「子どもというのは、いくら経験に乏しく体が小さかったとしても、対等な存在である。例え0歳児であっても」
こういうことを言っている著者インタビューに関心を持って、アドラー心理学の本を二冊読んでみた。
岸見一郎『アドラー心理学入門』
岸見一郎『子育てのためのアドラー心理学入門』
私も、子どもを産んでみてから、なんとなくそう感じていたんですよね。自分から出てきた存在ではあるけど、当たり前だけど自分とは全く別人格であり、この子が考えてることなど全然わからないし、それで良いのだ、最低限の衣食住や愛情の環境を与えれば、勝手におのずから育ってくれそうだ、と。それは、この「対等な存在」という考え方とすごくリンクするような気がしたのだ。
「アドラーは、人間関係における精神的負担の根元に『縦の関係』があると考えていて、横の関係、対等な関係の構築を提案する」。確かに。大人同士でも、当然のように私とあなたの関係性はタテですよ、というスタンスの人がいる。私の嫌いな「議論のできない人」というのはそういう人が多い。夫婦や学生時代の友人の間で議論や付き合いを楽しめるのは、例え年収や仕事内容に「違い」があっても、それは「優劣」ではない、それを超えたところで互いの関係があるのだ、という共通認識が対等な横の関係を保証しているから気軽で楽しいのだと言えるのかもしれない。
で、対等な関係に基づく子育てとは?
それが、叱らない、褒めない、ということ。このどちらも、上下関係に基づく行為だから。「ダメ」と制止することは、子ども自身や他人への危険行為、迷惑行為であるときには仕方がないが、そうではない多くのことでは、よく考えてみれば叱る必要のないこと。例えば、家でご飯を食べている時にスプーンを持たずに手で食べたり、わざと落としたり、おもちゃを片付けなかったり、学校に忘れ物ばかりしたり。
本書では「これは誰の課題なのか?」と問いかける重要性を繰り返しているが、これらは子ども自身の課題であって、親の課題ではないのだ。親の課題があるとすれば、子どもの課題であるにも関わらずイライラしてしまうのをどう抑えるか、ということくらい。
褒めるというのも、「子どもに言っている褒め言葉を、同世代の友人やパートナーに言うとしたらどうですか?」と言われると、確かに上下関係が基本にある。「ちゃんと全部食べれて頑張ったね」とか、自分で服を着られて偉いね」とか。
ではどのように子どもに声かけすればよいのか。それが「勇気づけ」、特に他人への貢献を強調する勇気づけである。「食器片付けしてくれて(お母さんは)助かったわ」、「全部食べてくれて(お母さんは)嬉しいわ」など。
「電車では静かに座ってないとだめ!」ではなく、「静かにお座りしてくれると(お母さんは)嬉しいな」。子どもにも、人に物事を頼む時には「こうして!」という一方的な要求ではなく、「こうしてくれると嬉しいのですが」と頼むことを身につけてもらう。この勇気づけを通して、他人への貢献、他者は味方であるという認識を持つことで、人はさまざまなことにチャレンジする力を養うのだという。
いろいろと納得する部分が多く、具体的で興味深く読みました。長女は今2歳1ヶ月なのだけど、私が考えている以上にいろんなことわかっている。オムツひとつ取って欲しいな、と言うと取ってくれる。あとで何々しようね」と言うと待ってくれる。言葉がしっかり言えなくても、理解はしているのだ。
児童福祉施設での仕事でも、縦の関係に基づく人と、横の関係に基づく人は分かれるなあと思う。とくに、軽度知的障害のある女の子が暮らす棟では、スタッフの間でこういう認識を再度確認した方がいいと感じた。
自分の子どもで訓練をしながら、仕事にも生かせるといいなあ。
こういうことを言っている著者インタビューに関心を持って、アドラー心理学の本を二冊読んでみた。
岸見一郎『アドラー心理学入門』
岸見一郎『子育てのためのアドラー心理学入門』
私も、子どもを産んでみてから、なんとなくそう感じていたんですよね。自分から出てきた存在ではあるけど、当たり前だけど自分とは全く別人格であり、この子が考えてることなど全然わからないし、それで良いのだ、最低限の衣食住や愛情の環境を与えれば、勝手におのずから育ってくれそうだ、と。それは、この「対等な存在」という考え方とすごくリンクするような気がしたのだ。
「アドラーは、人間関係における精神的負担の根元に『縦の関係』があると考えていて、横の関係、対等な関係の構築を提案する」。確かに。大人同士でも、当然のように私とあなたの関係性はタテですよ、というスタンスの人がいる。私の嫌いな「議論のできない人」というのはそういう人が多い。夫婦や学生時代の友人の間で議論や付き合いを楽しめるのは、例え年収や仕事内容に「違い」があっても、それは「優劣」ではない、それを超えたところで互いの関係があるのだ、という共通認識が対等な横の関係を保証しているから気軽で楽しいのだと言えるのかもしれない。
で、対等な関係に基づく子育てとは?
それが、叱らない、褒めない、ということ。このどちらも、上下関係に基づく行為だから。「ダメ」と制止することは、子ども自身や他人への危険行為、迷惑行為であるときには仕方がないが、そうではない多くのことでは、よく考えてみれば叱る必要のないこと。例えば、家でご飯を食べている時にスプーンを持たずに手で食べたり、わざと落としたり、おもちゃを片付けなかったり、学校に忘れ物ばかりしたり。
本書では「これは誰の課題なのか?」と問いかける重要性を繰り返しているが、これらは子ども自身の課題であって、親の課題ではないのだ。親の課題があるとすれば、子どもの課題であるにも関わらずイライラしてしまうのをどう抑えるか、ということくらい。
褒めるというのも、「子どもに言っている褒め言葉を、同世代の友人やパートナーに言うとしたらどうですか?」と言われると、確かに上下関係が基本にある。「ちゃんと全部食べれて頑張ったね」とか、自分で服を着られて偉いね」とか。
ではどのように子どもに声かけすればよいのか。それが「勇気づけ」、特に他人への貢献を強調する勇気づけである。「食器片付けしてくれて(お母さんは)助かったわ」、「全部食べてくれて(お母さんは)嬉しいわ」など。
「電車では静かに座ってないとだめ!」ではなく、「静かにお座りしてくれると(お母さんは)嬉しいな」。子どもにも、人に物事を頼む時には「こうして!」という一方的な要求ではなく、「こうしてくれると嬉しいのですが」と頼むことを身につけてもらう。この勇気づけを通して、他人への貢献、他者は味方であるという認識を持つことで、人はさまざまなことにチャレンジする力を養うのだという。
いろいろと納得する部分が多く、具体的で興味深く読みました。長女は今2歳1ヶ月なのだけど、私が考えている以上にいろんなことわかっている。オムツひとつ取って欲しいな、と言うと取ってくれる。あとで何々しようね」と言うと待ってくれる。言葉がしっかり言えなくても、理解はしているのだ。
児童福祉施設での仕事でも、縦の関係に基づく人と、横の関係に基づく人は分かれるなあと思う。とくに、軽度知的障害のある女の子が暮らす棟では、スタッフの間でこういう認識を再度確認した方がいいと感じた。
自分の子どもで訓練をしながら、仕事にも生かせるといいなあ。
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