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震災8年1月20日
やたらと、人は分けたがる傾向にあります。あの方は理系だとか、文系だとか言いますが、ステレオタイプ的に決めつけない方がいいのではないでしょうか。たまたま、今、考えていることは理系的だとか文系の発想だとは思いますが、文系も理系も混ざっているファージーな状態が適切な表現ではないかと思います。そういう見方の先にあるのが、極端ではなくバランス感覚に繋がってくるのだと思います。
よく、こんな話があります。雪は解けると何になる?①春になる。②水になる。どちらも正解です。また、③春になって水になる。なんて、③の答えもあるかもしれません。そうですね。実際は③の答えも多いのではないでしょうか。
文系か理系という前にそのものをしっかり見つめることが大切だと思います。そして、今はそこから何を得ることが大切なのかを、しかと見つめることだと思います。理科の勉強というと理系といいますが、その前に、それを確かめたいという強い追及心とか、誰かに認められたいとか、人の役に立ちたいとか、そのことで人を救いたいとかいう内面的な動機が結構大切な気が致します。それは、文系理系以前のものだと思います。そして、それを解決しようとする強い意志は文系理系以前の心の問題です。
戦後の教育はその内面のメンタルな部分で大きな後れを取っているのではと思います。なんでも、すぐ、答えが欲しいし、効率や効果を期待しすぎています。人生そればかりではありません。すぐ温まるものはすぐ冷えます。人の心は複雑です。このように時間というエイジングを経て為すことがおろそかになっている現代人は大きな大切なものを失っています。長く延命を図るだけの命ではいけません。どう生きたか、が大切です。そういう面で現代人は退化して来ています。長く生きることが大切でなく、どう生きるかが大切です。寿命という意味をもう一度考え直さなくてはいけません。
文学は理屈では割り切れない内面や人の弱さを表現できます。ロケットを打ち上げるには科学や化学の力を借りることが多々あります。そして、月に到着したいと思えば宇宙をイメージする力も必要でしょう。同じロケットでも性能ばかりでなく見た目のスマートさやかっこよさも追及したくなるでしょう。誰もが、乗りたくなるような夢のデザインも必要です。
こう考えると、すべてのことはシームレスに繋がったり、交じり合ったりするのが本来の姿のようです。分け隔てることは差別にもつながりますし、分断にもつながってしまいます。
しかし、トータルで見たり、バランス感覚で考えたり、デザイン感覚でとらえたりシームレスに物事を見れば、人を許したり寛容な態度が取れたり融和点も容易に見つけられることになるのではと思います。人種問題や同和問題も同じようなものではないでしょうか。解決の糸口はその辺にあるようです。
広く、浅く、あまねく、共通点を見つけることが仲良くなる最大のことです。光があれば必ず影ができます。影があるから、光が生きてくるのです。空白があるから、実物も生きてきます。休符があるから音符が生きてきます。緩があり急があります。陰があり陽があるのです。一面から全体を想像しますが、全体を見て一面を理解することもあります。主観があり客観があります。自分を俯瞰してこそ本質も見えてきます。すべてトータルにとらえてこそ、確かなものが見えてくるのです。
今の世の中、もう一度、大切なものを失っていないかをじっくり考えてみたいと思いいます。