前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

前福井県議会議員・さとう正雄の活動日誌。ご意見・情報は smmasao.sato@gmail.com までお願いします。

大飯原発3号機臨界。しかし、原発の火が消えるまで、消えることのない怒りと悲しみの炎は燃えひろがる。

2012年07月02日 | Weblog
   大飯原発3号機が再稼働された日

   福井市内も雨でした
 
   濡れながら 福井市内を「あぶない原発再稼働はダメです。総選挙で審判を」と訴えてまわりました。

   2200人、45000人、20万人、怒りの場に集まった人たちは全国に広がっています

   原発の火が消えるまで、消えることのない怒りと悲しみの炎です。


            ★

   午前6時に臨界に達した、とニュースが伝えた。

   今後、入れ替えたタービンの回転などの関門があります。

   専門家も指摘しているように「日本の原子力の歴史を振り返れば、政治が前面にでてろくなことがなかった」。

   今日と、4日には福井県議会で原発問題を議論する委員会が開催されます。

   私は4日の委員会で質問する予定です。

   ひきつづきガンバリマス。がんばりましょう。


■共同・・・・大飯再稼働に福島からの避難者複雑

福島県双葉町から家族4人で避難している福井県坂井市の会社経営川崎葉子さん(61)は、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働を複雑な思いで見つめる。住民が再稼働を求める姿は理解しながらも、東京電力福島第1原発事故の後に抱いた国への疑念を拭えないままだ。

 「原発がある場所はどこも同じ風景なんだ」。川崎さんは5月、大飯原発が立つ大島半島を訪れた。地元以外の立地地域に足を踏み入れたのは初めてだった。

 福島第1原発が建設された当時、双葉町に隣接の浪江町には漁業権を売った地区があった。漁師をやめて民宿や釣船業を始める人たち。貧しかったはずが、自宅は2階建ての立派な家へと変わり、子どもたちは川崎さんが経営していた塾に通うようになった。その町の光景と重なり、驚いた。

 大島で漁師に再稼働について尋ねた。「あんたらだって俺たちと一緒で原発のおかげで生きてきたんだろ。稼働させないというのは俺たちを殺す気か」。避難後、体調を崩した歯科医の夫(64)は、福島原発の嘱託医をしていたこともあり、返す言葉もなかった。

 福島事故後、連絡の取れた知人を頼り、静岡、福井へと逃れてきた。今年1月には、福島事故の県内避難者で、悩みや情報を共有するためのグループを立ち上げた。まとまって暮らせる場をつくろうと福井市内で準備を進めている。

 事故から間もなく1年4カ月。福島に帰るべきか、まだ思いとどまるべきか、意見が分かれた末、ばらばらになる家族や、将来を見通せない不安から生活を立て直せずにいる避難者を見てきた。

 一方、福島原発では、教え子や知人が今も必死に収束に当たる。「とても責められないし、感情的になりたくない」と東電への賠償請求は弁護士を介して交渉している。

 何かあれば、おおい町も「第二の福島」になってしまうことは、誰もが分かっているはずだ、と思う。しかし「来るかもしれない事故より、目先の生活を選ぶのもよく分かる」という。

 ただ「国民生活を守るために再稼働すべき」という政府の説明には今も疑問が残る。「国民って誰? そもそも国は私たちを見捨てたのでは」。国は最初に「10キロ圏外へ逃げろ」と言っただけで、あとは頼りにならなかった。「何かあっても誰も責任を取らない。庶民は万一の対処法を自分で考えるしかない」。やり場のない怒りをにじませた。(共同)・・・・・・