トミカ ドリームトミカ スヌーピー バレンタイン | |
クリエーター情報なし | |
タカラトミー |
震災8年1月29日
仮想通貨が大流行ですが、先日も、500億以上の通貨がサーバー攻撃で盗難したというお話が出ていました。人間は色々なことを考えるものだといつも思います。あの仮想の、しかも、目に見えないものに通貨としての価値をつけるものです。
古来、人間は欲しい物があると、自分で探し、物々交換をしていました。そのときには、まだ、通貨は必要ありませんでした。
しかし、そのものを貯めると言うことを考えた時、物々交換していたのでは、物の移動が大変でした。倉庫も一杯になってしまったのでしょう。
そこで、人は通貨という便利な仲介役を考え出したのです。初めは大きな石を通貨にしていた国もありました。また、金や宝石をその代わりに使ったこともありました。その後、もっと、便利で場所も取らなくて軽い物はないかと考えました。
そして、生まれたのが、紙幣等の貨幣です。持ち運びも保管も大変便利になりました。そして、人はそれを仲介として取引をするようになりました。その中心に銀行ができました。
ところが、今や、仮想通貨や電子マネーの時代です。倉庫という物理的な大きな部屋はいりません。RAMの様な記憶装置さえあればいいのです。
銀行も、低金利ということもありますが、通貨が利益を生まなくなり、電子マネーや仮想通貨の利用増加と、反対に大きなリストラの問題に直面するようになりました。
インターネットを介してのお金のやりとりは、益々増加し、電子マネーから今では仮想通貨の時代になろうとしています。仮想通貨はネット上のあらゆる利用者が利用できるようですので、爆発的にその取引が増えて来ました。
反面、今回のような500億以上の盗難などのリスクも孕んでいてとても危険なハイリスクハイリターンの商品になってしまったのです。具体物がない、目に見えないデータだからよりわかりにくくなってしまったのです。
株式からFXへそして、今や仮想通貨へと、投資の流れは加速しています。と、同時に一度不祥事がおこれば大変な事になる危険と隣り合わせであることが表面化して参りました。
何でも、新しい物はリスクとリターンを内包しています。いつか訪れる危機が最近目立ち始めたのです。株と同じようなものでしょう。人間も賢くならなければいけません。遊びのはした金で楽しむぐらいにしておかないと大変な事になってしまいます。
今はネット上で取引所がいくつもでき、銀行保証や国家補償のない通貨で自由にやりとりできますが、やがて、規制をしなければならなくなるのでしょう。
そうすると利便性が無くなってしまいます。利便性をより追求していく中で、確実性とのバランスが今後はかられていくのでしょう。
ちなみに、過去に遡れば遡るほど、具体物、アナログの世界になります。人の進歩は具体から抽象の歴史でした。抽象の世界という宗教でさえ、仏とか、キリストとかいう具体物を掲げています。
電気が発見されたのも、その理論は電子という仮想のものを-として定義し、電子理論は発達して参りました。
そして、人は10進数という便利な理論を考え計数を発達させて来ました。その後、数は2進数や3進数があることが分かり、コンピュータと共にデジタル社会を築いてきました。
日本にはゼロという考え方が無かったようですが、インドでは0が発見され十進数理論は確実に進歩しました。
今や、ネット時代となり、ネット社会では国家の垣根がなくなりつつあります。通貨も1ドル360円時代から瞬時に他通貨への変換がなされるようになり、金利も瞬間瞬間、需要と供給で変化していく時代になりました。
最近では量子力学を応用した量子コンピュータの時代になり、より速くより小さくはトレンドとなっています。そして、より低エネルギーの時代でもあります。
しかし、どんなに周りは変化していっても変わらないのがあります。不易流行の不易の部分、人の心の問題です。
この心ははるか昔から具体でなく抽象だったのです。ですから、どんなに新しい論文が生み出されても心の問題だけはもっと、深い意味があるのです。だから、人間が人間たるゆえんを意味しています。
宗教の問題も同じです。どんなに科学が発達しても、この心と宗教も、問題は人間の尊厳として永久に残るでしょう。
最近、どこでも、AIの進歩と共にロボットが活躍する社会になりつつあります。先日も、寿司屋にいったら、まず、ロボットがお出迎えでびっくりしました。
ロボットも最近は人間の感情にまで入ってきているのにはびっくりしていますが、これは所詮、無機質のロボットです。血の通った人間とは違います。この辺は、人間の尊厳とも関わり、重要な問題です。人の規制が必要でしょうね。
ひょっとすると、今後は量子コンピュータから息するバイオコンピュータの時代へと突入していくようになるでしょう。
そうなると、人の尊厳の重要性がよりクローズアップされ、その開発に倫理的な規制がかかることも、十分考えられます。
時代は流れていきますが、不易流行は永遠のテーマです。松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の間に体得した概念です。「不易を知らざれば 基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」即ち「不変の真理を知らなければ基礎が 確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」、しかも「その本は一つなり」即ち「 両者の根本は一つ」であるというものです。「不易」は変わらないこと、即ちどんなに 世の中が変化し状況が変わっても絶対に変わらないもの、変えてはいけないものという ことで、「不変の真理」を意味します。逆に、「流行」は変わるもの、社会や状況の変化 に従って変わってゆきますが、両者は普遍の真理なのです。