Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

高橋悠治の弾いたバッハ

2007年06月21日 | CD・DVD・カセット・レコード
 20数年前、高橋悠治の演奏するJ.S.バッハのクラヴィーア協奏曲をどこかのホールで聴いた記憶がある。その頃、私はデンオンから出ていた高橋悠治のこの曲のレコードを持っていて、それなりに個性のある演奏だとは感じていたが、舞台を見て、ここまで凄いとは思わなかった。クラシック音楽の演奏会で、指揮者は燕尾服、オーケストラの団員が男性は黒スーツ、女性は白ブラウスと黒スカートでばっちりきめているにもかかわらず、なんと高橋悠治は、白のTシャツ、ダボダボのズボン、そして極めつけなのは、黒い革靴ではなく、たぶんサンダルらしき履物で登場してピアノの演奏を始めたことだった。
 当時の私には理解不能であり、日本で体験した最初のカルチャー・ショックだった。その衣装のアンバランスが気になりすぎて、演奏がどうだったかほとんど記憶がない。ともかく、ピアノまで歩いてくる速度の遅さ、楽屋に戻るときのけだるい雰囲気だけが目に焼きついている。まるで演奏会を「見に行った」感がある。
 しかしよく考えてみると、なんで現代日本におけるクラシック音楽の演奏では、演奏者が「正装」しなくてはならないのだろうかと考え始めると答えが出ないことに気が付いた。音楽大学ではピアノのレッスンのとき、「きちんとした格好をすること」が暗黙のルールだった。だから女子学生を見ると、その日にレッスンがあるかないかひと目でわかった。私には彼女たちのレッスンの日の格好があまりのもセンスのない服のように目に映った。徐々に私はピアノのレッスンの日には、穴の開いたジーンズ、いちばん汚いTシャツを着るようになった。私は、私なりに答えを探し続けたつもりだった。結局、そんなことも面倒になってピアノを止めた。
 私がかつて聴いた高橋悠治のJ.S. バッハのクラヴィーア協奏曲集のレコードが、初回限定生産の紙ジャケCDが発売したのを知り購入した。若い頃の高橋悠治が、柄物のシャツを着てピアノに向かうジャケット。しかし、背広が「かりゆしウエアー」に変わる現在、これを見ても特別な感慨はない。クラシック音楽のあり様も少しずつ、時代とともに変わってきたことを実感する。だからこそ思うのだ。芸術大学が「古代遺跡」になりやしないかと。