私が顧問をしている
『東京都小学校児童文化研究会』のキャッチフレーズは、
「いつでも どこでも 誰でもできる児童文化手法」である。
研究会は、「学校劇部」「童話部」「ゲーム部」
「ダンス部」「パネルシアター部」の他に、
人形劇や紙芝居、腹話術、手品、折り紙等々
多彩な手法を活用する「総合表現部」の
6つの専門部に分かれている。
様々な授業において、これら専門部の手法を、
①有効活用できる授業の開発に努めること、
②その授業実践の事例を普及させること、が
研究会の主な役割である。
今日、学校は、学力向上が大きな命題となっている。
そのため、教師には「質の高い授業力」が強く求められている。
本来、授業力とは、
「授業を構成する力」「教材を開発する力」
「多様な指導技術」「学級などを統率する力」、
そしてそれらを支える教師としての
「使命感や情熱」の5つに大別される。
児童文化手法はともすると、その「多様な指導技術」にのみ
機能するかのように思われている。
しかし、それに限らず、
教師の授業力を高めることに大いに役立つ力を、
「児童文化手法」は有していると、私は自負している。
その一端を、過去に書き記したものを付すことを通し、
理解の一助にしてもらえればと願う。
1,児童文化手法で 心をつなぐ
子どもの現状を見たとき、
子ども同士のネットワーク、
あるいは、人間関係づくりと言ってもいいが、
そこに大きな問題を指摘する声が大きい。
確かに、少子化や情報の多様化等の大きな流れの中で、
子ども達は、集団行動や集団での遊び等に不慣れになっている。
その経験の未熟さから、
子ども達同士が関わり合うことへの心情や方法が、
身についていないようにも思う。
学校でも、必要最低限のかかわり合いはあっても、
深く結びつくことが少なく、
希薄な友だち関係の中で、毎日を過ごす子どもが少なくない。
家庭に戻っても、ゲーム等で一人遊びに興じ、
それで十分に満足感を得ているむきがある。
つまり、人とかかわることの必然性や
その素晴らしさ、楽しさの魅力を知らないのである。
人とかかわる、それは取りも直さず社会性を身につけることである。
自分と大なり小なり違う考え、発想、感性に気づくことであり、
自らの心情を豊かにし、
自分そして他者の両方のよさを知ることである。
今、学校は、そんな子ども同士のかかわり合い、
心をつなくことに、力を注ぐべき時ではなかろうか。
児童文化手法は、そんな今日の課題に応えうる可能性を、
十分に持っていると思う。
例えば、多種多様な児童文化手法は、
その授業の目標を子ども自身のものとして感じ取り、
課題意識へと高めていくことに有効である。
道徳の時間で題材になりうる説話で、
“パネルシアターを使う。”
あるいは、“童話の語り聞かせの手法を取り入れる。”
“腹話術で行う。”
これらの手法を授業の冒頭に取り入れることにより、
子どもには、より明確な目標を示すことができる。
同時に、子どもはその説話に入り込み、
課題を、自らのものとして受け止めることができる。
そして、その課題意識は、どの子にも共通したものになり、
学習課題を学級全員が共有することにつながるのである。
また、様々な授業でその学習の成果を、
“見立て劇の手法を活用して発表する。”
“ペープサートや紙芝居を使う。”
“ゲームや手品を取り入れ、楽しい雰囲気で発表する。”
これらの手法を活用することは、
子どもに発表すること自体への、楽しさを感じさせる。
併せて、よりよい発表のためには、
必然的に集団を形成し、
共同の学習作業が大切なことを気づかせる。
さらに、いろいろな学習展開の節目節目での、
“子どもの活動として、劇的な表現を取り入れる。”
“群読の手法を活用する。”“ゲームで理解度を試す。”
“リズムダンスをしてみる。”等々を通し、
児童文化手法は、教科や単元の特性に応じて、
色々な場面で子ども同士の心をつなぐ。
これが、学習方法、授業展開に豊かさをもたらし、
楽しく学習することに結びつくのである。
つまり、児童文化手法を活用した授業は、
学習課題の共有化や、共同の学習作業、
同一歩調による学習活動を実現させる。
これが子ども同士のかかわり、
心をつなぐ役割を果たすのである。
2、児童文化手法を駆使し、心に届ける
今、学校教育の重大かつ深刻な課題の一つは、
経験豊かなベテラン教師の、大量定年退職である。
これは、見方を変えると教師を志す者にとって、
大きなチャンスとも言える。
この問題の焦点は、
教師の世代交代による教育の質の低下である。
長年にわたる教育実践と研修の積み重ねによって培われてきた
優れた指導力をもった教師に代わって、
教育的使命感や情熱にはあふれているものの、
実践に裏打ちされた指導力は、
今後に期待することになる教師が、教壇に立つのである。
若い教師に、奮起を期待するのは、私だけではないだろう。
さて、この問題にもう一つ拍車をかけているのが、
定年退職を間近に控えた、主に50代半ばの途中退職者の増加である。
具体的には把握していないが、私の周りでも少なくない教師が、
学校を後にしている。
「この年令になってまで頑張らなくても……。」
「どうも子どもがわからなくて……。」
「教えていても、昔のように楽しくないので……。」
そんな退職理由がよく聞こえてくる。
確かに子どもの有り様が変化してきているように、私も感じる。
「今までなら伝わったことが、伝わらない。」
「今までなら分かってくれたことが、入って行かない。」
これは、特にベテランと言われる教師に実感があるようだ。
また、若い教師が、子どもの前で何度同じ話をしても、
その内容がほどんど理解されていない。
そんな場面を、何回となく見てきた。
このような学校や教室での出来事のキーワードを、
『子どもの心までメッセージを届ける』
ことにあると、私は考える。
様々な要因が考えられるが、情報過多の時代にあって、
今、子ども達は知らず知らずのうちに自己防衛の方向に進み、
心の間口を狭くしているように思う。
だから、今までと同じ情報伝達の方法では、
子どもの心まで届かないのではなかろうか。
現状では、子どもの心に届くものは限られ、
情報化の中でその情報とは無縁な、
勝手で気ままな立ち振る舞いをする子どもの増加が危惧される。
だからこそ、子どもの心まで届けなければならないことは、
しっかりと確実に届けていく。
このことが、今強く求められていると私は思う。
パーソナルコミュニケーションの重要性を強調したい。
児童文化手法は、昨今、教師の手を離れ、
例えばパネルシアターやペープサートを使って学習発表をしたり、
読み取ったことを、演劇や人形劇で表現したりなど、
子ども自身の学習を進める手段になっている。
しかし、私はこの流れと併せて、
再び教師がその手法を駆使し、子どもを引きつけ、
子どもの心に、どうしても届けなければならないことを
しっかりと届けていくことが重要だと思う。
児童文化研究会の童話部が行った授業で、
一人一人の目を見ながら素話をした後、
ある子が「僕に話してくれていたので、真剣に聞いた。」
と、語っていた。
この言葉に、私たちが今後進める
授業づくりの重要なヒントがあるように思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/56/08ddd4608b453fd406afeabb7aa24b3c.jpg)
我が家の庭にやって来た珍しいお客様
『東京都小学校児童文化研究会』のキャッチフレーズは、
「いつでも どこでも 誰でもできる児童文化手法」である。
研究会は、「学校劇部」「童話部」「ゲーム部」
「ダンス部」「パネルシアター部」の他に、
人形劇や紙芝居、腹話術、手品、折り紙等々
多彩な手法を活用する「総合表現部」の
6つの専門部に分かれている。
様々な授業において、これら専門部の手法を、
①有効活用できる授業の開発に努めること、
②その授業実践の事例を普及させること、が
研究会の主な役割である。
今日、学校は、学力向上が大きな命題となっている。
そのため、教師には「質の高い授業力」が強く求められている。
本来、授業力とは、
「授業を構成する力」「教材を開発する力」
「多様な指導技術」「学級などを統率する力」、
そしてそれらを支える教師としての
「使命感や情熱」の5つに大別される。
児童文化手法はともすると、その「多様な指導技術」にのみ
機能するかのように思われている。
しかし、それに限らず、
教師の授業力を高めることに大いに役立つ力を、
「児童文化手法」は有していると、私は自負している。
その一端を、過去に書き記したものを付すことを通し、
理解の一助にしてもらえればと願う。
1,児童文化手法で 心をつなぐ
子どもの現状を見たとき、
子ども同士のネットワーク、
あるいは、人間関係づくりと言ってもいいが、
そこに大きな問題を指摘する声が大きい。
確かに、少子化や情報の多様化等の大きな流れの中で、
子ども達は、集団行動や集団での遊び等に不慣れになっている。
その経験の未熟さから、
子ども達同士が関わり合うことへの心情や方法が、
身についていないようにも思う。
学校でも、必要最低限のかかわり合いはあっても、
深く結びつくことが少なく、
希薄な友だち関係の中で、毎日を過ごす子どもが少なくない。
家庭に戻っても、ゲーム等で一人遊びに興じ、
それで十分に満足感を得ているむきがある。
つまり、人とかかわることの必然性や
その素晴らしさ、楽しさの魅力を知らないのである。
人とかかわる、それは取りも直さず社会性を身につけることである。
自分と大なり小なり違う考え、発想、感性に気づくことであり、
自らの心情を豊かにし、
自分そして他者の両方のよさを知ることである。
今、学校は、そんな子ども同士のかかわり合い、
心をつなくことに、力を注ぐべき時ではなかろうか。
児童文化手法は、そんな今日の課題に応えうる可能性を、
十分に持っていると思う。
例えば、多種多様な児童文化手法は、
その授業の目標を子ども自身のものとして感じ取り、
課題意識へと高めていくことに有効である。
道徳の時間で題材になりうる説話で、
“パネルシアターを使う。”
あるいは、“童話の語り聞かせの手法を取り入れる。”
“腹話術で行う。”
これらの手法を授業の冒頭に取り入れることにより、
子どもには、より明確な目標を示すことができる。
同時に、子どもはその説話に入り込み、
課題を、自らのものとして受け止めることができる。
そして、その課題意識は、どの子にも共通したものになり、
学習課題を学級全員が共有することにつながるのである。
また、様々な授業でその学習の成果を、
“見立て劇の手法を活用して発表する。”
“ペープサートや紙芝居を使う。”
“ゲームや手品を取り入れ、楽しい雰囲気で発表する。”
これらの手法を活用することは、
子どもに発表すること自体への、楽しさを感じさせる。
併せて、よりよい発表のためには、
必然的に集団を形成し、
共同の学習作業が大切なことを気づかせる。
さらに、いろいろな学習展開の節目節目での、
“子どもの活動として、劇的な表現を取り入れる。”
“群読の手法を活用する。”“ゲームで理解度を試す。”
“リズムダンスをしてみる。”等々を通し、
児童文化手法は、教科や単元の特性に応じて、
色々な場面で子ども同士の心をつなぐ。
これが、学習方法、授業展開に豊かさをもたらし、
楽しく学習することに結びつくのである。
つまり、児童文化手法を活用した授業は、
学習課題の共有化や、共同の学習作業、
同一歩調による学習活動を実現させる。
これが子ども同士のかかわり、
心をつなぐ役割を果たすのである。
2、児童文化手法を駆使し、心に届ける
今、学校教育の重大かつ深刻な課題の一つは、
経験豊かなベテラン教師の、大量定年退職である。
これは、見方を変えると教師を志す者にとって、
大きなチャンスとも言える。
この問題の焦点は、
教師の世代交代による教育の質の低下である。
長年にわたる教育実践と研修の積み重ねによって培われてきた
優れた指導力をもった教師に代わって、
教育的使命感や情熱にはあふれているものの、
実践に裏打ちされた指導力は、
今後に期待することになる教師が、教壇に立つのである。
若い教師に、奮起を期待するのは、私だけではないだろう。
さて、この問題にもう一つ拍車をかけているのが、
定年退職を間近に控えた、主に50代半ばの途中退職者の増加である。
具体的には把握していないが、私の周りでも少なくない教師が、
学校を後にしている。
「この年令になってまで頑張らなくても……。」
「どうも子どもがわからなくて……。」
「教えていても、昔のように楽しくないので……。」
そんな退職理由がよく聞こえてくる。
確かに子どもの有り様が変化してきているように、私も感じる。
「今までなら伝わったことが、伝わらない。」
「今までなら分かってくれたことが、入って行かない。」
これは、特にベテランと言われる教師に実感があるようだ。
また、若い教師が、子どもの前で何度同じ話をしても、
その内容がほどんど理解されていない。
そんな場面を、何回となく見てきた。
このような学校や教室での出来事のキーワードを、
『子どもの心までメッセージを届ける』
ことにあると、私は考える。
様々な要因が考えられるが、情報過多の時代にあって、
今、子ども達は知らず知らずのうちに自己防衛の方向に進み、
心の間口を狭くしているように思う。
だから、今までと同じ情報伝達の方法では、
子どもの心まで届かないのではなかろうか。
現状では、子どもの心に届くものは限られ、
情報化の中でその情報とは無縁な、
勝手で気ままな立ち振る舞いをする子どもの増加が危惧される。
だからこそ、子どもの心まで届けなければならないことは、
しっかりと確実に届けていく。
このことが、今強く求められていると私は思う。
パーソナルコミュニケーションの重要性を強調したい。
児童文化手法は、昨今、教師の手を離れ、
例えばパネルシアターやペープサートを使って学習発表をしたり、
読み取ったことを、演劇や人形劇で表現したりなど、
子ども自身の学習を進める手段になっている。
しかし、私はこの流れと併せて、
再び教師がその手法を駆使し、子どもを引きつけ、
子どもの心に、どうしても届けなければならないことを
しっかりと届けていくことが重要だと思う。
児童文化研究会の童話部が行った授業で、
一人一人の目を見ながら素話をした後、
ある子が「僕に話してくれていたので、真剣に聞いた。」
と、語っていた。
この言葉に、私たちが今後進める
授業づくりの重要なヒントがあるように思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/56/08ddd4608b453fd406afeabb7aa24b3c.jpg)
我が家の庭にやって来た珍しいお客様