花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

大雨の中の小江戸散策と彼岸花

2016年09月22日 | 旅日記
前夜から降りだした雨が、翌日の22 日になっても一日中降り続いていました
我が家の庭も畑もぐじゅぐじゅ状態です

一昨日の台風16号がらみの豪雨の中・・・
我街のボランティア団体の防犯パトロール「道の会」主催のバスツァーに参加してきました。



「小江戸川越と巾着田の彼岸花散策」と銘打ったツァーでしたが・・・
この日は台風16号が鹿児島に上陸し、進路を関東方面に向けていた日

巾着田の「彼岸花」は見頃でしたが、この日は大雨と言うよりも「豪雨」の中に咲いていました
いやはや、いやはや、酔狂としか言いようがありませんわ

「小江戸川越」散策とランチ(9月20日)
台風16号が鹿児島に上陸したという日の朝8時半、我街の自治会館前に集合です。
パトロールをしていない人も大歓迎という事で、親しくしているご近所仲間4人も一緒に行きました。
集合場所は歩いて5分の所なのに、バケツをひっくり返したような雨で
出かける前から靴もズボンもびしょびしょ



参加者は61名、2台の観光バスは茅ヶ崎から圏央道に入り厚木サービスエリアでトイレタイムをとり、
一路小江戸「川越」を目指します。
圏央道ができて関越道が近くなり、本当に便利になりました。

息子が大学を出て就職し最初の勤務地が川越でした。

川越の喜多院近くのマンションで、息子は新婚生活を送り孫も生まれましたから
私たち夫婦は何度か行っている街です。

雨で観光ができなくても、仲間と楽しめればそれで良いと思っていました。
むしろ台風がらみの大雨の日に、一人で家に居る方が辛い・・・



11時頃、川越に着きました。

添乗員さんに案内されたのは「蔵造りの町並み」の、菓子屋横丁から川越のシンボルの時の鐘まで・・・
ただ時を告げる塔はもっか耐震工事中でこのように幕で覆われて見えません。



天正18年(1590)、江戸城に入った徳川家康は、江戸の北の守りとして、また舟運を利用した物資の集積地として
この地を重要視して川越藩を置き、三河以来の家臣だった酒井重忠を藩主に任じました。
以後、廃藩まで、川越には親藩・譜代の有力な大名が配されています。




川越と言えばサツマイモ(川越芋)のお菓子が有名です。(上の画像はネットよりお借りしました)
私たち5人は古そうな店構えのお菓子屋さんに入りました。

川越の伝統の銘菓発祥の「亀屋栄泉」さんの詳しい情報はこちらです。



可愛いお弁当の形の金平糖と飴を孫たちに買いました。     友人へのお土産はこちらです



お隣の蔵の中は焼き物工房になっています。

明治になると、川越は埼玉県一の商業都市として繁栄しました。
しかし、明治26年(1893)には、町の3分の1を焼失する大火に見舞われこの火事の後、
川越商人たちは町の復興のために耐火性を重視して土蔵造りの店舗を建設しました。
今に残る蔵造りの街の景観は、そのとき形成されたものです。

息子のお薦めのお菓子は「いも恋」
写真仲間のおじ様が「nao♪さん半分食べてね」と、一個(180円)買って分けてくれました。

中身は小倉と川越芋のコラボで、外皮はモチモチ、美味しかったわ
(画像は菓匠右門さんのホームページより



川越の街の食べ物屋さんはどこもサツマイモで溢れています

昼食は「割烹 ささ川」で



中々美味しいお食事でした。
お部屋も61名が全員一部屋で和気あいあいと頂けました。このお店の詳しい情報はこちらでどうぞ

1時20分に観光バスに集合です。
次に向かったのは埼玉では有名なサイボクハムの食のテーマパークこちらです
温泉施設もある道の駅のような所でしたが、私たち5人はもっぱら試食専門で見て廻りました。

早く目的の彼岸花が見たいわ

曼珠沙華の里・巾着田の彼岸花散策
3時過ぎにようやく楽しみにしていた「巾着田」に到着ですが・・・
雨はますます激しく降ってきました



五百万本の曼珠沙華の群生地・・・
彼岸花は見頃を迎えていましたが、残念ながら大雨の中では鮮やかさに欠けます。



繊細なリボン状の花びらもびしょびしょ・・・



私にとっては3度目の巾着田でしたが、「木漏れ日の中に咲き誇る満開の彼岸花」が中々見られない
前回は山登りのついでに寄った覚えがありますが、早すぎて三分咲でした



50代から60代にかけて7回も一緒に海外旅行に行ったご近所仲間です。
最後に行ったのは5年前の「エジプト旅行」

あれから私も両親の入退院で忙殺され、ノンちゃんは膝の手術、ぷりんさんも初期のがんが見つかり・・・
皆身辺が忙しくなり、以前ほど一緒に遊ばなくなりました。

これからはノンビリと国内を見て廻りましょうね。



みなズボンも靴も濡れてグチャグチャ、集合時間の20分前には殆どの人がバスに戻りましたが、
私と同じ写真サークルのおじ様二人は熱心に撮影したようでジャストに戻ってきました。

私も重い一眼レフカメラを持って行きましたが、取りだしたのは写真仲間のおじ様に
5人の集合写真を撮ってもらった時のみ、他はすべて小さなコンデジでの記録写真です。

バスの席の一番後ろには、写真サークルの方たちがいて、
斜め後ろには4年前の役員をした時に親しくなった自治会の顔役さんたちがいて・・・
前方の席には日々一緒に歩いている、防犯パトロールのお仲間たちの姿が見えます。

大雨でバスの窓も曇り、車窓の風景は見えませんでしたが・・・
私は親しいご近所仲間ともっぱらお喋りを楽しんだ一日でした。

4時10分に巾着田を出発し、我街にたどり着いた7時頃が台風16号の影響がピークだったみたいで
家までの5分、豪雨の中を歩いての帰宅でした。

ボランティア「道の会」の幹事さん、お世話になりありがとうございます
私も4年前に自治会の「バス旅行」を企画遂行し、天気予報にハラハラしながら胃が痛くなりましたので
幹事さんのご苦労は良くわかりますわ。

                  

高尾の東京霊園にお墓参り(9月21日)
日帰りバス旅行の翌日は、義姉たちと夫の実家のお墓参りに行くことになっていました。

台風一過の晴天にはならなかったけど、取りあえず雨は上がったので
疲れた身体にムチ打ち、前日と同じように朝の8時半に家を出ました。

高尾の東京霊園まで我が家から二時間半かかるのです



夫と行く時はいつも車で通った緑の高尾街道を、JR高尾駅から歩いて行きます。

年に二回のお彼岸に、未亡人になった義姉妹4人がお墓を磨き草取りをして
夫の両親と兄が眠っているお墓をお参りするのが恒例となりました。

今回は夫の下の姉が狭心症で入院し欠席です。
いつものようにお蕎麦屋さんで食事し、高尾の駅横のティールームで夕方の5時までお茶しました。

3人共2年前に次々と未亡人になりましたが、私が一番ショックを引きづっている感じです
「将来の不安など考えないで、今を元気に楽しみましょう」と、78歳の兄嫁と義姉にハッパをかけられましたわ。
(兄嫁は15年前から息子一家と二世帯住宅に住み、上の義姉は独身の娘と同居、独居は私だけです)

先週は畑作業にいそしみ、三連休には夫と私の両親のそれぞれのお墓にもお参りして
その上二日間続けて朝の八時から夜の7時過ぎまで遠方に出かけたら、流石にダウンです
今日は身体がだるく、ノドが痛くて口内炎がでました
しばらく静かに過ごすことに致します。


コメント (23)
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