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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 冬 十月上旬

2015年10月09日 | 日本古典文学-冬

十月のついたちにうへのをのことも大井河にまかりて、うたよみ侍けるによめる 前大納言公任
おちつもる紅葉をみれは大井川ゐせきに秋もとまる成けり
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

神無月の初めつ方、(略)。藤壺の御前の紅葉散りしきて、色々の錦と見えて風にしたがふけしき、いと興あり。
しばらくありて内へ入らせ給へれば、宮のきなるより濃くにほへる紅葉の御衣に紅葉の色こに散りみだれたるを召したる、ことにうつくしく見えさせ給ひけるを(略)
(平家公達草紙~岩波文庫「建礼門院右京大夫集」)

 十月朔日(ついたち)ごろ、京にいでさせ給はん事明後日ばかりとての夕つかた、入道殿こなたにわたり給て、紅葉の色々おもしろく、錦をひけるやうなる山のかたを、御簾ども参らせて、おちくる瀧の流れもことなる気色なるを、姫君に御覧ぜさせ給ふ程、うち時雨つゝ、おくまで散りみだるゝ気色も、いみじき程なるに、姫君の御まへの筝(しゃう)の御琴心み給ふとて、我すこし調べかきならして、さし奉らせ給へれば、秋風楽を、たゞいまの折にあはせて弾き給へる、すべて十余の人の琴の音(ね)とも聞えず、上手めきおもしろき事かぎりなし。
 (略)くれゆくまゝに、紅葉をもてあそび給て、琴笛二(ふたつ)ものに吹あはせて、「こなたは、あくまで聞きしり給ふあたり」と、ひとびと用意をそへつゝ、手惜しみ給ふ人なく尽くし給へる、所がらに、ものの音(ね)も、まさりておもしろう聞ゆる事かぎりなし。世に名ある博士どもにはかに召して、文(ふみ)つくらせ給。夜に入りぬれど、「よるさへ見よ」と、月の光も心をそへて、くまなく澄めるに、あるかぎりみだれ遊び、よもすがら文つくり、歌よみて、暁がたに講(かう)ぜらるゝ、とりあふべくもあらぬほどなれど、御簾のうちの用意、わざと女房、漏りいでなどせねど、あまた御簾のきはに居たるべしなど、気はひ聞えたる程、いとなべてならず。織物の御衣ども、小袿、濃く薄くうちたる色・匂ひは、似る物なくて、御簾のうちよりおしいだされたるを、権大納言・新中納言、その御子ども、よりてとり給て、品々かづけらるゝ、朝ぼらけの霧のたえまに、風のおほえる紅葉の色々と見えて、いまひと返あさばれたる、おもしろさかぎりなし。極楽といふらん所も、かくとぞおぼえたる。
(夜の寝覚~岩波・日本古典文学大系)

中納言は、やうやう夏秋も暮れて神無月の初めにもなりぬれば、虫の声々も鳴き弱りつつ、もの悲しきに、我が身一人と泣き暮らし給ふ。風の気色もまことにすさまじく、うち時雨(しぐ)るる夕つ方、大将野もとへ、なほ気色もゆかしくておはしたり。佇み給ふ折しも、ほかよりは知らせ顔なる空の気色、木の葉を誘ふ嵐の音に紛らはして、ひまある所に立ち隠れて見給へば、うちとけて、御簾少し巻き上げて、几帳なども押しやりて、池の汀の近き松の傍(かたは)らに、いとめでたき紅葉(もみぢ)の、庭の錦の散り散らず乱れあひたる色合ひを、誘ふ嵐のなきほどなり。
 姫宮、菊の移ろひたる紅葉襲の小袿着給ひてゐ給へり。何とはなくこぼれかかりたる髪のかかり、容態(やうだい)、額つきなど、裾のそぎ目は扇広げたらん心地して、目も及ばず。光とはこれを言ふにやと、あたりも耀(かかや)く心地す。(略)
(あきぎり~「中世王朝物語全集1」笠間書院)

 秋よりわつらひて十月一日ころによろしくなりてみれは庭草も霜かれて薄の花ともさはやかになりにけるをしらぬもあはれにて
すきにける秋そ悲しき時雨つゝ一人やしての山をこえまし
 なを心ち苦しうて夜ひとよなやみあかしてとをみいたしたれは下草の露のいとほのかなるか朝日にあたりてたのもしけなくみえしに
下草のあるかなきかに置露のきゆとも誰かしるへかりける
(赤染衛門集~群書類従15)

 十月の一日ころのふかたの中将に
いつとなく時雨ふりをく袂にはめつらしけなき神無月哉
(実方朝臣集~群書類従14)

二日、ひまなくあはれなる雨にながめられて
今日は猶ひまこそなけれかき曇る時雨心地はいつもせしかど
(和泉式部続集~岩波文庫)

神無月の初めつ方、女に遣はしける 朝倉山の中将
いつのまに今朝は袂のしぐるらむ朽ちにし袖も昨日換へしに
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

あきのなこりなかめしそらのありあけにおもかけちかきふゆのみかつき
(為兼家歌合~日文研HPより)

十月十日ころに鹿のなきけるをきゝてよめる 法印光清
なに事に秋はてなからさをしかの思ひ返してつまをこふらん 
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

十月になりて、五、六日のほどに、宇治へ参うでたまふ。
 「網代をこそ、このころは御覧ぜめ」と、聞こゆる人びとあれど、(略)
(源氏物語・橋姫~バージニア大学HPより)

十月六日の夜、時雨などまめやかにするを、夜居なる僧の経読むに、夢の世のみ知らるれば
物をのみ思ひの家に出でてふる一味の雨に濡れやしなまし
(和泉式部続集~岩波文庫)

そのかみ心ざし仕うまつりけるならひに世を遁れて後も賀茂に參りけり年高くなりて四國の方修行しけるに又歸りまゐらぬ事もやとて仁安二年十月十日の夜參りて幣まゐらせけり内へもまゐらぬ事なればたなうの社に取りつぎて參らせ給へとて心ざしけるに木の間の月ほのぼのと常よりも神さび哀におぼえて詠みける
かしこまるしでに涙のかゝるかなまたいつかはと思ふ心に
(山家和歌集~バージニア大学HPより)

十月十日は、ひえの行幸ありけり。このたひはもみちのさかりにて、ははそはらをかしくわけいり給よもの山はみなくれないになるをみわたさせ給にも、しのひて御らんせぬ所はすくなかりしに、さかのわたりをおほしいてて御そてはぬらすさい将中将の文よみとし所はをかしかりしもおほしいてらるるに、木すゑのいろいろも心ことにみやらるる、ところところにけふりも、ふもとはたちこめたるきりのへたてたとたとしきは、なかなかいととこひしくおほえ御らんしわたすに、さいゐんのわたりのもみちもいみしきさかりにて、いろいろのにしきをひきわたしたるやうにてみゆる、みねのあらしあらあらしくふきて、ちりまかふなと、ゑにかかまほしくをかしきを、(略)
(狭衣物語~諸本集成第二巻伝為家筆本)

長徳四年十月十日。
鶏鳴の頃、桃園に参った。早朝、平納言(惟仲)が参られた。しばらくして、丞相(道長)は紫野と栗栖に向かわれた。競馬を行なわれた。命によって車後に伺候した。しばらくして、あの殿に還られた。内蔵頭(藤原陳政)と同車して、また内裏に参った。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

(寛弘七年十月)一日、丙午。
物忌が固かったので、土御門第に籠居した。前夜からの作文(さくもん)を披講した。下﨟の男ども七、八人ほどであった。披講は晩景に及んだ。題は、「秋が尽きて、林叢は老いた」であった。年を韻とした。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(長和二年十月)二日、庚申。
雨が降った。公卿五、六人ほどが来られた。詩を作る者、七、八人ほどが、庚申を守った。題は、「落葉が泛(うか)んだことは、舟のようである」であった。その際に、管弦の宴遊が有った。石清水行幸所が、検非違使を配置してほしいという事を申してきた。(藤原)連遠と(紀)宣明を配置された。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(長和二年十月)六日、甲子。
辰剋に、宇治の別業へ行った。同行の人々とは、道で落ち合った。これは先日の決定によるものである。賀茂の河尻において、舟に乗った。戌剋の頃、宇治に到った。舟中において、管弦・連句・和歌が、数々行なわれた。題を出し、作文を始めた。題は、「江山(こうざん)は、一家に属す」であった。情を韻とした。春宮大夫・太皇太后宮大夫・皇太后宮大夫・侍従中納言・左衛門督・左右宰相中将・二位中将・左大弁、殿上人十余人がやって来た。権大納言は、別の船に乗って付いてきた。これは触穢によるものである。
七日、乙丑。 披講
詩を披講した後、申剋の頃、舟に乗って土御門第に還って来た。亥剋の頃に来着した。舟中の遊興は、昨日と同じであった。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(長和元年閏十月)四日、戊辰。
作文(さくもん)を行なった。題は、「菊花の雪は、自ずから寒い」であった。寅剋の頃、披講が終わった。(略)
五日、己巳。
宵から雪が降った。庭上に粉を敷いたようで、山頂は白い程であった。(略)
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(嘉禄二年十月)九日。夜、雨間々降る。朝天、霧深し(辰の時に天晴る。巳後に大風)。暁鐘一声、家に帰る。未後に風休む。時雨間々灑ぐ。女房賀茂に参詣。紅葉の盛りと云々。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

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古典の季節表現 冬 十月 孟冬・初冬

2015年10月09日 | 日本古典文学-冬

ちちのいろにうつりしあきはすきにけりけふのしくれになにをそめまし
(古今和歌六帖~日文研HPより)

初冬の心を 後嵯峨院御製
かきくらし雲のはたてそしくれ行天つ空より冬やきぬらん
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

嘉元百首歌たてまつりける時、初冬 法印定為
冬きぬと夕霜さむき浅茅生の枯葉の風の音そさひしき
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

初冬の心を 後京極摂政前太政大臣
はるかなる峰の雲間の梢まてさひしき色の冬はきにけり
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

梢をは払ひつくして吹く風の音のみ残る冬は来にけり
(嘉吉三年前摂政家歌合~続群書類従15上)

初冬のこゝろを 土御門院御歌
をきまよふ霜の下草かれそめて昨日は秋とみえぬ野へかな
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

堀川院の御時、百首の歌奉りける時、初冬の心を読侍ける 大納言公実
昨日こそ秋は暮しかいつのまに岩まの水のうすこほるらむ
 前参議教長
秋のうちは哀しらせし風の音のはけしさそふる冬はきにけり
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

いつしかもふゆのけしきになりにけりあさふむにはのおとのさやけさ
(正治初度百首~日文研HPより)

千五百番歌合に 宜秋門院丹後
山里は雪よりさきに跡絶て木葉ふみ分問人もなし
(続後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

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