想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

冤罪

2010年07月19日 | インポート
 冤罪、「裁かれるのは私なり」袴田事件主任裁判官39年目の真実 の本を現在読んでいる。確かに冤罪は存在する。過去にもいくらもあるに違いない。人が人を裁くことの難しさをこの本は物語っている。「疑わしきは被告人の利益に」という言葉がある。はっきりした証拠がないのに有罪にはしてはいけないということである。
  この袴田事件もまた、捜査の強引なやり方が冤罪を産んでいるという内容である。なるほど、といえる箇所が何度もでてくる。過酷な取り調べで調書が作られていく。警察が描いたシナリオにそって、証拠集めがなされる。ほんとに怖い話である。被疑者になったものしか分からない真実、こんなことがあっていいのかと思ってしまう。
 どうも、こういうことが現実なされているらしい。本当に怖い話だと思う。この話も、ある裁判官の正義に関わる話である。結局3人の裁判官の内、2人が死刑を宣告すると後の一人が無実といっても、死刑になってしまうらしい。自分は被告は無実であると信じているが、制度上死刑になってしまい、彼がその判決文を書く運命になってしまう話である。そのことから、彼が良心の呵責に苦しむことになってしまう。
 法廷でこういうことがあることも初めて知ったが、神はいったいどこにいってしまったのかといいたくなる。権力を持つものが犯す犯罪の恐ろしさを嫌というほど知らされた。
 過去の日本にもこのようなことで、警察のメンツで、同じような事件がきっといくつも闇に葬られて来ただろうと思う。
 今まで、警察は正義で悪を駆逐するとばかり、思っていたが、このようなことも起こりうるのだということをこの本は語っている。
 わたしも、昔、車に追突され、相手がおかしいのに、こちらの方が分が悪いような話になったことがある。そのときの、警察官の権力的なやり方を思い出すことがある。そのようなことから考えても、やはり、強引な取り調べで被疑者が不当に不利になることがあるように思う。権力を持つものは人並み以上に謙虚でなければいけないと思います。
 サリン事件の河野さん事件なんか典型的な警察の描いたストーリーに沿って冤罪が生まれたような気がします。また、足利事件の菅谷利和さんの冤罪も記憶に新しい事件です。
 こういうことのない、正義が確立された世の中が早く来てほしいです。人が人を裁くことの難しさをひしひしと感じさせる本でした。本当の悪人を罰するのはいいですが、冤罪は決してあってはならないことです。
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