教頭になって初めて着任した小学校は、
東京の下町を代表する有名校だった。
地域との結びつきが強く、
私は、保護者をはじめ、
町の方々から温かく迎えていただいた。
着任して早々、
映画でも名の通った参道を歩くと、両側のお店から、
「教頭さん、どこに用事だい?」
と、すぐに声が飛んできた。
教頭1年生、とまどいは毎日くり返された。
肉体的にも精神的にも、いつもいっぱいいっぱいだった。
そんな時の夜、先生方が退勤した時間を見計らって、
電話が鳴った。
「教頭さん、遅くまで仕事のようだね。
どうだね、今日はその辺で切り上げては。
2,3人でいつもの店でやってるからおいでよ。待ってるよ。」
私の返事もそこそこに電話が切れる。
顔馴染みにさせてもらった小料理屋へ急ぐと、
人のいい笑顔で、町の人たちが迎えてくれた。
ちょっとしたつまみとビールで、
30分も楽しい会話が弾んだ頃、
「教頭さん、明日もあるからその辺でいいよ。」
と、送り出してくれる。
そんな温かさに、私はどれだけ力を頂いたか、
計り知れなかった。
間もなく1年が過ぎようとしていた頃のことだ。
春休みに入ったら、町の有志による
ゴルフコンペがあると知らされた。
「お世話になっている方々ばかりです。
私も参加します。教頭先生も頑張ってね。」
女性の校長先生は淡々と言った。
「私も参加するんですか。それは無理です。」
と、返したかった。
ゴルフなど、とんでもないことだった。
まったく経験がない。
それどころか、ゴルフには悪いイメージがあった。
高校生の時だ。
学校から歩いて10数分のところにゴルフ場があった。
1929年(昭和4年)北海道で3番目に開設された、
イタンキゴルフクラブ(その後室蘭ゴルフ倶楽部に改名)である。
秋の定期試験の後、昼下がりだった。
心地よい陽気に誘われ、下校の回り道に、
友人と二人、そのゴルフ場が見下ろせる高台で腰を下ろした。
なだらかな傾斜地に、真緑色の芝生がきれいに広がっていた。
白球を打つ音がして、大人がそこをゆっくりと歩いていた。
日差しも風も静まりかえっているように感じた。
「あれは、金持ちの道楽だ。」
隣の友人が、何かを吐き捨てるように言った。
毎日、忙しく立ち働いている両親や兄と比べた。
なだらかな芝生の草原をゆっくりと進む姿との差に、
友人同様の感情が湧いた。
「金持ちの道楽か。」
その言葉と一緒に立ち上がり、二度とふり返らなかった。
私のゴルフへの最初のイメージだった。
だから、
「ゴルフには、悪いイメージしかありません。
私は参加しません。」
そう言い切るとよかったのだが、
その時、私が校長先生に言ったのは、
「ゴルフの経験がありません。遠慮する訳には。」だった。
「お世話になっている方々でしょう。
大丈夫。教頭先生は運動神経がいいから。」
そう言いながら校長先生は、
ゴルフ経験豊富なご主人に電話をした。
そして、その週の日曜日に、
練習場でご主人のレッスンを受けることになった。
翌週には、校長ご夫妻と弟さん、そして私で、
ラウンドする計画まで立ててしまった。
クラブセットとシューズは、
ご主人のお古を譲り受けることになった。
もう、その流れに乗るしかない状態が整った。
日曜日、初めてご主人にお会いした。
練習場にも初めて入った。
ゴルフ手袋だけ購入した。
クラブの種類、握り方、そして立ち方、スイングの仕方等々、
次から次とレッスンが続いた。
腕と肩に力が入り、難しさだけで、汗が体中を流れた。
2時間余りの練習で、わずか数球、
ゴルフボールが乾いた音と一緒に飛んでいった。
その時だけは、心地よさが残った。
翌週、不安だらけのまま、茨城県のゴルフ場に同行した。
高級ホテルのロビーを思わせるようなクラブハウスだった。
それより何より18ホールの全てに、春の陽が降り、
見事に刈り揃えられた新緑の芝生が、まぶしかった。
池の噴水が歯切れのいいリズムで水音を奏でていた。
初めて見る素敵な光景だった。
その雰囲気に、私は酔った。
大きな自然に溶け込んだ緑色を、一人占めしたような心地になった。
クラブでボールをしっかりと捉えられない、
そのくり返しが、ズーッと続いた。
手慣れたキャディーさんが、
「次はこのクラブを使ってみては。」
と、力を貸してくれた。
そして、広々としたゴルフコースを右に左にとボールを追いかけ、
私は、時を忘れた。
それでも、次第にゴルフの魅力を感じ始めた。
昼食後のショートコースで、
キャディーさんから7番アイアンを渡された。
ボールを芯で捉えた。初めての感触だった。
ボールがはるか先のグリーン上に落ちた。
「これだ。この満足感がゴルフなんだ。」
広々とした芝生の大空間、高い青空とゆったりとした時間、
そこを白球が飛び、定まりのグリーンに落ちる。
それこそが、ゴルフの醍醐味なのだ。
私のそれは、完璧な『まぐれ』だったが、
それでも、両手を挙げ、喜んだ。
校長先生ご夫妻と弟さんから、拍手も頂いた。
帰りの車中は、疲れでグッスリと眠ってしまった。
『金持ちの道楽』、決して金持ちではない私だが、
そんな私の周りにまで、ゴルフは近寄ってくれた。
そう思った。
春休みに入り、
予定通り、町の有志によるコンペがあった。
私は、優勝候補一人と一緒に回った。
スイングするたびに、
「教頭、向きが違う。」
「教頭、ボールを見てろ。」
「教頭、力が入りすぎ。」
と、口うるさく、叱られた。
なのに、私は、
「分かりました。」「分かりました。」
と、笑顔、笑顔だった。
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台風10号の爪あと 大きな栗の木が倒れた
東京の下町を代表する有名校だった。
地域との結びつきが強く、
私は、保護者をはじめ、
町の方々から温かく迎えていただいた。
着任して早々、
映画でも名の通った参道を歩くと、両側のお店から、
「教頭さん、どこに用事だい?」
と、すぐに声が飛んできた。
教頭1年生、とまどいは毎日くり返された。
肉体的にも精神的にも、いつもいっぱいいっぱいだった。
そんな時の夜、先生方が退勤した時間を見計らって、
電話が鳴った。
「教頭さん、遅くまで仕事のようだね。
どうだね、今日はその辺で切り上げては。
2,3人でいつもの店でやってるからおいでよ。待ってるよ。」
私の返事もそこそこに電話が切れる。
顔馴染みにさせてもらった小料理屋へ急ぐと、
人のいい笑顔で、町の人たちが迎えてくれた。
ちょっとしたつまみとビールで、
30分も楽しい会話が弾んだ頃、
「教頭さん、明日もあるからその辺でいいよ。」
と、送り出してくれる。
そんな温かさに、私はどれだけ力を頂いたか、
計り知れなかった。
間もなく1年が過ぎようとしていた頃のことだ。
春休みに入ったら、町の有志による
ゴルフコンペがあると知らされた。
「お世話になっている方々ばかりです。
私も参加します。教頭先生も頑張ってね。」
女性の校長先生は淡々と言った。
「私も参加するんですか。それは無理です。」
と、返したかった。
ゴルフなど、とんでもないことだった。
まったく経験がない。
それどころか、ゴルフには悪いイメージがあった。
高校生の時だ。
学校から歩いて10数分のところにゴルフ場があった。
1929年(昭和4年)北海道で3番目に開設された、
イタンキゴルフクラブ(その後室蘭ゴルフ倶楽部に改名)である。
秋の定期試験の後、昼下がりだった。
心地よい陽気に誘われ、下校の回り道に、
友人と二人、そのゴルフ場が見下ろせる高台で腰を下ろした。
なだらかな傾斜地に、真緑色の芝生がきれいに広がっていた。
白球を打つ音がして、大人がそこをゆっくりと歩いていた。
日差しも風も静まりかえっているように感じた。
「あれは、金持ちの道楽だ。」
隣の友人が、何かを吐き捨てるように言った。
毎日、忙しく立ち働いている両親や兄と比べた。
なだらかな芝生の草原をゆっくりと進む姿との差に、
友人同様の感情が湧いた。
「金持ちの道楽か。」
その言葉と一緒に立ち上がり、二度とふり返らなかった。
私のゴルフへの最初のイメージだった。
だから、
「ゴルフには、悪いイメージしかありません。
私は参加しません。」
そう言い切るとよかったのだが、
その時、私が校長先生に言ったのは、
「ゴルフの経験がありません。遠慮する訳には。」だった。
「お世話になっている方々でしょう。
大丈夫。教頭先生は運動神経がいいから。」
そう言いながら校長先生は、
ゴルフ経験豊富なご主人に電話をした。
そして、その週の日曜日に、
練習場でご主人のレッスンを受けることになった。
翌週には、校長ご夫妻と弟さん、そして私で、
ラウンドする計画まで立ててしまった。
クラブセットとシューズは、
ご主人のお古を譲り受けることになった。
もう、その流れに乗るしかない状態が整った。
日曜日、初めてご主人にお会いした。
練習場にも初めて入った。
ゴルフ手袋だけ購入した。
クラブの種類、握り方、そして立ち方、スイングの仕方等々、
次から次とレッスンが続いた。
腕と肩に力が入り、難しさだけで、汗が体中を流れた。
2時間余りの練習で、わずか数球、
ゴルフボールが乾いた音と一緒に飛んでいった。
その時だけは、心地よさが残った。
翌週、不安だらけのまま、茨城県のゴルフ場に同行した。
高級ホテルのロビーを思わせるようなクラブハウスだった。
それより何より18ホールの全てに、春の陽が降り、
見事に刈り揃えられた新緑の芝生が、まぶしかった。
池の噴水が歯切れのいいリズムで水音を奏でていた。
初めて見る素敵な光景だった。
その雰囲気に、私は酔った。
大きな自然に溶け込んだ緑色を、一人占めしたような心地になった。
クラブでボールをしっかりと捉えられない、
そのくり返しが、ズーッと続いた。
手慣れたキャディーさんが、
「次はこのクラブを使ってみては。」
と、力を貸してくれた。
そして、広々としたゴルフコースを右に左にとボールを追いかけ、
私は、時を忘れた。
それでも、次第にゴルフの魅力を感じ始めた。
昼食後のショートコースで、
キャディーさんから7番アイアンを渡された。
ボールを芯で捉えた。初めての感触だった。
ボールがはるか先のグリーン上に落ちた。
「これだ。この満足感がゴルフなんだ。」
広々とした芝生の大空間、高い青空とゆったりとした時間、
そこを白球が飛び、定まりのグリーンに落ちる。
それこそが、ゴルフの醍醐味なのだ。
私のそれは、完璧な『まぐれ』だったが、
それでも、両手を挙げ、喜んだ。
校長先生ご夫妻と弟さんから、拍手も頂いた。
帰りの車中は、疲れでグッスリと眠ってしまった。
『金持ちの道楽』、決して金持ちではない私だが、
そんな私の周りにまで、ゴルフは近寄ってくれた。
そう思った。
春休みに入り、
予定通り、町の有志によるコンペがあった。
私は、優勝候補一人と一緒に回った。
スイングするたびに、
「教頭、向きが違う。」
「教頭、ボールを見てろ。」
「教頭、力が入りすぎ。」
と、口うるさく、叱られた。
なのに、私は、
「分かりました。」「分かりました。」
と、笑顔、笑顔だった。
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台風10号の爪あと 大きな栗の木が倒れた