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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 春 落花・惜花

2013年03月17日 | 日本古典文学-春

庭落花といへる心をよませ給ふける 太上天皇
今はとて散こそ花の盛なれ木すゑも庭もおなし匂ひに
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

落花を 花園院御製
春風は吹としもなき夕暮に梢の花ものとかにそちる
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

後法性寺入道前関白家歌合に、花下明月 俊恵法師
花よりも月をそこよひ惜へき入なはいかて散をたにみん
(続千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

後冷泉院御時、月前落花といへる心をよませ給うけるに 大納言師忠
春の夜の月もくもらてふる雪はこすゑに残る花やちるらん
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

月前落花といへる事をよみ侍ける 内大臣
今はとて月もなこりやおしむらん花ちる山の有明の空
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

久方の空はくもらぬ雪とのみ木のした風に花そちりしく
(宝治百首~日文研HPより)

落花衣にちるといへる事をよめる 藤原永実
ちりかゝるけしきは雪の心ちして花には袖のぬれぬなりけり
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

さくら花あまきる雪とふりしくにはらはぬ袖のぬれすも有るかな
(宝治百首~日文研HPより)

ぬれもせしはらはてゆかむさくらはなそてにはゆきとちりかかるとも
(文保百首~日文研HPより)

醍醐にまかりたりけるに、清滝に花のちりかゝりたりけるか、岸には雪のやうにつもりて水にはつもらさりけるをみてよめる 瞻西上人
ちる花のなかるゝ水につもらぬもそれさへ雪のこゝちこそすれ
(金葉和歌集(初撰二度本にありて底本になき歌)~国文学研究資料館HPより)

河上落花といふ事を 権中納言雅縁
雪とのみさそふもおなし河風にこほりてとまれ花の白浪
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

水辺落花といへる心を 藤原泰綱
吉野川みねの桜のうつりきて淵せもしらぬ花の白浪
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

水上落花といへる事をよめる 源雅兼朝臣
花さそふあらしや峰をわたるらむ桜なみよる谷河の水
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

筑波山。此面彼面の花盛。此面彼面の花盛。雲の林の影茂き。緑の空もうつろうふや松の葉色も春めきて。嵐も浮ぶ花の波。桜川にも着きにけり 桜川にも着きにけり。
(略)
いかにあれなる道行人。桜川には花の散り候ふか。
何散方になりたるとや。悲しやなさなきだに。行く事やすき春の水の。流るゝ花をや誘ふらん。花散れる水のまにまにとめくれば。山にも春はなくなりにけりと聞く時は。少しなりとも休らはゞ。花にや疎く雪の色。桜花。桜花。
散りにし風の名残には。
水なき空に。波ぞ立つ。
おもひも深き花の雪。
散るは涙の。川やらん。
(略)
常よりも。春べになれば桜川。春べになれば桜川。波の花こそ。間もなく寄すらめとよみたれば
花の雪も貫之もふるき名のみ残る世の。桜川。瀬々の白波しけければ。霞うながす信太の浮島の浮かべ浮かべ水の花げにおもしろき。河瀬かなげに面白き河瀬かな。
(謡曲「桜川」~謡曲三百五十番集)

落花風
散るとたにわきてはみえす久堅のあまきりかすむ花の山風
(草根集~日文研HPより)

つもり行く日数にそへてみよしのの山の桜は雪とふりつつ
(宝治百首~日文研HPより)

永仁二年三月内裏三首歌に、山路落花を 伏見院新宰相
木すゑより散かふ花を先たてゝかせのした行しかの山道
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

落花満山路といへる心をよめる 赤染衛門
ふめはおしふまてはゆかむかたもなし心つくしの山桜かな
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

落花をよめる 平長時
さらてたにうつろひやすき花の色にちるをさかりと山風そふく
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

山家落花といへる心をよめる 前大納言俊実
花のみなちりての後そ山さとの払はぬ庭は見るへかりけり(イ見るへかりける)
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

またれてはさきけるものをやまさくらをしむにちらぬはなやなからむ
(嘉元百首~日文研HPより)

延喜御時奉りける歌の中に 紀貫之
おしみにときつるかひなく桜花みれはかつこそ散まさりけれ
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

花はみな夜更(よふ)くる風に散りぬらんなにをか明日(あす)のなぐさめにせん
(和泉式部集~岩波文庫)

久我内大臣の家にて、身にかへて花おしむといへる心をよめる 権中納言通親
桜花うき身にかふるためしあらはいきて散をはおしまさらまし(イおしまさらめや)
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

身にかへて花をもなにか惜むらん又こむ春にあはさらめやは
(宝治百首~日文研HPより)

惜落花
はかなくも花はうき世のことわりにまかせてちるをととめかぬらん
(草根集~日文研HPより)

一すちに風もうらみしをしめともうつろふ色は花のこころを
(宝治百首~日文研HPより)

落花を読侍ける 正三位知家
なからへん物ともしらて老か世にことしも花のちるをみるらん
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

落花をよみ侍ける 入道前太政大臣
花さそふあらしの庭の雪ならてふりゆく物は我身なりけり
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

十六日 甲辰 此ノ間、将軍家、御灸ヲ五六箇所ニ加ヘシメ御フト〈云云〉。今日評定有リ。事終ツテ、前ノ武州、事書ヲ持参シ、御前ニ披覧セラルルノ後、人人退散ス。前ノ武州、猶評定所ニ還著シ、庭上ノ落花ヲ覧、一首ノ御独吟有リ。
 事シゲキ世ノナラヒコソ懶ケレ、花ノ散リナン春モシラレズ
(吾妻鏡【仁治二年三月十六日】条~国文学研究資料館HPより)

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古典の季節表現 春 花(櫻)に寄せて

2013年03月16日 | 日本古典文学-春

きさらきはかりに、小侍従あつまよりのほりぬと聞て、法橋顕昭許より、「今はよし君まちえたりかくてこそ都の花をもろともにみめ」といひつかはしたりける返事に 小侍従
あひみんといそきし物を君はさは花ゆへのみや我を待ける
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

一条院御時、殿上人々花見にまかりて女のもとにつかはしける 源雅通朝臣
折はおしおらてはいかゝ山さくらけふをすくさす君にみすへき(イ君にみすへく)
返し 盛少将
おらてたゝかたりにかたれ山桜風にちるたにおしき匂ひを
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

南殿の桜の盛りに、春宮・二のみこなど、花折りてとのたまはせけるに、奉り侍りけるを、帝、吹き寄る風も恨めしきに情なしや、とのたまはせければ、奏し侍りける 御手洗川の内大臣
行方なき風だに散らす花なれば君がためには手折らざらめや
(風葉和歌集~岩波文庫)

軒の桜を人の折りて見せ侍りければ 忍ぶ草の関白
限りありて散るだに惜しき花の色を心づからも手折る君かな
返し 中納言
大空の風にまかせて散るよりは折りとめてこそ見るべかりけれ
(風葉和歌集~岩波文庫)

平忠度朝臣山里の花見侍けるに、家つとはおらすやと申つかはして侍けれは、「家つともまたおりしらす山桜ちらて帰りし春しなけれは」と申て侍ける返事に 小侍従
我ためにおれやひと枝山さくら家つとにとはおもはすもあれ
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

にほふ兵部卿の宮、初瀬まうでのかへさに、宇治に留まりて侍りけるに、おもしろき花の枝を折りて、「山桜にほふあたりに尋ね来て同じかざしを折りてけるかな」と侍りければ 宇治の中の君
かざし折る花のたよりに山がつの垣根を過ぎぬ春の旅人
(風葉和歌集~岩波文庫)

女院、一条院におはしましけるころ、南殿の桜を一枝奉らせ給ひて 言はで忍ぶの嵯峨院御歌
九重のにほひはかひもなかりけり雲居の桜君が見ぬまは
(風葉和歌集~岩波文庫)

花のさかりに、桜のちいさき枝にむすひつけて、寂蓮か許につかはしける 藤原隆信朝臣
きてみよとさらにもいはし山さくら残りゆかしき程にやはあらぬ
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

花の散るころ、人のまうできたりけるに 花桜折る中将
散る花を惜しみおきても君なくはたれにか見せむ宿の桜を
(風葉和歌集~岩波文庫)

家のやへ桜をおらせて、惟明親王の許につかはしける 式子内親王
八重匂ふ軒端のさくらうつろひぬ風よりさきにとふ人もかな
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

白雲の 龍田の山の 瀧の上の 小椋の嶺に 咲きををる 桜の花は 山高み 風しやまねば 春雨の 継ぎてし降れば ほつ枝は 散り過ぎにけり 下枝に 残れる花は しましくは 散りな乱ひそ 草枕 旅行く君が 帰り来るまで
(万葉集~バージニア大学HPより)

民部卿為藤三月比、東山の庵室に尋まかりて花見侍て後、「山里の梢はいかゝなりぬらん都の花は春風そふく」と申つかはして侍ける返しに 頓阿法師
山里はとはれし庭も跡たえてちりしく花に春風そ吹
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

もとよしのみこ、兼茂朝臣のむすめにすみ侍けるを、法皇のめしてかの院にさふらひけれは、えあふ事も侍らさりけれは、あくるとしの春、さくらの枝にさしてかのさうしにさしをかせける もとよしのみこ
花のいろは昔なからに見し人の心のみこそうつろひにけれ
(後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

題知らず よみ人知らずみ山隠れ
散る花は後の春をも待つものを人の心ぞ名残だになき
(風葉和歌集~岩波文庫)

題しらす 小野小町
花の色はうつりにけりないたつらに我身世にふるなかめせしまに
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

たいしらす いつみしきふ
人も見ぬやとにさくらをうへたれは花もてやつす身とそ成ぬる
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

そめとのゝきさきのおまへに、花かめに桜の花をさゝせたまへるをみてよめる さきのおほきおほいまうちきみ
年ふれはよはひはおいぬしかはあれと花をしみれは物思ひもなし
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

一条院御時、ならの八重桜を人の奉りけるを、そのおり御前に侍けれは、そのはなをたいにて、うたよめとおほせことありけれは 伊勢大輔
いにしへのならのみやこの八重桜けふ九重ににほひぬる哉
(詞花和歌集~国文学研究資料館HPより)

三月八日は、除目なれば、曉ちかく御夜なれど、奏書を持ちて明くるまで寢ず。ほのぼのとするに、「曙の花見む。」といひて、大納言・權大納言・佐殿・新少將四人、釣殿に出でて池の花を見れば、盛りなるもあり、すこし散るもあり。「今年は風や吹かぬ。花や盛と見えて久しくなりぬ。」といへば、
九重は風もよぎてや吹き過ぐるさかりひさしく見ゆるはなかな
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)

後冷泉院位につかせ給にける年の三月、南殿の桜のさかりなるをみて読侍ける 出羽弁
風ふけと枝もならさぬ君か代に花のときはを始てしかな
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

後冷泉院御時、月のあかかりける夜女房御ともにて南殿にわたらせ給ひたりけるに、庭の花かつちりておもしろかりけるを御覧して、是をしりたらん人に見せはやとおほせ事ありて、中宮の御かたに下野やあらんとてめしにつかはしたりけれは、まいりたるを御覧して、あの花おりてまいれとおほせことありけれはおりてまいりたるを、たゝにてはいかゝとおほせ事ありけれはつかうまつりける 下野
なかきよの月のひかりのなかりせは雲ゐの花をいかておらまし
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

長治二年閏二月中宮の花合に よみ人しらす
もゝしきに八千世かさねて桜花にほはん春そかきりしられぬ
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

西園寺に御幸ありて、翫花といふ題を講せられけるに 後嵯峨院御歌
万代の春日をけふになせりとも猶あかなくに花や散らん
宝治元年三月三日、西園寺へ御幸ありて、翫花といふことを講せられけるに 山階入道前左大臣
君か代にあふもかひある糸桜としのをなかく折てかさゝん
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

弘長三年二月、亀山殿に行幸ありて、花契遐年といふことを講せられけるに、序を奉りて 山階入道左大臣
ことしより御幸に契る山桜おもふも久しよろつ代の春
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
亀山院御時、亀山殿に行幸ありて、花契遐年と云事を講せられけるに 中院前内大臣
万代の君かかさしに折をえてひかりそへたる山さくらかな
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
弘長三年二月、亀山仙洞に行幸ありて、花契遐年といふことを講せられし時 中納言(典侍親子朝臣)
花みてものとけかりけり幾千代とかきりもしらぬ春の心は
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

明くる春の頃、内には中殿にて和歌の披講有り。序は源大納言親房書かれけり。予てよりいみじう書かせ給へば、人々心遣すべし。題は「花に万春を契」とぞ聞こえし。
 御製、
 時知らず花も常盤の色に咲け我が九重の万世の春
 中務の卿尊良の親王、
のどかなる雲井の花の色にこそ万世ふべき春は見えけれ
 帥の御子世良、
 百敷の御垣の桜咲きにけり万世までの春のかざしに
(増鏡~和田英松編「校註増鏡」)

元徳二年、中殿にて、花契万春と云事を講せられしに 今出河入道前右大臣
君かためひさしかるへき春にあひて花もかはらす万代やへん
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
元徳二年、中殿にて、花契万春といへることを講せられける時 前大納言為定
九重のおほうち山もよはふなり花咲春はつきしとそ思
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
 元徳二年二月中殿にて花契万春といふことを講せられける時 藤原為忠朝臣
吹風ののとけき春と咲花は万代かけてちらすもあらなん
(臨永和歌集~「群書類従10」)

正元元年三月五日、西園寺の花ざかりに、大宮院、一切経供養せさせ給ふ。(略)又の日、御前の御遊び始まる。(略)御遊び果てて後、文台めさる。院の御製、
色々に枝をつらねて咲きにけり花も我が世も今盛りかも
あたりをはらひて、きはなくめでたく聞こえけるに、主の大臣、歌さへぞ、かけあひて侍りしや。
色々にさかへて匂へ桜花我君々の千代のかざしに
(増鏡~和田英松編「校註増鏡」)

正元々年三月、西園寺の一切経供養に行幸侍けるに、春宮中宮おなしく行啓有て次日、人々翫花といふ心をつかうまつりけるに 前大納言顕朝
ためしなきあまた御幸のけふにあひて花は八千世の色に出らん
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
正嘉三年、西園寺にて一切経供養せられける次の日、翫花といふ事を講せられけるに 後深草院少将内侍
桜花あまた千とせのかさしとやけふのみゆきの春にあふらん
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)
正元々年三月、大宮院西園寺にて一切経供養せられし日行幸侍しに、東宮おなしく行啓ありてつきの日、人々翫花歌よみ侍しに 前内大臣〈公干時右近大将〉
もろ人の手ことにかさす桜花あまた千とせの春そしらるゝ
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

貞治六年、中殿にて、花多春友といへる事を講せられけるついてによませ給うける 後光厳院御製
咲匂ふ雲ゐの花の本枝に(イもとつ枝に)百世の春を猶や契らん
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

建保二年二月廿四日、南殿に出させ給うて、翫花といへる事をよませ給うける 順徳院御製
百敷や花もむかしのかをとめてふるき梢にはる風そ吹
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

さくらの花のさきて侍ける所に、もろともに侍ける人の、後の春ほかに侍けるに、そのはなをおりてつかはしける よみ人しらす
もろともにおりし春のみ恋しくてひとり見まうき花さかりかな
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

後京極摂政大炊殿にはやうすみ侍けるを、かしこにうつりゐて後の春、やへ桜につけて申つかはしける 式子内親王
ふる郷のはるをわすれぬ八重桜これやみし世にかはらさるらん
返し 後京極摂政前太政大臣
八重桜折しる人のなかりせはみし世の春にいかてあはまし
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

はやうすみ侍ける家の桜を、箱のふたに入て人のもとにつかはすとて 中務
年をへておりける人もとはなくに春をすこさぬ花をみる哉
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

春のあけぼの、衛門督の上もろともにながめ明かして (寝覚)
朝ぼらけ憂き身霞にまがへつつ幾度(いくたび)春の花を見るらむ
(物語二百番歌合~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

題しらす 源兼朝
七十の春を我身にかそへつゝことしも花に逢みつるかな
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

かしらおろして後、東山の花見ありき侍けるに、円城寺の花おもしろかりけるをみて読侍ける 前中納言基長
いにしへにかはらさりけり山桜はなは我をはいかゝ見るらむ
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

高陽院の花さかりにしのひて東西の山の花見にまかりてけれは、宇治前太政大臣きゝつけて、このほといかなるうたかよみたるなととはせて侍けれは、ひさしくゐ中に侍てさるへき歌なともよみ侍らす、けふかくなんおもほゆるとてよみ侍ける 能因法師
世中を思ひすてゝし身なれとも心よはしと*花に見えける(イ花に見えぬる)
是をきゝて、太政大臣いと哀なりといひて、かつけ物なとして侍けるとなんいひつたへたる
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

修行しありかせ給ひけるに、さくらの花の、さきたりけるしたにやすみ給ひて、よませ給ける 花山院御製
木のもとを栖とすれはをのつから花みる人になりぬへき哉
(詞花和歌集~国文学研究資料館HPより)
那智に籠りて瀧に入堂し侍りけるに此上に一二の瀧おはしますそれへまゐるなりと申す住僧の侍りけるにぐしてまゐりけり花や咲きぬらんと尋ねまほしかりける折節にてたよりある心地して分け參りたり二の瀧のもとへまゐりつきたり如意輪の瀧となむ申すと聞きて拜みければまことにすこしうちかたぶきたるやうにながれくだりてたふとくおぼえけり花山院の御庵室の跡の侍りける前に年ふりたる櫻の木の侍りけるを見てすみかとすればと詠ませ給ひけむ事思ひ出でられて
木のもとに住みけむ跡を見つるかな那智の高根の花を尋ねて
(山家集~バージニア大学HPより)

山里に心細くて侍りけるころ、花を見てよめる 煙にむせぶの姫君の新宰相
知る人もなき山里に友と見る花に遅れぬ命ともがな
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

病重くなりにける春、中納言、花の枝を折りて、かやうなる梢にて心地も慰みなんや、とて見せ侍りければ 重ぬる夢の大将
あだなりと嘆きし花の散らぬまに先立ちぬべき我ぞ悲しき
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

老の病日にそへて万も覚えねど、南面の花盛りなりと聞きて、例の事なれば人々に案内して花の宴せしに
命あれば多くの秋になりぬれど今年ばかりの花は見ざりつ
この花常よりもめでたかりしを忘れ難けれど、昨日の名残に乱り心地まさりて、差出づべくも覚えざりしかば、人して折りにやりて見るにつけて
かばかりの花のにほひをおきながらまたも見ざらんことぞかなしき
この後病重くなりて、五月七日なんかくれ侍りける。
(顕輔集)

あれはてゝ人も侍らさりける家に、さくらのさきみたれて侍けるを見て 恵慶法師
浅茅原ぬしなき宿の桜花心やすくや風にちるらむ
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

題しらす 読人不知
空蝉の世にもにたるか花さくらさくと見しまにかつちりにけり
(古今和歌集~日文研HPより)

花山にまかりけるに、僧正遍昭かむろのあとのさくらのちりけるを見て 津守国基
あるしなきすみかにのこる桜花あはれむかしの春や恋しき
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

大峰にておもひもかけすさくらの花の咲たりけるをみてよめる 僧正行尊
もろともに哀とおもへ山桜花よりほかにしる人もなし
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

 弥生の比、若宮に詣でたるに、長講堂近く見やらるれば、車さし寄せて見巡る。昔供花の折など、心に浮ぶ事多し。花の下(もと)に立ち寄れるに、変らぬにも、見し世の春にめぐり逢ひぬる心地して、思ひ出づる昔語りもせまほしきを、花物言はぬ慣(なら)ひさへぞ恨めしかりける。(略)
  宿もそれ花も見し世の木の下(もと)になれし春のみなどかとまらぬ
(竹むきが記~岩波・新日本古典文学大系51)

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古典の季節表現 三月中午日 石清水八幡宮臨時祭

2013年03月13日 | 日本古典文学-春

朱雀院御時、石清水の臨時祭をはしめてをこなはせ給ふとてめされけるうた 紀貫之
松もおひまたも苔むす石清水行すゑとをくつかへまつらん
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

朱雀院御宇天慶二年、将門純友が謀叛の時、其祈に八幡の臨時祭は始れり。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

九日、臨時祭なり。使にまゐる。花もさかりなるに風すこし吹きて、散りまがふ花の下に、舞人ども繪に書きたらむやうなり。立ち舞ふ袖の氣色、神垣も思ひやられて、
待ちえたる御世の初に咲きにほふ花のかざしをいかが見るらむ
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)

泥絵屏風、石清水臨時祭 権中納言定家
ちりもせし衣にすれるさゝ竹の大宮人のかさすさくらは
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

いはし水そでの山井に月さえて神代にすめる明星(あかほし)のこゑ
(「藤原定家全歌集」久保田淳校訂、ちくま学芸文庫)

 四位しはへりてのちの春石清水の臨時の祭の日内裏の事はてゝ舞人ともきたの陣にいてゝ侍りけるほとにあふきにかきて侍従家隆か許につかはしける 左近衛少将藤原定家朝臣
立帰り猶そ恋しきつらねこしけふのみつのゝ山あゐのそて
 かへし 侍従藤原家隆
やまあゐのしほれ果ぬる色なからつらねし袖の名残はかりそ
(玄玉和歌集~群書類従10)

石清水の臨時祭を 前大納言師重
九重のけふの挿頭の桜花神もむかしの春は忘れし
(続千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

後深草院御時、石清水臨時祭の日、さくら山吹なとみかは水にうかひたるを御覧して、歌よめとおほせこと有けれは 後深草院少将内侍
行水になかるゝ花のいろいろを我かさしとはたれかみる覧
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

廿日は、りんじのまつりの御馬御覽なり。さきざきはたゞめぶがひきわたしたるばかりにて有りしに、御隨身かねみねに、あけさせて御覽ぜし、いとおもしろし。公卿はまでのこうぢの大納言ぞ候ひ給ひし。けづけ、中將すゑざね。庭の月かげいとおもしろくて、辨内侍、
なにしおふ月げの駒のかげまでも雲ゐはさぞとみえ渡る哉
(弁内侍日記~群書類從)

十日おほやけは八幡のまつりのことゝのゝしる。我はひとのまうづめるところあめるにいとしのびていでたるに、ひるつかたかへりたればあるじのわかき人々「いかでものみん、まだわたらざなり」とあればかへりたるく るまもやがていだしたつ。又の日かへさみんとひとびとのさわぐにも心ちいとあしうてふしくらさるればみん心ちなきに、これかれそゝのかせばびらうひとつに四人許のりていでたり。冷泉院のみかどのきたのかたにたてり。こと人おほくもみざりければ人ひとり人ごゝちしてたてれば、と許ありてわたる人わがおもふべき人もべいじゆうひとりまひ人にひとりまじりたり。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

おほやけにはれいのそのころ八幡のまつりになりぬ。つれづれなるをとてしのびやかにたてれば、ことにはなやかにていみじうおひちらすものく、たれならむとみれば御せんどもの中にれいみゆる人などあり。さなりけりとおもひてみるにもまして我がみいとはしき心ちす。すだれまきあげ、したすだれおしはさみたればおぼつかなきこともなし。このくるまを見つけてふとあふぎをさしかくしてわたりぬ。御文あり。かへりごとのはしに「昨日はいとまばゆくてわたりたまひにきとかたるは、などかはさはせでぞなりけん、わかわかしう」とかきたりけり。かへりごとには「老いのはづかしさにこそありけめ、まばゆきさまにみなしけん人こそにくけれ」などぞある。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

おなし御時、藤原隆信朝臣殿上のそかれて侍けるつきの年の春、臨時祭舞人にて参り侍けるに、南殿の桜のさかりなりける枝につけて、「忘るなよなれし雲ゐの桜花うき身は春のよそになるとも」と女房の中に申侍ける返し 読人しらす
思はさりし身こそ雲ゐのよそならめ馴にし花は忘れしもせし
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

石清水臨時祭の舞人にて、立やとりける家のあるし、又こん春も侍へきよしいひけれは、思ふ心や有けん 藤原定長
又もこん春とはえこそいはし水立まふこともありかたき世に
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

 三月十三日、八幡の臨時の祭なり。申の時にはじまる。女院御方、仁寿殿にて御覧ぜらる。御木丁出(いだ)さる。清涼殿、二間の中開けあはせて女房達見る。使、堀川宰相中将、舞人陪従、常のごとし。時刻五竜也。公卿、三条大納言・西園寺大納言殿・殿大納言殿・師中納言・徳大寺中納言・富小路宰相中将など也。(略)夜に入て北陣渡る。内御方・女院、黒戸より御覧ぜらる。一の舞人馬にひかれて京極面(おもて)の程にて落ぬとぞ聞(きこ)えし。徳大寺・堀川、御前に候。所どころより参れる花、御溝水に流(なが)さる。夜に入まで流るゝさまも面白かりき。
(竹むきが記~岩波・新日本古典文学大系51中世日記紀行集)

(承元二年三月)十三日(壬午)。天晴る。臨時祭なり。所労猶尋常ならずと雖も、大将殿指して仰せ有り。仍て未斜、京極殿に参ず。小時にして、御共して参内す。(略)主上出でおはします。御贖物を供す。宣房・宮主参入等、例の如し。頭中将、此の間年中行事の障子南の辺りに在りて行事す。使、左中将国通朝臣(巡方の魚袋、紫緂の平緒)着座す。舞人三人、御馬を引く。少納言信定・侍従資宗行事す。蔵人御禊了んぬ。宮主退出す。御馬を幔の外に引き出し、歌笛を発す。使進みて跪き、笏を搢み、立ちて御幣を取り、北の案の第一第三、南の第二に之を持ちて立つ。御拝。使、幣を置きて退出。上卿宣命を奏し、返し給ふ。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建仁元年三月)廿日。天晴る。石清水臨時祭の日なり。有通少将の子、中務権大輔、舞人を勤仕す。扶持するため、白地(あからさま)に京を出づべきの由、夜前之を称す。五位少将の子の舞人、頗る目を驚かすか。午の時許りに参上。人々又祗候す。例の如くに饌あり。但し余・具親著かず。人招請せず。又推参せず。出御ありておはします。遊女著座し、郢曲せず退下す。今夜、白拍子合せ有るべし。申の時許りに退下す。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

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古典の季節表現 三月中旬

2013年03月12日 | 日本古典文学-春

白妙に雲も霞も埋れて、雲も霞も埋れて、いづれ桜の木ずゑぞと、見渡せば八重一重、げに九重の春の空、四方の山並みおのづから、時ぞと見ゆる気色かな、時ぞと見ゆる気色かな。
(謡曲・田村~岩波・新日本古典文学大系「謡曲百番」)

十九日には鳥羽殿へ御幸とて、西八条を夜中に出させ給けり。比は三月半余(あまり)の事なれば、雲井の月は朧にて四方の山辺も霞こめ、越路を差て帰鴈、音絶々にぞ聞召。(略)暮行春の景なれば、梢の花色衰、宮の鶯音老たり。庭上草深して、宮中に人希也。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

彌生中の六日なれば、花は未名殘あり。楊梅桃李の梢こそ、折知顏に色々なれ。昔の主はなけれ共、春を忘れぬ花なれや。少將花の下に立寄て、
桃李不言春幾暮、煙霞無跡昔誰栖。
故郷の花の言ふ世なりせば、如何に昔の事を問まし。
此古き詩歌を口ずさみ給へば、康頼入道も折節哀に覺えて、墨染の袖をぞ濕しける。 暮る程とは待れけれ共、餘に名殘惜くて、夜更る迄こそ坐けれ。更行まゝに、荒たる 宿の習とて、古き軒の板間よりもる月影ぞ隈もなき。
(平家物語~バージニア大学HPより)

ワキ「げにげにこれこそ暇惜しけれ。こと心なき春の一時。
シテ「げに惜むべし。
ワキ「惜むべしや。
シテワキ二人「春宵一刻価千金。花に清香。月に影。
シテ「げに千金にも。かへしとは。今此時かや。
地「あらあら面白の地主の花の景色やな。桜の木の間に漏る月の。雪もふる夜嵐の。誘ふ花とつれて散るや心なるらん。
クセ「さぞな名にしおふ。花の都の春の空。げに時めける粧青楊の影緑にて。風のどかなる。音羽の瀧の白糸の。くり返しかへしても面白やありがたやな。地主権現の。花の色も異なり。
(謡曲・田村~謡曲三百五十番集)

日は既に暮れ果てて、朧げながら照り渡る彌生半(やよひなかば)の春の夜の月、天地を鎖す青紗の幕は、雲か烟か、將(は)た霞か、(略)
(瀧口入道~バージニア大学HPより)

田舎なる人のもとより、三月十余日のほどにいひやる
まづ来(こ)んといそぐ事こそかたからめ都の花の折を過ぐすな
(和泉式部続集~岩波文庫)

弥生の頃、「松陰の家の藤を御覧に御行幸(おほんみゆき)あるべし」と、かねて仰せ言ありければ、御設けし給へり。この源中納言は、五条わたり賀茂川の辺(ほと)りに、家造りして住み給へり。池をいと大きに掘らせて、川を堰き入れさせ、汀のかたに松を多く植ゑならべて、その陰を、おもしろく造りなし給ひければ、世の人、「松陰の中納言」と、言ひあへり。その松に藤のしなひの、世にためしなう長う咲きかかり、色ことなるがありけり。
 まだ、夜こめての行幸(みゆき)にてはありけれども、五条辺(あた)りにては東の山の端よりさし出づる日影の、玉の御輿に光をそへ、音楽の音(おと)は賀茂川の川風に誘はれて、思はぬかたまで聞こゆなるも、いといかめし。設けのために造り給ふ御殿は、いと高ければ、山々の霞の細う棚引ける、上より散れる花の雪かとおぼめくに、雁が音(ね)のうちつらねて、越路おぼえて行くなるも、いと小さう見ゆるものから、声のまたさなからぬこそ、数のほども思ひ知らるれ。ふもとの小田をかへす賤(しず)の男(を)の、とりどりなるを、御覧じはじめさせ給ひて、いとめづらかに思しやらせ給へり。
藤の陰には、いと大きなる石の、上は平らなるが、もとは島先へつい出だされて、波はひまなくうち寄するに、松の枝は日影をもらさぬまでにさしかはし、御簾をかけたらんやうに藤の咲きかかりたる所に、畳・褥をかさねて、仮の御座(おまし)をかまへ給へり。それに移らせ給ひて、花のしなひのびたるばかりに下がりて、波にうつろへる影を御覧じ給ひて、
 さざ波にうつろふ藤の影見れば枝にしられぬ春風ぞふく
(略)
次の日は、春宮の行啓にて、若き上達部・殿上人、あまた供奉し給へり。御池の舟に召されて、さまざまの御遊びありけり。暮れ過ぎて、二十日の夜の月、山の端(は)にさし出づるほどに、少将を召して、「心の松にかかりつる藤を、今宵見せなんや」と、のたまはすれば、とりあへぬ装ひを<いかが>とは、思しながら、対へおはして、「御前の御遊びこそ、おもしろく候(さぶら)ふなり。垣間見せさせ給へ」と、いざなひ出で給へり。高欄のもとに立たせ給へるに、おぼろならざる月のさしうつるに、桜襲の衣の色つややかなるに、御髪(ぐし)の柳の枝に露のこぼれかかりたるさまして、若木の梅の匂ひさへうちそひて見えさせ給へば、宮は耐へず思しめされて、御袖をとらへ給はんとし給へるに、うち驚きて還り給へり。(略)
(松陰中納言~「中世王朝物語全集16」笠間書院)

 なかの十日のほどにこの人々かたわきて小弓のことせんとす。かたみにいているとぞしさわぐ。しりへのかたのかぎりこゝにあつまりてなす日女房にかけ物こひたればさるべき物やたちまちにおぼえざりけむわびざれに青きかみをやなぎのえだにむすびつけたり。
山風のまづこそふけばこの春のやなぎのいとはしりへにぞよる
かへし口々したれどわするゝほどおしはからなむ。ひとつはかくぞある。
かずかずにきみかたよりてひくなれば柳のまゆも今ぞひらくる
つごもりがたにせんとさだむるほどに、よの中にいかなるとがまさりたりけむ、てんけの人々ながるゝとのゝしることいできてまぎれにけり。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

十五日に院の小弓はじまりていでんなどのゝしる。まへしりへわきてさうぞけば、そのこと大夫によりとかうものす。その日になりてかんだちめあまた「ことしやむごとなかりけり、こゆみおもひあなづりてねんぜざりけるを、いかならんとおもひたればさいそにいでゝもろやしつ、つぎつぎあまたのかずこのやになんさしてかちぬる」などのゝ しる。さて又二三日すぎて大夫「のちのもろやはかなしかりしかな」などあればまして我も。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

長暦二年三月野宮にて小弓の会の事
 長暦二年三月十七日、殿上人十余人野宮へ参りたりけるに、御殿東庭に畳を敷(しき)て、小弓の会(ゑ)ありけり。又蹴鞠もありけり。夕に及(および)て膳をすゝめられけるあひだ、簾中より管絃の御調度を出されたりければ。即(すなはち)糸竹・雑芸の興もありけり。又和歌も有けるとかや。昔はかく期(ご)せざる事も、やさしく面白き事、常の事なりけり。いみじかりける世なり。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

天永三年三月御賀の後宴に御遊の事
 天永三年三月十八日、御賀の後宴に、舞楽はてゝ御遊の時、中納言宗忠卿拍子・治部卿基綱琵琶・中納言中将筝・中将信通朝臣笛・少将宗能朝臣笙・伊通和琴・越後守敦兼篳篥。呂、安名尊・席田・鳥破。律、青柳・更衣・鷹子・万歳楽。主上催馬楽を付(つけ)うたはせ給(たまひ)ける、めづらしく目出(めでた)かりける事なり。仰(おほせ)によりて、さらに又更衣・鷹子数反ありける、興ありける事なり。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

(*むりやうしゆゐんに。くわんはくとのの。みたう。たてさせたまへれは。くやうに。にようゐん。たかつかさとののうへ。わたらせたまふ。いちのみや。とののうへ。くしたてまつらせたまひて。わたらせたまふ。ちうくうも。いてさせたまふ。うちより。やかて。ひる。いてさせたまふ。さきさき。ふりにしことなれと。なほ。めてたきことになむ。かはさくら。みな。おりものなるか。うらうちたる。むつはかり。おんも。からきぬ。たてまつりておはします)御ありさまえもいはずめでたくみえさせ給。みこしのしりにはやがて三位さふらひ給。皆くれなゐのうちたるさくらのをりものゝうはぎに。そのおりえだをりたるふぢのをりもの。さくらもえぎのからきぬ。みなふたへもんにておりえだけさやかにをりたり。にようばうはさくらどもにもえぎのうちたる。やまぶきのふたへをりもの。うはぎふぢのからきぬ。もえぎのもにゑかきぬいものし。らてんしくちをきなど。めもあやにこころのゆきてなどいふうたを。かねのくのちいさきをつくりて。哥繪にてさくらのさきこぼれたるかたをかきたり。たまとつらぬけるあをやぎなど。いとおかし。またしつかひ(大系:しつらひ)のかたをして。帳臺からくしけひのおましのかたをしたる人もあり。はなのかゞみとなるみづはとて。いとおしけなる(*をかしけなる)かね(大系:鏡)をいけにをしたる人もあり。さらにさらにえいひつくすべくもあらずなん。はかまはみなうちくちをきたり。とのゝみやはにようばういろいろをみつゝにほはして。十五にくれなゐのうちたるもえぎのをりものゝうはぎなり。いみじうわたうすく。めもあやにけうらなり。これもいとめでたくめもをよばぬことゞもおほかり。みやのうへとのゝうへと。みところおはします。とのゝうへはしろき御そどもに。くれなゐのからあやをうへにたてまつれり。ひめみやのおまへには。さくらのにほひをみなをりものにて。くれなゐのうちたるふぢのをりものゝ御そ。もえぎの小褂たてまつりたるありさま。あてにめでたくいふかひなくみえさせ給。(略)
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

姫君は、藤がさねの七重衣(ななへぎぬ)に、ゑいその唐衣、桜の紅袴にほやかに着なし給へば、姿かかりまことにいつくしさたとへん方なし。
(文正さうし~岩波文庫「御伽草子・上」)

三月十九日家持之庄門槻樹下宴飲歌二首
山吹は撫でつつ生ほさむありつつも君来ましつつかざしたりけり
 右一首置始連長谷
我が背子が宿の山吹咲きてあらばやまず通はむいや年の端に
 右一首長谷攀花提壷到来 因是大伴宿祢家持作此歌和之
(万葉集~バージニア大学HPより)

(天暦元年三月)十五日壬寅。仁和寺桜花会。左大臣以下参会。
(日本紀略~新訂増補 国史大系11)

(天暦三年三月)十一日甲寅。定季御読経僧名。今日。太上皇於二条院有花宴。式部卿敦実親王。中務卿重明親王。左右大臣以下参候。式部大輔維時朝臣以下廿二人召文人。題云。落花乱舞衣。奏音楽。王卿賜禄有差。
(日本紀略~新訂増補 国史大系11)

(寛弘四年三月)二十日、丁巳。
(略)作文を行なった。題は、「林花は、落ちて舟に灑(そそ)ぐ」であった<風を韻とした。>。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(寛弘八年三月)十八日、辛卯。
雨が降った。内裏に参った。夜に入って、退出した。内裏において作文を行なった。題は、「鶯は老いて、谷に帰ろうとする」であった。(略)
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(建仁二年三月)十一日。天陰る。夜に入りて月明し。未の時許りに九条に参ず。盛時来たる。聊か云ひ付くる事等あり。即ち大臣殿に参ず。中将殿・少将殿参会し給ふ。程無く退下す。秉燭中将殿八条殿に還らしめ給ふと云々。仍て即ち彼の御所に参ず。今夜吉事あるべし(右衛門督聟取りなり。但し儀式無しと云々)。小時ありて出でしめ給ふ。蘇芳の狩衣(裏同じ色の薄色なり)、紫浮文の指貫、白き綾(御衣、単衣)、紅の下袴(布を入れず)。西の門に於て、八葉の新車に乗る。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(正治二年三月)十二日。天晴る。(略)中将殿、俄に詩の沙汰仰せらるるの間、退出する能はず。戌の時許りに各々書き出し了んぬ。読み上ぐ。題、山中の春景深し。題中に序を継ぐ。予、破題を書く。此の如き事、極めて見苦し。但し外人無し。仍て憖に供奉す。退出するの後、御所に参じて退下す。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建仁二年三月)十五日。(略)近日、桜花の盛りなり。今年、花甚だ遅し。梅二月の晦に及びて開く。遅梅、近日猶盛りなり。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

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古典の季節表現 三月十日頃

2013年03月11日 | 日本古典文学-春

三月の十日なれば、花盛りにて、空のけしきなども、うららかにものおもしろく、(略)。ほのぼのと明けゆく朝ぼらけ、霞の間より見えたる花の色いろ、なほ春に心とまりぬべく匂ひわたりて、百千鳥のさへづりも、笛の音に劣らぬ心地して、もののあはれもおもしろさも残らぬほどに、陵王の舞ひ手急になるほどの末つ方の楽、はなやかににぎははしく聞こゆるに、皆人の脱ぎかけたるものの色いろなども、もののをりからにをかしうのみ見ゆ。
(源氏物語・御法~バージニア大学HPより)

 同じ比ほひの十日宵に、一品の宮に、参りあひて、「今宵なんど、さりぬべき」と聞ゆれば、「さらば、いかゞはせん。いと、かう物むつかしき心も慰みやする」と、そなたざまへ、やらせ給ても、薄く霞に漏りたる月影、さやかにはあらぬしも、いとゞ心細げなる空の気色を、道すがら眺め給ても、(略)築地所々くづれて、花の梢どもおもしろく見入れらるゝ所あり。道季召して、「いかなる人の住みかぞ」と問ひ給へば、「故式部卿宮に候ふ。宰相中将もこゝになんおはする」と申せば、今少し御心とまりて、近うやりよせて見給へば、門はさしてけり。風に従ひて、柳の糸起き臥し乱るゝに、花の梢も見るまゝに残り少なげになるは、いと見捨て難きに、琵琶、筝の琴など弾き合せてぞ遊ぶなる有様も、ゆかしきわたりなれば、下り給て、くづれよりやをら入給ひて、琴の声する方にやをら尋ね寄り給へれば、寝殿の南面の階隠(はしがくし)の間、一間ばかりあけて、人あるなるべし。近き透垣のつらによりて、聞き給へば、琵琶はこゝの御簾のもとにて弾くなり。筝の琴は奥の方にぞ聞ゆる。(略)
(狭衣物語~岩波・日本古典文学大系)

その故とも思ひわかぬものから、あまり心に染(し)む御さまも、果て果てはあいなければ、御前の勾欄におしかかりて、花の残りなく散るをつくづくとながめたまへる夕映ぞ、なほ類(たぐひ)なきや。
雲居吹く風の心にさそはれて思はぬ方(かた)に馴るる花かな
三月の十日なれば、夕月夜ほのかに霞み渡りて、すずろに心づくしなる雲のけしきを、そこはかとなくながめそめられては、とみにも動かれたまはず。
(我身にたどる姫君~桜楓社)

かくて、年いと遅き年にて、三月上の十日ばかり、花盛りなり。嵯峨の院、花の宴聞こしめさむとて、造りしつらはせたまふ。(略)
 花誘ふ風ゆるに吹ける夕暮れに、花雪のごとく降れるに、大将、詩奉りに、胡籙負ひて、冠に花雪のごとく散りて、「右の近き衛りの府の大将藤原仲忠」と申したまふ声、いと高う厳めし。嵯峨の院、「よき講師の試みの声なりや」とて笑はせたまへど、つれなくて入りぬ。詩みな奉りはべれば、文題取らせたまひて読ませたまふ。大将参らせたまひて、読み申したまへば、帝たちよりはじめてみな見たまふ。(略)大将の詩を、みな帝たち誦じたまふ。かはらけ参る。新中納言、いみじう褒めらる。右大弁、かはらけ参る。
かくて、御遊び始まりて、朱雀院、「老いせる春を弄ぶ」と、歌の題に書かせたまひて、嵯峨の院に奉りたまへば、御かはらけ取りて、内裏の帝に奉りたまふとて、
  春来れば髪さへ白くなる花に今年は君も雪ぞ降る
 (略)
左のおとど、
  元結に花結べりと見ゆるまで見れどもかかる春の花かな
右の大殿、
  散りぬとて手ごとに折れば桜花髪さへ白くなりまさるかな
 (略)
源中納言、
  花の色は盛りに見えて年ごとに春のいくたび老いをしつらむ
 (略)
なんどて、御かはらけ度々になりぬ。
 御時よきほどにて、御遊び盛りて、大将、源中納言などに箏の琴賜ひて、みな人々もものの音仕うまつり合はせて、順の舞し、歌歌ひ、猿楽せぬはなし。
(宇津保物語・国譲・下~新編日本古典文学全集)

寛治七年三月十日、白河院北山の花御覧しにおはしましたりける日、処々尋花といへる心をよませ給うけるに 贈左大臣(長実)
たつねつゝけふみさりせは桜花ちりにけりとやよそにきかまし
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
寛治七年三月十日、白河院北山の花御覧しにおはしましける日、処々尋花といへる心をよませ給うけるに 久我太政大臣
山桜かたもさためすたつぬれは花よりさきにちる心かな
右衛門督基忠
春はたゝゆかれぬ里そなかりける花の梢をしるへにはして
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
 白河院、法勝寺におはしまして、花を御覧じて、常行堂の前にて、人びと鞠つかうまつりけるに、殿より随身公種して、まりをたてまつり給ひて、
  山桜たづぬときけどさそはれぬ老のこゝろのあくがるゝかな
    御返し
  山ふかくたづねにはこで桜花何かこゝろをあくがらすらん
(「續古事談」おうふう)

三月十日余(あまり)の事なれば、春も既(すで)に晩なんとす。遠山の花色、残雪かと疑れ、越路に帰る雁金、雲井に名のる音すごし。さらぬだに習に霞春の空、落涙に掻暮て、行さきも不見けり。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

比は三月十日余(あまり)の事なれば、尾上に懸る白雲は、残の雪かと疑れ、礒吹風に立波は、旅の袖をぞ濡しける。きやうけいのうかれ声おしあけ方に成しかば、八重立霞のひまより、御船汀(みぎは)に押寄たり。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

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