このブログを始めて2年が過ぎる。
この間、100を越える思いを綴ってきた。
勝手だが、今や大切なライフワークとなっている。
それにしても、さてさていつまで続けることができるやら。
どんなことでも、先々には不安がついて回るものだ。
ブログを始めてすぐ、その年の8月末だが、
『小学校教師のモチベーション』について書いた。
意外にも、このページへの訪問者が多く、人気がある。
私は、この末尾にこう記した。
『小学校教師とは、
「子どもへの熱心な働きかけが、
はるか先、いつか必ず実を結ぶ。」
そう確信できる人に与えられる仕事だ。』
この時はあえて、小学校教師と強調したが、
このことは教育にたずさわる全ての教師に言えることである。
ところで、ここ数年、欠かさず見ている朝ドラであるが、
つい先日、『トト姉ちゃん』の戦後編に、こんな場面があった。
終戦直後の大混乱と貧困の中、
常子は女学校時代の親友と再会した。
そして、その親友の家庭を訪ねた。
ものすごく裕福だった親友は、戦争で父も夫も亡くし、
母と幼子と3人、粗末な間借りでの、貧しい暮らしをしていた。
だが、その最低とも言える貧困の中で、
親友は、女学校の恩師、東堂先生から教えて頂いた、
平塚らいてうの本『青鞜』を、宝物のようにしていた。
その一節、「原始、女性は実に太陽であった。
真正の人であった。今、女性は月である。」を支えにし、
いつか「私も太陽に」と、自分を励ましていると聞いた。
私は、このシーンに心が動いた。
改めて教職の素晴らしさを感じた。
東堂先生が、熱い思いを込めて語った平塚らいてうの言葉。
それをしっかりと受け取った教え子。
そして、今の苦難の日々を、
その言葉をかみ締めながら生きている姿。
そこに、教師の存在する価値があると、
語っているように思えたのだ。
しかし、親友のそんな思いは、東堂先生には届かないだろう。
それでも、教師は、
きっと誰かの何かを支え、励ますと信じ、
今日も、熱い思いを語り続けているのである。
もう一度強調したい。
教師とはそういう存在なのである。
しかし、そんな教師の足下を見てみよう。
若干、古いデーターになることを許して欲しい。
ベネッセの調査によると、
2010年の小学校教師の平均睡眠時間は、
5時間51分であった。
日本人有識者の平均に比べると、
1時間4分も少ない。
毎日、7時36分には出勤し、19時5分に退勤する。
実に平均11時間29分も学校にいる。
これだけでも、多忙さがよく分かる。
私も私の同僚たちも同様の日々を送った。
なんとかそんな多忙さから、
少しでも解放してあげたいと願っている。
また、同じ調査で、教師の7割以上が、
次の5つを悩みとして上げている。
① 教材準備の時間がとれない。
② 作成する書類が多い。
③ 教育行政が学校の状況を把握していない。
④ 特別支援が必要な子どもへの対応が難しい。
⑤ 休日出勤や残業が多い。
これは、多忙さと共に、それに対する行政の理解不足、、
さらには、直面している教育課題を示している。
まさに、忙しさの中で苦悩する姿、そのままである。
しかしである。そのような中にあっても、なお、
多くの教師が、このような『教職の魅力』を上げている。
㋐ 子どもと喜怒哀楽をともにできる。
㋑ 子どもとともに成長できる。
㋒ 社会を支える人を育てることができる。
㋓ 子どもの成長にかかわれる。
㋔ 専門知識や経験をいかせる。
教師の宿命なのだろうか。
日々、子どもとの関わりの中で、
「できた」「分かった」「やってみたい」「教えてほしい」
「うれしい」「悔しい」等々の、生き生きとした声を聞き、
成長する子どもの姿を、目の当たりにできることは、
実に楽しいのである。
これが、教師にとって、意欲の源泉である。
だから、そのためにと、教師は、
自分の持てる力を存分に生かしたり、
自らを高めようしたりするのである。
そして、そんな日常の営みが、
子どもや社会の未来を形成する行為に、
繋がっていることを、教師は十分に認識している。
『教職の魅力』にある「社会を支える人」
「成長にかかわれる」の言葉から、
それをくみ取ることができるだろう。
つまりは、『学校は子どもの未来のためにある。』
そのために、教師は毎日汗をかき、
子どもとともに歩む歳月を喜びとしている。
これもまた、教職ならではの素晴らしさであろう。
本稿の結びに、昨年某紙の投稿欄にあった
『小学校で討論の仕方を学んだ』を付す。
教職の素晴らしさを語る一文である。
『私が小学校4年生の時だ。
担任の先生は、常にきちんと意見を言うことを求めた。
内向的だった私にはしばしば苦痛だったが、
その1年が自分を大きく変えたと思っている。
学級会では、先生指導のもとに児童の手でレジュメが作られる。
議題、提案、大前提、小前提、質問、賛成意見、反対意見、
結果といった欄がある。
議長は回り持ちで、事前に会議の仕方を学ぶ。
あくまでも公平な議事進行を求められる。
全員が、どんな意見でも尊重することを学んでゆく。
議題は様々で、1個しかないドッジボールを
どう公平に使うかなどを話し合った。
最初はぐたぐたしていた学級会が、そのうち整然としたものになり、
子ども達の意見発表も活発になっていった。
対立しても、後まで尾を引くことはなかった。
感情的になってしまうこともあったが、
ワンクッション置いて考える習慣を持つことができた。
担任の先生の思いのこもった指導だったのだろうが、
その後の人生で本当に役立った。≪略≫ 53才・女性』
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街路樹のヤマボウシ 今が満開
この間、100を越える思いを綴ってきた。
勝手だが、今や大切なライフワークとなっている。
それにしても、さてさていつまで続けることができるやら。
どんなことでも、先々には不安がついて回るものだ。
ブログを始めてすぐ、その年の8月末だが、
『小学校教師のモチベーション』について書いた。
意外にも、このページへの訪問者が多く、人気がある。
私は、この末尾にこう記した。
『小学校教師とは、
「子どもへの熱心な働きかけが、
はるか先、いつか必ず実を結ぶ。」
そう確信できる人に与えられる仕事だ。』
この時はあえて、小学校教師と強調したが、
このことは教育にたずさわる全ての教師に言えることである。
ところで、ここ数年、欠かさず見ている朝ドラであるが、
つい先日、『トト姉ちゃん』の戦後編に、こんな場面があった。
終戦直後の大混乱と貧困の中、
常子は女学校時代の親友と再会した。
そして、その親友の家庭を訪ねた。
ものすごく裕福だった親友は、戦争で父も夫も亡くし、
母と幼子と3人、粗末な間借りでの、貧しい暮らしをしていた。
だが、その最低とも言える貧困の中で、
親友は、女学校の恩師、東堂先生から教えて頂いた、
平塚らいてうの本『青鞜』を、宝物のようにしていた。
その一節、「原始、女性は実に太陽であった。
真正の人であった。今、女性は月である。」を支えにし、
いつか「私も太陽に」と、自分を励ましていると聞いた。
私は、このシーンに心が動いた。
改めて教職の素晴らしさを感じた。
東堂先生が、熱い思いを込めて語った平塚らいてうの言葉。
それをしっかりと受け取った教え子。
そして、今の苦難の日々を、
その言葉をかみ締めながら生きている姿。
そこに、教師の存在する価値があると、
語っているように思えたのだ。
しかし、親友のそんな思いは、東堂先生には届かないだろう。
それでも、教師は、
きっと誰かの何かを支え、励ますと信じ、
今日も、熱い思いを語り続けているのである。
もう一度強調したい。
教師とはそういう存在なのである。
しかし、そんな教師の足下を見てみよう。
若干、古いデーターになることを許して欲しい。
ベネッセの調査によると、
2010年の小学校教師の平均睡眠時間は、
5時間51分であった。
日本人有識者の平均に比べると、
1時間4分も少ない。
毎日、7時36分には出勤し、19時5分に退勤する。
実に平均11時間29分も学校にいる。
これだけでも、多忙さがよく分かる。
私も私の同僚たちも同様の日々を送った。
なんとかそんな多忙さから、
少しでも解放してあげたいと願っている。
また、同じ調査で、教師の7割以上が、
次の5つを悩みとして上げている。
① 教材準備の時間がとれない。
② 作成する書類が多い。
③ 教育行政が学校の状況を把握していない。
④ 特別支援が必要な子どもへの対応が難しい。
⑤ 休日出勤や残業が多い。
これは、多忙さと共に、それに対する行政の理解不足、、
さらには、直面している教育課題を示している。
まさに、忙しさの中で苦悩する姿、そのままである。
しかしである。そのような中にあっても、なお、
多くの教師が、このような『教職の魅力』を上げている。
㋐ 子どもと喜怒哀楽をともにできる。
㋑ 子どもとともに成長できる。
㋒ 社会を支える人を育てることができる。
㋓ 子どもの成長にかかわれる。
㋔ 専門知識や経験をいかせる。
教師の宿命なのだろうか。
日々、子どもとの関わりの中で、
「できた」「分かった」「やってみたい」「教えてほしい」
「うれしい」「悔しい」等々の、生き生きとした声を聞き、
成長する子どもの姿を、目の当たりにできることは、
実に楽しいのである。
これが、教師にとって、意欲の源泉である。
だから、そのためにと、教師は、
自分の持てる力を存分に生かしたり、
自らを高めようしたりするのである。
そして、そんな日常の営みが、
子どもや社会の未来を形成する行為に、
繋がっていることを、教師は十分に認識している。
『教職の魅力』にある「社会を支える人」
「成長にかかわれる」の言葉から、
それをくみ取ることができるだろう。
つまりは、『学校は子どもの未来のためにある。』
そのために、教師は毎日汗をかき、
子どもとともに歩む歳月を喜びとしている。
これもまた、教職ならではの素晴らしさであろう。
本稿の結びに、昨年某紙の投稿欄にあった
『小学校で討論の仕方を学んだ』を付す。
教職の素晴らしさを語る一文である。
『私が小学校4年生の時だ。
担任の先生は、常にきちんと意見を言うことを求めた。
内向的だった私にはしばしば苦痛だったが、
その1年が自分を大きく変えたと思っている。
学級会では、先生指導のもとに児童の手でレジュメが作られる。
議題、提案、大前提、小前提、質問、賛成意見、反対意見、
結果といった欄がある。
議長は回り持ちで、事前に会議の仕方を学ぶ。
あくまでも公平な議事進行を求められる。
全員が、どんな意見でも尊重することを学んでゆく。
議題は様々で、1個しかないドッジボールを
どう公平に使うかなどを話し合った。
最初はぐたぐたしていた学級会が、そのうち整然としたものになり、
子ども達の意見発表も活発になっていった。
対立しても、後まで尾を引くことはなかった。
感情的になってしまうこともあったが、
ワンクッション置いて考える習慣を持つことができた。
担任の先生の思いのこもった指導だったのだろうが、
その後の人生で本当に役立った。≪略≫ 53才・女性』
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街路樹のヤマボウシ 今が満開