妻が通販で買ったテレビ台を私は組み立てていた。プラモデルを作っているから、できるんじゃないかと思い息子に声をかけたところ、
「作ってもいい。」
と、いう返事が返ってきた。いつもは親が声を掛けようとすると
「うるさい。」
と、いうのが口癖であるが、このときばかりはいい返事だった。
これはいいチャンスだ。そうだ、私がやるよりも子供にやらせてみようということになり、内心途中で投げ出されないかと不安もあったが、すべてを任した所、2時間ぐらいかかったが、どうにか、自力で組み立てることができた。ご褒美として組み立て賃をあげたが、体で覚えることの大切さを少しでも体感したのではないかと思い、親としてうれしくなった。
※組み立てられたTV台
通販で7000円で買った品物 随分安い買い物でした。
子供が成長過程で、いい芽を伸ばそうとするチャンスは何度もあるはずだ。あるにも関わらず案外その芽をつぶしてしまうことが往々にしてある。その芽が出てくるまで待つことと、それに気づくことのの大切さを感じた。親の干渉を嫌うこの時期の子供であるが、私の心も、このときばかりは日本晴れであった。
今、何でもめまぐるしく変わり、すべてが効率や経済性で数値化して評価する時代であるが、教育や生物の成長は時間という横軸がなければ、実を結ばない。周りの変化は忙しい時代であるが、生物としての体内時計は悠久の時代から変わらないはずだ。
野菜作りも必ず旬がある。子供の成長にも必ず旬が来る。その時期はみんな違う。画一性がないのだ。
生物を育てる側の人間はその時期が来るのをじっと待つ根気強さが大切だ。伸びようとする時期をそっと、見つけ、その対象が持つ伸びようとするベクトルの先を見つめ、そっと背中を押す。子供のベクトルと親のベクトルが一致する。力が倍になる。そんなに、うまくはいかないだろうが。そのときを見つけ、全力で後押しする。それが理想だが、少しずつその方向で努力して行きたい。
私の野菜作りもそのスタンスでやっているつもりである。旬の野菜は自然の恵みを一杯受けておいしい。それが、自然である。時期がくれば芽が出て実を結びやがて枯れ、その世代の命は消えていく。しかしだ。その種は永遠に次の世代に繋がっていくのだ。わたしとて、同じ運命にある。
兄も、今月24日黄泉の国に旅立った。享年70歳だった。後は立派に成長した二人の息子が後を次いでくれている。こうして、季節が変わりゆくように人の世代も時の流れに乗り、変わっていくのだ。芭蕉のいう不易流行のなかで、悠久に時は流れていく。時という全ての人に平等に与えられた中で人類も繋がっている。