ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

『 高 齢 者 講 習 』デビュー ≪前≫

2022-12-17 14:02:21 | 出会い
 75歳を過ぎたら、運転免許更新の時に、
「高齢者講習」の受講が必要になることは、知っていた。

 「まだ半年も先だが、来年4月の誕生日には免許更新だ。
丁度75歳か!」。
 指を折って数えていたら、受講案内の葉書が届いた。

 案の定『75歳以上の方の免許更新には必要』とあった。
「ついにその年齢が来たか!」。
 ハッキリと知らされ、重たい気分のまま、すぐに講習日の予約を取った。

 認知機能検査と運転技能講習、
それに視力検査を行うことは、
受講経験のあるご近所さんから、なんとなく情報が入っていた。

 しかし、どんなことでも未経験は、不安なもので、
講習の当日は、いつもより早くに目が覚めた。
 会場の自動車学校までは、車で10分もかからない。
その上、朝ランでもよく通る慣れた道だ。
 なのに、集合時間より40分も早くに家を出た。

 会場に着くと、まだ時間に余裕があるのに、
受付では、受講者の呼び出しが始まっていた。
 これも年寄りに合わせてのことかと、小さくため息した。

 4,5人が窓口前の長椅子に間を空けて、座っていた。
私の名前もすぐに呼ばれた。

 受講料と写真代で8300円を支払い、
証明用写真の撮影を済ませた。
 窓口前の長椅子で、同世代やそれ以上の方々と、
一緒に待った。 

 ここから講習が終了する正午まで、
様々な微笑ましい言動に出会えた。
 最近うつな気分だった私だが一変した。
久しぶりにハイで明るい気持ちになっていた。
 その前編として、受付窓口での場面から3つ。

 1つ目は、私が座った長椅子でのことだった。
1人分の席を空けた隣に、やや背中を丸めて座っている男性がいた。
 突然、その男性に近寄り、トントンと肩を叩いた方がいた。

 思わず首を上げた男性は、パッと明るい顔になり、
スッと立ち上がった。
 2人は向き合い、話し出した。
「30年、いや40年ぶりになるか」。
 「まだ、あそこに住んでるのか?」。
「そうだよ。変わらない。そっちは?」。
 「俺も、変わらない。ずっと同じ」。
「なんだ。そうか。ここで、逢うとは・・なあ。」。
 「いやぁ、元気そう!」。
「お互いに・・な!」。
 「でも・・・・・・」。

 私の横で、2人の立ち話は途切れることなく続いた。
時折、その2つの顔を、盗み見た。
 若い頃を思い出しているのか、思わぬ再会が嬉しかったのか、
2人のやりとりは、次第に張りのある表情に変わっていった。

 ここは、古い友人との出会いの場でもあったのか。
時には、若さを取り戻す機会になるのかも・・・。
 時々2人を見上げながら、私まで何かを取り戻していた。

 2つ目は、1人だけ集合時間に遅れて来た方のことだ。
私より一回りは年上と見えたが、
大柄で屈強そうな男性だった。

 すぐに受付の窓口へ行った。
手慣れた事務員の女性が、差し出した免許証を見て言った。
 「住所は、S町ですね」。
「そうだ。今は伊達の娘の所にいるけどね」。
 事務員は、その答えで十分だった。
だから、次に質問をしたかったようだ。

 しかし、男性は続けた。
「だけど、S町の家はそのままにしてあんだ。
 娘が心配してここに呼んでくれたんだ。
でもなぁ、もしも喧嘩したとき、
 帰る家がなかったら、困るべ。
だから、家はそのままにしてあるんだ。
 それで、いいと俺は思ってるんだ」。

 事務員は、返答に困っていた。
しかし、窓口の長椅子に座る受講者のみんなは、
じっと男性の声に聞き耳を立てていた。
 自分の境遇と比べていたよう。
私も、その1人になっていた。
 男性の気持ちが身近にあった。
どの人も、同じような想いを共有しているに違いない。
 何故か、穏やかな空気を感じた。
 
 3つ目は、同じ大柄な男性のことだ。
受付を済ませ、近くの長椅子に腰かけてすぐだ。
 再び、立ち上がり窓口へ男性は向かった。

 「マスク 忘れた。
あったら、1枚、売ってくれない?」。
 見ると、その大きな顔にマスクがなかった。
「マスクですか。ありますよ。
お待ち下さいネ」。
 事務員は、席を離れ、マスクを探しにいった。

 しばらくして、立体型の肌色マスクを男性に渡した。
 「おう、ありがとう。いくら?」。
「いいです。差し上げます」。

 礼をいって、長椅子に戻ると、
早速、そのマスクをしようとした。
 その様子が、私からも見えた。

 あきらかに、男性の顔にマスクは小さかった。
両耳にかけると左右に伸び、顎まで十分に覆えなかった。
 女性用の小顔マスクでは・・・。
男性は、一度そのマスクをはずし、まじまじと見た。
 でも、再びそれをした。
 
 無料でいただいたマスクだ。
その上、一度かけてしまった。
 「小さいからもっと大きいのがほしい」とは、
誰だって言えやしない。

 男性は、時々マスクをはずしては、
耳の裏をマッサージした。
 それを繰りかえしながら、ずっと講習を受け続けた。
小さなマスクへの不満など、一度も口にしない。
 顔にも出さない、

 大きな顔に小さな肌色マスク。
可笑しさがこみ上げてもいい。
 でも、それよりも同情が優った。

 いや、黙ってそのマスクをし続けた男性の強さに、
私は脱帽していた。
  
 次回は、講習会場でのエピソードを・・。

 


       冬空とナナカマド 
               ※次回のブログ更新予定は 12月31日(土)です
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新 し い メ ニ ュ ー に

2022-07-16 14:07:28 | 出会い
 1日3食の全てが家内と2人だけ。
時には外食に出たくなる。
 ところが、身近の外食店にも限りがある。
店の雰囲気や味に、新鮮味が感じられず、
ため息することしばしば・・。

 お店にとって、「いつもの変わりなさ」を大事にするのは、
必要なことだと思う。
 しかし、その店ならではの新メニューなど、
新しさへのチャレンジに気づくと、私はことのほか嬉しくなる。
 2つを記す。

  ①
 私より10歳も上の兄は、
今も魚料理専門の店で、忙しく立ち働いている。

 年に数回、その店に顔を出すと、
10年前と何一つ変わらず、厨房のまな板を前に、
刺身包丁を握っている姿がある。

 しかし、体力の衰えは仕方なく、
最近は、昼食時間帯は息子らに任せているらしい。

 それでも、うまい魚への目利きは、
兄じゃなければダメなようで、
60歳になる息子を従えて、毎朝魚市場へ足を運んでいる。

 先日、久々に顔を出すと、
「いいところに来た。
今日は、美味い刺身がある。
 用意するから、待っていろ」。
相当自信があるらしく、兄の声には張りがあった。

 カレイの煮付け定食と一緒に出てきたのは、
白身の刺身だった。
 一切れを箸でつまんでみた。
身の締まり方や油のりに、見覚えがなかった。

 不思議そうな顔の私を見て、
「食べてみれ。美味いから」。
 またまた自信ありげな声だった。

 半信半疑、わさび醤油を少しつけてから、味わう。
ややふっくらとしているが、歯ごたいのある身だった。
 その上、咬めば咬むほど、品のある甘みが口の中で広がった。

 白いご飯とよくマッチした。
「これは!」と、もう1切れを口に。
 自信ありげな兄の態度に納得した。

 皿にならぶ刺身を再確認すると、
奮発したのか10数切れが、整然と並んでいた。
 嬉しくなった。

 だから、勢いよく訊いた。
「これ美味いなあ。なんの刺身なの?」。
 「なあ! 美味いべ。キンキだよ。
キンキの刺身!」。

 皿の刺身をじっと見た。
キンキの刺身なんて、見るのも聞くのも
食べるのも初めてだった。

 キンキは高級魚。
スーパーで、並んでいるのを見ることがある。
 やや大きめなら5千円の値がつく。
お頭をつけたまま煮付けにするのが、定番料理だ。
 じつに美味い。

 それが、生のまま。刺身なのだ。 
しかも、大きめの半身分が皿にもられて・・。

 もう言葉は邪魔だった。
白いご飯を片手に、カレイの煮付けも十分美味しいが、
それよりもキンキの刺身に心奪われた。
 ただ黙々と食べた。

 食べ終えてから、兄に言った。
「すごく美味かったけど、
キンキが刺身で出てくるなんて、ビックリだよ」。

 「3ヶ月くらい前になるかな。近くの回転寿司屋に行ったら、
キンキの握りがあってさ・・。
 そこで俺も初めて生のキンキを食べてみたさ。
これはいけると思って、うちでも刺身でだすことにしたんだ」。

 そう話しながらも、包丁を握る兄の手は休みなく動く。
立ち上がって、カウンター越しに手元をみると、
大ぶりのキンキが数匹、3枚に身おろしされていた。
 「明日、予約が入っているから、
刺身で出してやろうと思ってさ」。

 「それは、喜ぶよ!」。
お客さんの美味しそうな顔が、目に浮かんだ。

  ②
 東京で勤務していた頃、
時々北海道ラーメンが食べたくなった。
 そんな時に、何度か、
新橋駅近くにある『味の時計台』まで行った。

 初めて当地を訪ねた時、
『味の時計台』伊達インター店があることを知った。
 以来、自宅建築の打ち合わせに来るたびに、
昼食は、その店の味噌ラーメンにした。

 これから先、この美味しさが身近にある。
それだけで嬉しかった。
 移り住んでからは、懲りずによくその店でラーメンを食べた。

 3年前になるだろうか。
その日も夕食をラーメンにしようと、
2人で『味の時計台』へ行った。

 何を思ったのか。
その日の家内は、伊達インター店だけの特別メニューの一覧表を手にした。
 「たまには、違う物を食べてみる」と、
店オリジナルの『あんかけ焼きそば』を注文した。

 北海道ラーメンの名店『味の時計台』で、
ラーメン以外のものを注文する。
 そんな家内の思いつきに、私は納得がいかなかった。

 特別メニューを提供する店も店だが、
どの味のラーメンも、飽きのこない美味しさだ。
 客はその味を求めて、来店する。
店は『味の時計台』のラーメンに、
自信と誇りを持ってお客の提供すれば、それでいい。
 『あんかけ焼きそば』なんて、私には邪道にしか思えなかった。
私は、変わらず味噌ラーメンを食べた。
 当然、美味しいに決まっていた。

 数が月して、再び、暖簾をくぐった。
「だって美味しいんだもの」と、
家内は、また『あんかけ焼きそば』を注文した。
 周りのお客のオーダーが気になった。
『あんかけ焼きそば』は、かなりの人気だと知った。
 邪道と思い続けた私は、その人気を無視した。

 ところが、1年程前だったろうか。
「魔が差し!」。
 その日、目指した中華料理店が休業していた。
急遽、その足で『味の時計台』に向かった。

 邪道と思いつつも、そんないきさつが、
「同じ中華だ」と、家内と一緒の『あんかけ焼きそば』にさせた。

 10数種類の具材が入ったその焼きそばは、
食べ進めるにつれ、『味の時計台』ならではのものだと気づいた。
 名店のラーメンと変わらない美味しさに私は、十分満足した。
思い込んでいた「邪道」を、簡単に返上した。

 今は、味噌ラーメンより『あんかけ焼きそば』を食べに、
『味の時計台』伊達インター店へ行く。

 今年の春、その店の真っ赤な大看板がリニューアルされた。
見上げると、味噌ラーメンや醤油ラーメンが消え、
あんかけ焼きそばと餃子の文字が並んでいた。

 その看板に私は納得した。
そして、それを見た方が、
私のように「邪道」と思わず来店することを祈った。
 



    夏の花 ・ アジサイ 
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続・マラソン大会 小話

2021-03-06 15:42:33 | 出会い
 遂に3月だ。
待ちに待った春が近づいている。
 そんな矢先、数日前だが、
当地での9回目の冬にして、
一番の大雪になった。

 朝、重たい粉雪が降りしきる中、
2時間以上かけて雪かき。

 そして、庭に高く積み上げられた雪山を、
これまた1時間以上かけて、
雪降る中で、平らにする作業。

 ようやく小降りになってきた午後3時頃から、
今度は3時間もかけで、2度目の雪かき。

 わが家だけじゃない。
隣近所、どこもみんな、
同じようなタイミングで雪と格闘した。

 もう雪は、これが今年の最後と願いたい。

 さて、例年なら、伊達ハーフマラソンまで1ヶ月余りとなり、
朝のランニングにも真剣さが増す頃である。
 残念だが、早々大会はコロナで中止になった。

 また、5月の洞爺湖マラソンも同じく中止。
こちらは、よく言うオンラインマラソンを行うらしい。
 メールでそのお誘いが届いた。
参加するかどうか、迷っている。

 いずれにしても、1昨年まで参加した各地のマラソン大会が、
懐かしく思い出される。
 そこでのエピソードの続編を記す。

  ④ お先にどうぞ!
 大会当日の朝食は、いつもとは違って、和食にする。
スタミナを考えると、大会の朝はパンよりごはんの方がいい。
 そんな情報を耳にしたことを信じているからだ。

 それ以外は、いつもと変わらない朝なのに、
どの大会でも、会場に着くとやけにトイレが近くなる。

 マラソン会場のトイレ事情は、
どこでも年々よくなっている。
 まず特設トイレの数が、増えている。
その上、以前は共同だったが、
男女別に設置されるようにもなった。

 だが、私は特設トイレを使わない。
競技場や公園、近くの体育館にある常設トイレを、
使うようにしている。

 旭川ハーフマラソンでのことだ。
ホテルで朝食を済ませ、会場へ行った。

 ここは、会場の競技場近くにある体育館が、
ランナーの荷物置き場になっている。
 身支度を整えて、そこへ私物を預けてから、
もう1度、館内のトイレへ向かった。

 外には、沢山の特設トイレが並んでいた。
なのに、それに気づかないのか、
私のように特設を嫌ってなのか、
トイレ口から廊下まで、長い行列ができていた。

 スタートまでには、十分に時間があった。
急ぐことはない。
 列の後尾へついた。
するとすぐに、私よりやや小柄な中学生らしい少年が、
後ろに並んだ。
 きっと少年の部にエントリーしているのだろう。
ランナーの身なりをしていた。

 10分以上が過ぎただろうか。
ようやくトイレの入口まで進んだ。
 列の先頭まで、5人程になっていた。

 その辺りから、後ろの少年がモジモジとし始めた。
気になった。
 少年は、時々列から横にそれ、
先頭やトイレ内を見ては、さかんに足を動かし続けた。

 列は進み、ようやく私が先頭になった。
振り向き、思い切って少年に声をかけた。
 「次に、空いたら先に行っていいよ。」
順番を譲ってあげたのだ。

 なのに、少年はハッキリとした声で即答した。
「大丈夫です。お爺さん!」

 その後、スタートまでの間、
少年の答えを何回も何回も思い出し、
そのたび大きなため息をついた。

 そして、21キロの長い道々、
「お爺さんか・・、失礼な!」。
しきりに、私を励まし続けた。 

  ⑤ 長い時間、すみません!
 体育館のランニングコースで、
顔馴染みになったランナーがいる。
 健康維持のためにと、走り始めたらしいが、
メキメキと力をつけ、今では私よりも走力がある。

 その彼に一昨年のことだが、尋ねてみた。
「伊達ハーフマラソンは走らないんですか?」
 「知っている人がたくさん見てるから、
恥ずかしくて・・。だから、無理!」

 彼の回答は、私とは真逆だった。
「そんなことを気にかけるなんて!」。
 驚きと違和感で、しばらく返答に困った。

 私は、賑やかな声援がいつまでも続くコースを走りたいと願っている。
その中に、もしも家族や友人・知人がいたりしたら、
どんなにか嬉しいだろう。
 どれだけ励みになるだろう。
ランナーなら、みんなそうだろうと思っていた。

 彼と私は明らかに正反対なのだが、
ある年の伊達ハーフマラソンでのことだ。

 家内の知り合いUさんは、
毎年、R橋のたもとでランナーに、
声援をおくっているとのことだった。

 なのでと、家内はUさんから頼まれたと
「あなたのゼッケン番号を教えて欲しいんだって・・・」。

 Uさんとはお会いしたことがないが、嬉しかった。
早々、私の番号とその日着るTシャツの色、
橋を通過する予想時間まで、家内を通して伝えた。

 当日、予定通りランナーたちの長い列の後方から、
その橋まで来た。
 先頭が走り過ぎてから、30分以上が経過していただろう。
橋のたもとには、10人程の方が立っていた。

 その1人が、家内から得たイメージ通りのUさんだった。
Uさんは、私が近づいても、忙しなく首を動かしたり、
背伸びをしたりして、私を探していた。

 ランナーたちの間を縫って、
Uさんに近づいた。
 なのに、一向に気づきそうになかった。

 「このまま通り過ぎたら、声援がもらえない。
いや、それよりも、Uさんはこの後も、
ずっと私を探し続けることになる。」

 グズグズしていたら、Uさんの前を通過する。
私は沿道に向かって、言った。
 「ツカハラです。Uさんですよね。」
驚きの表情で、通り過ぎる間際の私を見てくれた。
 「はーい、Uです。」

 私は走りながら振り向き、
「長い時間、すみません!」。
 Uさんへ届くよう、声を張り上げ、
そのまま走り去った。

 ほんの一瞬のやりとりだったが、
その後の私を、力づけてくれた。




     昭和新山 再び冬景色       
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書き残し いろいろ

2020-12-26 14:38:13 | 出会い
 年末だからと、数年ぶりに書棚の拭き掃除をした。
すると、忘れかけていた雑誌や小冊子から、
私が執筆したものが出てきた。
 いくつかを転記し、今年を締めくくることにした。


  ① 某季刊教育誌に掲載  ~寄稿随筆から~
 
      生きる原点

 H氏は私と顔を会わすと必ず、
「先生、ぜひU村に足を運んでください。」
と言われます。
 その村は、皆様には馴染みがないかと思いますが、
N県にある「農村」と言っていいかと思います。

 この村に、私が以前勤務していたS小学校の卒業生H氏が、
『O山荘』という別邸を設けているのです。

 H氏はとうに70才を越えた方ですが、
H氏をはじめとする当時のS小の児童は、
終戦間近の昭和19年ころU村に学童疎開をしました。
 それが縁で、S小学校は村の小学校と姉妹校提携をして、
今も盛んに学校間交流をしております。

 この交流が決して絶えることがないように、
そして学童疎開という悲劇が風化することのないように、
そんな願いを込めて、10年以上前にH氏は私財を投じて
U村の旧農家を買い取り、山荘を開きました。

 私は、H氏にお会いするたびに、小学校6年生・12才の体験を、
昨日のことのように語る姿にふれ、
H氏の生きる原点が学童疎開と言う体験にあることを
思い知らされてきました。

 人間は誰でも、それぞれの長い人生の中で、
その人の生き方を決定づけるような出来事や事柄に出会うものです。
 それを私はその人の生きる原点と言ってきました。

 H氏のような強烈な出来事ではなくても、
学校生活を通してそんな原点を持つことになる子どもも
きっといると思います。

 そう考えると、私たちの1つ1つの行為の重大さに、
身の引き締まる思いがします。 


  ② 某月刊教育雑誌に掲載  ~子どもに語る例話(小学校向け)から

   くまの子ウーフは、何でできているの?

 神沢利子さんが書いた「くまの子ウーフ」のお話で、
私が一番好きなところを紹介しますね。

 ウーフは、毎朝、目をさますと決まってニワトリ小屋へ行くんです。
するとめんどりが必ず卵を一個ぽんと産むんです。
 翌日また行くと、また卵を一個産むんです。

 そんな朝をくり返しているある日、ウーフは大発見をするんです。

 「そうか、めんどりは、毎朝毎朝、卵を一個産むということは、
あのめんどりの体の中は卵だらけ、卵でいっぱいなんだ。
 つまり、めんどりの体は卵でできているんだ。」
と、ウーフは考えたのです。

 それで、そのことをウーフは、
友だちのきつねのツネタ君に話すんですね。
 「ツネタ君、めんどりはなんでできているか知っている?」
と、ききます。

 ツネタ君が、「さあ」と言うと、ウーフは、胸を張って、
「めんどりの体は、卵でできているんだよ。
だって、毎朝毎朝、卵を産むんだもの。
あの体は卵でできているに決まっている」
と、言うんです。

 そこで、ツネタ君は、
「じゃウーフ、お前は毎朝何をするんだ?」
 「うん、ぼくはオシッコ!」
「じゃ、ウーフはオシッコでできているのか?」
 「えっ。ぼくはオシッコでできているの。そ、そんなのいやだ!」

 ウーフは泣きながら、ツネタ君のところから逃げだすんです。
そして、坂道でころんでしまうんです。
 すると、足から血が出るんです。
目からは涙がいっぱい流れ出すんです。

 そこで、ウーフは、
「あっ、そうか。ぼくはオシッコだけじゃない。
血も涙も出るんだ。」
と、気がつくんです。
 そして、ウーフは泣くのをやめて、おうちに帰ります。

 おうちに着くと、ウーフはお母さんにきくんです。
「お母さん、ウーフはなんでできているか知っている?」。
 とてもやさしいお母さんは、
「さあて、ウーフはいったい何でできているのでしょうね」
と、答えます。

 そこで、ウーフは、
「お母さん、ぼくはね、ぼくでできているんだよ」
と、胸を張るんですね。

 私は、このウーフのお話をよく思い出します。
だって、ウーフはすばらしいと思いませんか。
 ウーフはいろいろと間違った考えを持ちます。
だけど、ウーフはそのときそのとき、
しっかりと自分の考えを持つでしょう。

 そして、間違いに気づくとまた新しい考えを持つ。
そうやって、本当のこと、真実にたどりつくんですね。
 皆さんが毎日している学習も、
きっとそういうものだと私は思います。


  ③ 某児童演劇協会パンフレット ~演劇教室推選文から

    子ども達の 期待に
 
 いつもは体育学習の場、朝会や集会、
入学式や卒業式などの各種行事の会場である体育館。

 そこが、その日は劇場に変わる。
ある時は、教室の自分の椅子を持って入場、
あるいは、体育用のマットが座席。

 でも、そこにはいつもとは違う特別な空気が流れている。
どの子もそれを敏感に感じ取る。

 私は、いつもその会場に、
子ども達全員が入場を済ませた頃合いを
見計らって入ることにしている。
 まだ静まりかえる前の子ども達のざわめきが、
そこにはある。
 朝会や児童集会のそれとは
一味違う子ども達のざわめきを感じるのは、
私だけだろうか。

 年に1回きりの演劇教室。
それは、子どもにとって特別な時間なはず。

 何が始まるのだろうと言った期待感。
いつも「できた」「分かった」「やりなさい」「しなけれれば」
と言った学校の時間と生活の中で、そこから解き放され、
今からは目の前で始まる人形劇や影絵劇、お芝居に、
自分の感情を泳がせることが許される。

 面白かったら笑えばいい。
悲しければ涙すればいい。
 理不尽には怒ればいい。

 その期待感が、いつもの上滑りのざわめきとは違った、
どこか落ち着きのあるしっかりとしたざわめきとして、
私の耳と心に響いてくる。

 これこそが演劇教室のあるがままの幕開け前。
私は、そこにこそ演劇教室の意義が、
全て凝縮しているように思える。
 教師はその期待感を感じ取り、
この教育活動をさらに発展継続するのを、
再認識しなければならない。

 また演劇人には、
そんな子ども達にいつも応える舞台を、
提供し続けてほしいと切望している。




  すごい降雪に ジューンベリーが 寒そう
               ※次回更新予定は 1月 9日(土)です
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『 も げ る ! 』

2020-08-15 15:02:01 | 出会い
 ▼ 今、伊達の小中学校は10日間程の夏休み中だ。
残念ながら、地域のラジオ体操はなくなった。
 夏祭りやサマーイベントも軒並み中止である。
日本中、どこも同じだろう。

 一つ一つの催しが、暮らしにメリハリをつけていた。
お盆の墓参りも同様だ。
 それらが全て、コロナでくるってしまった。

 世界が大きく変わる分岐点なのかも・・・。
「だから」と、「何かをどうかする」こともできやしない・・・。
 せめて、どんな想いで見聞きし、何を記憶に刻むか、
一人の目撃者として、気概だけは忘れないでいようと思う。

 さて、最近の私だが、やや調子がおかしい。
とにかく、『朝ラン』がダメだ。
 いつも、心が揺れる。

 2,3日おきに、5キロか10キロを走ってきた。
それが、危ういのだ。
 確かに、この1ヶ月程天候不順だった。
それだけが言い訳ではない。
 
 前夜、「明日は走ろう!」。
そう決めて、就寝する。
 ところが、その通りにことが進まない。

 目ざめても、その後のストレッチが済んでも、
まだ、ためらいが続く。
 「今日はやめにして、明日にしようか。」
そんな想いが、いつまでも巡る。 
 
 ようやく自分を励まして走りだしても、
2キロ付近までは,うつむいたまま走る。
 ようやく『朝ラン』が楽しくなるのは、
折り返しを過ぎてからだ。

 「何故だ?」。わかっている。
やはり目標が大事なのだ。
 例年なら、この時季は、
9月の『旭川ハーフマラソン』が意欲をかき立ててくれる。
 それがないのだ。

 それぞれの思いを持ってランナーが北都・旭川に集まる。
老若男女は違っても、みんな輝いて見える。
 その中の1人でいることが嬉しい。

 そして、自分のペースで1歩1歩進む。
みんな同じ方向を向いて、精一杯走る。
 私も一緒に頑張る。
義姉妹の声援にも助けられ、
矢っ張り、完走したくなる。

 そんなマラソン大会の楽しさを知った。
だから、『朝ラン』も続いてきた。

 「なのに!なのに!」なのだ。
どうも気乗りしない。
 「しかし・・、きっと・・、必ず・・、再び・・」。
いつかマラソン大会が開かれる。
 まだまだ先かも・・・。
それでも、『継続は力なり』だ。
 「老いてなどいられない!」。

 今は、大会にまつわる出会いをふり返り、
明日からの『朝ラン』のエネルギーにしよう。

 ▼ 総合体育館のトレーニング室が音頭をとり、
『スマイルジョグだて』と名づけたマラソン仲間ができた。
 最初の春、『伊達ハーフマラソン』に向けて、練習会があった。

 予定外だったが、若い連中に混じって、
本番同様のハーフコースを走ることになってしまった。

 当然、私はスローペースのグループだ。 
経験豊富な女性ランナーがコーチになり、
4人で走った。
 
 前後2人ずつ、並走した。
私と30歳代らしい女性が後方についた。

 1キロ7分少々のラップを正確に刻み、コーチは
私たちをリードした。
 
 坂道にかかると上りや下りの走法、
走行中に水を呑み込むコツなど、
走りながらコーチから教えてもらった。
 その教えは、今も役立っている

 さて、5キロを残した辺りで、コーチが言った。
「今日は別ですが、本番はここからペースを少し上げます。
 もうみんなバテバテでしょう。
その時に、頑張って数人を追い抜くの。
 すると力が湧いてきて、
ゴールまでいいペースで走り切れるから・・。」 

 感心して聞いていた私の横で、
そこまで一緒に走ってきた彼女が、
荒い息のまま、初めて声を上げた。   

 「私、抜かれてガックリする方だった。
今度は、絶対そうする。」
 前方を見たまま、
晴れ晴れとした顔をした。

 しかし、その後2回も、
それをやってのけるとは思いもしなかった。

 ▼ その日から2週間後が、本番だった。
全道から健脚が伊達に集まった。
 活気があった。

 コーチからのアドバイスをすっかり忘れ、
ただただ完走だけを目指した。
 だから、1キロごとのペースを守って走ることを心がけた。

 伊達ハーフマラソンコースは、10キロから15キロまでが上りだ。
次第に走力が落ちた。
 上りが終わり、1キロが過ぎても、
ペースは遅いままで戻らなかった。
 周りのランナーも、同じようにバテバテで走っていた。

 その時だ。
「ワァ、追いついた!」。
 張りのある女性の声が後ろから聞こえた。
2週間前、私と並んで走った彼女だった。

 その走りには勢いがあった。
荒い息のまま、彼女は言った。
 「もう、足、もげそう。
でも、何人も抜いてきた。
 最後まで頑張れそう。」

 私の返答など聞くこともなく、
彼女は走り去った。

 ゴール後、会場に彼女がいた。
自己ベストだったと明るかった。
 「足、もげると思ったけど、
最後を頑張れたから・・」。

 相変わらず私は、終盤に失速したことを悔いていた。

 ▼ 同じ年の5月、洞爺湖マラソン大会で、
初めてフルマラソンに挑戦した。
 彼女も、初めてエントリーしたと聞いていた。

 31キロ過ぎの苦境を乗り越え、
ただただ1歩又1歩とゴールに向かって、粘った。

 私の限界が間近だと思いつつ、
『ゴールまで3キロ』の標示を見た。
 ここまで39キロも走ってきたのに、
「もう無理かも」と弱気になった。
 その時だった。

 「ワァ、追いついた!」。
張りのある女性の声が、後ろから届いた。
 聞き覚えがあった。

 「1歩1歩足を前へ!」。
それだけが全てだった私に、向けられた弾んだ声だ。
 嬉しかった。

 彼女は私と並ぶと、すぐに言った。
「もう、足、もげそう。でも、最後まで頑張る。
残り5キロから、何人も抜いてきたよ。」

 彼女は、しばらく並走してくれた。
「ありがとう。先に行って。」
 私が促すと、彼女はペースを上げ離れていった。
1人2人と追い抜く姿が見えた。

 私に力が戻った。
「ここからだ。1人でも2人でもいい、
追い抜いてゴールするんだ。」
 そんな気持ちになっていた。

 完走したゴールの先で、
芝生にスラッとした足を投げ出した彼女がいた。
 「足、もげなかったね。」
私が言うと、
 「うん、また走っても、この足、付いているみたい。」

 その日以降、彼女には会っていない。
転勤したと聞いている。
 いつかどこかの大会で、今度は私が言う。
「ワッ、追いついた!」。
 そして、「足、もげそう。」って、
必ず言う。




   夏 ガクアジサイが 素敵!
                ※次回のブログ更新予定は 8月29日(土)です  
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