学校現場を去って6年になる。
当時に比べ、学校はさらに様変わりしているのだろう。
時々、聞こえてくる先生たちの声からは、
仕事量の拡大を初めとした厳しさや、
指導の難しさ等が増しているように思う。
確かに、私の現職時代を思い出しても、
年々、子どもの有り様が変わり、
一人一人の違いが目立つようになった。
その一人一人に的確に応じるのは、
難しさと共に、相当のエネルギーが求められた。
きっと、その傾向は益々進んでいるに違いない。
その上、様々な方面からの学習要望も、
そのレベルと共に、ジャンルも多様化してきているようだ。
そして、今や、学力向上と共に、
体力向上までもが最重要課題になった。
余談だが、
体育の授業等で、培われた体力を測定するはずの体力検査だが、
検査の方法を習熟し、よりよい測定結果を出すためにと、
体育の授業が使われている。
本末転倒と思えてならない。
結果オンリーの空気感がそうさせているのだろう。
先生方に、大きな徒労感が蔓延しても不思議ではないと思う。
このような状況下にあって、
日々奮闘を余儀なくされている先生方に、
心からのエールを送りたい。
ある先輩が、こんなアドバイスをしている。
◎踏ん切り・変更
「人間相手の教育はなかなか思い通りに行きません。
精一杯努力してもダメなら、ある時点で踏ん切りをつけ、
方針変更する柔軟さも必要です。」
◎仕事以外の仲間・趣味
「教師はどうしても学校という
閉鎖空間に置かれてしまいますので、
時には意識して教師以外の仲間と交流したり
趣味に没頭したりして、ストレス解消を心がけましょう。」
◎息抜き・充電
「残業時間が増える一方の教員の勤務ですが、
年に2~3回は無理をしてでも
計画的に休みを取るなどして、
息抜き・充電をしましょう。」
先生方には、この助言を
しっかりと受け取ってほしい。
きっと、これらの行為が新鮮な息吹きを与え、
新しいエネルギーを生み出してくれると思う。
しかし、それ以上に先生方を力付けるのは、
何と言っても、生き生きと成長する子どもの姿である。
授業を中心とした学習指導と、
日々の生活指導を通して育まれた、
先生と子ども、子ども同士の
良好な人間関係が全てと言ってもいい。
この環境が、必然的に子どもの変容を促し、
先生を励ますのである。
30歳代の終わり頃だった。
荒れに荒れた6年生の学級を担任した。
何から手をつけていいのかさえ分からなかった。
しかし、粘り強い指導が次第に実を結んだ。
「先生から、人間は優しくなければいけないと、
教えてもらった。
もう決して乱暴はしません。」
一番の暴れん坊が、そう言い残して卒業していった。
子どもの前で初めて涙があふれた。
それまでの疲れが、一瞬にして消えた。
先生とは、そういう性質をもった者たちだと思う。
さて、『先生の応援団』と言う本題に移る。
最近、各種の報道から、
学校や先生方のこんな訴えが聞こえる。
(1) 教育委員会等からの、
調査依頼や各種報告書の提出が増えた。
(2) 管理職や同僚による、
指導と言う過度な干渉や管理の強化が進んでいる。
(3) 保護者・地域等からの、
理不尽な批判や一方的な要求が絶えない。
これらは、先生方に不満やいら立ち、
そして多忙感やプレッシャー、
遂には焦りや諦めをもたらしている。
これは、学校や先生方にとって、明らかな悲劇である。
上記に上げた三者の現状は、
残念ながら先生方の意欲や実践の足を引っ張り、
後退に力をかしていると言っていい。
しかし、本来、この三者は、『先生の応援団』のはずである。
以下、いくつかの事例を示す。
どうか、『先生の応援団』として、
本来の力を取り戻し、発揮して欲しい。
「頑張れ、応援団!」
(1) 教育委員会等の場合
いじめが今ほど大きな課題となっていなかった頃、
私が着任した学校で、その小さな芽が膨らみ始めていた。
まだいじめの定義や指導のあり方が明確でなかった頃だ。
当時、意欲的な指導主事が、区教委に数名いた。
彼らは、専門家の援助を受けながらも夜を徹して、
『いじめをなくそう』と題する補助教材を作成した。
相当のご苦労があったようだ。
教委のトップもそれに予算をあて、
区内の全小学校高学年と中学生向けに、印刷・配布をした。
学校でも、それを活用して、くり返しいじめの授業が行われた。
まだ、いじめの指導が始まったばかりだった。
先生方にとって、その教材は大きな指導指針になった。
私の学校では、いじめと思われるようなことが、
姿を消していった。
▼ この事例は、教育委員会が学校の現状を先取りし、
先進的で専門的な援助をしたものと言える。
学校や先生の応援団、そのものである。
教育行政と言う役割から、
学校の現状把握の調査等は必要なものであろう。
大切なのは、その上での教委ならではの施策である。
それが『先生の応援団』になる。
(2) 管理職・同僚の場合
3月に大学を卒業したばかりの先生が、
4年生担任になった。
全く自信がなかったが、毎日全力で子どもと向き合った。
最初はおとなしく先生の言葉を待っていた子ども達だったが、
不明瞭な指示と不安げな表情に我慢ができなくなった。
夏休み前には、
「お願いだから、私の言うことを聞いてください。」
と、先生が言うようになった。
夏休み明けからは、一人で学級を治めることができなくなった。
翌年、担任をはずれた。その翌年、本人の強い希望で、
今度は3年生の担任になった。
その年、新しい校長が着任した。
早々、その先生の指導ぶりを見にいった。
2年前と同じ道を進むと思った。
時間をかけて、面談をした。
そして、指導の上手なA先生の授業を、
週に1回は見せてもらうこと。
そして、校長との交換ノートを作り、
どんな相談事でも書くことにした。
時間をぬって、A先生の授業を見に行った。
その感想や子どもの様子を、ノートに殴り書きして持ってきた。
そのつど、校長は丁寧な言葉をそえて、戻した。
ある日、そのノートに、
「A先生の言葉は、一人一人の子どもの心に届いている。
私は、それができていない。」とあった。
校長は、これを待ってたとばかり、
「よくぞ気づいた。」と、褒めた。
「不安は不安のままでいい。心配は心配のままでいい。
子どもの心に届いたら、
子どもはそれをそのまま受け入れてくれるよ。」
と、添えた。
その年、そんな気づきとアドバイスが、
いくつもくりかえされた。
今、その先生は中堅教員として、
学校になくてはならない存在になっている。
▼ この事例は、多忙を承知の上での取り組みである。
その苦労が、教師としての成長にしっかりと結びついた。
まさに報われたのである。
管理職や同僚による安易な叱責や、その場限りの助言は、
ともすると迷いや自信喪失に繋がりかねない。
同じ学校にいる者として、苦しみや辛さを共有し、
共感的で、かつ粘り強い支えになることが重要なのである。
私は、同じ学校の管理職や同僚だからこそ、
『先生の応援団』になれると思っている。
(3) 保護者・地域等の場合
15年前、池田小学校の悲惨な事件以来、
子どもの安全に対する取り組みが急激に高まった。
その頃、学区内の町会では、子どもの安全のために、
力を貸したいと言う気運があった。
町会長さんが、一人の健康な年寄りに声をかけた。
「朝だけでいいから、あの交差点で子どもを見守ってほしい。」
それを聞いた気まじめな彼は、
朝だけではなく下校時も交差点に立った。
それは、町会長さんと彼だけの口約束だった。
誰もが、その内立ち消えてしまうと思っていた。
ところが、暴風の日も猛暑の日も、
彼は立ち続け、見守り続けた。
まさに、ボランティアの見本だった。
それを見ていた方が、
せめて一日くらいは休みをと、交替を申し出た。
やがて、一緒に見守る日が増えた。
そして、二人、三人と立つ人が現れた。
その中心に、いつも彼はいた。
町会の有力者がそれを見て、力になりたいと思った。
せめてこれ位はと、役所にかけあった。
学校名入りのジャンパーを作り、彼らに渡した。
思いもしなかった贈り物に、涙を浮かべた。
そんな人々に支えられている学校である。
今度は、「俺たちにできることはないか。」と、
父親の有志が立ち上がった。
運動会や学芸会と言った大きな行事のたびに、
学校内外のパトロールを始めた。
▼ この事例は、学校が要望したものではない。
まさに、自主的自発的な行動である。
こんな人々に囲まれ、支えられて、学校での教育活動は、
毎日平穏無事に進んでいる。
これこそが、『先生の応援団』の真の姿ではなかろうか。
だから、この学校では、
保護者や地域からの理不尽な批判や要望は見られないのだ。
こんな色の『アヤメ』も咲いた
当時に比べ、学校はさらに様変わりしているのだろう。
時々、聞こえてくる先生たちの声からは、
仕事量の拡大を初めとした厳しさや、
指導の難しさ等が増しているように思う。
確かに、私の現職時代を思い出しても、
年々、子どもの有り様が変わり、
一人一人の違いが目立つようになった。
その一人一人に的確に応じるのは、
難しさと共に、相当のエネルギーが求められた。
きっと、その傾向は益々進んでいるに違いない。
その上、様々な方面からの学習要望も、
そのレベルと共に、ジャンルも多様化してきているようだ。
そして、今や、学力向上と共に、
体力向上までもが最重要課題になった。
余談だが、
体育の授業等で、培われた体力を測定するはずの体力検査だが、
検査の方法を習熟し、よりよい測定結果を出すためにと、
体育の授業が使われている。
本末転倒と思えてならない。
結果オンリーの空気感がそうさせているのだろう。
先生方に、大きな徒労感が蔓延しても不思議ではないと思う。
このような状況下にあって、
日々奮闘を余儀なくされている先生方に、
心からのエールを送りたい。
ある先輩が、こんなアドバイスをしている。
◎踏ん切り・変更
「人間相手の教育はなかなか思い通りに行きません。
精一杯努力してもダメなら、ある時点で踏ん切りをつけ、
方針変更する柔軟さも必要です。」
◎仕事以外の仲間・趣味
「教師はどうしても学校という
閉鎖空間に置かれてしまいますので、
時には意識して教師以外の仲間と交流したり
趣味に没頭したりして、ストレス解消を心がけましょう。」
◎息抜き・充電
「残業時間が増える一方の教員の勤務ですが、
年に2~3回は無理をしてでも
計画的に休みを取るなどして、
息抜き・充電をしましょう。」
先生方には、この助言を
しっかりと受け取ってほしい。
きっと、これらの行為が新鮮な息吹きを与え、
新しいエネルギーを生み出してくれると思う。
しかし、それ以上に先生方を力付けるのは、
何と言っても、生き生きと成長する子どもの姿である。
授業を中心とした学習指導と、
日々の生活指導を通して育まれた、
先生と子ども、子ども同士の
良好な人間関係が全てと言ってもいい。
この環境が、必然的に子どもの変容を促し、
先生を励ますのである。
30歳代の終わり頃だった。
荒れに荒れた6年生の学級を担任した。
何から手をつけていいのかさえ分からなかった。
しかし、粘り強い指導が次第に実を結んだ。
「先生から、人間は優しくなければいけないと、
教えてもらった。
もう決して乱暴はしません。」
一番の暴れん坊が、そう言い残して卒業していった。
子どもの前で初めて涙があふれた。
それまでの疲れが、一瞬にして消えた。
先生とは、そういう性質をもった者たちだと思う。
さて、『先生の応援団』と言う本題に移る。
最近、各種の報道から、
学校や先生方のこんな訴えが聞こえる。
(1) 教育委員会等からの、
調査依頼や各種報告書の提出が増えた。
(2) 管理職や同僚による、
指導と言う過度な干渉や管理の強化が進んでいる。
(3) 保護者・地域等からの、
理不尽な批判や一方的な要求が絶えない。
これらは、先生方に不満やいら立ち、
そして多忙感やプレッシャー、
遂には焦りや諦めをもたらしている。
これは、学校や先生方にとって、明らかな悲劇である。
上記に上げた三者の現状は、
残念ながら先生方の意欲や実践の足を引っ張り、
後退に力をかしていると言っていい。
しかし、本来、この三者は、『先生の応援団』のはずである。
以下、いくつかの事例を示す。
どうか、『先生の応援団』として、
本来の力を取り戻し、発揮して欲しい。
「頑張れ、応援団!」
(1) 教育委員会等の場合
いじめが今ほど大きな課題となっていなかった頃、
私が着任した学校で、その小さな芽が膨らみ始めていた。
まだいじめの定義や指導のあり方が明確でなかった頃だ。
当時、意欲的な指導主事が、区教委に数名いた。
彼らは、専門家の援助を受けながらも夜を徹して、
『いじめをなくそう』と題する補助教材を作成した。
相当のご苦労があったようだ。
教委のトップもそれに予算をあて、
区内の全小学校高学年と中学生向けに、印刷・配布をした。
学校でも、それを活用して、くり返しいじめの授業が行われた。
まだ、いじめの指導が始まったばかりだった。
先生方にとって、その教材は大きな指導指針になった。
私の学校では、いじめと思われるようなことが、
姿を消していった。
▼ この事例は、教育委員会が学校の現状を先取りし、
先進的で専門的な援助をしたものと言える。
学校や先生の応援団、そのものである。
教育行政と言う役割から、
学校の現状把握の調査等は必要なものであろう。
大切なのは、その上での教委ならではの施策である。
それが『先生の応援団』になる。
(2) 管理職・同僚の場合
3月に大学を卒業したばかりの先生が、
4年生担任になった。
全く自信がなかったが、毎日全力で子どもと向き合った。
最初はおとなしく先生の言葉を待っていた子ども達だったが、
不明瞭な指示と不安げな表情に我慢ができなくなった。
夏休み前には、
「お願いだから、私の言うことを聞いてください。」
と、先生が言うようになった。
夏休み明けからは、一人で学級を治めることができなくなった。
翌年、担任をはずれた。その翌年、本人の強い希望で、
今度は3年生の担任になった。
その年、新しい校長が着任した。
早々、その先生の指導ぶりを見にいった。
2年前と同じ道を進むと思った。
時間をかけて、面談をした。
そして、指導の上手なA先生の授業を、
週に1回は見せてもらうこと。
そして、校長との交換ノートを作り、
どんな相談事でも書くことにした。
時間をぬって、A先生の授業を見に行った。
その感想や子どもの様子を、ノートに殴り書きして持ってきた。
そのつど、校長は丁寧な言葉をそえて、戻した。
ある日、そのノートに、
「A先生の言葉は、一人一人の子どもの心に届いている。
私は、それができていない。」とあった。
校長は、これを待ってたとばかり、
「よくぞ気づいた。」と、褒めた。
「不安は不安のままでいい。心配は心配のままでいい。
子どもの心に届いたら、
子どもはそれをそのまま受け入れてくれるよ。」
と、添えた。
その年、そんな気づきとアドバイスが、
いくつもくりかえされた。
今、その先生は中堅教員として、
学校になくてはならない存在になっている。
▼ この事例は、多忙を承知の上での取り組みである。
その苦労が、教師としての成長にしっかりと結びついた。
まさに報われたのである。
管理職や同僚による安易な叱責や、その場限りの助言は、
ともすると迷いや自信喪失に繋がりかねない。
同じ学校にいる者として、苦しみや辛さを共有し、
共感的で、かつ粘り強い支えになることが重要なのである。
私は、同じ学校の管理職や同僚だからこそ、
『先生の応援団』になれると思っている。
(3) 保護者・地域等の場合
15年前、池田小学校の悲惨な事件以来、
子どもの安全に対する取り組みが急激に高まった。
その頃、学区内の町会では、子どもの安全のために、
力を貸したいと言う気運があった。
町会長さんが、一人の健康な年寄りに声をかけた。
「朝だけでいいから、あの交差点で子どもを見守ってほしい。」
それを聞いた気まじめな彼は、
朝だけではなく下校時も交差点に立った。
それは、町会長さんと彼だけの口約束だった。
誰もが、その内立ち消えてしまうと思っていた。
ところが、暴風の日も猛暑の日も、
彼は立ち続け、見守り続けた。
まさに、ボランティアの見本だった。
それを見ていた方が、
せめて一日くらいは休みをと、交替を申し出た。
やがて、一緒に見守る日が増えた。
そして、二人、三人と立つ人が現れた。
その中心に、いつも彼はいた。
町会の有力者がそれを見て、力になりたいと思った。
せめてこれ位はと、役所にかけあった。
学校名入りのジャンパーを作り、彼らに渡した。
思いもしなかった贈り物に、涙を浮かべた。
そんな人々に支えられている学校である。
今度は、「俺たちにできることはないか。」と、
父親の有志が立ち上がった。
運動会や学芸会と言った大きな行事のたびに、
学校内外のパトロールを始めた。
▼ この事例は、学校が要望したものではない。
まさに、自主的自発的な行動である。
こんな人々に囲まれ、支えられて、学校での教育活動は、
毎日平穏無事に進んでいる。
これこそが、『先生の応援団』の真の姿ではなかろうか。
だから、この学校では、
保護者や地域からの理不尽な批判や要望は見られないのだ。
こんな色の『アヤメ』も咲いた