想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

ススキの根先 恐るべし

2015年06月14日 | 家庭菜園

  手入れが行き届かなくて、雑草が茂っていたところを掘り起こしていたところ、昔植えたエシャレットにススキの根の先が刺さり、貫通していました。根のエネルギーのすさまじさを目の当たりにして、びっくりしました。昨年はサツマイモに突き刺さりやはり貫通していました。このときも、びっくりしましたが、今回はこんなに小さいエシャレットをも貫通させる根の持つ生きる力に驚かされました。

 私たちは、植物を育てると普通は地上より上の部分を見ますが、地下の中では根の活躍のすごさをあらためて感じました。やはり、根がしっかりしていると言うことが根本なんだなとあらためて思いました。
 根はりを気にすることが、栽培のこつだと言うことがよく分かりました。それにしても、ススキの先端のエネルギーはすごいですね。もっとも、根の先にも成長点があり、細胞分裂を盛んにしているのです。成長点は、芽と根の先端にあるのですね。

 こちらは、昨年10月に掘り起こしたさつまいもに刺さっていたススキの根です。芋を貫通しているのがわかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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梅雨空に想う

2015年06月11日 | エッセイ

 東海地方もいつの間にか梅雨に入ったようです。梅雨には梅雨のよさがあります。昔、タイガーズ「モナリザの微笑」という歌がありました。

 雨がしとしと日曜日……から始まる歌ですが、雨の日曜日もまた、落ち着いていいと思います。しとしととふる梅雨の雨、情緒があります。雨の音にもそれぞれ表情があり、あじさいが咲き乱れ、七変化にその色を変えます。また、かたつむりも雨を聞きつけ現れます。その動きのテンポは現代人にはストレスとなる方もいるでしょう。でも、あのかたつむりさんにとっては、とても、居心地のよいペースではないかと思います。人にはそれぞれ人それぞれの生き方やペースがあります。ぶれることなくそのペースで進むのが健康にも一番いいのではないかと思います。

※まだ、子どものようです。とても、かわいいです。

 
※我が家の柿の実もだいぶ大きくなりました。


 

 前回で、ドクウツギのお話を書きましたが、遙か昔から人は植物と深く関わりあって生きてきたのですが、最近は、だんだん、そのようなものと遊離してしまっている人が多くなっているような気がします。今、韓ドラ 心医 ホ・ジュンにはまっていますが、その中ではたくさんの薬草のお話が出てきます。いかに昔の医療が植物と関わっていたかがよく分かります。それと、お灸のお話も出てきます。これなどは、人の体は宇宙と同じ全体的にすべて繋がっているのだという考えが根底にあるようです。もう少し、時間が残されていれば、この辺のことも調べてみたいぐらいです。

  昔の歌謡曲には植物の名前が数多く出てきますが、最近は少なくなっているのが残念です。それだけ、自然と遊離してきているのでしょうね。人の心も奥深いところで引力や月の満ち干と繋がっているのに、分からなくなっているのでしょうね。

 普通私たちは周りを見るとき、見るを使いますが、他にも

「見る」(一般的、物を見る、車を見る等)

「観る」(見物、芝居を観る、景色を見る)

「診る」(患者を診る、脈を診る)

「看る」(世話をする、子供の面倒を看る)があります。日本語は奥が深いです。

 現職の頃、よく憂えていたことに、生活科などで、経験学習として外で勉強をすることも多くなったのですが、雨になると中止になることが多かったように思います。生活ですので雨降りもあれば雪の日もあるのです。よほど、危険が迫っている場合はよくないでしょうが、ちょっとした雨ぐらいは、傘を差したり、カッパを着て外に出て活動することがあってもいいのではと思っていました。

 濡れることも経験と考えて実践することが大切だと考えていたのですが、管理責任のがれというのでしょうか、すぐ、やめてしまうことに危惧をいだいていた時期がありました。世の中晴れもあれば、雨に日も雷の日もあるのですから。

 小さな傷や危険はたくさん幼児の時期に体験した方がいいと思うのですが、難しい時代になりました。私の子どもの頃など、川に落ち、何度、おぼれそうになった分かりません。よく生きていたなと思うくらいです。川遊びは死に直結しますので、よほどの注意が必要ですから、今は人様にはすすめられません。昔、海水浴にいって浮き輪が外れ、もうちょっとで、海流に流されひどい目に会ったことがあります。

 せめて、キャンプなどはどの子にも一度は体験させてやりたいものです。小さい頃は知識だけでなく体を通して学ぶことの大切さは誰もが疑う物ではないでしょう。

 体験だけは教師や親から教わることではないでしょう。自分が体験するのです。体験に裏打ちされた知識が真に尊いのですが、それがなく、知識だけふくらんでしまっていることに問題があるのです。バーチャルでなくリアルが大切なんです。ほっておくと今の子はバーチャルでしたことを実際体験したかのようの錯覚してしまっている子もいるようです。

 リアルというと、私たちがどう逆立ちしようとかなわないことがあります。過去の歴史です。どうしても体験ができません。先人に体験談をきくか。歴史を紐解くしかありません。できるだけ、疑似体験をするしかないのです。地震などはその範疇にはいります。体験してないことは人は楽観的に考えるものです。

 タイタニック号の沈没というのが過去にありました。船上では誰ひとり、まさか、数時間後に氷山にぶつかって沈没してしまうなんて考えてもみなかったのでしょう。そのことは、神のみぞ知るです。もし、知っていたとしたら、恐怖だったのでしょう。知らないと人はその間、幸せに過ごせるものです。知って残り一時間を恐怖で生きた方がいいのか、知らなくて残り一時間を幸せに生きた方がいいのか、生き方としては重要なことです。

 あんたスイカ見たことあるの?うん、きのう見たよ!ほんと?うん、テレビでやってたよ。なんてことになりかねません。難しい時代になりました。知識はどんなに多く詰め込んでも、どんなに理解がはやくできても、どんなに頭がいいといっても情緒という部分では、時間の流れが関わってこなかったら育成されません。時の流れという熟成を重ねて人は人になってゆくようです。

 5分でおいしくなったワインと10年物の同じおいしさのワインの違いです。あなたはどちらを選びますか?違いは10年という歳月です。やはり人はその歳月に価値をおくのだと思います。それが体験な価値です。

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ドクウツギ

2015年06月10日 | 野山散策

 ドクウツギの木が公園にありました。間違えて食べたら大変なことになってしまいます。市役所の方へも連絡を入れないといけません。多分、市役所の方では知らないとおもいますので…。

 赤い実と黒い実がありますが、どちらも、とてもおいしそうに見えます。口にいれることも考えられます。よく、学校の生活科の学習でヨウシュヤマゴボウを色水作りで使うことがありますが、これも、毒があるそうです。

 以前、小学校でパンの中にキシミを入れて中毒になった例もあります。

 毒のある植物は結構あります。自分でもまだ、見たことがない植物もあります。気をつけなくてはと思います。

 私なども知らないと口に入れそうです。

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梅雨空に咲く笹ユリ

2015年06月09日 | 野山散策

 

 先日も、笹ユリのブログを書きましたが、今回は梅雨空の中で咲いていた笹ユリを見にいってきました。雨も小降りになりどうにか、鑑賞できました。もう、だいぶ花が枯れ始めていたと思ったら、まだ、これから咲くつぼみのユリもあり、びっくりしました。後、1週間ぐらいは持つだろうと思います。
 鑑賞に来ている人は私しかいませんでした。無料でこんなきれいな花がみられるなんて幸せなことです。千金の価値があります。自然の妙はすばらしい贈り物です。笹ユリが終わると山はヤマユリの季節になります。

下のピンクの花がとてもきれいでした。

  

珍しい純白に近い白い笹ユリでした。

蝶がススキの葉っぱで一休みしていました。名前はわかりません。知っている人がいたら教えてください。

 

https://youtu.be/EG0hDrdCXx4 笹ユリの群生地 youtube投稿

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ジャガイモ収穫から想う

2015年06月08日 | エッセイ

 メイクイーンが収穫まで来ました。家では食べきれないので、妹の所へもお裾分けです。砂地の関係か、いつもジャガイモはよく獲れます。初めて獲れたジャガイモは肌が違います。見るからに新鮮です。それだけでも、値打ちがあると思っています。とても、皮が薄いんですよね。ジャガイモも種類によって色々と味や食感が違います。最近はよくもまあ、色々な種類のジャガイモがあるなと感心してしまいます。それだけ、食は豊富で文化になっているということです。

 私なんぞ、子どもの頃は梅干しを茶漬けにして食べるような貧乏生活でしたので、今の食文化たるや天地がひっくり返るような変わりようです。

 1番の好みはインカノメザメです。これは中が黄色の色をして小降りのジャガイモです。先日も煮っ転がしを食べたのですが、もちもちして最高においしかったです。来年も是非、育ててみたい品種です。もちもちした品種がどうも私的にはお気に入りです。ジャガイモはあまり、好きではなかったのですが、この品種が出てから特に好きになりました。

 男爵はあまり好きでないので、育てたことはありません。昔のコロッケといえば、ほとんど男爵が多かったのではないかと思います。

 今日もコロッケ、明日もコロッケという曲もはやりました。一口にジャガイモといっても、種類により味覚が随分ちがいます。男爵しか食べたことがなかった時には、あまりジャガイモは好きではありませんでした。その後、色々な品種をたべるようになり、品種によってこうも食感がちがうものかと思うようになりました。

 人それぞれ性質が違うように同じジャガイモでも、色々あるのですね。人生色々、人様々、ジャガイモ様々という感じです

 最近リンゴやミカンも色々な品種が出来ていますね。人間の欲望には切りがないのか、次々と新商品が出てきます。嫌いだと思っていたものも、新商品開発のお陰で益々おいしい品種が出来てきているようです。

 夏みかんなども昔はとても酸っぱくて酸っぱくてしょうもないほどでしたが(それでも、おやつのない時代によく食べました。)、品種改良が進んで、随分おいしいのが出回るようになりました。食べる楽しみも増えました。スーパーに行って見るのが楽しみですね。わたしなどは、よくスーパーマンとなります。

 リンゴで言えば、私が好きなのが、フジです。昔は国光と紅玉しかなかった時代を考えると隔絶の感さえします。そのほかにも色々な品種がでていますが、やはり、フジが一番人気のようです。万人向けの味のようです。

 保管技術も進み、秋の味覚が夏にも味わうことができます。まだ、リンゴが売られていますものね。でも、旬の味にはかないません。できるだけ、旬で味わうようにしています。季節感もなくなってしまいますのものね。

 さて、当時はバナナ1本が30円でしたものね。バナナは高級品でした。めったに食べられるものではありませんでした。あの、当時のバナナパンの香りは今でも覚えています。馬が曳いてきた車に積まれていたバナナパンのおいしかったこと。

 ラーメンも1杯50円だった様に記憶してます。町に行くと必ずデパートで食べるのが一杯のラーメンでした。もっとも、今ではラーメンはあまり食べなくなりましたけどね。どちらかというと、今では、ざるそば派になりました。

 映画もそれくらいで見れた様に思います。もっとも、映画も時代劇が全盛でお寺や境内でもやっていた時代ですからね。当時の俳優といえば、片岡知恵蔵、東竜之介、市川雷蔵、大川橋蔵などが有名でしたね。ほとんど、子どもの頃みたのは時代劇でしたね。女優でいえば、千原しのぶ、大川恵子、長谷川裕美子、山本富士子等が浮かんで来ますね。中村錦之助が出てくるのはその後かな。

 小学生になり、赤銅鈴之介に夢中になったことも思い出します。初めて見た映画がこの映画だったのです。 近所の友達と初めて町に映画を見に行った記憶があります。梅若正二主演、吉永小百合も子役で出ていました。当時は吉永小百合がこんなに長く国民的女優として慕われるようになるとは知る由もありませんでした。漫画では少年画報を取っていましたので、漫画のファンでした。少年画報といえば赤道鈴之介でした。人生どうなるか分かりませんね。先のことは…。一寸先は闇ということですねかね。

 明るくなったせいか、最近、闇(やみ)という言葉も聞きませんね。暗闇という言葉もあまり聞かなくなりました。年中エネルギーを使って明るいからでしょうね。不夜城という言葉も不気味に響きます。闇のありがたみも分からなくなりました。闇があるから明るさがあるのにね。洞窟に入ってみれば、その意味がよく分かります。昔は人も洞窟で生活していたのですから。

 切りがありませんので、今日のお話はこれくらいにしておきます。

コメント (2)
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