震指針」(正確には「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」)を策定するために専門家を集めて議論が重ねられたそうです。そこで決まった原発建造における日本の耐震指針は、「原子炉の建屋」並びに建屋の中の「格納容器」と「原子炉(圧力容器)」の三つには責任を持つけれども、電気系統やその他の施設は対象から外したといいます。しかもこの指針は想定内の地震に対してのもので、想定外のことは「残余のリスク」と書かれ、そのリスクの範囲に入った場合、住民は「著しい被曝」をする可能性がある、と認めているというのです。「原子炉」は普通の建物の3倍、冷却系など次に重要なところは1.5倍の強さで建造し、その他の周辺施設に至っては普通の家と同じ耐震基準で建てられるということです。何ということでしょう。日本の原発が(チェルノブイリと違って)軽水炉を選んだのは、仮に水がなくなっても、中性子が減速しないから核分裂が続かず、爆発しないという安全志向が先ずあったはずでした。今回の福島原発でも、震災後、確かに設計通り制御棒が押し込まれ、核反応の暴走は起こりませんでした。しかし、電源が失われたため、崩壊熱を出し続ける燃料棒を冷やし続けることが出来ず、周囲の水を蒸発させ、結果、水素爆発を起こして放射線を放出したのは、ご存じの通りです。
 新指針が2006年で、それ以前はどうだったのか、その当時にどのような文脈で、こうした結論に至ったのか、単に従来のスタンスを認めただけだったのどうかかが気になりますが、いずれにせよ、原発の安全性は、政府や東電にとって「原子炉」の安全性でしかなく、電気系統を含む周辺施設が被災して冷却装置が機能しなくても、想定外などとうそぶいていられたわけです。そこには言い訳を許すロジックはあっても、付近住民の安全という理念が抜け落ちています。
 こうした事実からも、今回の原発問題は人災であり、安全管理の問題と言えそうです。日本のもてる技術を総動員すれば、もっと安全な原発、原子炉だけではなく電気系統や周辺を含む全ての施設を安全につくることが出来たはずです。そういう日本の技術を私は信じます。安全ではない原発は使うべきではないのは当然のことですが、今回の原発事故があったから、一般論として原発はアブナイものだとして、今後20年とか30年の時間をかけて反原発に舵を切るのはともかく、今すぐ全てやめるべきだという、そういう単純なものではないように思います。とりわけ、太平洋戦争の直接の原因の一つにアメリカによる対日禁油が挙げられ、更に二度の石油ショックによる狂乱物価を経験して、化石燃料に頼らないエネルギー戦略を実現することが悲願であるはずの、エネルギー資源が乏しい日本にとっては、なおのことです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発と放射線を巡る問題(3)

2011-08-01 01:00:18 | 時事放談
 武田邦彦さんの本を読みました。著者のプロフィールによると、旭化成のウラン濃縮研究所所長在任中に世界で初めて化学法のウラン濃縮に成功し、日本原子力学会から最高の賞(平和利用特賞)を授与され、現在は中部大学総合工学研究所教授を勤めておられますが、その前には、名古屋大学大学院教授のほか、内閣府原子力委員会及び安全委員会専門委員を歴任されたという意味で、「原子力村」の内外から見てきた公平な目線があります。
 「放射能と生きる」(幻冬舎新書)は、3月11日から5月5日までのご本人のブログをそのまま再録したもので、その時々の限られた情報をもとに、ご自身の知見を踏まえ、原発と放射線という分かりにくい問題に、私たちがどのように対応すべきかを、冷静かつ丁寧に解説しておられたことが読み取れます。私自身の震災体験(勿論、東京に住んで、TVや新聞や雑誌というメディアを通して微かに実感するだけの体験ですが)を追体験しながら、興味深く読み進めることが出来ました。そして、ある時から政府の発表やマスコミの報道が分かりにくくなったのは、政府が国民を誤魔化そうとし、その尻馬に乗ったマスメディアがいい加減な情報を垂れ流したせいだということも分かりました。
 放射線被ばくによる安全・不安全を巡る武田さんの主張のポイントは以下の三点です。
 先ずは、武田さんとしては、人体に安全な被曝量として、国際放射線防護委員会(ICRP)が定めた基準値である年間1ミリシーベルトに飽くまで拘ります。この数字を少し超える年間5ミリの場所は「管理区域」と呼ばれ、立ち入りが制限されるわけではありませんが、被曝する放射線量を計測し、健康診断をする必要がある、つまり絶対に病気になるということはないけれども、注意をしなければならないということを意味するそうです。さらに年間20ミリという、放射線業務に携わる男性の限界値があります。同じ人間としての限界値に違いはないはずですが、基本的に業務に携わる人はしっかり被曝量を測り健康診断を行うものであること、また業務に携わる人は健康な成人男性であること(逆に言うと赤ちゃんや妊婦は含まれない)、そしてこれらを含めて自分の意思で放射線を浴びる場合と、事故などで自らの意思とは無関係に放射線を浴びる場合とで、明確に区別するのが防災の基本的な原則であることによります。なお年間50ミリになると、健康障害のおそれが出てくるため、例えば子供は甲状腺ガンを防ぐためにヨウ素剤を服用する必要が出てきます。年間100ミリになると、慢性的な疾患が見られるようになり、1000人に5人が放射線によってガンになるという数値です。年間250ミリは、福島原発で作業する人の限界値として引き上げられたもので、急性の白血球減少など、直ちに影響が見られるレベルだそうです。結局、人によって感覚が違うので、どのレベルが「正しいレベルか?」ということは必ずしも言えないものである、そうだとすれば、テレビなどで専門家は「平気だ」と言ってもそれは個人的な見解でしかない、そういう中で、武田さんは最も信頼性のある数値は国際放射線防護委員会が勧告した「年間1ミリ以下」とし、それ以下なら「安心」、それ以上なら「注意」と、はっきり意識した方が良いと述べられます。
 次に、ここで注意すべきは、国際放射線防護委員会が使っている放射線量は、外部被曝と内部被曝の合計値であるということです。ところが政府の発表やメディアの報道を見ていると、外部被曝のことしか念頭に置いていないように見えます。そこで武田さんは、外部被曝に加え、チリなどが呼吸によって体内に吸収される量や、食品や水から吸収される量を加えて、政府が公表する「ある土地の放射線量」の3倍(警戒が足りない子供は4倍)を被曝するものだと考えるべきだと警告されています。
 最後に、こうして被曝量は人により状況により個別に考えなければならないはずなのに、ある土地やホウレンソウで計測された放射線量を「直ちに影響はない」などと決めつけることに根拠がなく、従いこれほど無責任な発言はないことが分かります。政府が行うべきことは、パニックを避けるために事実を隠したり、影響を過小評価し、その後、事実確認のたびに影響が大きかったことを白状することではなく、先ずは事実をありのままに伝え、国民に判断させること、また影響を安全サイドに過大評価し、その後、事実確認のたびに、安全宣言していくことだと言うわけです。
 菅内閣が、国民の生活を連呼しながら口ほどにはなく、薬害エイズや肝炎訴訟で人権派ぶるわりには人命尊重しないことが分かります。むしろ情報統制し、国民の安全より、内閣や総理大臣のメンツに拘るあたりは、かつての世界のサヨク政権の独裁性を感じさせます。
 武田さんは放射線医学者ではなく、従い科学的事実を述べるのではなく、あくまで第一種放射線取扱主任者としての「立場」から、国際放射線防護委員会の勧告に忠実であり、原理主義的ですらあります。それが限界であるとも言えますが、しかし放射線に関する限り(あるいは世の中の事象はおしなべて)「立場」での発言を越えるものはないのではないでしょうか。武田さんの場合、この第一種放射線取扱主任者の背骨がピ~ンと通っており、それが爽快ですらあり、ごく虚心坦懐に著作を読むと、技術者としての良心を感じさせます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする