花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

横浜ぶら歩き(2)・港の見える丘公園からMM21へ

2016年07月30日 | 我が街・横浜
7月28日・梅雨明け
平年よりも一週間遅れで、私が住む地方も梅雨明けしました。
東京や北関東は雨の少ない梅雨だったそうですが、横浜の雨量は例年の1.2倍だったとか・・・

(7月30日朝6時・我が家の二階から望んだ富士山)

昨日今日と朝から蝉しぐれが賑やかで、青空が広がり白い雲がモクモクと・・・
いよいよ真夏の到来ですね。

毎年この時期になると、夫は忙しい仕事の合間に「高原の涼しい風が恋しい」と、
夫婦でドライブ旅行に出かけていました。

あの2年前の夏の今頃も軽井沢で3泊4日の避暑を楽しみました。

アウトドァー派の私は生命力あふれるエネルギッシュな夏が大好きでしたが・・・
夫を失った2年前から哀しみの夏に変わりました。

それでも去年は山仲間3人で「美ヶ原と木曽駒ヶ岳トレッキングツァー」に参加し、心癒されましたが
今年は仲間二人の事情で中止

私もそろそろ一人での行動に慣れねばと痛感しています。

            

でも私にはワンゲル仲間が居る、カメラ仲間が居る、そしてブログ仲間が居る・・・
7月16日に行ったワンゲルの会の「横浜ブラ歩き」後半をUP致します。

港の見える丘公園~山下公園~MM21(みなとみらい)へ
その1で紹介しましたが、桜木町駅からバスで本牧ふ頭の海釣り公園まで行き
シンボルタワーに登り、展望とお弁当を楽しみました。

12時半に集合し40分発のバスで移動、港の見える丘公園下の貯木場で下車。


16人で頑張って階段を登って行くと「大仏次郎記念館」の前に出ました。
途中で見えたのが「ベイブリッジ」・・・

午前中のシンボルタワーから見たベイブリッジの風景は反対側になります。

ここから先はマイフィールド・・・
今年になって4回目の港の見える丘公園ですから、あまりカメラも向けずに歩きました。

この時期一番目についたお花はユリアガパンサスもまだ咲いていました


バラも少々残っていましたが、そろそろ終わりです。

リーダーさんの案内で、イギリス館からフランス山を下りました。

フランス山の風車は井戸水汲み揚げ用だった旗が並ぶ東洋信号通信社の電波塔


旧フランス領事官邸遺構も見ることができます。

この一帯は開港当時外国人居留地で、丘の上にイギリス軍、下にフランス軍が駐屯していた場所です。
石川町駅近くには「イタリア公園」もありますね。


階段を下ってフランス橋を渡ると「人形の家」に出ます。
今年の三月に自治会の皆様と入館しました。

人形の家の前の「青い目をした人形」像そのすぐ先が「山下公園」入り口・・・




この日は三連休初日、「スパークリングトワイライト2016」というイベントが行われていて
たくさんの人がでていました。

夜には花火大会が開催されるとか・・・


すでに場所取りが始まっていましたよ

こちらは有料の桟敷席その後方は普段は見られないビァーガーデン


海に目を向けると様々な船のパレード・・・
地元のラジオ局の実況中継が賑やかでした。

哀しい物語の「赤い靴」像最終目的地、MM21の「ジャイカ」を目指します


♪赤い靴はいてた女の子、異人さんに連れられて行っちゃった♪
♪横浜の波止場から船に乗って、異人さんのお国へ行っちゃった♪

野口雨情の童謡で有名な「赤い靴」のモデルの君ちゃんは、結核にかかりアメリカには行かなかったとか
詳しいお話はこちらでどうぞ・・・

MM21(みなとみらい21)地区

MM21のレンガ館の脇に「旧横浜港駅プラットホーム」と線路がオブジェのように飾ってあります。

この駅のプラットホームは1911年(明治44年)当時に横浜税関内の荷扱所として使われていたもの・・・
1920年(大正9年)には横浜港駅となり、東京駅からの汽船連絡列車も行き来するようになっていました。


何度も歩いているMM21ですが、ここまで来たのは私も初めてです。

このプラットホームの海側に建つかまぼこ型の白い建物は「海上保安資料館横浜館」
H13年に発見された北朝鮮の工作船及び回収物などを展示しています。
詳しい情報はこちらです。

JICA海外移住者資料館見学

午後3時からJICA海外移住者資料館をボランティアガイドの説明を聞きながら見学しました。

日本人の海外移住は100年以上の歴史があり、最初はハワイから始まり、
その後ハワイがアメリカ領となると必然的に移民もアメリカへ・・・
そして戦後は主に中南米に移ったそうです。

日系人がハワイのお祭りで披露した野菜で造った神輿1時間強、ボランティアさんの説明を受けました。


日本人はどこでも真面目で働き者ですから、それが逆に地元の人々に疎まれたそうです。

アメリカでは有色人への差別もあり、日系人は太平洋戦争時は収容所に収監されました。
同じ敵国のドイツやイタリア人はそのようなことはなかったとか・・・

戦後は中南米が主流となりコショウ栽培で成功した人もいたとか


でも原生林からの開拓に、多くの移民たちは苦労が多かったというお話でした。

ところで青年海外協力隊などで知られる「JICA」とは
ウィキペディアによると
「2003年(平成15年)10月1日に設立された外務省所管の独立行政法人。
政府開発援助(ODA)の実施機関の一つであり、開発途上地域等の経済及び社会の発展に寄与し
国際協力の促進に資することを目的としている。

前身は1974年(昭和49年)8月に設立された国際協力事業団」

「JICA」のレストランではリーズナブルなお値段で、世界のお料理が頂けるらしい・・・
この日も”港の風景を眺めながら夕涼みのワインパーティーを楽しみましょう”とのふれ込みでしたが
花火大会と重なり、席は取れなかったとか、残念

近くの「ワールドポーターズ」のイタリアンで、ピザとビールで我慢です。
でも15000歩近く歩いた後のビールと、ペッパー&ソルト味のポテトのベーコン炒めが美味しかった

混んでいて席が三つに別れてしまったので、横浜駅で飲みなおしとのことでしたが
私は電車が反対方面で、花火の混雑も恐ろしいのでパスして家路に着きました。





コメント (26)
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