ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

Tちゃんとの 出会いが

2017-02-10 20:04:36 | 教育
 2月9日、『平成28年度東京都教育委員会職員表彰』の表彰式が行われた。
今年度は、小学校の教職員13名、管理職31名を含む個人表彰81名、
団体表彰11団体が受賞したらしい。

 実は、8年前になるが定年退職の年に、
私もその栄誉に恵まれた。
私を推薦し、支援して下さった方々に、
今も、深く感謝している。

 受賞の翌日、勤務校のPTAが中心になって、
盛大な祝賀会を催してくれた。
 地域の有力者、PTA関係者、保護者、
そして教職員等々、80余名もの方から祝福を頂いた。
 身に余る祝宴に、私はただただ恐縮した。

 その席で、お礼を述べる機会をもらった。
それまでの教職生活をふり返り、
忘れてはいけない人、3名のことを話した。

 大学生活4年間の学費を支えてくれた10歳違いの兄、
管理職の道へと背中を押してくれた校長先生、
そして、本ブログ『9年目の涙』にも記した、
教え子Tちゃんのことである。

 その挨拶から、Tちゃんに関わる所を抜粋する。 


 『本当のことを申し上げますが、
教職についてから10年位、
私は教師として実の所、天狗でした。

 子どもという者は、毎日楽しい話をしてやり、
明るい雰囲気で授業を進め、
時にはきびしく叱り、指示し、命令をしていれば、
いつでも自分の掌の上で、
自由にあやつることができると思っていました。

 ところが、ある年の年度始めに、
1年担任と決まっていた私に、
校長先生から学級に自閉症の子がいると伝えられました。
 それがTちゃんでした。

 自閉症の子を受け持つのは初めての私に、
Tちゃんは「鉛筆を出して。国語の本を出して。」と言うと、
「鉛筆を出して。本を出して。」とオーム返しで言うだけで、
何一つとして言う通りにはしてくれませんでした。

 褒めようと笑顔を作って言おうと通用しません。
しびれをきらして大きな声を出すと、
「お母さん帰る」と言い続けて、大泣きする有り様でした。

 私は、それまでの教師生活の全てを、
彼に否定された気がしました。
 褒めても叱ってもダメ、何も通用しないのです。
私は本当に自信を失いました。

 Tちゃんの「お母さん、帰る」の大泣きに、
おびえる毎日を送りました。
 悔しくても何もできない私でした。

 しかし、どうにかしてTちゃんの心に少しでも近づきたいと、
考えるようになり、必死でした。

 夢中でTちゃんのことを思いました。
夢中でTちゃんの行動を追いました。
 すると少しずつ少しずつですが、
Tちゃんのことがわかってきました。

 「ああ、今はこうしたいんだ。」
 「ああ、こんな時、絵が描きたいんだ。」
 「こんなことが、嬉しいんだ。」

  私は、こんなふうに子どもを理解することの大切さを、
Tちゃんを通して学びました。

 Tちゃんなしに私は、
“教育は児童理解に始まり、児童理解に終わる”
と言うことを知ることはなかったと思います。

 Tちゃんが、私に教育の原点を教えてくれたのです。』


 この挨拶は、決して過言ではない。
Tちゃんとの出会いは、
その後の私の歩みを決定づけるものになったと言える。
 数々の貴重な体験をさせてもらった。
その1つを記す。 

 通常の学級にいるTちゃんである。
どんなに彼への理解が進んでも、
他の子と同様のことは、ほとんど無理だった。
 その分、常にTちゃんには特別の配慮が必要になった。

 しかし、徐々に徐々にでも、
彼との距離が縮んで行くことは、実に楽しいことだった。

 今日のTちゃんは、こんなことをした。
こんなことに応じてくれた。
 こんな表情をした。
私は、同僚の先生方にも、家族にも、
Tちゃんのことを、毎日生き生きと話した。

 人は相手への理解が進めば進むほど、
その人のことが好きになる。
 私は、Tちゃんのことが大好きになっていった。
その気持ちは、きっとTちゃんにも伝わっていったと思う。

 冬が近づいていたある日のことだ。
初めて給食にみかんが出た。

 給食時間のTちゃんは、
1日の中で一番手がかからなかった。
 好き嫌いはなく、どんな献立でも嬉しそうに食べた。
お母さんがしっかりと躾けたのだろう。
 食べこぼしや食べ残しなどもなかった。
 
 食べ終わると、周りの子と同じように、
食後の挨拶まで席から離れなかった。

 ところが、その日は様子が違った。
周りの子が、しきりにTちゃんに声をかけていた。

 「Tちゃん、みかんを残しているの!」
子ども達が、口々に訴えた。
 お盆の隅に、みかんがそのままになっていた。

 「Tちゃん、みかん、食べようね。」
私の声かけにも、Tちゃんは無反応だった。
 表情も変えず、みかんを見ようともしなかった。
めずらしいことだった。

 私は、腰をかがめ、Tちゃんのみかんの皮をむいた。
そして、一房をTちゃんの口に近づけた。
 唇を真一文字にしていたが、2度3度とくり返すと、口を開けた。
「美味しいからね。」
 その一房をTちゃんの口に入れた。

 表情に変化はなかった。
そして、みかんの入った口を動かす気配もなかった。
 念のためにと、
「口をあけでごらん。あーんして!」
開いた口には、一房のみかんがそのままになっていた。

 「Tちゃん、みかんをかむの!」
Tちゃんの目を見た。
 不安げな様子が伝わってきた。
それでも、少し強い口調で続けた。
 「みかんを、かんでごらん!」

 Tちゃんは口を動かした。
しかし、それはみかんを咬んで房を裂くのではなく、
飴をなめるように、口の中でころがすだけだった。
 「違う、違う。みかんをアウッンってするの!」

 やがて、子ども達も察したのだろう。
「Tちゃん、アウン!」
「アウーッンだよ。」
「頑張れ!」
 Tちゃんを囲んで、口々に言い出した。
私も、子ども達と一緒に声をかけた。

 Tちゃんは、私や子ども達の声かけに答えようと、頑張った。
子ども達と一緒に、「アウッン!」と声を出した。
 でも、みかんの房は、口の中でそのままだった。

 「ちがうよ。ちがう。」
「上の歯と下の歯でかむの。」
「みかんをギュッとつぶすの。」
 口々にアドバイスする子ども達。

そして、「アウッン!」
 声を出すTちゃん。

 だが、口の中でみかんはそのまま、
飴のように右へ左へと動いた。

 とうとう、Tちゃんの目から大粒の涙がこぼれた。
ポケットから真っ白なハンカチを取りだした。
何度も、涙と鼻水を自分で拭いた。
 Tちゃんの悲しさが伝わってきた。

「Tちゃん、ゴクンしていいよ。」
私が言うと、みかんを房のまま飲み込んだ。

 その後、給食にみかんが出るたびに、
教室では同様のことがくり返された。

 「小さい時から、何度教えても、
みかんはできないんです。」
 お母さんは、ため息交じりに肩を落とした。

 みかんの一房をかみ砕くことが、
こんなに難しいことだとは・・・。

 その難しいことに、何度も挑戦し、
できないことに涙を流したTちゃん。

 その姿を見て、いつも私は心を濡らした。
そして、たった1つのことを、
教えられない歯がゆさに揺れた。

 あれから35年が過ぎた。
でも、あの真剣なTちゃんの姿は、私の目から離れない。

 何かにチャレンジしようとする時、
今も力をくれる。




  雪の紋別岳と夕焼け雲 そして月
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