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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

若山牧水「木枯紀行」

2017年10月26日 | 読書日記

若山牧水 木枯紀行
 十月二十九日。
  宿屋の二階から見る湖にはこまかい雨が煙つてゐたが、やや遅い朝食の済む頃にはどうやら晴れた。同宿の郡内屋(土地産の郡内織を売買する男ださうで女中が郡内屋さんと呼んでゐた)と共に俄かに舟を仕立て、河口湖を渡ることにした。
  真上に仰がるべき富士は見えなかつた。たゞ真上に雲の深いだけ湖の岸の紅葉が美しかつた。岸に沿ふた村の柿の紅葉がことに眼立つた。こゝらの村は湖に沿うてゐながら井戸といふものがなく、飲料水には年中苦労してゐるのださうだ。熔岩地帯であるためだといふ。(略)
 樹海などと呼びなされてゐる森林青木が原の中に入つたのはそれから直ぐであつた。成る程好き森であつた。上州信州あたりの山奥に見る森木の欝蒼たる所はないが、明るく、而かも寂びてゐた。木に大木なく、而かもすべて相当の樹齢を持つてゐるらしかつた。これは土地が一帯に火山岩の地面で、土気(つちけ)の少いためだらうと思はれた。それでゐて岩にも、樹木の幹にも、みな青やかな苔がむしてゐた。多くは針葉樹の林であるが、中に雑木も混り、とりどりに紅葉してゐた。中でも楓が一番美しかつた。楓にも種類があり、葉の大きいのになるとわたしの掌をひろげても及ばぬのがあつた。小さいのは小さいなりに深い色に染つてゐた。多くは栂(つが)らしい木の、葉も幹も真黒く見えて茂つてゐるなかに此等の紅葉は一層鮮かに見えた。
  わたしは路をそれて森の中に入り、人目につかぬ様な所を選んで風呂敷包を開いた。空が次第に明るむにつれ、風が強くなつた。あたりはひどい落葉の音である。樅か栂のこまかい葉が落ち散るのである。雨の様な落葉の音の中に混つて頻りに山雀の啼くのが聞える。よほど大きな群らしく、相引いて次第に森を渡つてゆくらしい。と、ツイ鼻先の栂の木に来て樫鳥が啼き出した。これは二羽だ。例の鋭い声でけたゝましく啼き交はしてゐる。

 十一月九日。
  早暁、手を握つて別れる。彼は坂を降つて里の方へ、わたしは荒野の中を山の方へ、久しぶりに一人となつて踏む草鞋の下には二寸三寸高さの霜柱が音を立てつつ崩れて行つた。
  また久し振の快晴、僅か四五日のことであつたに八ヶ嶽には早やとつぷりと雪が来てゐた。野から仰ぐ遠くの空にはまだ幾つかの山々が同じく白々と聳えてゐた。踏み辿る野辺山が原の冬ざれも今日のわたしには何となく親しかつた。

野末なる山に雪見ゆ冬枯の荒野を越ゆと打ち出でて来れば
大空の深きもなかに聳えたる峰の高きに雪降りにけり
高山に白雪降れりいつかしき冬の姿を今日よりぞ見む
わが行くや見る限りなるすすき野の霜に枯れ伏し真白き野辺を
はりはりとわが踏み裂くやうちわたす枯野がなかの路の氷を
野のなかの路は氷りて行きがたし傍への芝の霜を踏みゆく
枯れて立つ野辺のすすきに結べるは氷にまがふあららけき霜
わが袖の触れつつ落つる路ばたの薄の霜は音立てにけり
草は枯れ木に残る葉の影もなき冬野が原を行くは寂しも
八ヶ嶽峰のとがりの八つに裂けてあらはに立てる八ヶ嶽の山
昨日見つ今日もひねもす見つつ行かむ枯野がはての八ヶ嶽の山
冬空の澄みぬるもとに八つに裂けて峰低くならぶ八ヶ嶽の山
見よ下にはるかに見えて流れたる千曲の川ぞ音も聞えぬ
入り行かむ千曲の川のみなかみの峰仰ぎ見ればはるけかりけり

 おもうて来た千曲川上流の渓谷はさほどでなかつたが、それを中に置いて見る四方寒山の眺望は意外によかつた。
  大深山村附近雑詠。

ゆきゆけどいまだ迫らぬこの谷の峡間はざまの紅葉時過ぎにけり
この谷の峡間を広み見えてをる四方の峰々冬寂びにけり
岩山のいただきかけてあらはなる冬のすがたぞ親しかりける
泥草鞋踏み入れて其処に酒をわかすこの国の囲炉裏なつかしきかな
とろとろと榾火(ほだび)燃えつつわが寒き草鞋の泥の乾き来るなり
居酒屋の榾火のけむり出でてゆく軒端に冬の山晴れて見ゆ

(青空文庫より。底本:「現代日本紀行文学全集 中部日本編」ほるぷ出版、1976(昭和51)年8月1日初版発行)

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