(1)
ここ数日、伊達は海霧が発生している。
聞くところによると、
北海道や千島列島等の夏に見られる自然現象らしい。
快晴なはずなのに、濃い霧に海も山も街も包まれる。
どうやら海霧は、音までもさえぎるようで、
全てが静寂に覆われた感じがする。
それはそれで、私の好きな伊達のワンカットである。
この霧は、海の良質なミネラルを
大地に運んでくるとか。
この適度な湿り気が、農作物の生育にはいいらしい。
地元では、「ガス」と言い、
「今朝は、ガスが濃いね。」等と、
朝の挨拶代わりにもなる。
当然だが、海霧の朝は、風がない。
私にとっては、最高のジョギング日和である。
こんな日は、10キロを走ることにしている。
さて、本題の『ああ 思い込み』に移る。
最近、本州からも「熊出没」のニュースが頻繁に届く。
しかし、北海道ではこの時期、
毎年このニュースがテレビ、新聞を賑わす。
数年前には、札幌郊外の住宅地にも、熊が現れた。
北海道最大の都会にして、その有り様である。
道内では、いつどこに出没しても、
おかしくないのだ。
この伊達でも、我が家から徒歩30分程度の、
山の中腹で『熊出没注意』の看板を見たことがあった。
「もしも熊に出会ったら、決して熊を刺激せず、
一歩一歩後ずさりをして、遠ざかるように。」。
ニュースキャスターはそうしきりに言う。しかし、
「そんなのは無理なこと。でも、命がかかっていたら、
それが唯一の逃げ道と思ったら、やれるかも。」
そんな自問自答をしてみたりもする昨今である。
ある朝、同じようなニュースを聞いた後、
ジョギングに出発した。
海霧が発生し、周りの山々が霧に隠れていた。
まだ車がまばらな舗装路と、
静かな畑道をゆったりと走った。
私は、市内に10キロのコースを4つ設定している。
この日は、「O牧場コース」と命名している道を走った。
8キロ走ったあたりで、O牧場の脇を走り抜けるのである。
S字にくねった舗装路の緩い上り坂の先に、
O牧場の腰折れ屋根の牛舎はある。
私が走る道とその牛舎の間には、
何段にも積まれた牧草ロールと牧草地があった。
辺りに民家はなく、畑とビニルハウスだけがある。
その日、S字を曲がり終えると、
うっすらと海霧に包まれたO牧場が見えた。
緑色の牛舎と真っ白な牧草ロールの山が、
霧にぼやけていた。
そこでだった。
手前の牧草地の端に、
こげ茶色をした四つ足の動物が、ま横を向いていた。
熊出没のニュースが、脳裏をよぎった。
「エッ。熊!」
足がもつれそうになった。
「こんなところに、熊が。いや、そんな訳ない。」
そうは思うものの、
「いつ、どこで出会っても…。」と。
「このまま、走って近づくのは危険だ。」
動悸が大きくなった。
「霧でよく見えない。」
「熊のようだ。いや、そんなはずない。」
「しっかり見てみよう。
そのためには、もう少し近くまで。」
何げなく走りつつ、O牧場の脇まで行くと決めた。
「もしも、本当に熊ならどうする。」
そんなことを思いつつ、
霧の中のごげ茶色をじっと見ながら走った。
「熊か。熊か?」
「そんなはずない。」
「大きさは確かに……。」
「色も確かに……。」
霧が少しだけ晴れた。
「うーん?熊にしては足が長いぞ。足、細い!
なに、尾っぽが。」
「熊じゃない。何だ。なんだ。あれは?」
もっと近くまで、走った。
「ポニー、じゃないか。」
そのまま、いつも通り、
コースを走り抜け、帰宅した。
家内に、そのままを報告するも、
あの緊迫感が伝わらない。
ちょっとイライラしながらも、
「ああ、思い込みでよかった。」
そっと胸をなで下ろした。
(2)
2つ目は、「熊出没」とは全くかけ離れた
『ああ 思い込み』である。
私は、再任用校長を退いた後、
1年間だけだが、区教委の教育アドバイザーとして、
若手教員を育成する仕事をした。
そのため、某小学校の一角にある教職員研修室に、
週4日出勤した。
そこは、JR駅からバスで10分、
徒歩なら25分の所にあった。
私は、健康のためと称して、往復を徒歩にした。
駅から10分も歩くと、川を改修した親水公園があった。
朝夕の徒歩通勤には、とても快適な道だった。
その思い込みは、駅から親水公園までの、
人通りの多い駅前通りでのことだった。
通りの両脇には、大きなホテルやコンサート会場、
そして反対側には、コンビニや美容室等が軒を並べていた。
その1つに、定食を主とした
24時間営業のレストランがあった。
私は、毎朝、その店の前を定時に通過した。
その時間に、必ず、そのレストランに入る女性がいた。
どちらかと言えば、地味な服装の中年女性で、
いつも同じ手提げ鞄を持っていた。
私とは反対方向から来て、その店のドアを押した。
いつ頃からか、しっかりと顔も覚えた。
物静かで、まじめな感じがした。
毎朝同じ時間に、その店に入っていく様子を見て、
「ここで朝食を済ませてから、どこかに出勤するのだ。」
と、理解した。
ちょうど、女性が一人で朝食をとるのにふさわし感じの、
明るいレストランだと思った。
そんな朝食習慣も、大都会での一人暮らし女性には、
珍しくないパターンなのだろうと納得した。
しかし、それにしても毎朝同じレストランに通い、
いったい何を食べているのだろう。
私にとっては、全く関わりのないことだが、
通勤の道々、時にはそんなことを思いつつ、
歩を進めていた。
半年以上も過ぎた日だった。
丁度お昼時だっただろうか。
出張からの帰り、珍しくそのレストランの前を通った。
何気なく、大きなウインドー越しに、
レストランの中を見た。
すると、そこに毎朝見るあの女性の姿があった。
ビックリして歩を緩めた。
その女性は、ウインドーのそばのテーブルに近づき、
手に持っていた器をテーブルに置いた。
「なに、彼女はお客ではなかったのか。」
「ここの、ウエイトレスだったのか。」
だから、毎朝、同じ時間に店に入ったのだ。
朝食のための入店ではなかった。
出勤だったのか。
勝手に独身女性の朝食習慣とばかり。
何という勝手な思い込み。
ほどほどにしなくてはと恥じた。
◆ 私の人生、(1)や(2)だけでない。
いろいろと、『ああ 思い込み』が多いように思う。
まったくもって「トホホ…」である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/9a/cd1fa5ab892fc686e0ae2d9dd47d5232.jpg)
ジューンベリーの実が赤くなってきた
ここ数日、伊達は海霧が発生している。
聞くところによると、
北海道や千島列島等の夏に見られる自然現象らしい。
快晴なはずなのに、濃い霧に海も山も街も包まれる。
どうやら海霧は、音までもさえぎるようで、
全てが静寂に覆われた感じがする。
それはそれで、私の好きな伊達のワンカットである。
この霧は、海の良質なミネラルを
大地に運んでくるとか。
この適度な湿り気が、農作物の生育にはいいらしい。
地元では、「ガス」と言い、
「今朝は、ガスが濃いね。」等と、
朝の挨拶代わりにもなる。
当然だが、海霧の朝は、風がない。
私にとっては、最高のジョギング日和である。
こんな日は、10キロを走ることにしている。
さて、本題の『ああ 思い込み』に移る。
最近、本州からも「熊出没」のニュースが頻繁に届く。
しかし、北海道ではこの時期、
毎年このニュースがテレビ、新聞を賑わす。
数年前には、札幌郊外の住宅地にも、熊が現れた。
北海道最大の都会にして、その有り様である。
道内では、いつどこに出没しても、
おかしくないのだ。
この伊達でも、我が家から徒歩30分程度の、
山の中腹で『熊出没注意』の看板を見たことがあった。
「もしも熊に出会ったら、決して熊を刺激せず、
一歩一歩後ずさりをして、遠ざかるように。」。
ニュースキャスターはそうしきりに言う。しかし、
「そんなのは無理なこと。でも、命がかかっていたら、
それが唯一の逃げ道と思ったら、やれるかも。」
そんな自問自答をしてみたりもする昨今である。
ある朝、同じようなニュースを聞いた後、
ジョギングに出発した。
海霧が発生し、周りの山々が霧に隠れていた。
まだ車がまばらな舗装路と、
静かな畑道をゆったりと走った。
私は、市内に10キロのコースを4つ設定している。
この日は、「O牧場コース」と命名している道を走った。
8キロ走ったあたりで、O牧場の脇を走り抜けるのである。
S字にくねった舗装路の緩い上り坂の先に、
O牧場の腰折れ屋根の牛舎はある。
私が走る道とその牛舎の間には、
何段にも積まれた牧草ロールと牧草地があった。
辺りに民家はなく、畑とビニルハウスだけがある。
その日、S字を曲がり終えると、
うっすらと海霧に包まれたO牧場が見えた。
緑色の牛舎と真っ白な牧草ロールの山が、
霧にぼやけていた。
そこでだった。
手前の牧草地の端に、
こげ茶色をした四つ足の動物が、ま横を向いていた。
熊出没のニュースが、脳裏をよぎった。
「エッ。熊!」
足がもつれそうになった。
「こんなところに、熊が。いや、そんな訳ない。」
そうは思うものの、
「いつ、どこで出会っても…。」と。
「このまま、走って近づくのは危険だ。」
動悸が大きくなった。
「霧でよく見えない。」
「熊のようだ。いや、そんなはずない。」
「しっかり見てみよう。
そのためには、もう少し近くまで。」
何げなく走りつつ、O牧場の脇まで行くと決めた。
「もしも、本当に熊ならどうする。」
そんなことを思いつつ、
霧の中のごげ茶色をじっと見ながら走った。
「熊か。熊か?」
「そんなはずない。」
「大きさは確かに……。」
「色も確かに……。」
霧が少しだけ晴れた。
「うーん?熊にしては足が長いぞ。足、細い!
なに、尾っぽが。」
「熊じゃない。何だ。なんだ。あれは?」
もっと近くまで、走った。
「ポニー、じゃないか。」
そのまま、いつも通り、
コースを走り抜け、帰宅した。
家内に、そのままを報告するも、
あの緊迫感が伝わらない。
ちょっとイライラしながらも、
「ああ、思い込みでよかった。」
そっと胸をなで下ろした。
(2)
2つ目は、「熊出没」とは全くかけ離れた
『ああ 思い込み』である。
私は、再任用校長を退いた後、
1年間だけだが、区教委の教育アドバイザーとして、
若手教員を育成する仕事をした。
そのため、某小学校の一角にある教職員研修室に、
週4日出勤した。
そこは、JR駅からバスで10分、
徒歩なら25分の所にあった。
私は、健康のためと称して、往復を徒歩にした。
駅から10分も歩くと、川を改修した親水公園があった。
朝夕の徒歩通勤には、とても快適な道だった。
その思い込みは、駅から親水公園までの、
人通りの多い駅前通りでのことだった。
通りの両脇には、大きなホテルやコンサート会場、
そして反対側には、コンビニや美容室等が軒を並べていた。
その1つに、定食を主とした
24時間営業のレストランがあった。
私は、毎朝、その店の前を定時に通過した。
その時間に、必ず、そのレストランに入る女性がいた。
どちらかと言えば、地味な服装の中年女性で、
いつも同じ手提げ鞄を持っていた。
私とは反対方向から来て、その店のドアを押した。
いつ頃からか、しっかりと顔も覚えた。
物静かで、まじめな感じがした。
毎朝同じ時間に、その店に入っていく様子を見て、
「ここで朝食を済ませてから、どこかに出勤するのだ。」
と、理解した。
ちょうど、女性が一人で朝食をとるのにふさわし感じの、
明るいレストランだと思った。
そんな朝食習慣も、大都会での一人暮らし女性には、
珍しくないパターンなのだろうと納得した。
しかし、それにしても毎朝同じレストランに通い、
いったい何を食べているのだろう。
私にとっては、全く関わりのないことだが、
通勤の道々、時にはそんなことを思いつつ、
歩を進めていた。
半年以上も過ぎた日だった。
丁度お昼時だっただろうか。
出張からの帰り、珍しくそのレストランの前を通った。
何気なく、大きなウインドー越しに、
レストランの中を見た。
すると、そこに毎朝見るあの女性の姿があった。
ビックリして歩を緩めた。
その女性は、ウインドーのそばのテーブルに近づき、
手に持っていた器をテーブルに置いた。
「なに、彼女はお客ではなかったのか。」
「ここの、ウエイトレスだったのか。」
だから、毎朝、同じ時間に店に入ったのだ。
朝食のための入店ではなかった。
出勤だったのか。
勝手に独身女性の朝食習慣とばかり。
何という勝手な思い込み。
ほどほどにしなくてはと恥じた。
◆ 私の人生、(1)や(2)だけでない。
いろいろと、『ああ 思い込み』が多いように思う。
まったくもって「トホホ…」である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/9a/cd1fa5ab892fc686e0ae2d9dd47d5232.jpg)
ジューンベリーの実が赤くなってきた