一人で鎌倉の切り通しを歩いています。
去年は「名越の切り通し」、そして一昨年は>「朝比奈の切り通し」
家で腰を労ってばかりでは逆効果と思い、今年もカメラをぶら下げて歩いてきました。
ゴルフ三昧を楽しんでいる夫を、悔しい思いで見ているばかりでは辛いですもの・・・
今回は鎌倉駅の北口から「寿福寺」~「海蔵寺」~「亀ヶ谷の切り通し」~「北鎌倉駅」を
1時間半ほどかけてノンビリ歩いてきました。
「寿福寺」
最初の「寿福寺」は1200年(正治2)に北条政子が
頼朝の父、義朝の旧邸跡に明菴栄西を招いて創建。
鎌倉五山の第三位のお寺です。
境内の見学は出来ません。
参道の緑が眩しく輝いていました
奥には、北条政子と政子の二男で甥公暁に暗殺された悲劇の将軍源実朝の墓がありますが
そこには寄らずに、花の寺「海蔵寺」を目ざします。
「マルバウツギ」が、道沿いのあちこちに咲いていました。
卯の花の匂う垣根に、ホトトギス、早も来鳴きて~
父が昔よく歌っていた「夏は来ぬ」を思わず口ずさんでいました。
”卯の花って、空木だったはず・・・?、ホトトギスって、どんな鳴き声なのかしら?”
父が三ヶ月に一度受けている病院の診察結果も
腫瘍マーカーが1以下に下がり、薬や注射が効いているようで一安心しました。
そして母も今の病院に移ったら、手厚い看護を受けているのか?
高熱を出さなくなり安定しています。
私もようやく「携帯電話を抱えながら寝る生活」から解放されました
「海蔵寺」
花の寺・水の寺としても有名な海蔵寺には、一昨年の4月に「カイドウ」を見に来ています。
詳しいことはこちらをご覧下さい。
春のお花が一段落していましたが、いつ訪ねても静かな佇まいのこのお寺は気分が落ち着きますね。
山門を入ると、右手に鐘楼、正面に龍護殿とよばれる本堂があり、
開山の心昭空外坐像が祀られています。
この本堂前のベンチに座って、風を感じながらボンヤリするのが何とも心地よいのです
赤い新芽のモミジが、萌黄色の新緑と競ってアクセントになっています。
本堂左手の崖には「やぐら」や仏像が・・・ | 本堂裏手の庭園は公開されていません。 |
最後に残った「シャクナゲ」 | ノイバラ?(5月14日撮影) |
来た道を戻り、途中「↑亀ヶ谷」と書かれた標識に導かれ、左手の横須賀線のガードをくぐると、
亀ヶ谷切通との分れ道に、比較的新しい八角形のお堂が建っています。
源頼朝の娘大姫の守り本尊といわれる岩船地蔵が祀られていますが、
こちらも海蔵寺が管理しているそうです。
すぐそばの水辺に「キショウブ」が咲いていました。
「亀ケ谷切通」
地蔵堂の角を左に曲がり北に進むと、其の先は亀ヶ谷の切り通しに通じています。
鎌倉は三方を山に囲まれ、一方は海に面した「天然の要塞」です。
敵からの攻撃を守る点においては非常に好都合だったのですが
物流を含めての出入りが大変不便でした。
そのために山を掘削し、外部との往来が出来るようにしたのが「切通し」で、
鎌倉には七つの切通しがあります。
鎌倉七口と言われますが、
この亀ヶ谷坂は道幅も十分あり舗装もされている事から往年の面影はあまり感じられません
左の崖は高く険しいのですが、土の山道が続き深山幽谷の趣があった朝比奈や名越等の切通しに比べると
少し様子が異なり、右手の崖は低くて人家も見られます。
自動車は通れませんが山ノ内と扇ガ谷とを最短距離で結ぶ、便利な生活道路となっているようです。
15分も歩かないうちに「切り通し」を通り過ぎ、建長寺から北鎌倉駅に通じる道路に出ました。
腰の痛みは感じられませんでしたが、歩き方に少々問題があるのか?
左の股関節から膝にかけてが突っ張った感じがしました
このままでは悔しいですね、トレーニング頑張ります
そして子供達の外遊びや、若い方々のハイキング・海水浴などが安心して出来る環境が
いつまでも守られますようにと祈るばかりですが・・・
福島原発の「実は2ヶ月前からメルトダウンが始まっていた」というニュースが
今頃出てきたとは
国民が放射能馴れするのを待っての発表とかんぐってしまいます
関東南部に住むものにとっては東海地震が兎に角怖くて
静岡の「浜岡原発」の操業停止のニュースに胸をなでおろしていましたが
千葉や神奈川産の茶葉から、暫定基準値を超える放射性セシュウムが検出されたというニュースに、
マタマタ不安が増大していますよ
小さな孫たちも食べる、我が家庭菜園の作物は大丈夫なのでしょうか