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孟冬の旬

2015年10月01日 | 日本古典文学-冬

元弘三年立后月次屏風に、旬の儀有所 弾正尹邦省親王
おさまれる御代のみつきとよるひをゝ大宮人にけふ給ふ也
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

(長徳元年十月)一日。
(略)左近少将(藤原)相経が、禄を取って下給した。「今日、一条天皇が紫宸殿に出御された。大雨であったので、すでに礼儀を失した」と云うことだ。「庭立奏(にわだちのそう)は無かった。番奏は行なわれた」と云うことだ〈延喜八年は雨儀であった。番奏は無かった。庭立奏は行なわれた」と云うことだ。「今日は侍従厨家の御贄(みにえ)を献上しなかった。下器(かづき)を渡す者は階下(かいか)を得た」と云うことだ〉。「右大臣(藤原道長)〈左大将を兼ねている。〉が官奏を奉仕した」と云うことだ。一献の宴飲(えんいん)の後、氷魚を下賜した〈康保三年の例である。〉出居(でい)は左少将(源)明理朝臣が勤めた。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

(寛弘六年十月)一日、壬午。
孟冬の旬政に際して、一条天皇は紫宸殿(一条院寝殿)に出御なされた。御鎰奏(みかぎのそう)と官奏を行なった。他の次第は、常と同じであった。庭立奏(にわだちのそう)は無かった。酒番の侍従が、献盃を行なった。節会の際の盃を用いた。人々が相定めて、土器(かわらけ)を用いて酒を献上させた。次侍従を補(ほ)した。(略)
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)