まだまだ雪が残り、風が冷たくて寒さが堪えます。
そんな中、出窓に置いた「君子蘭」の葉の間から
オレンジ色の花が顔を覗かせました
末期の肺ガンで急死した義兄の葬儀の日は
最初の予報では雪マークが付いていて、一体どうなることかと心配しましたが
20日のお通夜は底冷えのする寒い日でしたが、
移動のある翌日の告別式は穏やかなお天気に恵まれホッとしました
世田谷の環八沿いにあるメモリアルホールに到着すると
喪主の甥が「叔父さん、楽しくやりましょう」と声を掛けてきました。
主人は5人兄弟で、我が家以外は皆子供が3人ずつ居ますし
その子らが結婚して伴侶や孫を連れてきて・・・
更に主人たちの従兄妹達も大勢やってきましたから
身内だけでも50人近くの葬儀となり、
「少子化の現代では珍しい」と、葬儀社の方に言われました。
雪に埋もれ、40cmもの分厚い白い帽子をかぶっていたベランダの
鉢植えのパンジーも見事に復活していました。
入院後僅か三週間で亡くなった義兄は、まだ頬がふっくらとしていて
亡くなる3日前まで池波正太郎の本を読んでいたと聞きました。
最後まで読み終わっていなかったその本を兄嫁が棺に入れた時に
涙が止まらなくなりました
享年78歳・・・
まだまだやりたい事が多々あっただろうにと思うと無念ですが
苦しそうにしていたのは最後の二日間だけと聞いて
少し気持ちが楽になりました。
私の実家から持ってきた白い椿の花も咲き出しました。
茶花の侘び助でしょうか・・・?
常々「77歳で喜寿のお祝いをしてもらった翌日にポックリと死にたい」
と申している主人が「兄貴は俺の理想とする人生の終わり方をした」
「俺も70歳を過ぎたからもうガン検診はパス」と呟いていました。
すべてが一段落した昨日はしみじみと昔のアルバムを開いて見ました。
上の写真は昭和55年のお正月に写したもの・・・
息子が小学校の2年生でしたから今から34年前の写真です。
毎年お正月は、主人達兄弟が育った世田谷の実家に全員集合でした。
両親に子供5人とその連れ合い、そして孫が13人の合計25人
義兄は一番たくさん「お年玉」をくれる伯父さんだったから
甥や姪たちも大好きだったように思います。
毎年夏には房総の富浦の民宿一軒借り切って
全員で二泊三日の海水浴にも行きました。
我が家は一人息子なので、特に義兄の家の三姉弟とは良く遊び
面倒を見てもらいました。
今でこそ両親も亡くなり、それぞれ子供たちも大人になり結婚したりで
主人の兄弟が会うのは冠婚葬祭時だけとなりましたが
そんな思い出がたくさんありますから、息子一家をはじめ
お通夜には殆どの甥や姪達が家族を伴い駆けつけました。
精進落しの席はさながらハー君や奈菜ちゃんのハトコ達との
顔見世の場にもなりました。
姑が自分の4姉妹とは晩年も仲良く交流していましたし
両親亡き後兄夫婦が、親戚付き合いもやっていたので
主人の従兄妹達も大勢集合しました。
普段中々会えない方々との交流の場を、義兄が作ってくれたように思えます。
たくさん泣いてたくさん笑ったような葬儀となりました
兄の葬儀の日に、父の事でとても重い決断をしなければならなくなりました。
明日の命も危ないと言われていた父が入院した病院は
「ここは治療して治す所です」と医師が言っただけあって
父は日に日に精気を取り戻しました。
お通夜の前日病院に行くと父は私の呼びかけに微笑んで
「オウ・・・」と応えたのです。
「重い脱水症はだいぶ改善されました」
「ただ中々下がらないナトリウム値を下げるには胃に水分を流すのが一番」
と医師から切り出されました。
向かいのお宅の椿はそろそろ終わりでしょうか・・・
「積極的治療を望まないなら当病院ですることはもうありません」
「施設に迎えに来ていただくか、転院を考えてください」とのこと
結論を翌日までに出すように言われてガ~~ン
親の命を左右する決断を子供が下さなくてはならない現実は惨すぎます
人は自分の最後をどのように望むのか?
エンディングノートに記す必要がありますね。
翌日は義兄の葬儀で私は病院に出向けないので
最後の決断は弟に託し、会社を早退し医師と面談してもらうことにしました。
「父上は意識もあるから」と医師に説得され、彼も私も大いに迷いましたが
肉親の情として「積極的治療」をお願いすることになりました。
病院側が転院先も紹介してくれるというので、弟は安心したようですが
私は父の苦しみがますます増すのではないか?と不安です。
義兄のように70代で突然癌に襲われ、命を落としてしまう人もいれば
90代でも、自然のままで命を全うするのが難しい時代でもあります
この一週間、あまりにも重い命の終末について
たくさん考えさせられ、感情が変になりそうでした。
夫婦共々肩こり腰痛に悩まされ、昨日は大船にある日帰り温泉に行き
ゆっくり入浴してから、40分のマサージを受けましたよ。
今日の日曜日はどっと疲れが出て、TVのオリンピック総集編を
ぼぉ~と眺めて過しました
寝たきりの老人が増えて、健康保険は赤字になるし・・・
あちこちで少子高齢化社会のひずみが出ています。
私たちのときはどうなるのでしょう?
訪問看護を中心に、町医者も活動させ、家での看取りが増えそうです。
暖かい地元の人々に支えられ、住み慣れた家での最期は理想的ですが、さてさて???
人生の終末、考えさせられる記事の内容です。
まさか?この様な時代に成るとは誰も思って居なかったと思います。
もう少し、楽しい事が多い老後を暮らせると誰もが期待していたとおもうのですが。
体調を崩されない様に、気を付けて下さいね。
弟と決断を下したのですから、あとは何とか父が少しでも元気になるように願わねばと思うのですが
ウィークデー担当の私は治療の現場に遭遇する事が多く、気持ちが揺れ動きます。
弟は先生方がいない土日担当ですから、この切なさは分からないでしょう。
主人の兄弟5人は、義父が肺炎で入院した96歳のとき、医師から気管支切開の話が出たのですが
兄弟で話し合い断りました。
義父は元気に退院し、残り2年を自宅で全うしましたよ。
本当に兄弟が多いというのは心強い限りですね。
特に今回亡くなった長男はリーダーシップがあり、貴重な存在でした。
兄弟同士、意見が割れたときは大変でしたが・・・
紅さんも大勢のご姉妹に恵まれ、羨ましい限りですよ。
今日も主治医から呼び出され、私一人で厳しい父の現状を聞かされ、胃が痛くなりました。
「とにかく苦痛を与えないですむ治療をくれぐれも宜しくお願い致します」と言うのが精一杯でした。
お蔭様で良い気分転換になりました。
楽しいお喋りで時間を忘れ、遠くからおい出での皆さま、帰りが遅くなりラッシュに
遭われたのでは?と気になりました。
私もあれから父の所により洗濯物を置いて、様子を見てきました。
父は目をハッキリと開き、熱もなく元気そうでした。
そういう姿を見ると弟と私が下した判断は間違っていなかったと思うのですが・・・
今日の医師との面談はちょっと深刻でした。
両親を見ていて、長患いは真っ平!と思う様になりましたよ。
私も義兄のような最後を迎えたいですね。
それ以来は冠婚葬祭以外会うこともなくなりました。
それぞれの子供達が結婚し、新しい繋がりの輪ができて、そちらとの集まりが多くなりますものね。
義兄は5~6年前に糖尿病の影響で片足を切断し、車椅子の生活でした。
見事なまでの最後は、義姉を解放したかったのかもしれませんね。
父に対しての決断は、良かったのか?悪かったのか?迷いばかりが残ります。
主人の親族は皆陽気で、いつも涙と笑いが交差するお葬式でした。
両親の兄弟との親戚付き合いは上3人がやってくれていましたから、4番目の主人は暢気な立場です。
ビオラさんはご長男の所に嫁がれ、舅姑様を見送られたと思いますが、葬儀は色々大変だったと思います。
義兄宅は喪主は兄嫁ではなく、二世帯住宅で同居している長男の甥がやりました。
海水浴ではしゃいでいた子供達が皆30代40代と一人前になり、どこもそろそろ世代交代です。
お父様のご様子が気になり毎回拝見しておりましたが、足跡残す余裕も無く失礼しておりました。
自分独りの事でさえ手が回らずあたふたしてる自分が情けないです。
先ずは義兄様のご逝去お悔やみ申し上げます。
こんな時は大勢の兄姉や子供達が居ると心強いですね。
それにしても加えてお父様のこと、さぞや苦渋の決断だったことでしょうが
肉親としては当然の事、出した決断は正しかったと思いましょう。
気持ちを上手に切り替えられるnao♪さんに何時も感心させられます。
生きている者の溌剌とした姿こそ、お父様の望むところであると思うのです。
心配の種はまだまだ続くと思いますがご無理なさらずボチボチ活動開始して下さいね。
相変わらず思い出の品を一つ一つ切り捨てる毎日を過ごしています。
気分転換は週に2度ほどのマッサージだけです。
我が家のマンサクも満開になりましたよ。
君子蘭もシンピジュームも、春から晩秋まで外に出し、家の中に入れたとたんに花芽を持ちました。
ずっと家の中に入れたままでは咲きませんでした。
寒さを味わっているからこそ、暖かさが功を奏するのでしょうね。
人間も辛いことがあるからこそ、ちょっとの喜びも感激が大きいのでしょう。
哀しみをバネに強い人間にならねばと思います。
でも・・・
歳と共にどうも涙腺がもろくなってきていますよ。
下から2番目の主人は暢気な立場でしたよ。
おかげで私は詳しい親戚関係をさっぱり覚えられないできましたが・・・
kikiさんのご主人様も肺ガンを患ったのですか・・・
でも6年たったのですからもう安心ですね。
義兄は糖尿が悪化し、5~6年前に片足を切断し車椅子でした。
兄夫婦は義父が99歳になるまで自宅で看ていましたから(お爺ちゃんは最後まで元気で、
孫達と夕食を食べた後一人でトイレに行き、途中廊下で転んだショックで逝きました)、
義父を見送りようやく夫婦で旅行でもという時に義兄が車椅子になり、兄嫁は大変だったと思います。
78歳はまだまだ早過ぎますが、義兄は義姉のためを考えて、こんな潔い最後をプレゼントしたのでは
と思ったほどです
義母は76歳で心筋梗塞であっという間に逝き、皆気が動転し大泣きしたのですが・・・
やはり葬儀は涙と笑いがありました。
今回の父の事も、主人の5人兄弟だったら断固「積極的治療」は断ったと思います。
義父が肺炎の時もいっさいの管は拒否しましたから・・・
兄弟が5人いると心強いですね。
銀河さんのように施設では弟と一緒に「ごく自然の形で残された命を全うさせたい」と主張し、
せっせと甘いものを運んだのですが・・・
180度違う方向に行ってしまい、今でも迷っていますよ。
最後の看取りができない施設だったことと、運ばれた病院が中核病院だったこと
そして担当医が救急医だったことにより必至の救命がなされました。
最終的な決断は後見人である弟がしましたが、私の心もグラグラと揺れましたね。
お義兄様を見送られたのですからお義兄様も喜ばれたと思います。
最近、私も歳を取り、自分の最終章は考えておりますが
ご主人が仰る様に私もお義兄様のように逝けたら嬉しいです。
お父様の件はどのようにしても迷うのではないですか。
明日お会いできるのが楽しみです。
一時でも気分が楽になってくれれば嬉しいです。
お花を育てるのが本当にお上手です。
このところ大変ですね。
理想的な最期だった義兄さまのようだったらと思いました。最近自分の最期の在り方を凄く考えるようになりましたので。
御親戚仲良く素晴らしいご家族ですね。
お父様良かったです。
我が家では花茎は伸びてきていますがまだ蕾状態です
末期がんで入院3週間で亡くなった義兄さん、
その最後を理想的と捉えるかどうかは人それぞれでしょうが
お父様への決断も含めて自分の最後をどうありたいかは私たちのこれからの課題でしょう
本当に難しい問題ですね
葬儀の場がふだんなかなか会えない従弟や親戚の社交場になることは多いです
でも義理で参加するのとは違う身内の暖かさを感じて旅立ってもらえればうれしいですよね
今日はとても暖かくて春が来た感じです。
今までの寒さがウソみたいです。
自然に咲いてくれている花たちを、
こうして見せていただくとほっとします。
周りではいろんなことが付いて廻りて、
それと向き合いながら自分も生きて、
いかなければならないと思っています。
悲しい出来事を忘れてくださいよとは
言えませんが無くしたモノの大きさが、
時が経つとわかると思いますが。
どうぞ現実をみて元気で、
生きて行っていただきたいモノです。
花の美しさを今日もありがとうございました。
義兄様の告別式も済んでほっとしているところでしょうが、こういう時に親族が集まって、悲しみの中にも
親戚として通じるものがあるんですね。でも50人の
甥 姪 本人の兄弟 つれあいなど凄い人数ですね。
義兄様の常日頃の付き合い方が素晴らしかった方なんでしょうね。
病気は早く見つけて、少しでも長生きしてほしいと願っていますが・・・そうもいかないんですね。
主人も6年前肺ガンをしてますので、1日1日を大事に悔いのないよう過ごしています。
お父様も今の病院で頑張っていらっしゃるんですね。
nao ♪さんも自分の体を考えて行動して下さいね。
綺麗に咲いてるクンシランが心の支えに感じます。
義兄様、まだお若かったのですね。
でも、大勢のご親族で見送ることができたのは素晴しい事でした。
ご冥福をお祈りいたします。
お父さま、積極的治療の決断をされたのですね。
重い判断です。
私も一昨年末に決断を迫られました。
私は違う結論を出しましたが、
色々な考え方があり、考え抜いた末に出した結論は
どれも正しいと思っています。
どうかお疲れの無いよう、気分転換しながら頑張ってくださいネ
今週は暖かくなるようですね。
私も心配ばかりの生活から脱却して、活動を再開しようと思います。
ヨガの先生に「あなたが自分のために我慢するより、楽しい毎日を送っていた方が親は喜びますよ」
と言われました。
人生山あり谷ありは当たり前、親を見送れるのは幸せなことと思い(逆なら大変です!)
やれる事はやって、その中から自分の楽しみも見つけて生きたいと思います。
義兄と同じ歳の主人の姉の連れ合いももっか危篤だそうです。
世界的に見ても長寿国の日本ですが「元気で長生き」が案外難しそうですね。
私の両親は転勤族でしたから、あまり親兄弟の老後の実態は知らずに過してきたようです。
実家が近いのでしょっちゅう会っていましたが、人性最後の話などしたことがなかったです。
RW様のところは意思疎通がバッチリのようで、大丈夫かと思います。
後悔の念があったので、今回はこちらの希望を言いましたが・・・
入院した病院が地域の中核病院でしたから
「治療しないのなら転院」を勧められるのももっともな話でした。
反応があまりなかった母と違って、父は目を覚ましている時はキョロキョロと周囲を見渡し
呼びかけると答えますから、どちらの道を選んでも
「後悔」は残るでしょうね。
医療が進歩して、若くして難病や癌に倒れる人々などは救って欲しいと思いますが
世界一の長寿の実態が「元気な年寄り」ならともかく、病院での長期療養者が殆どとなると
喜んでばかりはいられませんね。
そして人性最後のあり様を子供に決断させるのも酷な様な気がします。
エンディングノート、主人はだいぶ前に用意しているようですが私は未だでした。
九州旅行の写真、楽しませていただいています。
熊本城は高校の修学旅行で行っただけですが、スッキリとした美しいお城ですね。
こちらが大雪の日、熊本は雨だったのですね。
一泊追加となり、料金は別途払うことになったのでしょうね。
生きていればよいことも嫌なこともあるのが人生です。
気持ちだけは明るく前を向いて生きていきたいです。
やっと道路脇に積んだ雪も少なくなりました。
もうすぐ暖かい春がくるようです。
羨ましいです。
我が家は殆どいません。
ストレスの原因は人間関係と言われていますが
病気の時はやっぱり心強いですね。
お父様、意識があるのでは積極的治療しか考えられませんよね。
その辺の決断は凄く難しいです・・・。
医学の進歩は時には酷でもあります。
我が家ではそろそろお見送りの準備に
入るのかなぁ~と思っているのですが・・・。
私も、そろそろ人生の店じまいの事を考えないといけないのかな。
私的には、後に何も残したくない気持ちです。
生きている間はなかなか捨てられないのではあるのですけどね。
葬儀は、生きている人の回顧の場なのでしょう。
御葬儀に入院と何かとお忙しそうですが、たまの温泉でのリラックス
ゆっくりされてよかったですね。