Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ホテルでランチ・ブッフェ

2007年06月09日 | 那覇、沖縄
 「今日はランチでも外に食べに行こう」と思っても、私の住んでいる那覇市郊外では、食事といえば、たいてい「食堂」での定食、「そば」の看板を出す店の「沖縄ソバ」、あるいは揚げ物いっぱいの弁当に限定される。少なくても沖縄に来た頃は、そう考えていた。始めのうちは観光客気分で「食堂」も「そば」も楽しめたが、正直、それにも飽きてしまう。と思ったとき、登場したのが数年前から乱立を始めた「CAFÉ」と、その存在に気づかなかったホテルのランチ・ブッフェである。
 ホテルのランチ・ブッフェなんて東京で過ごした40年近い人生でほとんど行ったことがなかった。だいたい国分寺に住んでいると旨いランチ・ブッフェがあるホテルまで行くのが一苦労であって、そんな遠くまで行く位ならば、近くに数あるファミレス、回転寿司から選択するだけでも十分楽しめたのである。
 しかし沖縄には身近に高級な(高級そうに見える)ホテルがいっぱいあるのだ。都市型のホテルで、といえば那覇市内に行けばいいし、ちょっと青い海を見ながら、という気分になったら、思い切って30、40分のドライブで恩納村のリゾートホテルに向かえばいい。
 今日は久しぶりに那覇市内のホテルのランチ・ブッフェに出かける。客のほとんどは「ジモティー(地元の人々)」である。考えてみれば当たり前であって、那覇市内に宿泊する観光客は、昼は絶対にどこかに観光に出かけてホテルなんかにいるはずがない。つまり那覇市内のホテルのランチは、大抵「ジモティー」に向けなのだ。土曜日は家族連れでいっぱいである。ピザの大皿から、オリーブを全部落として、オリーブなしのピザを自分の皿に乗せる子ども、「いっぱい食べなきゃ損なのよ」と子どもに説明する母親、自分の皿に乗せたケーキをそっともとに戻すオバサン・・・。味を楽しむのは当然ながら、見るのも、聞くのも楽しいひと時である。
 さて、いっぱい食べた後、最後の締めは、デザートとコーヒーである。しかし、いつも思うのだ。最後のコーヒーの味がわからなくなるまで、どうして食べるのだろう?いつまでたっても学習できない私の弱点・・・。



涙の写真整理

2007年06月09日 | 家・わたくしごと
 今から20年前に撮影したバリの写真を一枚一枚見直して、必要なものをポジ、ネガフィルムからスキャーナーを使ってデータ化する仕事に昨日の半日費やした。もちろん、半日で終わるような量ではない。
 私が最も魅了されたのは、儀礼に参加する人々の衣装の素朴さである。当時は、今のように同じ色や形のハレ着をまとうような習慣はなく、皆の衣装はてんでんばらばらだった。それが懐かしいばかりでなく、視覚的に画一化した今の儀礼慣れてしまった私には妙に新鮮だ。
 この世にはいない師匠たちの写ったたくさんの写真とも久しぶりに向き合った。ガムランを演奏している師の写真を眺めていると、覚えの悪い私の額に、今にも彼の撥(バチ)が飛んできそうだ。パソコンの前で思わず、その撥を避けるように首を傾けて、すくんでしまう。人形遣いの師匠は、「いつ村に戻った?」と微笑みながら語りかけてくる。「たった今」というバリ語が自然に口に出る。
 やはりこの作業は酷である。5時間近くも作業を続けていたので、眼の疲れもあったのだろうけれど、師の葬儀の写真を前に止め処もなく流れ出る涙でパソコンの画面が見えなくなって本日の作業は継続不能にて終了。それにしても、もう何回、この涙を繰り返して、そのたびごとに、この涙に負けてきたのだろう?だから、相変わらず作業は停滞し続けているわけだ。