ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

遊び心 と 幼心 

2016-04-22 21:54:49 | あの頃
 私は、男3人女2人の5人兄弟の末っ子である。
今とは違い、当時はよくあったようだが、
一番上の姉とは20歳以上も年の差があり、
二人の兄とは12歳と10歳、
一番近い姉でさえ6歳も離れていた。

 だから、子どもの頃は、当然、
対等な感じは全くなく、いつも上下関係の仲だった。

 兄弟の中で、一番明るく、行動的だったのは、
このブログにもしばしば登場する10歳違いの兄で、
幼い頃から私の記憶に、鮮明に残っている。

 確か5歳、小学校入学前である。
今にして思えば、滑稽なだけであるが、
兄のちょっとした遊び心が、
私の幼い心を痛めた出来事があった。
 その2つを記す。



  1 お湯になっちゃうの!


 私は、北海道室蘭に生まれました。

 大きな製鉄所や製鋼所があり、
昔から『鉄の町』として有名でしたが、
加えて、海がとても綺麗で、その美しさは今も変わりません。
 その海に、10歳も年上の兄と、
一緒に行った時のことです。

 兄は、まだ5歳の私を自転車の後ろに乗せて、
海に長々と突き出している防波堤の先まで、
連れて行ってくれました。

 秋になろうとしている頃だったと思います。
兄は、釣り糸を垂れ、
私はその周りで時間を過ごしていました。

 ふと、遠くに目をやると、
真っ赤な太陽が水平線先の、海の上にありました。
雲一つない晴れ渡った日でした。
 私は、その太陽があまりにも大きかったので、
しばらくぼう然と見入っていました。

 波はなく、海は真っ平らで、
青い空がそのままの色で染めていました。
 穏やかな海の先からは、太陽の朱色の陽差しが、
少しだけ扇を広げたように、海面に伸びていました。

 突然、兄が太陽の日差しを顔に受けながら、
言いました。

 「見てみろ。あの太陽はものすごい熱さで、
燃えているんだぞ。
 その熱い熱い太陽が、もう少しするとこの海に、
だんだんと沈んでいくんだ。
そうしたら、この海はどうなるか分かるか。」

 私が、不思議そうな顔で兄を見ると、
それこそ今まで見たこともない真剣な表情で、
兄は私の顔を見て言いました。

 「いいか、この海がな、
ジューッという、ものすごい音をたて、
熱い熱いお湯になるんだ。
お前なんか、一片にやけどしてしまうぞ。」
「エッ、ここがお湯になっちゃうの。」

 私は、もう怖くて怖くて、
釣り糸を垂れる兄の手を、力いっぱい引っ張って、
「早く帰ろう。早く帰ろう。」
と、大泣きしたのでした。

 兄が、「ウソだよ。ウソだよ。」と言っても、
防波堤から離れるまで、私は泣き止まなかった。
 


  2 小人さんが住んでるの!

 我が家で、テレビを見ることができるようになったのは、
小学校4年生の時でした。
 それまで、娯楽の第一は、ラジオでした。


 記憶は、実にあいまいで混沌としていますが、
当時人気のあった、花菱アチャコが出ている、
ラジオドラマを、毎週、家族そろって聞いていました。

 5歳の頃だったかと思います。

 ドラマには、バス通りに面した店先が出てきました。
内容は全く思い出せませんが、
バスやトラックが走る音がしました。
時には、自転車のベルの音も聞こえました。
 たいそうにぎやかな町だったようでした。

 幼心にも私は、そのバス通りの賑わいや
たくさんの人々のやりとりが、
茶だんすの上にあるラジオから聞こえてくることが、
不思議でなりませんでした。

 ある日、思い切って、
学校から帰ったばかりの兄に訊いてみました。
 「どうして、ラジオから人の声や、
自動車の音がするの。
犬の声だって聞こえるよ。ねえ、どうして。」

 10歳年上の兄は、私を見て、
一瞬、明るい表情を作りニコリとしましたが、
すぐに真顔になりました。

 「あのなぁ、あのラジオの箱には、
何人もの小人が住んでいるんだよ。
 小さくて、よく見えないけど、小人の町があり、
小人が乗る車も自転車も走っているんだ。」

 私は、ビックリして、
胸がドッキンドッキン鳴りました。
 「ラジオの小人たちが困らないよう、
兄ちゃんや俺たちで、毎日交代で、
あの箱の中に食べ物をやってるんだぞ。
お前ももう大きくなったから、
どうだ、水くらい毎日あげられるか。」

「うん、できる。どうやってラジオに入れるの。」
「箱の中は大変だから、コップに水を入れて、
ラジオの横に置いておけばいい。できるか。」
「大丈夫。椅子に乗ればできる。」
 兄からの思いがけない提案に、
私は嬉しさで、いっぱいになりました。 

 さっそく、その日の夕方、
兄たちが遊びから戻ってこない時に、
押し入れから踏み台を取り出し、
コップに入った水を、ラジオの横に置いた。

 「小人さん、今日から僕がお水をあげます。
これでいいですか。小人さん、さあお水をどうぞ。」
 小人たちが、驚かないようにと、
小さな声でやさしく言いました。

 翌日も、その翌日も、水を入れ替えました。
 そして、それにだいぶ慣れた日でした。

 母がいましたが、私は構わず、
夕方、踏み台を取りだし、水を取り替えました。

 「小人さん、お水をどうぞ。」
 それを聞いた母は、目を丸くしました。
「何をしてるの。」
「ぼくが、小人さんに水をあげることになったの。」
私は、胸を張りました。

 「誰に言われたの。」
 「小人さんなんか、いないわよ。」
 「だまされたのよ。」
 「からかわれたのよ。」
母は、たてつづけに言いました。

 私は、「小人さんはいない。」と聞かされ、
突然、悲しくなりました。
 兄にウソをつかれたことよりも、
もう水をあげられないことが寂しくて、
声を上げて泣きました。

 母は、遊びから戻った兄を、大声で叱っていました。
兄のニヤリッとした顔が、泣きじゃくる私を見ていました。




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コメント
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