花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

箱根「ガラスの森美術館」

2011年09月07日 | 美術館&史跡巡り
台風12号は紀伊半島に多大な水害の爪跡を残し、去っていきました。
死者行方不明合わせて100名以上とは
先日、アメリカ東海岸を襲ったハリケーンよりも被害は甚大と言うことのようです。
あちらは早々に住民達は皆避難をしていましたが・・・
日本もどうにかならなかったのでしょうか

「すべてノロノロ台風が原因で、雨の量は想定外だった」というお話が
お役所辺りから聞こえてきますが、自然相手の「想定外」というのはありえないと、
東日本大震災で思い知ったはず・・・
ちょっと残念ですね。

被害に遭われた方々には、心よりお見舞いを申し上げます。

台風から遠く離れた南関東も一週間近く不安定なお天気が続き、
連日の突然の雨にはウンザリしましたが、ようやく明るい太陽が照り出しました

ツクツクボウシが鳴きだし、朝晩に吹く風はもうすっかり秋の気配ですが、
我が家の夏の思い出をまだ全部紹介していませんでしたので、UPします。

8月15日「箱根・ガラスの森美術館」

8月15日~16日、息子一家と恒例の「箱根旅行」に行ってきました。
現地集合、現地解散の気ままな箱根行きです。

宿は今年の冬に新年会で集まった、息子の会社の保養所・・・

我等夫婦は宿の近くの「ガラスの森美術館」でランチ&美術鑑賞をしようと、
朝8時半に我が家を出発
普段は1時間半位で行けるルートですが、お盆休みのこの時期は倍の3時間かかりました

午前中なので駐車場もスムースに停められましたが、入り口は大勢の入場者で溢れていました。
「こういう作り物に人が殺到する事態が信じられない」
自然の中を歩くのが好きな我々はそう呟きながら中に入りました。


中に入ると目の前に、イタリアの「貴族の館」風の建物が広がっていました。


日本初の本格的なヴェネチアン・グラス美術館として、1996年にオープン。
私は出来て間もない頃、仕事仲間たちと来ましたので15年ぶりの来園、主人は初めてです。


晴れてはいるものの、今年の夏特有の雲の多さで、
正面に見えるはずの「大涌谷」も霞んでいるようです。


水の都「ヴェネチア」と言うよりは、イギリス辺りの田園風景という感じですが・・・


そろそろお昼、お腹も空きました。
私たちはカフェ・レストラン「テラッツァ」へ直行・・・

10分待ちで席に案内されました。


歌声が聞こえてきました。
イタリア人歌手によるカンツォーネの生演奏です。

青春時代に観た映画「恋愛専科」の主題歌「アルディラ」が懐かしい・・・
美男美女のトロイ・ドナヒューとスザンヌ・プレシェットが素敵でした

1日5回の生演奏があります♪カボチャのスープと野菜とチーズの前菜

冷製の海鮮パスタが美味しいデザート付きランチのお任せセット頂きました。


窓の向うは中世のヴェネチア・・・
カンツォーネの明るい歌声を聴きながら美味しいお食事が楽しめました。

軽井沢で果たせなかった「お洒落なイタリアンランチ」
箱根で果たせて満足で~す


「カフェ」の他、広い庭園には「ヴェネチアン・グラス館」「現代ガラス館」
「ミュージアム・ショップ」などが点在しています。


木の橋を渡って歩み入れば、そこはアドリア海の王女と謳われた往時のヴェネチア。

橋にかけられたキラキラ輝くトンネルも池に浮ぶ豪華な花もガラスです



美術館の広間では演奏会が開かれていました。

グラスの縁を指でこするとガラス特有の良く澄んだ音を発します。
それを楽器とした「グラス・ハープ」と言うのでしょうか?
澄み切った神秘的な音色が、心癒してくれました。

会場の皆で歌った「箱根の山は天下のけん(嶮)、函谷關(かんこくかん)もものならず」も
楽しい思い出として残りましたが・・・
私はこの難しい歌詞がスムースに出てきませんでした

中世のヴェネチア貴族の館を再現した優雅な美術館内には・・・

15世紀~18世紀ヨーロッパ貴族を熱狂させたヴェネチアン・グラス100点余りが並んでいる

まさに卓越した技を尽くした美の極み繊細優美な輝きですね

19世紀に復活した現代ヴェネチアン・グラスガラスの無限の可能性を秘めた斬新さですね

「ミュ-ジアム・ショップ」にはヴェネチアン・グラスはもちろん、
世界各国のガラス製品が約100.000点!

ガラス細工やアクセサリ-などが並ぶ女性好みの空間です


夫と一緒ではユックリお買い物をする気にもなれず、ざっと廻ってから外に出て
庭の散策をしました。

辛うじて残っていたバラこの西欧庭園に相応しいで花です

他に「紫陽花の小道」もあって、初夏が良いかも知れませんね。

「思ったより楽しめたな~、二箇所の音楽が特に良かった
束の間のイタリアを味わえた3時間半でした。


こちらは我が家の「ヴェネチアングラス」です。
1995年にご近所の親しい仲間4人で行った「イタリア旅行」のヴェネチアで、
皆同じこのペアのワイングラス買ってきました。

深い赤色のガラスが、この派手な金の模様を落ち着いた感じに仕上げていますね。

アノ頃は夫たちも皆そろって働き盛りのサラリーマン・・・
休日にはよく4軒のどなたかのお宅に夫婦共々集まり、お料理を持ち寄っての食事会を催し
その時は必ずこのグラスを持参し、4夫婦8人で乾杯しましたよ
それもこれも懐かしい思い出ですね。
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国立新美術館「オルセー美術館展・2010」

2010年07月24日 | 美術館&史跡巡り
「梅雨明け宣言」が出されて丁度一週間が過ぎました。
冷夏だった昨年の夏とは打って変わっての、連日の酷暑にグッタリです

退院して少し元気になり笑顔が見られた母ですが、その後再び腎盂炎の再発が疑われ、
血圧低下もあって再入院しました
私はカンカン照りの中、アチコチ駆けずり回り、流石に頭がクラクラしています

エジプト旅行から帰国して、2・3・4月には父のヘルペスと前立腺ガンの検査&治療でバタバタし、
薬が効いて元気になった父の姿にホッとしてやっと落ち着いた6月・・・

6月下旬の母の入院の前までは、「白州夫妻の武相荘」や「鎌倉ハイキング」、「自治会のバス旅行」など
久しぶりに友人達との交流を愉しみました。


6月19日(土)にはご近所仲間と3人で、六本木の国立新美術館で開催されている
「オルセー美術館展・2010」に行ってきました。

パリのオルセー美術館が改修工事のため、大量の所蔵品の世界巡回展が実現し、日本にもやって来たのです。
「これらの絵画がまとめてフランスを離れることは2度とない」とフランス大統領のサルコジさんが言ったとか・・・
「これは是非見なくては

「ポスト印象派」と銘打った作品は、モネ・セザンヌ・ゴッホ・ゴーギャン・ルソーなどの
そうそうたる画家たちの傑作絵画115点が並びました

上のチラシに印刷されている絵はルソーの「蛇使いの女」です


3年前にオープンした「国立新美術館」は東京メトロ千代田線「乃木坂」駅の目の前にあります。
私は初めて行く美術館でした。


ポスターに案内されて地上に出ると、近代的な建物が建っていました。


まずはチケット(当日券1500円)を購入します。
梅雨の晴れ間の土曜日は、若い人も多い感じでした。


入り口を入ると、ゴッホの「自画像」が印刷されたポスターが出迎えてくれます。
期待感で胸がおのずと高鳴りますね

会場はモネの「睡蓮の池」やドガの「階段を上がる踊り子」などの第1章「最後の印象派」から始まって
第五章「ゴッホとゴーギャン」、
そして日本の浮世絵に深く影響されたボナールの作品が示す第7章の「ナビ派」
第10章のアールヌーボーの「装飾の勝利」まで順番に仕切られています。

さすが「空前絶後」と謳っているだけあってとても見応えがありました
素晴らしかったです


ポール・セザンヌ「台所のテーブル」

1874年、モネピサロといった若い画家たちが集まり、
のちに印象派展と呼ばれる初めての展覧会を開催しました。

光や大気の影響を受けて刻々と表情を変える身近な光景に着目した彼らは、
これを明るく自由な筆致で生き生きと表現しました。

第1回と第3回展に出品したセザンヌは、やがて自らの進むべき方向との違いに気づきます。
セザンヌが求めたのは「堅固で永続的な」芸術でした。


フィンセント・ファン・ゴッホ「星降る夜」

オランダ出身のゴッホは、最後の印象派展が開催された1886年にパリに出ました。
印象派に影響を受け、オランダ時代の暗い色調とは対照的な、明るい色彩と闊達な筆遣いで描き始めます。

やがてゴッホは力強い筆致と激しい色彩による独特の画風を生み出しました。
ゴッホとゴーギャンが共同生活を試み、悲劇的な破局を迎えたエピソードはよく知られていますね。


ポール・ゴーギャン「タヒチの女たち」

ゴーギャンは文明に絶望し、未開文化の豊穣さに楽園を見出してタヒチに向かい、
人間の本質を追求した数多くの傑作を残しました。


アンリ・ルソー「戦争」

独学で絵画を学んだルソーの作品は、シンプルで力強い表現力に満ちています。
細部まで均質に描き込まれた画面、遠近法によらない独自の表現などは伝統的な絵画技法とは大きく異なります。

また、非常に謎めいた異国情緒豊かな主題によって、画面からは神秘的で象徴的な雰囲気が漂いますね。

私はゴッホの「自画像」と合わせて上に記した5作品の絵葉書を買いました。

クリアファイル(表)クリアファイル(裏)

そして若い頃大好きだった印象派の綺麗な絵が描かれた「クリアファイル」も買いました
何しろ私が初めて買った美術全集の一冊目は「ルノアール」でしたもの・・・

最近では迫力ある「ゴッホ」や自由奔放な「マチス」の絵が好きになりましたけどね。

この「オルセー美術館展・2010」は8月16日まで開催されています。
興味がある方はこちらを参考にお出かけください。

「国立新美術館」内には、カフェやレストランも充実しています。
特に3Fの「ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ」は三ツ星レストランとしても有名で
私たちもここでランチを戴くつもりでした。

11時40分に行ったらすでに大勢の人が並んでいて、限定メニューのランチコースはすでに品切れ
仕方なく、地下のカフェテリアで食べました。

三ツ星レストランでのお食事ご希望の方は、早めに(11時半前)行かれる事をお薦めします。
詳しい内容はこちらでお確かめ下さいね





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白州次郎・正子夫妻の愛した「武相荘」

2010年06月04日 | 美術館&史跡巡り

初夏の陽射しが眩しい6月3日、町田に住む高校時代の友人Mさんに案内されて
白洲次郎・正子夫妻が終の棲家として過ごした「旧白洲邸・武相荘」に行ってきました。

小田急線鶴川駅から歩いて15分(バス便あり)、鶴川街道から少し入ったところにあります。

白洲次郎さんは、GHQ支配下の日本で吉田茂首相の側近として活躍し、
貿易庁(通商産業省)長官や東北電力会長等を歴任。
マッカーサーにも「ノー」と言った男としてNHKのTVでも紹介されていました。

政界が混迷する今こそ、こういうブレーンが居て欲しいものですが、
彼のような気骨ある人間が日本からほとんどいなくなりましたね

正子さんも随筆家、そして骨董収集家として知られています。


白州次郎・正子夫妻の物語は昨年NHKドラマスペシャルで放送され、観た方も多いかと思いますが
入り口の看板に「武相荘」についての説明が書かれていました

更に詳しいことはホームページをご覧下さい。


現在は記念館・資料館として一般公開され、私たちは1000円を払って中に入りました。

武相荘の名の由来は「武蔵の国と相模の国の境に位置する」事と「無愛想」を掛けたものだそうです。


門を入ると、正面奥に萱葺き屋根が印象的な母屋が見えてきます。


靴を脱ぎ中に入るとそこには、ソファなどが置かれた居間があり、
2人が使っていた身の回りの品々が、生活していた時と同じ様に並べられていました。

ここは元々は土間で、その上にタイルを張って洋間に仕立てたそうで、
ナント、床暖房完備

前日から展示内容が夏模様に変ったとかで、置かれているソファーも籐椅子・・・
並べられているガラスの食器なども涼しげでした。

中はすべて撮影禁止で画像はありませんが、太い梁と大黒柱が印象的な昔の農家の家に
それぞれに学生時代を欧米で過ごしている白州夫妻のモダンな感覚が取り入れられ、
渋い和の美の中に、当時としては斬新な生活模様がそのまま再現されていました。

一番印象に残ったのは北側にある本に囲まれた正子さんの「書斎」

暗い部屋なのに、机の前の窓からはあふれんばかりの緑が煌いて見えました。
「これなら落ち着いて原稿が書けそう・・・」と思わず呟いた私です。

そして自然そのままの庭には四季折々の野の花々が楽しめるようでした。

ホタルブクロナデシコ

他にもドクダミの白いお花の中に黄アヤメが数本見られました。


竹林や広葉樹の林もある広い庭には散策路も整備されていて、都会の喧騒を忘れるような空間です。
たくさんの「ヤマユリ」の蕾が見られましたので、これから楽しめそうですよ。

裏の林の中には「武相荘」の館長を勤める白州夫妻の長女・牧山桂子さん一家の山小屋風の住居もあり
さながら軽井沢の林の中を歩いているような風情でした


見上げれば萌黄色だった緑が更に濃くなり、初夏の太陽の光を受けて眩いばかりに輝いていました。
梅雨の前のこの時期は、空気も乾燥していて、緑の中を吹きぬける風も爽やか・・・
気持ちの良い時間が過ごせました


戦況の悪化による空襲や食糧難を予測して農地の付いた鶴川の農家を買い取った白州夫妻は
1943年5月に正式に転居し、ここで自給自足の農民生活を始めます。

次郎41歳、正子33歳・・・
以後次郎は終戦まで専ら農作業に勤しんだそうで、当時使った農機具も保管されていました。
これらはみなヨーロッパ製、BBQセットも置かれています。

当時から次郎は「カントリージェントルマン」を自称。
これは地方に在住しつつ中央の情勢に目を光らせるという英国貴族の考え方で、
ケンブリッジ大学時代から終生の親友となったロバートの影響が大きいようです。

元馬小屋だったという休憩所には次郎さんの大きな写真が飾られていました

<>

見惚れるほどの男前で、私はそばに寄って見上げてみました
マウスオンでご覧下さい

寝言も英語で言うほどの語学堪能、日本で最初にジーパンを履いた伊達男

「風の男」と言われる次郎を、ドラマでは伊勢谷友介。
伯爵家の生まれながら「韋駄天お正」と呼ばれた正子を中谷美紀が演じていました。
私は時々チラリと見ただけでしたが、あまりにもピッタリの配役で、改めて感心している次第です。

この「武相荘」には数量限定の「洋風弁当」(要予約)が食べられる食事処がありますが、
長居が出来る雰囲気ではありません。

私たちはお食事はせずにお菓子とお抹茶を戴きました。
美味しかったですよ

<
売店で新潮社から出ている白州正子さんの、野の花語りの本を一冊記念に買いました。
マウスオン・クリックでご覧下さい

        

普段の私のお遊びは、山仲間とアウトドァーを楽しみ、
ご近所仲間と映画や美術館巡りなどを楽しんでいますが・・・

その他に年に1~2回、学生時代やOL時代の友人達との近況報告を兼ねた「お食事会」などを催し
お互いの友情を繋いでいます。

今回会ったMさんは、私が父の転勤で山口県に移り住みそこで2年間通った高校の同級生です。
去年の今頃は横浜港の氷川丸を見学し、山下公園前のホテルでランチをしながらおしゃべりに興じました。

1年ぶりに会った今回は、武相荘を見てから町田の駅のすぐそばでお食事
ユックリと語り合いました。

昼食はチャンコダイニング「若」でランチのコース料理をいただきました
歩いた後のビールが美味しい♪チャンコも付いてボリューム満点のメニューです

デザートもタップリ・・・でも残念ながら6月末で店じまいです

週刊誌に「チャンコダイニング・若」の倒産話が出ていたような・・・?
あの話は本当だったのでしょうか
今月いっぱい閉店サービスが行われているようでした。

実はMさんとは4月に会うことになっていましたが、母の突然の救急車騒ぎで延期となりました。
そう・・・
彼女はあのアイスランドの火山噴火で「中欧旅行」に行きそびれた友人です。

その後、ご主人と2泊3日の京都旅行をして気分を落ち着かせたとか・・・
 

食後は町田の駅から歩いて10分のところにあるMさんのマンションで、
お茶と果物をご馳走になり、お喋りは更に続きます。
1年分のお話しが積もっていますものね。

6階のリビングから「丹沢の山々」が近くに見えました。
一番左側の尖った山は「大山」、右に連なる稜線は「塔の岳」「丹沢山」「蛭ヶ岳」ですね。

Mさん、昨日は色々ご馳走になりありがとうございました
お陰様で楽しい1日でしたよ。


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癒しを求めて(1)・「長谷川等伯 特別展」

2010年03月12日 | 美術館&史跡巡り

低気圧の影響で雪混じりの風雨が続き、ハッキリしない毎日でしたが、
昨日(3月11日)やっと晴れ上がりましたね

我が家からクッキリと富士山が見えたのは何日ぶりでしょうか・・・
火曜日の夜から水曜日にかけては、横浜南部の我が家周辺もうっすらと銀世界でしたから、
富士山の雪も断然多い感じです


今週初めに両親がお世話になっている施設に出かけたら、父はコックリコックリ居眠り状態・・・
「ヘルペスをやって以来体力が無くなったようで、最近は日中も寝ている事が多いですよ」
とのスタッフさんのお話でした

寝ている父に「目は大丈夫?」と問いかけると、目をつむったまま「痛い」との返事でビックリ
すぐに看護婦さんを呼んで看てもらいました。
「様子を見ておかしい様だったら連絡します」とのこと・・・

家にいても気になるので、何度も父の様子を見に行ったりの落着かない日々を過ごしていましたが
取りあえずは充血もなさそうで、ちゃんと目を開いて自分でお茶碗を持って
お食事もしているようなので、少しほっとしました。

このピンク色のお花は上野公園に咲いていた「寒緋サクラ」です。


久しぶりの好天に恵まれた上野の山は、ソメイヨシノはまだでしたが、
濃いピンク色の「寒緋サクラ」が青空に映えて綺麗でした。
これぞ「春色」ですね。

この上野の国立博物館で開催されている「没後400年特別展・長谷川等伯」に行ってきました。

だんだん体力がなくなってきている親を見る度に切なくなりますが
私がクヨクヨ考えてもどうにもなりません。

そう割り切って、以前から決めていたこの日、ご近所仲間のぷりんさんと
一日、存分に楽しんできました。
(もう一人一緒に行く予定だった仲間がいたのですが、今回インフルエンザに罹り同行できませんでした)


水墨画の最高峰「松林図屏風」(国宝・東京国立博物館蔵)、
金碧障壁画の至宝「楓図」(国宝・京都智積院蔵)を描き
あの狩野永徳をも脅かした絵師、長谷川等伯(1539~1610)は能登七尾(石川県)に
生を受け、はじめは「信春」と名乗り仏画を描きました。

30代で上洛すると画題を肖像画、花鳥画などにも広げていきます。
豊臣秀吉や千利休ら時の権力者に重用され、一躍桃山時代の寵児となりました。

時に精緻に、時に豪放に描き分けられた作品群は、いまも我々を魅了します。
(上にUPした案内用のチラシより))



家を10時過ぎに出て、11時半ごろ上野駅の「公園口」の改札を降りました。
国立博物館方面に向かうと、たくさんの人々が同じ方向に歩いていきますが
何やら嫌な予感が・・・


ナント、行列は延々と続き、入館規制が行われていて80分待ちとか
一瞬、入館を迷いました。
でも・・・
3月22日までの展示ですから、出直したとしても混むのは必至
2人で楽しかったエジプト旅行の話をしながら、80分並んで待ちましたよ


11日(木)は久しぶりに晴れたこともあり、叉、前夜10時からNHKTV「歴史秘話ヒストリア」
長谷川等伯が紹介されたすぐ後だったのでこんなに混んだのでしょうか?

<
番組の中で紹介された3点の国宝をマウスオン・クリックでご覧下さい

一枚目は「楓図壁貼付」
この絵は中央に松の太い幹と、水平に広がる枝がダイナミックに描かれ
その周りには秋の花々や色付いた葉が繊細に描かれています。
秀吉の好みを意識した豪奢艶麗な作品です。

等伯は御用画家の狩野永徳に熾烈な競争を挑みますが、妨害にあったりで中々叶いません。
ところが永徳がこの世を去った翌年、3歳で亡くなった秀吉の嫡子である鶴松の菩提寺・祥雲寺の
大仕事が舞い込みます。

永徳を意識した金碧障壁画でありながら、狩野派にはない抒情的な自然表現を取り入れ、
等伯はこの仕事を通して名実共に狩野派に対抗するまでになったようです。

二枚目は「桜図」
こちらは等伯の息子久蔵の作品と言われている国宝です。
今回の特別展には出ていませんが、等伯の「楓図」と一対に考えられる作品のようです。

三枚目は「松林図屏風」
障壁画完成の前年に、等伯の良き理解者であった千利休が自刃。
その上、等伯の片腕となって制作にあたった息子の久蔵までが、
26歳という若さで亡くなってしまうのです。

この「松林図屏風」には、大切な人たちの死を乗り越え、
水墨画にその境地を求めていった等伯の心情が映し出されているようです。

この絵の前に佇んでいると
実際には描かれていない霧に自分が包まれているような感覚を覚え
その幽玄な世界に圧倒されます。


今回、私はお気に入りの作品の絵葉書を5枚買いました。
印刷物だと、本物の作品が持つ奥深さや渋み、煌びやかさなどが感じられず残念ですが・・・



こちらは金の輝きと、色付いた葉や秋草の色彩が美しい「楓図」の絵葉書1枚です。


そしてこちらは同じ絵師が描いたとは思えない、すべて装飾的な物をそぎ落とした
墨一色の世界の「松林図屏風」
絵葉書を二枚買って左右に並べてみました。


こちらも2枚並べて一つの作品となる「柳橋水車屏風」の絵葉書です。

金箔と水墨画をドッキングさせたような画風で、ナント大胆でモダンなのでしょう・・・

その他にも絵葉書は買いませんでしたが、息子の鶴松を亡くした大公秀吉のために描いた
国宝「松に秋草図屏風」(京都・智積院蔵)や
日蓮宗に帰依する等伯が上洛後、居住し制作活動を行った本法寺蔵の、見上がるばかりの大きさの
「大涅槃図」(縦10m、幅6m」などの作品も印象に残りました。

私たちが見終わって外に出たのは3時少し前・・・
2時間かけて鑑賞した事になります。

この特別展は、国宝3点、重要文化財約30点の、全80点・・・
国内にある等伯の作品のほとんどが集められたようです。
80分並んで見た価値は充分にありました。

これからお出かけを計画している方は、是非朝一番で行かれる事をお薦めします。

ランチを食べる時間が吹き飛びましたが
私たちはもう一つの「癒し」を求めて、ダッシュで上野駅に向かいました。

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東京都美術館「フェルメール展」

2008年11月21日 | 美術館&史跡巡り

この絵はヨハネス・フェルメール作の「真珠の耳飾りの少女」です。
「青いターバンの少女」とも呼ばれるこの作品は、単に美しいだけでなく謎めいた魅力を隠す絵画です。

暗闇の中で光を浴びてこちらを見つめる少女。
頭には高貴な青色ラピスラズリのターバン、耳には真珠の耳飾り。
つややかな唇が何か言いたそうに軽く開いていて・・・
この絵を見た者は、その無垢な眼差しにたじろいでしまうといいます。

友人のマルさんもその魅力に取り付かれた一人です。
「オランダ・ハーグのマウリッツハイス美術館でこの絵を見た瞬間動けなくなったのよ。周りには誰もいなくて私一人だけ、この少女を独り占めで楽しんできたわ」
と聞かされました。

私がこの絵を最初に知ったのは映画でした。
モデルになった少女の繊細な心の動きを通して、フェルメールを取り巻く当時の環境や生活ぶりが、光と影に彩られた、絵画のように美しい映像で描かれた映画でした。

一昨年、ようやくウィーンの「美術史美術館」でフェルメールの中期の傑作「絵画芸術」と言う作品と対面する事が出来ましたが・・・
この「真珠の耳飾の少女」はまだ見ていません。


そのフェルメールの作品を集めた「フェルメール展・光の天才画家とデルフトの巨匠たち」が上野の東京都美術館で開催されています。
残念ながら「真珠の耳飾の少女」は今回来ていませんが・・・
真冬並の寒さがやってきた今日20日に、幼馴染のtomokoさんを誘って行ってきました。


こちらの絵は、ポスターにも使われている「窓辺で手紙を書く夫人と召使」です。
フェルメールの絵に共通している左手斜めから射している光が、手紙を書く婦人にスポットライトのように照らされて印象的ですね。

「ヨハネス・フェルメール(1632~1675)は、オランダのハーグ近くのデルフトという小都市に生まれました。彼がその生涯で残した作品はわずか30数点。この作品の少なさと、光を紡ぐ独特の技法の美しさから、彼は光の天才と呼ばれています」(パンフレットより)

今回は7点が上野にやって来たわけですが、その内の5点は日本初公開だそうです。



光に満ちた美しい空間を描いた風俗画の傑作「ワイングラスを持つ娘」
ワインを勧めながらいい寄る男と、「あら~どうしましょう」といいたげな娘の表情が生き生きと描かれています。
当時お酒は「怠惰」の象徴でもありました。
窓辺のステンドガラスに描かれた「節制」の寓意像は戒めを現しているそうです。



近年になってフェルメールの作品と認定され話題になった「ヴァージナルの前に座る女」
1993年に行われた化学検査の結果、フェルメールの作品に間違いないことが分ったそうです。
唯一の個人コレクター所蔵の絵のようです。

今回はフェルメールのほかにも、レンブラントに天才と称され、フェルメールの師でもあるとの説のカレル・ファブリティリウスやデルフト特有の技法を確立させたピーテル・デ・ホーホなどの作品、約40点が展示されていました。



「フェルメールを初めとするデルフト派の絵は、大まかに言うと光と影と遠近法による騙し絵なのね」
見終わってから、tomokoさんとそんな話をしながら外に出ると、ナント!ナント!凄い人で長い行列が出来ていました。
「一時間待ちだって」

前の晩、友人のマルさんにTELした時
「私は2週間前に見に行ったけど、午後からだったせいか?混んで混んで気持ちが悪くなり三分の一も見ていないのよ。絵を目の前で見るなんてまず無理、naokoがちゃんと見てきたら褒めてあげるわ」
と言っていたけど・・・

「私たちアナタの助言を得て、朝の10時過ぎに行ったらスイスイと入れて、混んではいたけどちゃんとまん前で見ることが出来たわよ~、色々教えて戴きありがとう」
話題の美術鑑賞は体力が勝負ですね。
行かれるご予定のある方は、10時までに入館することをお勧めします。



上野公園の木々も紅葉が始まっていました。

2日前に「鎌倉の紅葉」を見てきました。
円覚寺を歩いたら汗ばむような陽気でしたが、木々の葉の赤、黄、緑のコラボレーションが綺麗でした。
今回はそれらをUPする予定でしたが・・・
芸術作品を見た後の興奮が冷めないうちにと変更しました。
昨日今日の冷え込みで鎌倉の山々もいっそう赤が増してくることでしょう。


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マウスオンでご覧下さい

東京と同じく横浜市の木も「銀杏」で・・・
我が家近辺もたくさんの銀杏並木が黄金色に色付いていますが、流石に歴史の古い上野公園の銀杏
巨木です
雲ひとつない青空に映えていました。



時計を見ると12時を過ぎていて、流石にお腹が空いてきました。
有楽町に出て、マルさんお勧めの「トラットリア・コルティブォーノ東京」というイタリアンレストランに行くことにします。

駅前の新しいビル「イトシア」の4Fにあるお店ですが、偶然にも2ヶ月前にプリンさんと文楽を見た日に行った中華レストランのすぐ上の階にありました。

外のデッキで食べるのも外国風でステキですが、冬のコートを着て出かけたほどの寒さだったので、誰も外でのお食事はしていませんでした。
このお店の本店は本場イタリアのシェナにあるようです。


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マウスオンで、お料理もご覧下さい

丸の内方面の眺めが良くて、お洒落な雰囲気のお店です
旧そごうデパート(ビッグカメラ)の向こうに見えているガラスの建物は東京国際フォーラムですね。

マルさんのお勧め料理は「トスカーナ風リゾット」だそうですが、残念ながらランチではやっていませんでした。
でもパスタも美味しかったですよ
これにコーヒーか紅茶が付いて1260円、お値段もリーズナブルで気に入りました。

tomokoさんと充分にお喋りを楽しんでから、さらに2件目の美術館に行きました。
ロビーから紅葉の綺麗な皇居が望めた「出光美術館」の紹介は、下に別途UPしてありますのでこのまま続けてご覧下さい
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出光美術館・「陶磁の東西交流」展

2008年11月21日 | 美術館&史跡巡り
葛飾北斎の絵や浮世絵が、ゴッホやモネに影響を与えたお話は有名ですが・・・
日本の柿右衛門や古伊万里の陶磁器が、ドイツのマイセンやオランダのデルフト焼きにも一役買っている事はご存知でしょうか?
今、東京丸の内の「出光美術館」でこれらを並べて「陶磁器の東西交流」と銘打っての作品展が催されています。


「17~18世紀、華やかに開花した柿右衛門・古伊万里の日本の磁器芸術は、強い憧れを持ってヨーロッパの王侯・貴族に受け入れられ、その宮殿や生活文化を彩りました」(パンフレットより)


ヨーロッパの絵師たちは、日本の柿右衛門や古伊万里、そして中国の景徳鎮の模様などをトコトン模写することから学んだそうです。
写真右が江戸時代前期の柿右衛門「八角鉢」
写真左はドイツ18世紀のマイセン窯「八角鉢」
ソックリですね。

館内はすべてこのように対比して見られるように展示されています。
良く似ていながらもどこか違う面白味があるのが今回の催しです。
観音様がマリア様に見えたり、鼻の高い女性の顔に笑ってしまったり・・・
とても広げられそうもない「お扇子」も描かれていました

模写もそれぞれにお国柄が出るようで・・・
スペインやイタリアの陶磁器も日本や中国の影響を受けているのですが、こちらはこちらでラテン系の大らかさが感じられました



柿右衛門の赤は本当に美しいですね。
こちらは江戸前期の作品「色絵花鳥文八角共蓋壺」(重要文化財)



こちらは江戸中期の古伊万里の鉢ですが、絢爛豪華という言葉がピッタリです。
真ん中に描かれているのが「南蛮船」
東インド会社が、ヨーロッパの貴族達の柿右衛門や古伊万里の注文を斡旋し、運んだようです。

明治時代以降、日本は西洋に追いつけとばかりに頑張ってきましたが・・・
400年以上前には逆にヨーロッパの国々が先を争うかのように、日本や中国の文化を取り入れていたのです。
東洋の陶磁が憧憬の的だったのです。

一昨年に行ったブタペストでは「ヘレンド」のカップ&ソーサーを買った私。
スペインやイタリアでも絵皿を何枚も購入しました。
今度ドイツに行く機会があったら「憧れのマイセン」を買おう等とも思っていますが
「もっと自分の国の文化に誇りを持とう」と思わせてくれる展示内容でした。

それにしても最悪な画像のUPでお恥ずかしい限りです
日本の美術館はどこも撮影禁止
ヨーロッパの美術館は、フラッシュさえ焚かなければOKという所が多いのに



皇居前の帝劇ビルの9階にあるこの美術館は、眺めも素晴らしいのです
私はここのOGなので、こう綴ると宣伝みたいになりますが、何はともあれご覧下さい。
ガラス越しに写したのでピントがイマイチですが、正面には「桜田門」が見えています。



右手に目を移すと「武道館」方面が望めます。
ロビーにはお茶の設備も整っているので、友と二人で喉を潤しながら紅葉の綺麗な皇居の夕景に浸るのも良いものです。



桜田門の左手に見えている細長い建物は、TVのサスペンスドラマによく出てくるご存知「警視庁」・・・

そろそろ日が暮れてきました。
tomokoさん、今日一日美術館のハシゴに付きあって頂きありがとう。
今日は上野でも、ここ出光でも「オランダのデルフト」という地名に触れましたね。
叉声をかけますから一緒に出かけましょう。
やっぱり「都心」がご希望ですか?

尚、この回はコメント欄を閉じさせていただきます。
ご感想などは上の「フェルメール展」の方にお寄せ願います。
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観音崎「横須賀美術館」・その2

2008年05月18日 | 美術館&史跡巡り

ランチを楽しんだレストラン「アクアマーレ」の隣のドァーの奥に「横須賀美術館」の展示場がありました。
上の写真は振り返って見た入り口からの眺めです。
芝生の向こうに、明るい東京湾が望めました。



こちらが正面の受付ですが、全体的にとてもモダンな雰囲気です。
この日は「中村岳陵」特別展をやっていました。



横山大観などと同じ頃に活躍した日本画家です。
透明感あふれる上品な作品に心が和みましたが・・・
レストランの順番待ちが出るほどの混雑に比べ、展示場は主に中高年の女性が二人三人居るだけの静けさでした。


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こちらは常設の展示コーナーです。マウスオンでご覧下さい。
船の窓を思わせる丸窓から自然光が入ってきて、柔らかい光の中で作品が楽しめます。


エントランス部分の丸窓からも東京湾が望めました。

地上2階、地下2階、総ガラス張りの美術館の建物は、自然との調和を考えた設計になっているそうですが・・・
とても近代的なイメージです。

海と森に囲まれた絶好のロケーションの中にあることから、ここでプロポーズをしようという趣旨の「恋人達の聖地」として認定されたとか
神奈川県では「箱根彫刻の森美術館」に次いで2件目だそうです。
どうやら「若者達を取り込もう」というコンセプトのようですね。



こじんまりとした別館の「谷内六郎館」が別棟にありました。
谷内氏が観音崎公園近くにアトリエを構えていたのが縁で、週刊誌の表紙を飾った原画が横須賀市に1300余点ほど寄付されたそうです。

ほのぼのとした絵が郷愁を誘いますね。
若者でなく、オジさんオバさんが喜ぶ絵だと思いますが・・・

谷内六郎さんの絵とともに「週刊新潮は明日発売されま~す」というフレーズのTVコーシャルが、未だに耳に残っていますもの



                              

別館を見終わってから敷地の外に出て、道路を渡り海辺に行ってみました。


右の丘の上に白い「観音崎灯台」が見えています。
谷内六郎さんの絵に描かれている灯台です。
この辺りが、房総半島との距離が一番近いところ・・・
浦賀水道の難所ですね。



灯台のある「県立観音崎公園」の駐車場下から歩きやすい木道が続いていて、膝に優しいボードウォークが楽しめます。
「海と緑の1万メートルのプロムナード」の一部だそうです。


「観音崎京急ホテル」が見えるところに来ると、ベンチコーナーがありました。
ホテルや美術館よりも更に海に近い絶好の場所です。
ここでお弁当を食べるのがサイコーと思いましたよ
そして船の写真を撮るにもね


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マウスオン・クリックで雰囲気を感じていただければ嬉しいです。

私たちもしばらくここでボォ~っとしていました。



のんびりとした磯釣りもいいですね。
何が釣れるのかしら?

もうここだけで満足して「観音崎公園」にも行かずに帰ってきました。
「久里浜緑地」まで足を伸ばしたら「ポピー」が見られたのですが・・・

帰宅してポストを見たら町内の「ウォーキングの会」の案内チラシが入っていて、5月のコースは「観音崎の9km」と書かれているではありませんか
私もオニギリ持って、潮風に吹かれながらあそこを歩いてみたくなりました。


※「横須賀美術館」の詳しい情報はこちらでどうぞ。
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芸術の秋・禅画「仙展」

2007年10月27日 | 美術館&史跡巡り

そぼ降る雨の中、中学時代の友人のtomokoさんと「仙展」(SENGAI)---禅画にあそぶ---に行ってきました。
夏に2人で上野の国立西洋美術館で「パルマ展」を見て感激し、秋にもどこかの美術館に行きましょうと約束して、以前私が勤めていた美術館にご招待したのですが・・・
母のことで病院通いが重なり、延期、延期でご迷惑をかけましたがやっと実現いたしました。

「出光美術館」は、正面に皇居の桜田門が見える絶好の場所にあります。

左に見える建物は、推理ドラマでよく画面に出てくるご存知「警視庁」です。
私がこのロビーから毎日眺めていた頃は、古いレンガの味のある建物でしたが・・・


丸の内の帝劇ビルの9Fにある美術館のロビーからは、目の前に皇居が広がり素晴らしい眺めです。
こちらは「日比谷公園」方面を写したもの・・・

リニューアルなった今回は、出光興産の創始者出光佐三の蒐集で有名になった「仙さん」の禅画展です。
江戸時代後期、博多の臨済宗聖福寺の禅僧仙さん(1750~1837)は軽妙洒脱な人柄で  広く博多の人々に慕われていました。
そして彼の描く絵も、ユーモアにあふれ、それでいながら「禅」の真髄をチクリと表していて人気があったようです。
そして今年は、87歳まで生きた仙さんの没後170年の年だそうです。

ポスターに使われたのは佐三氏が一番最初に手に入れた仙和尚の「指月布袋」でした。
布袋さんと子供が天を指差す可愛い絵には「お月様幾つ、十三七つ」と書かれています。
見てすぐに私たちは2人の指先には「月」があるものと解釈しますが・・・
実際の月は遠い空の彼方。
悟りと言うものはかように遠いものだと言う事でしょうか?

同じように蛙が座っている「座禅蛙」と言う絵もあります。
横に書かれた”座禅して、人が佛になるならわ”と言う賛にドキッとさせられます。
座禅するだけで「悟り」が得られるなら、いつも座っている蛙だって同じ事・・・
そうは行かないのが「悟り」だと教えられますね。


この「○△□」はハー君のいたずら書きではありません。
禅僧「仙和尚」の代表的な禅画とされ、佐三氏と親しかった哲学者鈴木大拙氏の解釈により、「宇宙」(the universe)と訳されました。

日本通の外人さんと話すと、必ず「禅」について聞かれます。
オーストラリア・パース在住の主人の弟子のJさんに聞かれて説明した一つがこの絵です。
この世の万物はすべてこの「○△□」からなっている・・・と理解するのが良いのでしょうか。
近年は又違う解釈が出てきているとも聞きます。


こちらの絵は「堪忍柳」
「気に入らぬ、風もあろうに柳かな・・・」という賛がそえてあります。
主人がカッカとしている時に、何度かこの絵のページを開いて机の上に載せておきました。

単に「柳に風の吹流し」では禅の教えには程遠いのです。
気に入らぬ風もあるんですよね。世の中は・・・


こちらは「さじかげん」
書かれているのは”生かそうと ころそうと”・・・

最近はさじ加減の分らないプロが多すぎる、と思いませんか?
ガンの疑いをかけられただけでも心身症になった母に、ズバリとガン宣告するお医者さん。

母は脳梗塞の症状が顕著に出て、色々検査しましたが「異常なし」
結局気の病で片付けられましたが、その母に向かっての宣告はちょっと可哀想でした
そんな母を見て、私までがちょっとガンノイローゼぎみですが、仙さんの洒脱な絵を見て少し慰められたかな?

人間「達観」できれば怖いものは無くなるのでしょうが、それがなかなか難しい


tomokoさんと時々笑い出しながらも、ジックリ作品を見てからロビーで一休み・・・
簡単なお茶の設備もあります。

お天気の良い日は正面の皇居の向こうに「富士山」が見えるはずです。
私は娘時代の4年間、毎日この景色を見ながら働いていましたが、あれから随分高い建物が増えましたね。


場所は有楽町駅から歩いて5分、帝国劇場の隣の入り口からエレベーターに乗れば9Fにあります。

この「SENGAI展」は明日の28日で終わりですが、出光美術館の代表的な所蔵品なので、仙さんの命日の10月には毎年特別展が開催されます。
興味のある方は来年までお待ち下さいね。




お堀端に建つ「第一生命ビル」の向こう側にあるのが「帝劇ビル」
その9Fが美術館です。

次回の催しは「乾山の芸術と光琳」(11月3日~12月16日)です。
都心に出たついでに、心の安らぎを得たい方は是非どうぞ・・・

出光美術館の詳しい情報はこちらです

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「パルマ・イタリア美術、もう一つの都」展

2007年08月24日 | 美術館&史跡巡り
暑さが一段落した昨日の23日・・・
上野にある国立西洋美術館で開催されている「パルマ展」に、中学時代の友人のtomokoさんを誘って行ってきました。

一年の半分を、歳老いたご主人のお母様がいらっしゃる島根に、ご夫婦で通っているtomokoさんの「田舎は周囲に親戚がたくさんいて、毎日のように採りたて野菜などが届く人情味豊かな所だけど、文化や芸術的な刺激がないのが辛い!」という言葉を聞いていたので、この美術展の招待券が手に入った時、真っ先に彼女を誘おうと思いました。

上野駅の公園口で待ち合わせ。
島根から帰ったばかりのtomokoさんは、余りの人の多さに驚いていました。
親子連れのほとんどは「上野動物園」に行くのでしょう。
まだ夏休みの最中ですものね。



上野の森に入ってすぐの所にある「国立西洋美術館」は行列を作るほど混んではいませんでしたが、会期が8月26日までと迫っていたので、それなりに人が入っていましたね。
有名画家の超有名な絵画が展示されているわけではなく・・・
でも「見応えたっぷり!、行って良かった!」と言うのが私の印象です。




「16世紀から17世紀にかけてイタリアの北中部の都市パルマに花開いた美術を紹介。コレッジオやパルミジャニーノといった優れた芸術家が活躍したルネッサンス期から、独特の文化がファルネーゼ家の庇護の下に栄えたバロックの初期までを視野に入れながら、パルマの芸術文化を絵画、素描などの約100点の作品が並んでいます」とチラシに書かれていました。




この展覧会は一応、六つのセクションに分かれています。
 1 15世紀から16世紀のパルマ-「地方」の画家と地元の反応
 2 コレッジョとパルミジャニーノの季節
 3 ファルネーゼ家の公爵たち
 4 聖と俗の絵画-「マニエーラ」の勝利
 5 バロックへ-カラッチ、スケドーニ、ランフランコ
 6 素描および版画

こちらのチラシにも紹介されていますが、六つのセクションの絵画はそれぞれに興味深いものでした。

特に一番上の右端の「キリストの墓の前のマリアたち」(スケドーニ)は、作品が目に入った瞬間tomokoさんと2人で声を上げてしまいました。
光と影の手法が1613年に描かれたものとは思えないほど新鮮で強烈でした


布地に当たる光の鮮烈な明暗が、イエスが墓から甦ったことを告げ、知らされたマリアたちの驚きを効果的に表現しています。
ほぼ同じ時期に活躍したガラヴァッジョの画風を連想しますね。








個人的に一番好きな作品はこちらの「幼児キリストを礼拝する聖母」(コレッジョ)です。
何ともいえず優美で気高い作品です。
フィレンツェのピッティー宮・パラティーナ美術館で、ラファエロの「大公の聖母」を見て大感激した時と似たような感情が湧きました。

このコレッジョの作品は、フレンツェのウフィッツィー美術館所蔵だそうです








「載冠の聖母」(コレッジョのフレスコ画の模写)
アンニーバレ・カラッチ&アゴスティーノ・カラッチ

こちらも気に入った作品で絵葉書を買いましたが、優雅な柔らかい色彩が絵葉書ではちょっと失われていて残念です。

この作品は、もともとコレッジョが1522年パルマのサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂のフレスコ画の聖母を模写したものを、カラッチ兄弟によって複製されたものだといいます。







もう一つ印象的だったのが、パルミジャニーノ作「ルクレティア」です。

貴族出身の女性ルクレティアはローマ王タルクイニウスの息子セクストゥスに乱暴され辱めから逃れるために父と夫の前で剣を自らさして自害します。

パルミジャニーノのルクレティアは凛とした表情と上に向けられた視線、そして優美な宝石で飾られた髪形と赤い頬がとても印象的です。
女性の尊厳と意思の強さが感じられますね。




第3章の「ファルネーゼ家」の公爵たちも興味を惹かれました。
1545年にパルマの領主となったファルネーゼ家の歴代君主たちの肖像が紹介されています。

イタリアが国家として統一されたのは19世紀に入ってからです。
それまでは都市国家として栄えてきた各地方はそれぞれに個性が強く特色がありますが、このパルマは「ファルネーゼ家」の隆盛により、芸術文化が花開いたのでしょう。

特に三代目のアレッサンドロ・ファルネーゼは、人質として忠誠を誓っていたスペインで頭角を現し、その肖像画もたくさんありました。
後に后となるのがハプスブルグ家の姫・・・
ヨーロッパの歴史をもう一度ひも解きたくなるような宮廷婚姻図ですね。

又、キリスト教の宗教画は旧約聖書などの題材が多く、それらを理解していないと難解ですが、それでも1時間半以上を費やしてジックリと堪能しました。
招待券を送ってくださった昔の美術館仲間のTさん、ありがとうございました
一足早い芸術の秋を味わいましたが、この催しも明後日の26日(日)で終わりです。

テノール歌手の錦織健さんの音声ガイド(500円)も、分かりやすく音楽も入って良かったですね。お薦めです。

パルメザンチーズが有名で、サッカーのナカタが最初に移籍したのがこのパルマでしたね。
その街をノンビリ訪ねてみたくなるような美術展でした



朝降っていた雨も午前中にやんで、お昼過ぎには太陽が顔をだしました。
美術館前にある文化会館2階のレストランで食事をし、その後オープンカフェでお茶しながらもっぱらお喋り・・・

「島根に住み着いてしまえば体は楽かもしれないけど、70歳を過ぎている一人者の義兄も取りあえずはまだ元気だし、義母も施設にお世話になっているし・・・、だからこうして1年の半分は、東京の自宅に戻ってきて気持ちの切り替えをしているの」
年老いた親や兄弟の問題、そして定年後はどこでどう過ごすか・・・?
どのご家庭も深刻ですよね
去年の秋に、越後湯沢に一緒に旅をして以来の再会に、話はつきませんでした。

何ていったって、12歳の時からのお付き合いですもの
tomokoさん、又機会を作って会いましょうね。



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若冲と江戸絵画展

2006年07月28日 | 美術館&史跡巡り
「中欧旅行」から帰ってきてからの一ヶ月間は、息子の手術後の体を心配し心休まる暇がありませんでした。
でもやっと時間的にも、気持ち的にもゆとりが持てるようになりました。

そろそろ梅雨明けが見えてきた昨日、ご近所仲間のぷりんさんとnonちゃんと3人で、上野の国立博物館「平成館」で開催されているプライスコレクション「若冲と江戸絵画展」に行ってきました。

それと旅行の思い出話にも浸りたいとのことで、食事会も兼ねてランチをパ~~っと楽しみました。
場所は上野不忍池近くのビルの一角。日本料理「池之端、亀屋一睡亭」。セット料理(光悦3000円)もまぁ~まぁ~で、中欧旅行の話も弾みました。詳しい事はこちらです
体力的にも気力的にもそろそろ限界が見えてきた私たち
皆それぞれに旅行中、思案も色々あったでしょう。
何しろ私以外の3人は揃って血液型がAB型、ロケットのように飛び出して行く好奇心は半端でなく、それが3人3様で方向が違うので、面白いと言えば面白いのですが
皆が同じだけの体力気力があるうちは問題ないのでしょうが、差が出た時にどうするか・・・私的にはそんな事を考えさせられた旅行でした。
2時間ほど食事とお喋りを楽しんでから、国立博物館に向かいました。



7月4日~8月27日まで、江戸絵画のコレクションとして有名なアメリカ人ジョー・D・プライス氏と国立博物館が共同で選んだ101作品が展示されています。
プライス氏は、忘れられていた江戸時代の画家伊藤若冲(1716年~1800年)の魅力をいち早く発見した人として知られています。

今回の展示はその若冲を中心に、長沢芦雪、森狙仙を中心とした上方の画家や、酒井抱一、鈴木基一など江戸琳派の画家達の作品、あるいは肉筆浮世絵など、優れて個性的で楽しい作品が数多く展示されていました。

何万ものタイル状のマスの上に描かれた若冲の「鳥獣花木図屏風」
作品の構成も前代未聞ですが、色も江戸時代の画家が描いたとは思えない斬新さです。
プライス氏は自宅のお風呂場のタイルでこの絵を再現したそうです。
象の鼻の部分にシャワーを取り付けたと、説明文に書いてありました

若冲は京都の青物問屋の長男でした。
弟に家督を譲り、本人は生涯結婚もせずに好きな絵を描いていたそうです。
粋で洒落が詰まっている若冲の絵は、生活苦とは無縁の豊かさの中で描かれた影響かしら?と勝手に想像いたしました。

こちらの「葡萄図」がプライス氏が若冲と出合った最初の作品です。
大学の卒業記念で買う予定だったスポーツカーの代わりに、名も知らない一枚の水墨画を手にしたのです。
この時からプライスコレクションが始まりました。
私も娘時代は某美術館に4年ほど勤務していましたが、正直「若冲」の絵はあまり知りません
尾形光琳や円山応挙などの絵はしょっちゅう目にしていましたが・・・
若冲の個性的な作品には驚かされました。
簡略な筆跡でユーモラスな水墨画作品にも心惹かれました



こちらが若冲の代表的な作品「紫陽花双鶏図」
水墨画も良いけど、こちらも力強い作品ですね。
今回の展示の特徴は、プライス氏の希望により光の演出が施されている事です。
朝夕の光、昼間の太陽の力強い光・・・我々の身の回りの光は多様に変化しています。
特に電気のなかった江戸時代では、それが顕著に感じられた事でしょう。
光の変化によって、作品は驚くほどいろいろな表情が楽しめました
一番最後に展示されていた円山応挙の「懸崖飛泉図屏風」はまさに、朝霧の中に山の中の滝と動物達と、そして流れ行く川の風景が、光があたる事によって次第に霧が晴れていくような動きのある絵に見えました・・・

そんな事まで気づかせてくれたジョー・D・プライス氏に感謝です。
久しぶりに日本画を堪能できました。

先日、NHKTVの日曜美術館でも紹介されたせいか、平日なのに館内は中高年で賑わっています。
でも切符もスイスイ買えましたし、並ぶことなくすんなりと会場にも入れました。
8月28日(日)までやっています。
夏休みの一日、心静かに日本画を鑑賞するのも良いものですよ。


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