第二子出産の記録。臨月期の妊婦は個別具体的な情報が何かと心の支え(気の紛れ)につながったりするので、どこかの誰かさんのために。
12月23日、40週と2日目。朝はいつも通り2時に起きた。ヨガと朝食、NHKの新映像の世紀第三回(ドイツ、ソ連のファシズムが招いた第二次世界大戦がテーマ)を観て、午前6時ごろまた布団に入る。次起きたのは午前8時、その頃なんとなく陣痛か?それにしては弱すぎるか、でも忘れた頃に来るな…という痛みあり。
朝食を食べ、ランチにあさくま(ステーキレストラン)をリクエスト。天皇誕生日のため夫は仕事休み。陣痛が本格的になる予感があったけど、きっと(どうせ)のんびり進むのだろうと思って、あさくまの近くまで40分ほど歩き、ランチを楽しんだ。
そのあと、予約してあったダイニングテーブルの支払いや配送の相談をするため大垣へ。そのダイニングテーブルにかける透明のテーブルマットを買いに大垣のニトリにも寄って帰宅。午後2時。だいたい20分弱の間隔?この期においてまだ半信半疑。おとといの21日に「全然子宮口は開いてないですね、先週と同じ1センチくらいです」と産婦人科で言われたばかりだったので。
家でコーヒーを飲むうちに15分間隔になり、病院に電話。痛みもまだ強くはないので、10分間隔になってからまた電話するということにして、休憩。15時半に「10分間隔になりました」と電話、「では来てください」というやりとりをして、夫と子どもと一緒に病院へ行く。16時ごろ着。
内診台に上がり、助産師さんが診たところ「子宮口は1センチですね、でも10分間隔になっていたら『家で様子を見てください』と言うわけにもいかないので・・・」というなんだか消極的な様子で陣痛室に通される。1時間ほどすると、間隔は5~6分に。痛みも強くなってきたが、激痛というほどではない。前回(朝10時に陣痛促進剤→翌朝6時に出産)の痛み、疲れが記憶にあったので、「こんなものではない」と言い聞かせながら、午後6時に出された夕食を完食。再度診察してもらうも、「子宮口は柔らかくなってますよ~、意外と早く進むかもしれませんね~」と言われる。「いや、またたぶん進むの遅いんでしょうね・・・」とネガティブな感じで受け答えする。
でも、間隔はさほど縮まらないにしても、痛みは強くなっている。午後7時半頃に、夫の母が来てくれて、上の子を一晩預かってくれることに。夫が2人を連れて一度家に戻ったのが午後8時前。それからの1時間はひとりで(助産師さんも一度も来なかった気がする)陣痛室にいたのだけど、なんか、痛い。どんどんと。午後9時頃、やっときた助産師さんがベッドの上で内診し、「もう8センチくらいに開いてますね!分娩室行きましょうか!」と言われたときにはもう、車いすに移るのもしんどい状況。夫はまだ帰ってこない、まあいいや、「だんなさんが来たら分娩室に案内しますね!」と助産師さんに言われたところで彼が帰ってきて、一緒に分娩室へ。そこから30分で出産しました。午後9時半。
分娩室は2つ隣り合わせになっていて、おとなりでも10分後くらいに生まれていた。で、産科医はこちらとあちらを行ったり来たり。特に産後は、生まれた後に一度放置され、おとなりの分娩を見届けた後、こちらの会陰部分の接合とか胎盤の様子の確認とか、いろいろして、また隣に行って・・・という状況。助産師さんもそんな感じで、たぶん必要以上に分娩台の上にいたような気がするが、それくらいは仕方ないかな、と思いながら痛みの余韻に打ちひしがれつつ、赤子の泣き声を聞いていました。
ちなみに、大垣市民病院ではバースプランなど聞かれることはありません。ほんとうはカンガルーケア(出産後すぐに胎児を裸のまま母親の胸に載せる)にも関心があったのだけど。「今日中に一度抱っこできますか?」と2,3回助産師さんに聞いて、服を着た状態の赤子をようやく1時間後くらいに抱っこできました。個室を希望していたのだけど、年末で帝王切開などの予定が詰め込まれていたのか、病室は満杯状態で、最初の2泊は相部屋に。その翌日からは個室が空いたので移れましたが、相部屋は正直しんどかった。赤子が泣くと気を使うし。いろいろと含めて、総合病院のデメリット面にいくつか直面したなと思います。
ただ、前回出産時にお世話になった助産師さん、前回と同じ産婦人科医、前回何回か定期的に診察してくれた新生児科医、などと懐かしい顔があり、「あなた方も2年間変わらず仕事を頑張っているんですね」という嬉しい気持ちになり、転勤族の私にとってはなかなか味わえない「地元感」みたいなものを感じることが出来ました。
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