夜中に寒さで目覚めて、慌てて肌かけ布団を取り出しました。
身体が着いて行かず「風邪気味」です
(9月26日撮影)
異例な暑さだった今年は「ヒガンバナ」が遅れていましたが、我が菜園でも漸く咲き出しました。
初夏に球根を購入し、7月末に植えたのが突然ニョッキリとアスパラガスのような芽が伸びて
今週見頃となりました。
(9月26日撮影)
菜園の周りに咲いている白や薄紫のお花は「ヨメナ」でしょうか?
前回写真をUPした「ヌスビトハギ」の実が引っ付き虫となり、毎度ズボンが大変な事になっています
「お彼岸のお墓参り」(9月23日)
三連休最後の日は爽やかな風が感じられて「お墓参り」に行く気になり、11時過ぎに家を出ました。
お墓の周りには初夏から秋まで咲く「ニチニチ草」が鮮やかに彩られていて・・・
例年みられる「彼岸花」の姿はありませんでした。
一カ月前の夫の祥月命日に息子一家と来たばかりでしたが、お彼岸の墓前にお花が無いのも淋しいかと
大船の街で秋らしいリンドウと菊の仏花を買って、我が家の菜園に咲く「百日草」も添えました。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉通り、この日は突然の秋の空が広がっていた・・・
大船の街でお買い物
大船までは我が住宅地近くの鎌倉街道から無料の敬老パスを使ってバスで行き
更にそこからお寺までの20分を散歩がてら歩いて行きます(バスだと5停留所分)
毎回大船駅・笠間口前の「グランドシップ」で、冷えたビールとお花を買って行くのが定番。
ここは鎌倉市と横浜市の境目です。
帰路は大船駅東口の昭和の香りの残る下町風のお店で | お肉やお魚や野菜を買うのが楽しみです |
お墓のあるお寺まで車だと渋滞が無ければ20分で行ける距離ですが、お買い物の楽しさは味わえません。
この日の「お墓参り」と大船の商店街のブラブラ歩きは8545歩となりました。
山口県から高校時代の友人が上京(9月24日)
翌日は高校時代の親友のHちゃんが上京し、川崎まで会いに行ってきました。
朝、山口県の瀬戸内海側の街を新幹線で出発した彼女とは午後1時半に「川崎駅」で落ち合い
西口の「ラゾーナ川崎プラザ」のイタリアンのお店でランチです
ランチセットのピザとパスタを選びシェアーです | ソフトドリンクもお代わりOKでした |
高校時代の親友Hちゃんとは2年ぶりの再会で前回の記事はこちらです
沢山食べて飲んでお喋りして、お腹もポンポコリンになりました。
昔の川崎の街はデパートや駅ビル、そして地下街などの商業施設で賑わっていたのは東口で
西口は「東芝」や「明治」などの工場地帯でした。
その西口が再開発されて、駅から直結しているお洒落な「ラゾーナ川崎プラザ」となり
以前ご近所仲間と映画を見に来た時に知り、驚いた覚えがあります。
ケミカルエンジニアだった私の父は転勤族で、私が高校2年の春に5年住んだ新潟市から山口県の
「周南コンビナート」のある瀬戸内海側の工場に移りました。
当時は単身赴任ではなく家族も一緒に引っ越したものです。
新潟の県立高校から山口の県立高校に編入試験を受けて、同じ仲間の高校生が4人社宅に移り住みました。
父はすぐに東京本社に転勤して僅か2年しか住まなかった街でしたが、親しくなった同級生のHちゃんも
東京の短大に入学したので、細々とお付き合いは続いていたのです。
人工芝の広場を囲むように楕円形の商店街が並び | ラゾーナ川崎はイベントも楽しめる素敵な空間です |
「東京周辺はどこもお洒落で素敵で羨ましいわ」「私の住む所は唯一のデパートも無くなりシャッター街よ」
Hちゃんがタメ息をつきました。
横浜郊外の我が街だって高島屋が撤退し、この川崎も東口にあった「さいか屋デパート」が無くなったはず
時代は変わってきましたね。
「友達の友達は友達になれるかな~?」
今回Hちゃんは短大時代の友人4人との陸中海岸2泊3日の旅行のために出てきました。
彼女は東京の吉祥寺にある大学の女子寮に入居、お仲間との絆は深くて、毎年のように海外も含めて
4人での旅行が恒例となっていたようです(皆さん独り者で気楽に出かけられるとの事)
その中の盛岡に住む一人が足腰を痛めて遠出が出来なくなり、その方の近くの観光地を巡るらしい・・・
川崎駅から歩いて15分の所にお仲間の家があり、そこがHちゃんの定宿とかでその友人のNさんを紹介され
更にラゾーナ川崎の「丸善」のレストランで3人で夕食を共にしました
去年の今頃、ニュージーランド旅行が3人になってしまったとの事で、代わりに私が誘われて
半分行く気になっていましたが、当時私は食中毒で倒れて3週間と長引く始末で決断出来ず・・・
結局その旅は人数が集まらず、旅行社の判断で「催行不可」となったようでした。
「海外旅行の計画する時は又naoさんを誘うかもしれないから、この際顔馴染みになって欲しい」と
Hちゃんに言われた次第です。
最も皆さんの本音は「円安だし、世界あちこちで戦争が起きていて<テロ>が怖いから国内旅行が主になりそう」
だと聞きました。
取り合えず、今年の6月に催す予定だった「大阪での作品展」(Hちゃんはアートフラワーデザイナー)
お仲間の都合で来年の5月に延期との事で、その時は私駆け付けますから共に元気で又逢いましょうね。
友達付き合いが苦手な私にはちょっとうらやましいです。
時代の流れでしょうか?
よき友がいることはよいことです。
転勤族の子供は転校が多くて小学校時代はイジメも受けましたが、今では日本のあちこちに友人が居て
ラッキーだったと思えるようになりました。
私も知らない世界に飛び込む時の交際術を自然と学べたような気がします。
恵那さまは友達付き合い苦手なのですね。
私は本当の故郷が無いのが淋しいですが・・・
各地に友人がいるのでヨシとしましょう。
川崎の変貌には驚かされました。
「巾着田の満開の彼岸花の画像」を有難うございました。
亡き母と行った思い出の彼岸花ですとか・・・
まだ有名になる前に夫と行って感動しましたとか・・・
古い友人たちに「LINE」で送ったらとても喜ばれました。
普通は転校すると虐められると聴きますが、nao♪さんは上手く仲間に溶け込む素養を持ってるのでしょう。
その友達と何十年も付き合いが続いてるなんて、何と素晴らしいのでしょう。
nao♪さんなら友達の友達とも、友達になれますよ。
小学校5年生の春に、東京の中目黒小学校から新潟市郊外の小学校に転校した時でした。
父の化学会社の工場は街中ではなく郊外でしたから、社宅も同様で、東京からだとカルチャーショックが大きすぎました。
「郷に居れば郷に従う」という事をおのずから学んだ気がしますね。
当時はまだテレビもなく、日本各地の情報は疎くて方言も通じず地域差も酷かったですものね。
その後日本も高度成長で全国的に大きな差は無くなり、カルチャーショックも少なくなりました。
Hちゃんも人柄が良くて沢山の友人が居る人で、そんな彼女がいた高校生活は楽しかったです。
転勤族の娘だったからこそ身に着いた交流術かもしれませんね。
どなたでも仲良くなれるnao♪さんはお友達がたくさん。どんどん減っていく私とは真逆で、こんなところで反省したりして。人柄もあるのですね。
海外旅行もそんな状態になってしまったのですね。
nao♪さん、まだ5年はお元気に行けるわよ。
一カ月延期になっていた恒例の「夏合宿」のオフ会に参加してきました。
雨にたたられましたが、沢山飲んで食べてお喋りを楽しみました。
今度は新年会ですが、tonaさんともお会いできることを願っていますよ。
私は小学校5年生の時に東京から新潟に最初の転校をして、思い切りイジメを受けました。
その時子供ながらに学んだのは「郷に居れば郷に従うべし!」という事です。
その後は日本全国あちこちに友人ができて嬉しい限り!となりましたね。
私は決して若くはありませんよ。
今回上京した高校時代の親友共々、敗戦の翌年生まれの70代後半の後期高齢者です。
右側に写っている友人は独身のプロのフラワーアーティストなので独特のセンスで若く見えますが・・・
左側の黄色いストールの私は10年前の結婚43年目の時に夫を亡くしたごく普通の未亡人です。
「えっちゃんの庭」というブログは全く知りませんでしたので訪ねてみました。
お花の綺麗なブログで似ているかもしれませんが、私は山とカメラが趣味で、コロナ禍以後はもっぱら
「農家のおばさん」をやっていて、大きな孫二人のいるばぁばですよ。