ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

教職の素晴らしさ

2016-07-08 22:18:42 | 教育
 このブログを始めて2年が過ぎる。
この間、100を越える思いを綴ってきた。
 勝手だが、今や大切なライフワークとなっている。
それにしても、さてさていつまで続けることができるやら。
 どんなことでも、先々には不安がついて回るものだ。

 ブログを始めてすぐ、その年の8月末だが、
『小学校教師のモチベーション』について書いた。
 意外にも、このページへの訪問者が多く、人気がある。

 私は、この末尾にこう記した。
 『小学校教師とは、
「子どもへの熱心な働きかけが、
はるか先、いつか必ず実を結ぶ。」
そう確信できる人に与えられる仕事だ。』
 この時はあえて、小学校教師と強調したが、
このことは教育にたずさわる全ての教師に言えることである。

 ところで、ここ数年、欠かさず見ている朝ドラであるが、
つい先日、『トト姉ちゃん』の戦後編に、こんな場面があった。

 終戦直後の大混乱と貧困の中、
常子は女学校時代の親友と再会した。
 そして、その親友の家庭を訪ねた。

 ものすごく裕福だった親友は、戦争で父も夫も亡くし、
母と幼子と3人、粗末な間借りでの、貧しい暮らしをしていた。

 だが、その最低とも言える貧困の中で、
親友は、女学校の恩師、東堂先生から教えて頂いた、
平塚らいてうの本『青鞜』を、宝物のようにしていた。
 その一節、「原始、女性は実に太陽であった。
真正の人であった。今、女性は月である。」を支えにし、
いつか「私も太陽に」と、自分を励ましていると聞いた。

 私は、このシーンに心が動いた。
改めて教職の素晴らしさを感じた。

 東堂先生が、熱い思いを込めて語った平塚らいてうの言葉。
それをしっかりと受け取った教え子。
 そして、今の苦難の日々を、
その言葉をかみ締めながら生きている姿。

 そこに、教師の存在する価値があると、
語っているように思えたのだ。
 しかし、親友のそんな思いは、東堂先生には届かないだろう。
 それでも、教師は、
きっと誰かの何かを支え、励ますと信じ、
今日も、熱い思いを語り続けているのである。
 もう一度強調したい。
教師とはそういう存在なのである。

 しかし、そんな教師の足下を見てみよう。
若干、古いデーターになることを許して欲しい。

 ベネッセの調査によると、
2010年の小学校教師の平均睡眠時間は、
5時間51分であった。
 日本人有識者の平均に比べると、
1時間4分も少ない。
 毎日、7時36分には出勤し、19時5分に退勤する。
実に平均11時間29分も学校にいる。

 これだけでも、多忙さがよく分かる。
私も私の同僚たちも同様の日々を送った。
 なんとかそんな多忙さから、
少しでも解放してあげたいと願っている。

 また、同じ調査で、教師の7割以上が、
次の5つを悩みとして上げている。

 ① 教材準備の時間がとれない。
 ② 作成する書類が多い。
 ③ 教育行政が学校の状況を把握していない。
 ④ 特別支援が必要な子どもへの対応が難しい。
 ⑤ 休日出勤や残業が多い。

 これは、多忙さと共に、それに対する行政の理解不足、、
さらには、直面している教育課題を示している。
 まさに、忙しさの中で苦悩する姿、そのままである。

 しかしである。そのような中にあっても、なお、
多くの教師が、このような『教職の魅力』を上げている。

 ㋐ 子どもと喜怒哀楽をともにできる。
 ㋑ 子どもとともに成長できる。
 ㋒ 社会を支える人を育てることができる。
 ㋓ 子どもの成長にかかわれる。
 ㋔ 専門知識や経験をいかせる。

 教師の宿命なのだろうか。
日々、子どもとの関わりの中で、
「できた」「分かった」「やってみたい」「教えてほしい」
「うれしい」「悔しい」等々の、生き生きとした声を聞き、
成長する子どもの姿を、目の当たりにできることは、
実に楽しいのである。
 これが、教師にとって、意欲の源泉である。

 だから、そのためにと、教師は、
自分の持てる力を存分に生かしたり、
自らを高めようしたりするのである。

 そして、そんな日常の営みが、
子どもや社会の未来を形成する行為に、
繋がっていることを、教師は十分に認識している。
 『教職の魅力』にある「社会を支える人」
「成長にかかわれる」の言葉から、
それをくみ取ることができるだろう。

 つまりは、『学校は子どもの未来のためにある。』
そのために、教師は毎日汗をかき、
子どもとともに歩む歳月を喜びとしている。
 これもまた、教職ならではの素晴らしさであろう。

 本稿の結びに、昨年某紙の投稿欄にあった
『小学校で討論の仕方を学んだ』を付す。
 教職の素晴らしさを語る一文である。

 『私が小学校4年生の時だ。
担任の先生は、常にきちんと意見を言うことを求めた。
内向的だった私にはしばしば苦痛だったが、
その1年が自分を大きく変えたと思っている。

 学級会では、先生指導のもとに児童の手でレジュメが作られる。
議題、提案、大前提、小前提、質問、賛成意見、反対意見、
結果といった欄がある。
議長は回り持ちで、事前に会議の仕方を学ぶ。
あくまでも公平な議事進行を求められる。
全員が、どんな意見でも尊重することを学んでゆく。

 議題は様々で、1個しかないドッジボールを
どう公平に使うかなどを話し合った。
最初はぐたぐたしていた学級会が、そのうち整然としたものになり、
子ども達の意見発表も活発になっていった。
対立しても、後まで尾を引くことはなかった。
感情的になってしまうこともあったが、
ワンクッション置いて考える習慣を持つことができた。
担任の先生の思いのこもった指導だったのだろうが、
その後の人生で本当に役立った。≪略≫      53才・女性』
 


 

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