想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

物と心の違いとは

2025年01月03日 | エッセイ
 コロナ6年1月3日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 ふと、こんなことを考えました。物と心の違いについてです。

 ものというのは、時が過ぎれば必ず壊れていきます。地球上において「壊れないもの」は存在しません。自然界のものはいつか生まれ、そして必ず終わりを迎える――それが自然の摂理です。

 しかし、一方で心というのは不思議な存在です。心や信念は、形がないため壊れることがありません。もちろん、心がぼやけたり弱くなることはあるかもしれませんが、自分が持ち続けている限り、それは永遠に続いていく。形がないからこそ、物理的な損壊からは自由であり、むしろ永遠性を持つのではないかと考えます。

 人間は形あるものとして存在する
私たちの肉体は、赤ちゃんとして生まれ、成長し、老いて死んでいきます。肉体は形あるものなので、ものと同じように、時間の流れの中で劣化していくのは避けられません。

 ですが、心は老いないのです。自分の心が鮮やかであり続ける限り、それは若さを保つことができます。心や思想、宗教、信念などの無形のものは、形を持たないからこそ時の流れに縛られないのです。

 形あるものはいつか壊れる運命にあります。しかし、形のない心や考え、信念は続いていく。だからこそ、生きている間に形あるものの中でそれをどのように形成していくが大切だと感じます。

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具体と抽象の間にある不思議

2025年01月03日 | エッセイ
 コロナ6年1月3日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

ある日、ふと思ったんです。図形って、本当に不思議なものだなと。正方形、三角形、五角形、円…。私たちの頭の中でははっきりとイメージできるし、紙に描いたり模型を作ったりして形にすることもできますよね。でも、その図形そのものを取り出そうとするとどうでしょう?

たとえば、「円」という概念。それを「ここにある」と手に取って見せることはできません。紙に描けば「円を表現したもの」になりますし、コンパスで作った形もあくまでその表現の一つ。円そのものではありません。つまり、図形は概念として存在しているだけで、厚みや重さを持つ物体としては存在しないのです。これに気づいたとき、私は改めてその不思議さに驚きました。

同じように、数字や文字も不思議な存在です。「1」や「2」、「A」や「B」も記号として存在していて、私たちはそれを理解し使いこなします。しかし、それ自体を物理的に取り出すことはできません。紙に書けば「記号の表現」になりますが、「記号そのもの」ではないのです。

これらはすべて、「抽象」という世界に属しているものです。具体的なものではなく、概念や記号、イメージとして存在するだけ。それが私たちの生活や学問に深く関わっているなんて、とても面白いと思いませんか?

こうした「抽象」の存在に気づくと、数学や哲学の世界がより奥深く感じられます。具体的なものを超えた「抽象的な美しさ」が、そこには広がっているのです。そしてそれは、私たちが普段何気なく使っている記号や形の中にも隠れている。不思議で、少し感動する発見でした。

みなさんも、身近なものの中にこうした「不思議」を感じたことがありますか?
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