ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

こんな卒業式がありました

2024-03-30 10:57:45 | あの頃
 校長にとっての最大のイベントは、
『卒業式』と言ってもいいかも知れない。
 卒業証書には、学校の名と共に校長名がある。

 私は、校長として12回の卒業式を経験した。
1人1人に私の名がある卒業証書を手渡した。

 式では、いつも横に証書補助係の先生がついた。
そして、舞台の袖幕には、
授与の瞬間を撮影するために依頼したカメラマンが、
隠れていた。

 私は、どの子にも証書を渡す時、
小さな声で「おめでとう」と言った。
 その声を聞いても、緊張のあまり無反応の子もいたが、
多くの子は「ありがとうございます」と口を動かし、
笑顔を返してくれた。
 その一瞬にカメラシャッターは切られるが、
表情が輝いていて、どの子もたまらなく素晴らしいのだ。

 一番間近でそれを目の当たりに、
これからの歩む道が、「幸多いもので」と
祈らずにはいられなかった。

 さて、ある年、証書補助係として私の横に立ったのは、
若手のM先生だった。

 私の小学校では証書補助係は、
過去に卒業生を担任した先生の中からと決めていた。

 その年は、いつかはその役をと望んでいた
3・4年で担任をしたM先生が務めることになった。
 
 卒業式の朝、
M先生は和服に袴姿で、校長室へ挨拶にきた。
 「校長先生、私、子ども以上に緊張してます。
よろしくお願いします」。
   
 生真面目なM先生を少しでも楽にしてあげようと、
私は明るく励ました。
 「証書補助の仕事は、
子どもの名前と証書の名前が同じかを確認して、
私に渡すだけ。
 難しいことではないよ。
練習通りにやりましょう」。

 「そうですね。
わかりました。
 練習通りに頑張ります!」
M先生は、いつもと変わらない明るい表情で、
職員室へ戻っていた。

 卒業式は,予定通りの時刻に始まった。
卒業生が入場し、「開式の辞」、続いて「国歌斉唱」があった。

 そして「卒業証書授与」へと・・・。
最初に、私が舞台に上がり、演壇の前に立つ。
 少し間をあけて、左やや後方の横にM先生が静かに立った。
次に、1組の出席番号1番の子が呼ばれ、
私の前へと進む。
     
 M先生が、スッとその子の卒業証書を私の前を置く。
それをかざし、証書を読み上げて授与した。
 練習通りだった。

 次の子からは読み上げずに、
M先生が私の前に置いた証書を差し出し、
「おめでとう」と言って渡した。

 1人1人にゆっくりと時間をかけ授与するように、
心がけた。
 全てが順調に進んでいるように思った。

 ところが、1組も後半の子まで進行した頃だ。
式場内の雰囲気に変化を直感した。

 私の前に立った女の子が、
授与前にすでに目を赤くしていた。
 私が「おめでとう」を言って証書を渡しても、
涙をこらえながら受け取った。

 次の子も同じように涙を浮かべていた。
証書を受け取り、やっと笑みをつくった。
  
 やや違和感を感じ、式場後方の保護者席を凝視した。
数人の母親が、ハンカチで目元を押さえていた。

 不思議だった。
式は、まだ始まったばかりである。
 涙にはまだ早い時間帯だ。

 その直後、私の左横でも異変が・・・。
しきりに涙をすする音が聞こえてきた。
 
 次の子が私の前へ進む少しの間を盗んで、
さっとM先生を見た。
 M先生はあふれる涙をこらえながら、
頬をつたう涙をそっと手で拭うところだった。

 M先生のその姿に、授与を待つ卒業生も保護者も、
きっともらい泣きしているに違いない。
 そう理解した。 
それまでに経験のない式の展開に、内心驚いた。

 そんな中でも、担任による授与者の呼名は粛々と続いた。
緊張の面持ちで私の前に立つ子、
真っ赤な目で私にもM先生にも視線を向ける子と続いた。

 証書授与を続けながら、
M先生と子ども達の絆に、私は胸が熱くなった。

 もう一度、急いでM先生を見た。
その時、M先生は大きく深呼吸をし、
再び、頬の涙を手で拭った。
 涙をこらえ、しっかりと証書補助をしようとする意志が
伝わってきた。

 私は迷った。
燕尾服のポケットにはハンカチがあった。
 そっとM先生の前にハンカチを置いてあげようか。
でも、それが余計に涙を誘うことになるのでは・・。
 いやいや、壇上で見て見ぬふりはできない・・・。
それよりも粛々と式を続けるには・・・・。

 この場での迷いは、許されなかった。 
即断が求められた。
 誰にも気づかないよう、演壇の隅に私のハンカチを置いた。
「さあ、涙を拭いて、しっかり!!」
 そんなメッセージを込めた。
 
 M先生は、ゆっくりとそのハンカチを手にした。 
時々それで涙を押さえ、証書補助を務めた。
 授与は最後の子まで進み、私とM先生は降壇した。

 卒業生も下校したその日の午後、
M先生はまだ涙目のまま、
それでもいつもの明るい表情で校長室に来た。

 「このハンカチのお陰で、最後まで証書補助ができました。
ありがとうございました。
 洗ってからお返ししようと思います。
それでいいですか?」

 私は、ニコニコ顔で言った。
「そのハンカチは、記念に差し上げます。
 それよりも、まさか証書補助の補助をすることになるとは・・、
夢にも思わなかったよ。
 でも、生涯忘れられない卒業式になりましたよ」。
M先生は、ちょっと照れたように一礼し、
校長室を後にした。 
  



    お気に入りの散歩道7  そこまで春  
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衝  動  買  い

2024-01-13 11:46:00 | あの頃
 どうやら、『事前の計画がなく、来店してから衝動的に
買いたいという意志が働き購入すること』を、
衝動買いと言うらしい。
 
 振り返ると、そんなスタイルの買い方がなんと多かったことか。
自分自身のことだが、無計画性といい加減さといい、
改めて驚くばかり。
 しかし、結果は失敗もあったが、それで良かったことも多い。
その中から 2つ・・・。


 ① 息子2人が大学生になり自宅を離れた。
家内と愛猫との暮らしが2年目を迎えた夏休み、
二男が1週間ほど帰ってきた。

 久しぶりに3人で買い物をと、
駅前の大型スーパーへ向かった。
 その途中に、近くで建設中の高層マンションの、
モデルルームが公開されていた。
 そのマンションの販売を目的にしているところだ。

 ふと、その日の朝刊にあったチラシを思い出した。
そこに『最終販売』の文字が躍っていた。
 2棟の30階建てが、すごい勢いで売れていると言うのだ。

 それだけの動機だったが、突然興味が湧いた。
「そんなに人気があるマンションがどんな造りなのか」
 モデルルームを覗いてみたくなった。

 家内と二男は、私の誘いにあきれ顔だったが、
「ちょっとだけ」と言う後ろを付いてきてくれた。

 入店すると、待ち構えていた販売員がすぐに応対した。
スーツ姿の男性だった。
 控え目でていねいな感じに好感が持てた。
 
 私は、正直に言った。
「買い物に行く途中、たまたまここが目に入ったので、
どんな感じか見たかっただけです」
 すると彼は「どうぞ、遠慮なくご覧下さい」と、
先頭になって私たちを、2つのモデルルームに案内してくれた。

 その1つが、マンションの角を活用した
モダンな間取りだった。
 居間の片面が広いガラス窓で、眺めのいい南向きだった。
3LDKの配置も工夫されていた。
 そのお洒落な造りに、
私はすっかり魅了されてしまった。

 「最近のマンションは、こんな素敵なんですね」
私の驚きに彼は静かな口調で応じた。
 「ご覧頂いたもう1つのモデルルームに比べると、
こちらはずっとずっとお買い得かと思います。
 でも、この物件は1階から20階までに1室ずつで、
残りの3室も抽選になるかと思います」

 買う気など全くなかったはずだ。
家内と新居を話題にしたこともなかった。
 ただペットを飼えない団地で、
愛猫と居ることだけは気がかりだった。
 だから、突然訊いた。
「このマンションでは犬や猫を飼うことができますか」
 家内は、ビックリした顔をした。
「はい、ペット登録をして頂くとご一緒に暮らせます」。

 そこから先は、応接セットのある部屋へ通され、
価格や契約手続きの説明を聞いた。
 そして、印鑑がないのに仮契約書にサインまでして店を出た。

 さて、これには後日談がある。
契約から1年後に、マンションは完成し入居した。
 その翌年、大学を卒業した二男は、
そのマンションを販売した不動産会社へ入社した。

 大手不動産だが、社内でたまたま、
モデルルームのあの販売員男性と一緒に、
仕事をすることになった。
 彼は言った。
「あんなに簡単に売れたお客さんには,
今までに出会ったことないよ」と。

 
 ② 次は、マンション購入とは、
比較にならない買い物である。
 当地で暮らし始めて数年が過ぎた時のことだ。
 
 年齢からなのか、
睡眠に不満を感じるようになった。
 思い切ってベッドを変えてみようかと考えていた。

 当地には、老舗の家具店がある。
新聞にチラシが入ってきた。
 ベッドのセールの案内だった。

 急いで買わなくてもいいが、
快眠できそうならと行ってみた。
 
 まんまとベテラン店員さんのセールスに、
その気になってしまった。
 きっといい眠りが待っていると期待した。

 「いいベッドには、あわせてもう1つが必要です。
それは、羽毛の掛け布団ですよ」
 店員さんは自信満々に言った。

 これまた当地には、老舗の寝具店がある。
それに、羽毛布団なら通販でも買える。
 そう思っていた矢先だ。
「当店でも数は少ないのですが、売っています。
いかがですか?」
 ビニールケースに入った布団を2点、
棚から下ろしてくれた。
 
 売れ残り品のようで、ほこりも一緒に降りてきた。
その1つの値札を見た。
 10数万円が2万数千円に訂正されていた。
 
 「2枚お買い上げならば、4万円丁度にします」
「じゃ、それも!」
 思わず言ってしまった。

 翌日、ベットと羽毛布団が届いた。
ベットを置き、羽毛布団をその上に広げてみた。
 意外だった。
今まで使っていた羽毛布団に比べ、
はるかに厚みがあったのだ。

 数日、その布団で寝てみた。
見た目の印象からか、重みを感じ心地良くなかった。
 やはり売れ残った粗悪品を買わされたかと悔いた。

 快適なベットでの睡眠のためにと、
今までの薄くて軽い羽毛布団に切り替えた。
 よく眠れた。

 それにしても、
あの厚手の羽毛布団が目障りになった。
 目にするたびに、すぐに不快感が蘇った。

 1年半前になるだろうか。
当地に2件目のリサイクルショップが開店した。
 開店記念に高額買取セールをしていた。

 「この機会に思い切って!」
あの羽毛布団を買取ってもらおうと、
勇んで、お店に持ち込んだ。
 しかし、「残念!」
1度でも使用した布団は「買い取れない」と、
断られてしまった。

 落胆した。 
「粗大ゴミにするしかないか!」
 すると、急に4万円の羽毛布団がかわいそうになった。
「なら、もう1度使ってみよう!」

 ところが、使い続けると「意外や意外」、
そん色のない軽さだった。
 その上、厚みの分だけ動きが少なく、
ゆったり感があった。
 
 羽毛だから、当然季節によって快適さが違う。
冬の今は、目覚めてからもいつまでも、
ぬくぬくとその布団に包まれていたくなる。
 そして、時々ふと思い出して苦笑いをする始末だ。




       雪景 有珠善光寺
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晩秋に想いを馳せて

2023-11-18 12:52:34 | あの頃
 1週間前、目覚めてすぐ初雪が舞った。
見る見る間に、花壇じまいを済ませた庭が雪化粧した。
 冬へと季節が変わるその時を、
窓辺からしばらく見ていた。

 年々、冬到来と共に暗い気持ちが倍加する。
北海道では温暖といわれる当地だが、
それでも冬は、寒さで行動が規制される。

 年齢と共に体力が衰える。
だから、今のうちにやれることをと思う。
 しかし、春までのこれから4ヶ月は、それをさせてくれない。

 さて、今年の秋はあっという間だった。
ふと過ぎゆく晩秋に想いを馳せた。
 少しだけ私を温めてくれた。


  ① ナメコと豆腐の味噌汁 

 伊達に移住した最初の秋を
年賀状に添えた詩『微笑』の一節で、こう表した。

 落葉キノコは唐松林にしかない
 その唐松は針葉樹なのに
 橙色に染まり落葉する
 道は細い橙色におおわれ
 風までがその色に舞う
 そこまで来ている白い季節の前で
 私が見た
 北国の深秋の一色

 多くの人は唐松の紅葉を「黄金色」と言葉にするようだが、
私には橙色に見えた。
 その美しさを知る少し前だが、
家内と一緒にゴルフをした。

 ラウンド中にコース整備員が、
作業車で私たちのカートに寄ってきた。
 大きな両手に山盛りのキノコをのせて差し出し、
「食べるかい」と笑顔で言った。

 プレー中の予想外のことに驚きながらも、
笑顔で応じた。
 「すみません。頂きます」。
「そっかい。そこの唐松のところにあったんだ、
じゃ、みんなあげるわ」。
 整備員は、車にあった残りのキノコも、
カートの前カゴに入れ、足早に去っていった。
 見ると、コースの周りは唐松で囲まれていた。

 そのキノコが、高価な落葉キノコだと知ったのは、
ラウンドを終えてからだった。
 帰宅後、家内がネットで調べて味噌汁にした。

 私は、椎茸以外のキノコは、口にしなかった。
だから、大量のきのこ汁を見ても箸を付ける気にならなかった。
 それに対し、目の前の家内は、
「美味しい、美味しい」を連発し、
2度3度とおかわりをし私を驚かせた。
 そして、珍しいことに、
私に「食べてごらん」と何度も勧めた。

 嫌なら残すことを条件に、
お椀の味噌汁をすすり、落葉キノコも食べてみた。
 半信半疑だったが、残さなかった。

 翌朝も、その味噌汁が食卓に出てきた。
何も言わず、一杯だけ食べた。
 決して感想は言わなかった。
本当はいい味だと認めていた。

 その時から、徐々にキノコ類との距離が縮まった。
そして10年以上が過ぎた。
 最近の夕食では、当然のように「ナメコと豆腐の味噌汁」が出てくる。
私は、キノコ嫌いだったことをすっかり忘れ、
表情を変えることもなくお椀に口を付ける。


  ② こがらし

 先日、「東京地方に木枯らし1号が吹きました」と、
テレビの女子アナが言っていた。
 晩秋から初冬の間に吹く強い北風を木枯らしと言うようだが、
「木枯らし」と聞いて、学芸会の『かがし焼きどんど』を思い出した。

 教員になって3年目、初めて学芸会があった。
5年生が劇『かがし焼きどんど』を演じた。
 その劇を見て、学芸会の素晴らしさに胸が熱くなった。

 高学年を担任したら、いつか私もこの劇に取り組んでみたいと、
早速台本を譲って貰った。
 原作も脚本も作者不明だと知った。

 数年後、5年生を担任した。
ちょうど学芸会があった。
 学年は2学級で、キャスティングの人数も丁度よかったので、
もう1人の担任S先生に台本を見せた。

 劇は、主役の「かがし」と「こがらし達」とのやりとりが中心で、
伝統行事「かがし焼きどんど」で幕が閉じる展開だ。 

 終始、主役である「かがし」が劇の中心にいた。
「かがし」の演技力が劇の出来不出来を左右した。
 1人の子どもへの負担が大きい劇は、
当時も今も学芸会で敬遠される。
 それでも私はこの劇に惹かれた。

 山に置き忘れられた「かがし」と「こがらし達」の心温まるやりとり、
そして、1年間の役目を終え、
村人に見守られながら燃える「かがし」の宿命、
その温かくも悲しい劇に、子ども達と一緒に取り組みたかった。

 S先生は、私の想いに同意してくれたが、
すぐに「かがし」を演じられる子を心配した。
 やはりそこがこの劇のポイントだと確信した。

 早速、2つの学級から主役候補を数人あげた。
そして、その子らに台本を渡し、
「かがし」をやってみないかと打診した。

 数日後の返事は、どの子も尻込みするものだった。
台詞の多さがその理由だった。
 ただ1人、「すぐには覚えられないけど、
練習中にはきっとできるようなると思う。
 かがしをやってみたい」と名乗りでた子がいた。

 村の子供らが山に置き忘れたかがしを、
こがらし達は、かがしの願い通り元の畑に戻すことにする。
 しかし、畑に戻ったかがしは、焼かれる運命だと知る。
戻すのをためらうこがらし達に、
仲間と一緒に焼かれる道を選択するかがし。
 そして、「かがし焼きどんど」の日、
遠くから真っ赤に燃え上がるかがしを見つめるこがらし達。
 そこで、劇は終った。

 幕が降りたその時、見事に演じきったかがしは、
私と一緒に舞台袖にいた。
 一瞬暗転になった会場が明るくなると、
かがしは私に訊いた。

 「先生、山に置き忘れられたままでいるよりも、
一緒に焼かれて、かがしはそれでよかったんですよね!」。

 「そんなことに迷いながら、この子は沢山の台詞を覚え、
演じていたのか!」。
 私は驚きながら、そして迷いながらこう応じた。
「だから、この劇をやったんじゃないの」。

 遠い昔のことだ。
でも、今もそう思っている。




   ご 近 所 の 柿 ~2階の窓から  
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「学校の怪談!」 2話

2023-07-15 10:28:43 | あの頃
 夕食後のくつろいだ時間、
お茶の湯飲みを片手にし、もう一方にリモコンを持ち、
面白そうなテレビ番組を探していた。
 すると、「学校の怪談」が話題のバラエティーが映った。
それを、ボーッと見ながら、
似たような学校での体験を思い出した。
 

 小学5、6年の担任は、
大学を出たばかりの男の先生だった。

 近くでアパート暮らしをしていた。
休みの日に、友達何人かで突撃訪問した。
 「よく来た。よく来た」と、
敷いたままの布団をたたんで、
私たちを部屋に入れてくれた。

 そんな気さくな先生が、
宿直当番の日に、男子数人を夜の学校へ招いてくれた。
 
 暗くなるまで、校庭で野球をした。
その後、学校のお風呂に入れてもらった。
 夕食は、『小遣いさん』が用意してくれたことを、
鮮明に思い出した。

 宿直室という和室の部屋で、
ワイワイガヤガヤと時間を過ごした。
 その時、「学校の怪談」が話題になった。

 校舎は鉄筋コンクリートの3階建てだった。
3階の一番遠い所にトイレがあった。
 「そこに幽霊が出る」と、
子ども同士で言い合っていた。

 それを聞いた先生が、
「本当に幽霊が出るかどうか、見に行ってこいよ」
と、言い出した。
 話し合いの結果、
2人1組で順番に3階の角にあるトイレまで、
幽霊がいるかどうか、見に行くことになった。

 私はSちゃんと2人で、最後に出発することになった。
暗い廊下を、懐中電灯1つで進んだ。
 恐くて、足がなかなか進まなかった。

 まだ半分も行ってない時、
Sちゃんが小声で言った。
 「行ったことにしない?
・・・ここにいて、しばらくしたら戻ろう!」。
 Sちゃんの足は、ガクガク震えていた。
私は救われた。
 すぐに答えた。
「ウン! そうしよう!」。
 
 暗やみで、しばらくの時間を耐えてから、
ゆっくりみんながいる宿直室へ戻った。
 「幽霊、いなかったよ」。
2人一緒に口をそろえて言った。

 その後、暗い廊下やトイレの中の様子を、
報告し合った。
 私もSちゃんも口裏を合わせることに、
必死になった。
 背中にいっぱい汗をかいた。

 思い出すだけで、今も少し心が痛む。


 校長として勤務したS区は、
昭和20年3月10日の『東京大空襲』で多くの犠牲者を出した。

 私が赴任した小学校の周りにも、
沢山の焼夷弾が降った。
 逃げる人々が校舎内や校庭の防空壕へ避難した。
しかし、校舎も防空壕もB29爆撃機の攻撃で焼かれた。
 多くの方が折り重なるようにして亡くなった。
 
 戦後、同じ場所に校舎は再建されたが、
私が赴任する数年前まで、児童が利用する正面玄関の床には、
人が焼け死んだ黒い焦げ跡が残っていたと言う。

 そんな無念な最期をとげた方々には、
大変失礼な話だが、許してほしい。

 そんな歴史がある学校である。
大空襲の犠牲者にまつわる「学校の怪談」が、
いろいろとささやかれ続けてきた。

 校長の私は、そんな話にまったく耳をかさなかったが、
それでもなんとはなく耳に入った。

 その1つが、心霊スポットであった。
校舎1階の廊下の角を曲がった辺りがそれだと言う。

 その角は、別棟の物置へ行く扉があり、
施錠を解くと、外へ出られた。

 その頃、校舎内での喫煙が禁止になった。
その扉から外に出た物置の横だけが、喫煙所になった。
 愛煙家は、わざわざそこでたばこを吸った。

 まだ私もたばこを止められずにいた。
1日に数回、その喫煙所まで行っては煙をはいた。

 それは、夏の蒸し暑い日だった。
遅くまで仕事に追われた。
 帰り道での歩きたばこは止めようと、喫煙所へ向かった。

 学校には警備員さんだけで、もう誰も残ってなかった。
薄暗い廊下だった。
 歩きながら、心霊スポットを思い出した。
決して信じていた訳ではない。
 なのに、突然冷たい空気を全身で感じた。
鳥肌になった。

 そんな馬鹿なと思いつつ、
廊下の角の扉から外へ出て、
物置横でたばこをくわえた。

 その時だった。
閉めたはずの扉が、バタンと音をたて閉まった。
 瞬間、薄暗い先の扉をパッと見た。
人影などあるはずもなかった。
 静かだった。 

 急に恐くなった。
でも、「そんな馬鹿な!」と心を落ち着け、たばこを吸った。
 風もない。
他に残っている人もいない。
 なのになぜ扉の閉まる音が・・・。
ドキドキ、ドキドキが止まらない。

 まだたばこは半分も残っていたが、
もみ消した。
 恐る恐る扉に近づき、ノブを回して廊下へ戻った。
しっかりと施錠し、校長室へ向かった。
 また、一瞬冷たい空気が全身を通り過ぎた。
鳥肌がたった。
 
 まさかまさかと思いつつ、学校を後にした。
駅までの道は明るく、人々が行き交っていた。
 やっとドキドキを忘れた。

 この体験は、今日まで封印してきた。
きっと私の思い過ごしと、今も信じている。
 



      アジサイは 夏の花
                   ※次回のブログ更新予定は7月29日(土)です
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カルルス温泉 高1の冬

2023-06-24 11:57:40 | あの頃
 北海道では毎日のように熊出没が、
ニュースになっている。
 特に、大都会である札幌での目撃情報には驚く。

 家内の妹夫婦は、札幌市南区で暮らしている。
真駒内公園に近いところだ。
 その公園も熊の目撃が相次ぎ、閉鎖になった。

 その義妹から、家内にLINEメールがあった。
一部を読んでくれた。
 「家から歩いて2分くらいの所でも、
熊が出たの。
 朝、ゴミ出しに行って、
もしも熊が座っていたらどうするの」。
 
 決して大げさじゃない。
現実味のあることだけに、私も家内も表情が曇った。

 伊達は、札幌とは比べものにならない小さな町だが、
ここ数年、熊出没の情報はなかった。

 ところが、ついに21日、熊らしいものを見たとの情報が流れた。
しかも、その場所は、私もご近所の方々もよく利用する
パークゴルフ場の近くなのだ。

 『ゴミ出しに行って、
・・熊が座っていたら・・』が、
私の町でも現実味を帯びてきたようだ。

 さて、4月に『カルルス温泉 高1の夏』と題し、
このブログで、キャンプでテントを張った場所が、
よく熊が出る所だと知り、慌てて撤退したエピソードを記した。

 今回は、同じ年の同じ温泉地で、
同じ仲良し5人組での冬バージョンである。

 今もカルルス温泉にはスキー場があるが、
当時は、新しくできたスキー場で賑わっていた。
 私たち5人は、ほとんどスキー経験がなかった。
本格的なゲレンデに立つのは、初めてのことだった。

 高校1年の男5人、何事にも無鉄砲な年頃だった。
突然、スキーが話題になると、
「スキー場に行ってみよう。滑ってみよう」と、
計画は即断即決、実行に移された。
 家族はあきれ顔だった。
 
 正月元日から2泊3日で、
室蘭から直行のバスでカルルスへ行った。
 到着するとすぐに、宿を探した。

 やや小高い所に木造の大きな旅館が見えた。
ここなら空き部屋があるだろうと訪ねた。
 「一番安い部屋でいいです」とたのんだ。
案内されたのが、大宴会ができるような大部屋だった。

 5人で泊まるには、あまりにも広すぎると思ったが、
高1の男子にはクレームをつけるだけの技量はなかった。
 黙って、部屋の隅に荷物を置いた。

 とにかく宿が決まった。
気分を変え、ゲレンデに行く身支度をして出発した。

 スキー場に着くと、貸しスキーをかかえてゲレンデへ。
見る人見る人、スイスイと滑っていた。
 簡単にできると思ったが、まずは練習をと、
小さな子に混じって、初心者コースで試した。

 5人とも小さい頃に子供用スキーで、
坂道を滑り降りた経験があった。  
 スキーの長さは違っても、転ぶことはなかった。
やはり簡単なものだった。
 2度3度滑り終えると、物足りなくなった。

 リフト券を買い、勢い込んでリフトに乗った。
初めての体験だった。
 ドンドン上がっていくリフトにつかまり、興奮していた。
眼下には、ゲレンデを滑る人々の姿があった。
 遠くを見ると真っ白な山々が連なっていた。
気分は爽快だった。

 ところがリフトを降りて、真顔になった。
先に見える急な斜面は、予想外だった。
 見下ろすだけで、怖じ気づいた。

 5人とも、滑り降りることをためらい、立ち尽くした。
後ろからリフトを降りた人たちが、次々と滑っていった。
 スキーを履いたまま、ストックをしっかりと雪面に刺して、
滑り止めをし、その場にいつまでもいた。

 5人を見て、スキー場の人らしい方が声をかけてくれた。
正直に言った。
 「怖くて、滑って降りられません!」。
「そうですか。じゃ、こちらのコースからゆっくりと降りましょう。
私の後ろをついてきてください。
 途中で何回も休みながら降りましょう」。

 少し進んだところに、
見ていた斜面とは違うコースがあった。
 やや斜面が緩やかだった。

 私たちは一列になって、彼の後から斜面を、
斜めに横断するように滑っては向きを変え、
また滑っては向きを変えをくり返した。

 ようやくリフト乗り場近くまで着いた。
お礼を言う私たちに彼は、
 「しばらくこの辺りで練習したら、また挑戦してください。
今のように斜めにゆっくりと滑り降りるといいんです。
 すぐに慣れますから」。
 
 5人とも、最初の意気込みが消えていた。 
暗くなるまで初心者コースを滑っては上り、
滑っては上りをくり返した。
 でも、再びリフトに乗る気にはなれなかった。
スキーは面白いものではなかった。

 旅館に戻って、夕食前に温泉に入った。
ポカポカとほてる体で、食堂で夕飯を食べ、
5人は広すぎる部屋に戻った。

 驚いたことに部屋には、テレビも暖房もなかった。
布団が5組、隅の方に積んであった。
 さすがにこれには黙ってられなかった。
「暖房だけでも」とそろって頼みに行った。
 
 「寒かったら、いつでも温泉に入れるから温まって、
早く布団に入って寝てください」。
 そんな返事だった。

 広い部屋に戻ると、
布団を並べ、早々と潜り込んだ。
 何も楽しくなかった。

 翌朝、温泉の湯船につかりながら、相談した。 
予定を変え、1泊にした。
 でも、1日練習して、もう1回だけリフトに乗ろう。
そして5人で滑りおりてから、帰ろうと決めた。

 楽しくないことと楽しくないことのままで、
終わるのは嫌だった。
 前日、私たちを先導してくれた方の
「すぐに慣れますから」が背中を押した。
 初心者コースで、昨日以上に黙々と滑った。

 そして、午後、意を決してリフトに乗った。
ジャンケンに負けた私が先頭で、
前日と同じようなコース取りへ、
何度もターンをして無事滑り降りた。
 5人で歓声を上げた。
楽しいと思った。

 何度も、リフトに乗りたくなった。
もう1度、上から滑りたかった。
 でも、あの大部屋に泊まるのは嫌だった。

 「明日、天気が悪くなるみたいだから」。
家族には、そんな理由付けして帰宅した。
 夏に続いて冬も2泊3日の計画が、
1泊2日になった。




   ツルアジサイ ~水車アヤメ川自然公園
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