今日はモノ編です。
昨晩、成田に着いたのは夕方6時前のことで、ニューデリーを出たのは金曜の深夜(日本時間3時半)でしたから、半日以上の、アジアにしては長いフライトで(シンガポールにトランジットしたからですが)、ちょっとくたびれました。しかし、その疲れよりも、東京で出迎えてくれた蒸し暑さに参っています。あちらで天気予報を見ていても、赤道に近いアジア諸国の方がよほど東京の気温よりも低く、湿度を含めると体感は更に違ってくるのでしょう。実際に、外を歩いたのは僅かでしたが、アジア諸国の方が凌ぎやすいように感じました。また、日本にいたら節電のことを少しは気に留めますし、所詮は日本だけの部分最適のマインド・セットに陥るわけですが、発展途上のアジアの巨大な空港にしろ、ホテルにしろ、オフィスにしろ、エアコンががんがんにきいたアジアの環境を渡り歩くと、地球環境を否応なしに意識せざるを得なくなります。
確かに、モノとして見た場合に、シンガポール、クアラルンプール(マレーシア)、ニューデリー(インド)ともに、そもそも国の玄関口である空港に、開発独裁の力を如何なく発揮して、他国を制して、国の威信を示す覚悟が込められて偉容を誇りますし、ホテルもまた、日本のちまちましたそれとは違って、スペースは欧米並みに豪華で(いまどき出張者が泊まるホテルはせいぜい中の上程度ですが)、国の覚悟に相応しい、人々の受け入れを実現する民間資本の意気込みを感じさせます。いわば、久しく日本では忘れられた、一種の国全体での盛り上がりです(と言っても首都など大都市に限定的でしょうが)。
そんな中で、ニューデリーには、他の二都市には見られないニオイを感じました。カースト制に起因するのか、イギリス植民地統治時代の名残りなのかは分かりません。それが今もなお根強く残っているかどうかは、もともとあった伝統文化の強さにもよるでしょうし、植民地統治そのものの歴史的な長さと強さにもよるでしょうし、さらにそこから脱して、新たな国としての、経済をはじめとする発展を遂げつつある、変貌の度合いにもよるでしょう。それら全てがミックスされて、現在の国のありようが決っているわけですが、敢えて単純化して眺めて見ると、マレーシアを真ん中に、シンガポールを一つの発展系の極端として(しかし現在のそれは、かつての宗主国の立場を自らの政治家と官僚とで置き換えたに過ぎないかも・・・しかし、国家独立したことによって富が搾取されることなく自国民で分かち合えるようになったのは最大の違いではあります)、インドは、その潜在力を認められつつ、もう一つの発展途上の極端として位置付けることができ、もともと根強いカースト制と相俟って、首都でありながら、貧しさと豊かさとが混然一体となった独特の様相を醸し出しているように思います。街では、私たちが普通にイメージするタクシーとは別に、貧しい人向けの自動三輪(オート・リクシャー auto-rickshaw)のタクシーを多く見かけますが、どちらかと言うと裕福な人が使う自動車との接触事故が多く、貧しい人が泣き寝入りすることが多いと聞きました。
ついでのことながら、フロントでは、ホテルのボーイが鞄を持とうと必死に近づいてきて、部屋まで送り届けようとしてくれます。いまどき、それほど大きな荷物を持つわけでもなし、ちょっと面倒に思って断る人も多いと思いますが、チップを与えるという昔懐かしい習慣は、この国に最後まで残るのではないかと、ふと思いました。以前、マレーシアに滞在していた頃、インド人の知人に、どうもメイドを雇うのは気がひけるというような話をしたら、彼はインドでも裕福な家庭に育ち、メイドが何人もいるのが当たり前の中で育ったせいか、彼らに仕事を与えることになるから良い事なのだと、こともなげに言い放ったものでした。
また、もう一つ、ついでながら、ホテルからオフィスまで、目と鼻の先ながら、チェックアウトした荷物があったため、タクシーを拾ったときのことです。5分も走らなかったのですが、メーターを動かしておらず、いくらかと聞くと、謎かけのようにHappyか?と。Happyと思うならお金をくれ、と。埒があかなくて、具体的にいくらか言ってくれなければ分からないではないかと、押し問答の末に、ようやく200ルピーと聞き出して、そのまま支払いました。後で現地の駐在員に聞くと、その半分が相場のようでしたが、別に惜しくはありません。ただ、これが所謂「対面相場」と呼ばれるものかと思いました。マレーシアもそうでしたが、日本人向けの相場があり、日本人はぼられたと思うのですが、恐らく彼らは裕福な日本人から施しをしてもらっている程度で、悪気はないのかも知れません(NYのタクシーから吹っかけられると、単純にぼられたと思いますが)。
そうした社会の意識を象徴するかのように、ニューデリーの豪華なホテルの片隅に、安っぽいヘア・ドライヤーがひっそりと息づいていました。使っていると異音に加えて異臭も漂ってきて、気になって見るとプラスティックの一部が溶け出して煙が出始めているではありませんか。地元のいい加減なメーカーだろうかと出自を調べると、無名ながらmade in Great Britainとありました。シンガポールでも、マレーシアでも、大抵はPanasonicだったりするわけで、いくらイギリス統治が広がった東南アジアで、早くから産業革命を遂げながら、結局、金融サービス産業でしか生き残れなかったGreat Britain製を見ることは滅多にありません。たった一つの事実だけで、これがインドと思うのは早計の至りですが、そういうものかと納得したくなる次第でした。
昨晩、成田に着いたのは夕方6時前のことで、ニューデリーを出たのは金曜の深夜(日本時間3時半)でしたから、半日以上の、アジアにしては長いフライトで(シンガポールにトランジットしたからですが)、ちょっとくたびれました。しかし、その疲れよりも、東京で出迎えてくれた蒸し暑さに参っています。あちらで天気予報を見ていても、赤道に近いアジア諸国の方がよほど東京の気温よりも低く、湿度を含めると体感は更に違ってくるのでしょう。実際に、外を歩いたのは僅かでしたが、アジア諸国の方が凌ぎやすいように感じました。また、日本にいたら節電のことを少しは気に留めますし、所詮は日本だけの部分最適のマインド・セットに陥るわけですが、発展途上のアジアの巨大な空港にしろ、ホテルにしろ、オフィスにしろ、エアコンががんがんにきいたアジアの環境を渡り歩くと、地球環境を否応なしに意識せざるを得なくなります。
確かに、モノとして見た場合に、シンガポール、クアラルンプール(マレーシア)、ニューデリー(インド)ともに、そもそも国の玄関口である空港に、開発独裁の力を如何なく発揮して、他国を制して、国の威信を示す覚悟が込められて偉容を誇りますし、ホテルもまた、日本のちまちましたそれとは違って、スペースは欧米並みに豪華で(いまどき出張者が泊まるホテルはせいぜい中の上程度ですが)、国の覚悟に相応しい、人々の受け入れを実現する民間資本の意気込みを感じさせます。いわば、久しく日本では忘れられた、一種の国全体での盛り上がりです(と言っても首都など大都市に限定的でしょうが)。
そんな中で、ニューデリーには、他の二都市には見られないニオイを感じました。カースト制に起因するのか、イギリス植民地統治時代の名残りなのかは分かりません。それが今もなお根強く残っているかどうかは、もともとあった伝統文化の強さにもよるでしょうし、植民地統治そのものの歴史的な長さと強さにもよるでしょうし、さらにそこから脱して、新たな国としての、経済をはじめとする発展を遂げつつある、変貌の度合いにもよるでしょう。それら全てがミックスされて、現在の国のありようが決っているわけですが、敢えて単純化して眺めて見ると、マレーシアを真ん中に、シンガポールを一つの発展系の極端として(しかし現在のそれは、かつての宗主国の立場を自らの政治家と官僚とで置き換えたに過ぎないかも・・・しかし、国家独立したことによって富が搾取されることなく自国民で分かち合えるようになったのは最大の違いではあります)、インドは、その潜在力を認められつつ、もう一つの発展途上の極端として位置付けることができ、もともと根強いカースト制と相俟って、首都でありながら、貧しさと豊かさとが混然一体となった独特の様相を醸し出しているように思います。街では、私たちが普通にイメージするタクシーとは別に、貧しい人向けの自動三輪(オート・リクシャー auto-rickshaw)のタクシーを多く見かけますが、どちらかと言うと裕福な人が使う自動車との接触事故が多く、貧しい人が泣き寝入りすることが多いと聞きました。
ついでのことながら、フロントでは、ホテルのボーイが鞄を持とうと必死に近づいてきて、部屋まで送り届けようとしてくれます。いまどき、それほど大きな荷物を持つわけでもなし、ちょっと面倒に思って断る人も多いと思いますが、チップを与えるという昔懐かしい習慣は、この国に最後まで残るのではないかと、ふと思いました。以前、マレーシアに滞在していた頃、インド人の知人に、どうもメイドを雇うのは気がひけるというような話をしたら、彼はインドでも裕福な家庭に育ち、メイドが何人もいるのが当たり前の中で育ったせいか、彼らに仕事を与えることになるから良い事なのだと、こともなげに言い放ったものでした。
また、もう一つ、ついでながら、ホテルからオフィスまで、目と鼻の先ながら、チェックアウトした荷物があったため、タクシーを拾ったときのことです。5分も走らなかったのですが、メーターを動かしておらず、いくらかと聞くと、謎かけのようにHappyか?と。Happyと思うならお金をくれ、と。埒があかなくて、具体的にいくらか言ってくれなければ分からないではないかと、押し問答の末に、ようやく200ルピーと聞き出して、そのまま支払いました。後で現地の駐在員に聞くと、その半分が相場のようでしたが、別に惜しくはありません。ただ、これが所謂「対面相場」と呼ばれるものかと思いました。マレーシアもそうでしたが、日本人向けの相場があり、日本人はぼられたと思うのですが、恐らく彼らは裕福な日本人から施しをしてもらっている程度で、悪気はないのかも知れません(NYのタクシーから吹っかけられると、単純にぼられたと思いますが)。
そうした社会の意識を象徴するかのように、ニューデリーの豪華なホテルの片隅に、安っぽいヘア・ドライヤーがひっそりと息づいていました。使っていると異音に加えて異臭も漂ってきて、気になって見るとプラスティックの一部が溶け出して煙が出始めているではありませんか。地元のいい加減なメーカーだろうかと出自を調べると、無名ながらmade in Great Britainとありました。シンガポールでも、マレーシアでも、大抵はPanasonicだったりするわけで、いくらイギリス統治が広がった東南アジアで、早くから産業革命を遂げながら、結局、金融サービス産業でしか生き残れなかったGreat Britain製を見ることは滅多にありません。たった一つの事実だけで、これがインドと思うのは早計の至りですが、そういうものかと納得したくなる次第でした。