Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

古典を聴く(1) GETZ/GILBERTO

2007年06月18日 | CD・DVD・カセット・レコード
 古典を聴くシリーズを誰に頼まれたわけでもなく始めることにした。完璧なる思いつきである。
 ゼミの学生の一人がボサ・ノヴァの研究を始めた。オジサンは隠れボサ・ノヴァファンである。といってもボサ・ノヴァがかかっているようなカフェに入り浸るタイプではない。もっともカフェなんて洒落た店にはほとんど行かない。どっちかといえば壊れそうな名曲喫茶、怪しそうな純喫茶の方が好きだ。そんな店ではボサ・ノヴァは全くというほどかからない。ボサ・ノヴァがかかるのは喫茶店ではなく、カフェなのである。じゃあ、喫茶店とカフェの違いは何なのよ?と聞かれても答えられない。
 さて話をもとに戻すと、オジサンはカフェでなく、ボサ・ノヴァは風呂で聴きたいタイプである。お湯に浸かりながら、ダラっと湯船でボサ・ノヴァを聞くなんて幸せなひと時である。しかし家族がいるとき、CDラジカセを風呂の前に持ってきて音楽をかけるのは少々気が引けるので、一人の時に実行する究極の癒しの時間である。
 さて、ボサ・ノヴァの古典といえば、やはりスタン・ゲッツ&ジョアン・ジルベルトの「GETZ/GILBERTO」(1963)だろう。これはアメリカ的な文化のグローバリズムにまみれかかった偽者ブラジル音楽だ、なんていう人もいるだろうが(そういう議論は専門家に譲ることにして)、オジサンとしては、やはり最初に聴いたボサ・ノヴァの一枚なので思い入れがある。しかも、インドネシアに留学するとき、金策のために売ってしまったレコードの1枚だったことで、その後悔の念もあって今聞いても感慨深い。でも考えてみると、オジサンは、このアルバムを聴くたびに、ボサ・ノヴァという鏡に映った20代の頃のオニイサンの自分を「見ている」だけで、ボサ・ノヴァという音楽を「聴いている」のかしら?


父の日

2007年06月17日 | 家・わたくしごと
 昨日の夜、子どもから金沢にいる私の携帯に電話があった。
「お父さん、一応明日だけどさ、父の日、おめでとう」
 父の日はおめでたいものなのかどうかはわからないが、とりあえず子どもが父の日を認識していたことで満足する。
 考えてみれば自分の父にはまだ何もしていない。もう夜10時を過ぎてしまっているため、今電話をしても、早寝早起きの父は寝ているはずである。もし私のこのブログを見るとしてもそれはきっと明日の早朝である。
「お父さん、一応、昨日だけどさ、父の日、おめでとう」
 きっと私の父も考えるはずである。父の日はおめでたいものだろうかと・・・。

『ステッセルのピアノ』

2007年06月17日 | 
 買ったまま、一頁も読んでいなかった五木寛之『ステッセルのピアノ』(文春文庫)を金沢に行くときに持っていった。行く直前に、このピアノが金沢と関わっていたことを思い出したからだ。地方に仕事に行くときは数冊本を持っていくのが普通だが、できるだけその地方と関わる作家や内容のものを持っていくことにしている。だから『ステッセルのピアノ』はうってつけだった。
 行きの飛行機の中から読み始めて3日間で読み終えた。やはり金沢にいるとつい引き込まれてしまうような内容である。結局、昨晩はホテルに戻ってから夜中まで読んだ。司馬遼太郎の『坂の上の雲』は中学生の時に読んだが、正直、幕末物ほど印象に残っておらず、日露戦争当時のロシア将軍ステッセルのこともうる覚えであった。民族音楽学者でありながら、未だに文部省唱歌《水師営の会見》の旋律すら知らない・・・。
 何よりも驚いたのは、金沢に司令部のあった陸軍第九師団が、旅順における203高地の戦闘や奉天での戦闘で大きな役割を担い、甚大な被害を蒙ったことだった。金沢は加賀前田家の城下町で、金沢城、兼六園、江戸情緒の残る町並みなど「小京都」のイメージが強いし、旅行者もそうした光景を期待する。しかし「ステッセルのピアノ」は、明治時代に乃木稀助がその功績に対して金沢の第九師団におくったものだ。
 この本のおかげで金沢の町を歩きながら、私のこの町を見る目が少しだけ変わった。さもすれば、観光ガイドに描かれる金沢は、江戸の城下町の趣と現代日本の地方都市が同居している町として漠然と私の脳裏にインプットされるだけだったかもしれない。しかし考えてみれば、江戸と現代の間には何百年という歳月が存在しているのだ。金沢でそんなあたりまえなことに気づかされる。


金沢蓄音機館

2007年06月16日 | 
 今日の金沢は晴天。研究会が午後からだったため、午前中は行きたかった二つの博物館である金沢蓄音機館と金沢21世紀美術館に出かける。どちらもユニークな博物館だが、蓄音機館は他には例を見ない博物館である。1階から3階まで蓄音機だらけ。しかも一日に数回、解説付でさまざまな蓄音機でSPレコードの音を聞かせてくれる。
 私も午前中に行われた解説と実際の音を聞く。実はこの解説付実演は、お情け程度にレコードを聴かすというものではない。なんと40分近くも詳細な解説が行われるのである。そしてこれがなんともいい味を出している。解説はルーティンで、しかも決められた内容であろうにもかかわらず、「仕事ですから」のような割り切った態度を感じさせないのである。とにかく解説者自身が蓄音機の音を心から愛しているというのがしみじみと伝わる。だからこそ、その熱い情熱のようなものが聞き手にも伝わる。
 面白い解説、引き込まれる話が、話しをする本人のテーマに対する距離や情熱とこれほどまでに関係していることを改めて感じる。そしてそれを自分に当てはめて考えてみる。大学の授業の内容のすべてのテーマと自分との距離はすべて等距離ではないし、正直なところ嗜好の距離も違う。その距離をなんとか埋めようと努力する。しかしうまくいかない。学生の表情を見ればそれは明らかだ。経験がそうした穴を埋めてくれるのか、あるいは自分の努力が足りないのか・・・。
 解説の最後に、大きな蓄音機、ビクター社ビクトローラ・クレデンザ(1925)からリムスキー=コルサコフの《交響組曲シエラザード》が流れた。その途端に自分のことが、あまりにもちっぽけなことのように思えてきた。SPレコードの「遠く」から聞こえる音楽が、金沢での幸せな時間を私にプレゼントしてくれる。

にわか鉄ちゃんになる

2007年06月15日 | 
 今日から金沢である。小松空港から金沢に行く場合、たいていは金沢方面行きの空港バスに乗る。しかし去年、福井の大学へ講義に行ったときに乗った北陸本線の雰囲気が気に入って、鉄道で金沢に行くことにしてJR小松駅に向かう。
 小松駅で階段を走って、停車中の七尾行きの電車の写真を撮影。ホームにいる女子高生が私を横目に笑っている。「あのオジサン、いい年して鉄ちゃんよ。オタクっぽいわねえ」なんて言われている気がして嬉しい。鉄ちゃんの何が悪いのさ!
 子どもの頃は、多くの子どもがそうであるように、私も「子ども鉄ちゃん(コテッチャン)」であった。父が連れていってくれた三鷹電車区の車庫は感動的だった。今でもあの光景を思い出して、絵に書くこともできる。今はない交通博物館にも父と何度も出かけた。入り口を通るたびに心が躍った。誰もが同じ道を歩むように、いつのまにか電車はただの乗り物になってしまった。だから筋金入りの「鉄ちゃん」にはなれなかった・・・。
 北陸本線に乗りながら、石川県出身の有名人とは誰ぞや、と考える。全く思い浮かばない。不勉強である。それでも考え続ける。やはり出てこない。石川・・・石川五右衛門。そんなはずはない。と、隣のオジサンが地元紙の夕刊を広げる。一面の見出しがチラリと見える。
「6月反攻 松井3安打、3打点、3割到達」
 そうだ!松井秀喜である。さすが北國新聞。松井ネタが夕刊の一面トップである。これはスポーツ紙ではないのだ。
 今日だけ「にわか鉄ちゃん」になってよかった。バスではこんな発見はない。そんなことを考えてうちに金沢駅が近づく。誰よりも早くドアのそばに立つ。そしてホームに停車したと同時に、「開」のボタンを押す。「OPENEN」のボタンを押すのが楽しみだったオランダのようだ。本日は「にわか鉄ちゃん」全開である。


学生の研究授業にて

2007年06月14日 | 大学
 教育実習中のゼミ生の研究授業を見学するために市内の高校へ出かける。梅雨のピークの蒸し暑さの中、背広、ネクタイは地獄である。しかしとりあえず大学教員である私は、初めての高校に「かりゆしウエアー」を着ていく勇気がない。派手なバリの織物(イカット)の服を着ていこうとも思ったが、ゼミ生に迷惑がかかると困るのでやめる。
 テーマは合唱である。資料を見るとなんと曲は《少年時代》。学校教育では井上陽水まで歌われるようになっている。最近読んだ小室等の本に頻繁に登場する「ヘンな」井上陽水が突然脳裏に浮かんで、思い出し笑いをこらえる。ここは神聖な高校の教室である!
 それにしても《少年時代》の切ない歌詞を、高校生はどのように感じているのだろう?あの歌詞からどんな風景を想像するのだろうか?といっても、私には高校生そのものが、未だ「少年」「少女」に見える。まるで彼ら、彼女らが、今を歌っているようにもみえて不思議な気持ちになる。
  《少年時代》の三部合唱を聞きながら、ぼんやりと自分の少年時代を思い浮かべた。最初に浮かんだものは、夏休みの暑い日、国分寺駅に止まっている西武国分寺線、窓はすべて開け放たれて、いくつもの扇風機がカタカタと音をならしながら、それぞれが勝手気ままに回っている。ほとんど乗客はいない。座っている乗客も人形のように動かない。広告が揺れている・・・。きっと目医者に行った帰りだ。ぼくは椅子にすわってぼんやり電車の発車を待っている。どうしてこんな風景が突然、蘇ってきたのだろう?今の今まで、考えたこともなかった風景。
 授業が終わってゼミの学生に聞いたところによると、高校生の感想の中に「懐かしい」という言葉が多いという。高校生の「少年」「少女」たちが懐かしむ「少年時代」は、彼らの幼少時代なのだろうか?いや、後ろなんか振り向いちゃいけないんだよ。少年、少女たちよ、君たちは希望に満ちた未来に向かうのだ!


ブレヒト・ソング《マック・ザ・ナイフ》

2007年06月13日 | CD・DVD・カセット・レコード
 数日前、那覇のタワーレコードでエラ・フィッツジェラルドの1960年のベルリンライブのCDを買う。このCDでとりわけ有名なのは、彼女の歌う《マック・ザ・ナイフ》である。この曲はクルト・ワイル〈三文オペラ〉の挿入歌で、本来のドイツ語のタイトルは「Die Moritat von Mackie Messer 殺人鬼のマッキー・メッサー」。美しい旋律のわりには、その詩はグロテスクである。このアンバランスが素敵だ。
 だいたいこの《三文オペラ》は、タイトルに「オペラ」がついているとはいえ、少なくても私が音楽史で学んだ「オペラ」とは全く違って、「音楽劇」に近い。学生時代、18、19世紀の西洋芸術音楽に溢れ、お嬢さんの集まる音楽大学に嫌気がさした時、ブレヒト脚本で社会の底辺を描いたこの作品は、ことさら新鮮に映り、特にジャズやタンゴなどの影響を受けたドイツ人作曲家、ワイルの音楽に魅了された。
 ワイルの原曲とは異なり、フィッツジェラルドのジャズ風《マック・ザ・ナイフ》はまるで別ものである。途中で歌詞を変えてしまったりしていることころが、なんとなくライブ録音らしい。ただ、やっぱりモダンジャズ・ミュージシャンが演奏しているために、その編曲がワイル原曲の「ラグ」風な響きがなくなってしまって、それが個人的に気に入らない。どちらかといえば、マリアンヌ・フェイスフルのライブ録音に収録された《マック・ザ・ナイフ》の方が、編曲も原曲に近いし、ハスキーな「ドス」が効いていて好きである。
 実は大学時代、東京文化会館でクルト・ワイル〈三文オペラ〉を観たことがある。ドイツからきたグループで、もちろんセリフと歌はドイツ語で、当時は字幕もなく何を言っているのか全くわからなかった。私がお金を払ってホールで見た最初で(最後)の「オペラ」である。もちろんその上演や音楽についての印象は残っているが、一番記憶にあるのは、そのチケットの値段の高さである。たぶん当時で、1万円以上はしただろう。
 この「オペラ」の最初のセリフはこうだ。
「これから乞食のためのオペラのなかのいくつかのソングをお聞かせします。このオペラは、乞食だけが夢想できるような豪華さを考えてつくってあり、そして乞食も入場料を払えるように廉価になっておりますから、「三文オペラ」という外題になっています。・・・」(岩淵達治訳)
 どう考えても、1万円もするチケットを「乞食」は買えないと思うのですが・・・。


天気予報

2007年06月12日 | 家・わたくしごと
 天気予報が好きだ。ニュースが終わる7、8分前の中途半端な時間に、流れていたCDを止めてテレビのスイッチを入れる。すでに始まっていると、見たいドラマの最初の部分を見逃してしまったような悲しい気分になる。逆にまだニュースが流れていると安心してソファーに深く腰を下ろす。
 しかし、なぜぼくは天気予報がこんなにも好きで、見てしまうのだろう?いったい何をそんなに知りたいのだろう?そう思いながらここ数日、天気予報を見る。沖縄の天気は窓の外を見れば一目瞭然、たとえばきょうは土砂降り、そしてたぶんこの様子では一日雨。子どもと遊ぶ日曜日の天気を除けば、沖縄の明日の天気が知りたいことはほとんどない。雨が降れば少し早起きしてバスで出勤だし、そうでなければバイクで飛ばすだけだ。 
 私が知りたいのは東京の天気。なぜだろう。自分が住んでいた、そして両親やたくさんの友人のいる東京の天気が無性に知りたい。今の自分とは何も関係がないはずなのに、東京が晴天であれば那覇の天気がどうであれ、それで嬉しい。これはぼくだけがもつ感性なのだろうか?それとも故郷の天気というのは、いつまでも気になるものなのだろうか?
 ところで世界の天気予報というのにも、ごく稀に遭遇する。いつ放映されているのか未だによくわからないので、これが始まると妙に嬉しい気分になる。やはり気になるのは住んだことのあるインドネシアとオランダの天気である。こちらは、どちらも故郷ではないんだけどな・・・。
                                                                                                                                                              

ビートルズCD「LOVE」を真面目に聴く

2007年06月11日 | CD・DVD・カセット・レコード
 最近、大学院の授業でたまたまビートルズの話になったとき、まだ20代前半の学生が「先生、去年出たビートルズのアルバム「LOVE」聞きましたか?あの中の《Revolution》は格好いいですよ。」と目を輝かして話しかけてきた。
 ビートルズのメンバーはもう半分しかこの世にいないのだから、新しいアルバムなんて出るわけはないでしょう。あなた、騙されてんだよ!あんなのはビートルズじゃないよ。ジョージ・マーティン親子が「作品」をコンピュータの中で弄んでいるだけなんだよ、と言ってしまう前に、「ちょっと待てよ」と自分にストッパーがかかったのである。
 口頭伝承された音楽の伝統を正当化し、真正化した要因の一つは録音だった。伝統として口頭伝承されてきたものが、録音されたことからその録音は、ホンモノの「伝統」を生み出した。それ以前の音楽がどんなものだったかを考えることもなく。ポピュラー音楽だってそうだった。録音はその当時のミュージシャンの真実の姿であるはずだった。しかし21世の今、ポピュラー音楽の場合は、それが当てはまるのだろうか?
 この新しいアルバムを再度聞きなおしてみる。だいたいこれまで真剣にこのアルバムを聞いたこともなかった。確かに芸術的なコラージュの究極である。「ホンモノ」だと考えられてきた曲は素材化されてデジタル化して再構成され、その出来ばえにポールもリンゴもゴーサインを出し、結果として公式のビートルズのアルバムとなったもうひとつの「ホンモノ」の作品が出来上がったわけだ。とはいっても、私にはやはり何かが足りないし、何かが加えられていたりして落ち着かない。
 ただ冷静に考えてみれば、それが現代におけるポピュラー音楽の作品のあり方なのであり、「ホンモノ」は複数存在してもおかしくない。最初に録音されたものに真正性を主張することは、もはや時代遅れなのである。今やひとつの素材から、編集によって無数の作品が作られる可能性があるわけなのだから。
 しかしあえて私は言わせてもらおう。「新しいアルバムもいいけれど、もうひとつの「ホンモノ」もぜひ、聞くべきです」と。これがアナログ時代からビートルズを愛する「うざい」オジサンの意地であり、「LOVE」に対するささやかな抵抗である。      
                                                         (本日の民族音楽学概論の講義から)


                                                                


日曜日、夕刻の市場にて

2007年06月10日 | 那覇、沖縄
 日曜日の夕方が近づいてくると少しずつ息苦しくなってくる。明日という日が近づいてくることへの恐れから・・・。そうなるともう家で何をしていても集中できなくなる。残された道はただ一つ、それは「現実逃避」。
 私がそんな時に選ぶ場所は、バリを最も感じられる場所、それは那覇の市場周辺である。特に日曜日の夕刻は最適だ。店屋はほとんど閉まってしまって、もの寂しさがたまらない。バリ島の私の住んでいたタバナンの街の夕刻の市場は、いつもこんな雰囲気だった。朝の市場も好きだが、誰もいなくなる夕方の市場も大好きである。
 人がいない市場だからこそ、早朝の市場の喧騒や空気が自由に想像できる。ぼんやりと立ち止まってそんなことを考えているうちに、大勢の女性の買物客が籠を頭にのせて足早に私のそばを通り過ぎていく。脇にはブルーシートにゴーヤやパパイヤなどの野菜を広げたオバアが黙って私を見つめる。道端には籠に入った、供物につかう色とりどりの花が並べられる・・・。そこは沖縄とバリがごちゃ混ぜになった想像の空間。
 確かに私は現実逃避を試み、空想に耽るためにここに来ている。しかしそれだけではない。ここに来ることで私は自分を見つめなおすことができる。私にはバリの音楽があり、バリの音楽をとりまくたくさんの友人たちがいる。そんな当たり前なことに気づかされる。そうして明日におびえる自分の愚かさにも気づかされる。だから日曜日の夕刻、私は時々、人気のない静かな市場へと向かう。