花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

卒業、そしてこれからの私は?

2011年04月03日 | 日常の日記
(スミレ・3月30日撮影)
「春」の風が吹き出して、4月がスタートしましたね。
私も気持ちを新たに第一歩を踏み出さなくては・・・

この3月31日で、9年前から始めた公的施設のスタッフの仕事を卒業しました。
オーストラリア行きがあったりで途中2年半ほど離れていましたが、
再度のカムバックで、合計6年半通いました。

最後の仕事の前日、春の陽気に誘われ、カメラを抱えて我が家近くの里山周辺を散策しました。
3月11日の大震災以来、初めてユックリ歩いた感じです。

暖かい春の陽射しが眩しくて、軽く汗ばんだ体に春風が心地よい・・・
足元にゆれる野の花が、とても愛おしく感じました。

(カラスノエンドウ)
「地区センター」の仕事は一週間交代のワークシェアリング方式、
一日4時間のシフトでしたから、さほど負担はありませんでしたが・・・
両親の入院騒ぎが続いた去年から時間的に追われるようになり、辞める決心をしました。

頭を使い体を使い、良いボケ防止をさせていただきました。
地元の人々との笑顔の触れ合いもあり、忙しいながらも楽しい時間でした。

親の介護問題を抱えて悩んだ時や、
この度の大震災で心が痛み、肩こりやめまいに苦しんだ時も
仕事をすることで気分転換ができ、気持ちが落ち着きました。

でも私ももう歳ですから、3度目のカムバックはないでしょうね。

(ホトケノザ)
28日の休館日には、仕事仲間の息子さんご夫婦がやっている「活き魚料理店」で、
今回辞める4人と新人さんたちも一緒の総勢20人の歓送迎会を催して戴きました。

お店は幸い計画停電に入らない地域なので助かっているようですが、
自粛自粛で客足が遠のき、経営も大変だそうです。

その仕事仲間の郷里は、原発事故で大変な目に遭っている「福島」・・・
お店の活性化に、少しでもお役に立てたならば嬉しいです

(ハナニラとハナダイコン)
最後は皆で肩を組み、カラオケで森田公一とトップギャランの「青春時代」を大合唱して別れました。

青春時代が夢なんて、後からほのぼの思うもの~
青春時代の真ん中は、胸にトゲさすことばかり・・・

結婚前のOL時代は別として、息子が小学校に入ってから始めた吉祥寺のタウン誌のレポート書き以後、
私と世間様との触れ合いは、その後三つの仕事を通じて途切れる事無く続けられ
お陰様で視野が広がり、私の思考のバランス感覚を養うことができました。

この30数年間、私の仕事に関わった多くの皆様方、本当にありがとうございました

(桃の花)
僅かに残った「里山」を通り抜けると、お隣の住宅地に出ます。
サクラはまだ蕾みですが、公園には春のお花の競演が見られました

前回辞めた時は、この桃の花とサクラが満開で、私の新しい門出を祝ってくれたのですが・・・
その時の様子はこちらでUPしています。
(上のバーの表示→文字サイズ→大に変換してご覧下さい)
あの日と比べると、今年のサクラはやはり遅いですね。

(ユキヤナギ)
これからの私は(あまり家事は得意でない)専業主婦ですが、
5年前に辞めた時のような、アレコレやりたいという希望が、さほど湧いてきません
前回はPC教室に通い、オーストラリア行きのための英会話レッスン、
日本文化を伝えるための手織り教室なども通い始めました。

人との触れ合いが少なくなることで生じる無口&無表情は、ボケに繫がるのではと心配
まずは、地区センターを利用して活動している「写真教室」を覗いてみようと思っています。

(レンギョウ)
そして人生のフィニッシュに向っての「老い仕度」をソロソロ始めねばと・・・
親の人生の後半を目の当りにしていますから、これから先の生き様は覚悟が必要だと痛感。

花を愛で、できるだけ自然に寄り添い、気持ちを穏かに生きて行きたいと思っていますが、
自然界は時々途方もない牙を剥き、人間を悲しみのどん底に突き落とす事も知りました。


公園の広場では、春休みの子供たちが「カクレンボ」をしていました。
かがんでいる子はオニです。
他の3人の子供たちは木々の茂みに隠れています。

この子たちの将来が明るいものであることを願いますが・・・

最後にわが夫婦共々読んで涙した4月1日付けの「毎日新聞・余禄」の一部を
掲載したいと思います。

  ▲岩手県の大船渡と釜石に入った米救助隊はその惨状に驚く。
  それにもまして印所深かったのは崩壊した店の女主人が「なにもありませんが」とせんべいを
  さしだしたのだ。

  ▲同じく大船渡で捜索活動をした中国の援助隊は、通りがかりの住民に「遠くからわざわざありがとう」と
  声をかけられ、アメや菓子を手渡された。
  別の隊員は現地コンビニで「援助隊なら」と代金の受け取りを拒まれた。

  苦境にあっても思いやりを失わなぬ被災者の姿は外国人に感銘を与えた。
  だが外国の人々も負けていない。

  ▲マレーシアのある孤児院では孤児が修道女らに働きかけて、被災地への募金活動を始め、
  パキスタンの地中海性貧血を患う子供達40人は福祉団体代表と共に日本領事館へ
  被災地の子供達へとサッカーボール10個を寄付した。

  ▲人への優しさや思いやりが地球のあちこちで小さな奇跡を起こし続けている「3・11」後
  今は現地を覆う深い悲しみも、いつかはこの奇跡の輪の中で癒される日が来るよう祈る・・・

今、地球規模での絆が広がりつつあるようで・・・
落ち込んだ心に、少し希望の光が差し込み始めましたね。



コメント (30)
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