2月9日、『平成28年度東京都教育委員会職員表彰』の表彰式が行われた。
今年度は、小学校の教職員13名、管理職31名を含む個人表彰81名、
団体表彰11団体が受賞したらしい。
実は、8年前になるが定年退職の年に、
私もその栄誉に恵まれた。
私を推薦し、支援して下さった方々に、
今も、深く感謝している。
受賞の翌日、勤務校のPTAが中心になって、
盛大な祝賀会を催してくれた。
地域の有力者、PTA関係者、保護者、
そして教職員等々、80余名もの方から祝福を頂いた。
身に余る祝宴に、私はただただ恐縮した。
その席で、お礼を述べる機会をもらった。
それまでの教職生活をふり返り、
忘れてはいけない人、3名のことを話した。
大学生活4年間の学費を支えてくれた10歳違いの兄、
管理職の道へと背中を押してくれた校長先生、
そして、本ブログ『9年目の涙』にも記した、
教え子Tちゃんのことである。
その挨拶から、Tちゃんに関わる所を抜粋する。
『本当のことを申し上げますが、
教職についてから10年位、
私は教師として実の所、天狗でした。
子どもという者は、毎日楽しい話をしてやり、
明るい雰囲気で授業を進め、
時にはきびしく叱り、指示し、命令をしていれば、
いつでも自分の掌の上で、
自由にあやつることができると思っていました。
ところが、ある年の年度始めに、
1年担任と決まっていた私に、
校長先生から学級に自閉症の子がいると伝えられました。
それがTちゃんでした。
自閉症の子を受け持つのは初めての私に、
Tちゃんは「鉛筆を出して。国語の本を出して。」と言うと、
「鉛筆を出して。本を出して。」とオーム返しで言うだけで、
何一つとして言う通りにはしてくれませんでした。
褒めようと笑顔を作って言おうと通用しません。
しびれをきらして大きな声を出すと、
「お母さん帰る」と言い続けて、大泣きする有り様でした。
私は、それまでの教師生活の全てを、
彼に否定された気がしました。
褒めても叱ってもダメ、何も通用しないのです。
私は本当に自信を失いました。
Tちゃんの「お母さん、帰る」の大泣きに、
おびえる毎日を送りました。
悔しくても何もできない私でした。
しかし、どうにかしてTちゃんの心に少しでも近づきたいと、
考えるようになり、必死でした。
夢中でTちゃんのことを思いました。
夢中でTちゃんの行動を追いました。
すると少しずつ少しずつですが、
Tちゃんのことがわかってきました。
「ああ、今はこうしたいんだ。」
「ああ、こんな時、絵が描きたいんだ。」
「こんなことが、嬉しいんだ。」
私は、こんなふうに子どもを理解することの大切さを、
Tちゃんを通して学びました。
Tちゃんなしに私は、
“教育は児童理解に始まり、児童理解に終わる”
と言うことを知ることはなかったと思います。
Tちゃんが、私に教育の原点を教えてくれたのです。』
この挨拶は、決して過言ではない。
Tちゃんとの出会いは、
その後の私の歩みを決定づけるものになったと言える。
数々の貴重な体験をさせてもらった。
その1つを記す。
通常の学級にいるTちゃんである。
どんなに彼への理解が進んでも、
他の子と同様のことは、ほとんど無理だった。
その分、常にTちゃんには特別の配慮が必要になった。
しかし、徐々に徐々にでも、
彼との距離が縮んで行くことは、実に楽しいことだった。
今日のTちゃんは、こんなことをした。
こんなことに応じてくれた。
こんな表情をした。
私は、同僚の先生方にも、家族にも、
Tちゃんのことを、毎日生き生きと話した。
人は相手への理解が進めば進むほど、
その人のことが好きになる。
私は、Tちゃんのことが大好きになっていった。
その気持ちは、きっとTちゃんにも伝わっていったと思う。
冬が近づいていたある日のことだ。
初めて給食にみかんが出た。
給食時間のTちゃんは、
1日の中で一番手がかからなかった。
好き嫌いはなく、どんな献立でも嬉しそうに食べた。
お母さんがしっかりと躾けたのだろう。
食べこぼしや食べ残しなどもなかった。
食べ終わると、周りの子と同じように、
食後の挨拶まで席から離れなかった。
ところが、その日は様子が違った。
周りの子が、しきりにTちゃんに声をかけていた。
「Tちゃん、みかんを残しているの!」
子ども達が、口々に訴えた。
お盆の隅に、みかんがそのままになっていた。
「Tちゃん、みかん、食べようね。」
私の声かけにも、Tちゃんは無反応だった。
表情も変えず、みかんを見ようともしなかった。
めずらしいことだった。
私は、腰をかがめ、Tちゃんのみかんの皮をむいた。
そして、一房をTちゃんの口に近づけた。
唇を真一文字にしていたが、2度3度とくり返すと、口を開けた。
「美味しいからね。」
その一房をTちゃんの口に入れた。
表情に変化はなかった。
そして、みかんの入った口を動かす気配もなかった。
念のためにと、
「口をあけでごらん。あーんして!」
開いた口には、一房のみかんがそのままになっていた。
「Tちゃん、みかんをかむの!」
Tちゃんの目を見た。
不安げな様子が伝わってきた。
それでも、少し強い口調で続けた。
「みかんを、かんでごらん!」
Tちゃんは口を動かした。
しかし、それはみかんを咬んで房を裂くのではなく、
飴をなめるように、口の中でころがすだけだった。
「違う、違う。みかんをアウッンってするの!」
やがて、子ども達も察したのだろう。
「Tちゃん、アウン!」
「アウーッンだよ。」
「頑張れ!」
Tちゃんを囲んで、口々に言い出した。
私も、子ども達と一緒に声をかけた。
Tちゃんは、私や子ども達の声かけに答えようと、頑張った。
子ども達と一緒に、「アウッン!」と声を出した。
でも、みかんの房は、口の中でそのままだった。
「ちがうよ。ちがう。」
「上の歯と下の歯でかむの。」
「みかんをギュッとつぶすの。」
口々にアドバイスする子ども達。
そして、「アウッン!」
声を出すTちゃん。
だが、口の中でみかんはそのまま、
飴のように右へ左へと動いた。
とうとう、Tちゃんの目から大粒の涙がこぼれた。
ポケットから真っ白なハンカチを取りだした。
何度も、涙と鼻水を自分で拭いた。
Tちゃんの悲しさが伝わってきた。
「Tちゃん、ゴクンしていいよ。」
私が言うと、みかんを房のまま飲み込んだ。
その後、給食にみかんが出るたびに、
教室では同様のことがくり返された。
「小さい時から、何度教えても、
みかんはできないんです。」
お母さんは、ため息交じりに肩を落とした。
みかんの一房をかみ砕くことが、
こんなに難しいことだとは・・・。
その難しいことに、何度も挑戦し、
できないことに涙を流したTちゃん。
その姿を見て、いつも私は心を濡らした。
そして、たった1つのことを、
教えられない歯がゆさに揺れた。
あれから35年が過ぎた。
でも、あの真剣なTちゃんの姿は、私の目から離れない。
何かにチャレンジしようとする時、
今も力をくれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/20/780c91a31b5596c686fccd516f1376f0.jpg)
雪の紋別岳と夕焼け雲 そして月
今年度は、小学校の教職員13名、管理職31名を含む個人表彰81名、
団体表彰11団体が受賞したらしい。
実は、8年前になるが定年退職の年に、
私もその栄誉に恵まれた。
私を推薦し、支援して下さった方々に、
今も、深く感謝している。
受賞の翌日、勤務校のPTAが中心になって、
盛大な祝賀会を催してくれた。
地域の有力者、PTA関係者、保護者、
そして教職員等々、80余名もの方から祝福を頂いた。
身に余る祝宴に、私はただただ恐縮した。
その席で、お礼を述べる機会をもらった。
それまでの教職生活をふり返り、
忘れてはいけない人、3名のことを話した。
大学生活4年間の学費を支えてくれた10歳違いの兄、
管理職の道へと背中を押してくれた校長先生、
そして、本ブログ『9年目の涙』にも記した、
教え子Tちゃんのことである。
その挨拶から、Tちゃんに関わる所を抜粋する。
『本当のことを申し上げますが、
教職についてから10年位、
私は教師として実の所、天狗でした。
子どもという者は、毎日楽しい話をしてやり、
明るい雰囲気で授業を進め、
時にはきびしく叱り、指示し、命令をしていれば、
いつでも自分の掌の上で、
自由にあやつることができると思っていました。
ところが、ある年の年度始めに、
1年担任と決まっていた私に、
校長先生から学級に自閉症の子がいると伝えられました。
それがTちゃんでした。
自閉症の子を受け持つのは初めての私に、
Tちゃんは「鉛筆を出して。国語の本を出して。」と言うと、
「鉛筆を出して。本を出して。」とオーム返しで言うだけで、
何一つとして言う通りにはしてくれませんでした。
褒めようと笑顔を作って言おうと通用しません。
しびれをきらして大きな声を出すと、
「お母さん帰る」と言い続けて、大泣きする有り様でした。
私は、それまでの教師生活の全てを、
彼に否定された気がしました。
褒めても叱ってもダメ、何も通用しないのです。
私は本当に自信を失いました。
Tちゃんの「お母さん、帰る」の大泣きに、
おびえる毎日を送りました。
悔しくても何もできない私でした。
しかし、どうにかしてTちゃんの心に少しでも近づきたいと、
考えるようになり、必死でした。
夢中でTちゃんのことを思いました。
夢中でTちゃんの行動を追いました。
すると少しずつ少しずつですが、
Tちゃんのことがわかってきました。
「ああ、今はこうしたいんだ。」
「ああ、こんな時、絵が描きたいんだ。」
「こんなことが、嬉しいんだ。」
私は、こんなふうに子どもを理解することの大切さを、
Tちゃんを通して学びました。
Tちゃんなしに私は、
“教育は児童理解に始まり、児童理解に終わる”
と言うことを知ることはなかったと思います。
Tちゃんが、私に教育の原点を教えてくれたのです。』
この挨拶は、決して過言ではない。
Tちゃんとの出会いは、
その後の私の歩みを決定づけるものになったと言える。
数々の貴重な体験をさせてもらった。
その1つを記す。
通常の学級にいるTちゃんである。
どんなに彼への理解が進んでも、
他の子と同様のことは、ほとんど無理だった。
その分、常にTちゃんには特別の配慮が必要になった。
しかし、徐々に徐々にでも、
彼との距離が縮んで行くことは、実に楽しいことだった。
今日のTちゃんは、こんなことをした。
こんなことに応じてくれた。
こんな表情をした。
私は、同僚の先生方にも、家族にも、
Tちゃんのことを、毎日生き生きと話した。
人は相手への理解が進めば進むほど、
その人のことが好きになる。
私は、Tちゃんのことが大好きになっていった。
その気持ちは、きっとTちゃんにも伝わっていったと思う。
冬が近づいていたある日のことだ。
初めて給食にみかんが出た。
給食時間のTちゃんは、
1日の中で一番手がかからなかった。
好き嫌いはなく、どんな献立でも嬉しそうに食べた。
お母さんがしっかりと躾けたのだろう。
食べこぼしや食べ残しなどもなかった。
食べ終わると、周りの子と同じように、
食後の挨拶まで席から離れなかった。
ところが、その日は様子が違った。
周りの子が、しきりにTちゃんに声をかけていた。
「Tちゃん、みかんを残しているの!」
子ども達が、口々に訴えた。
お盆の隅に、みかんがそのままになっていた。
「Tちゃん、みかん、食べようね。」
私の声かけにも、Tちゃんは無反応だった。
表情も変えず、みかんを見ようともしなかった。
めずらしいことだった。
私は、腰をかがめ、Tちゃんのみかんの皮をむいた。
そして、一房をTちゃんの口に近づけた。
唇を真一文字にしていたが、2度3度とくり返すと、口を開けた。
「美味しいからね。」
その一房をTちゃんの口に入れた。
表情に変化はなかった。
そして、みかんの入った口を動かす気配もなかった。
念のためにと、
「口をあけでごらん。あーんして!」
開いた口には、一房のみかんがそのままになっていた。
「Tちゃん、みかんをかむの!」
Tちゃんの目を見た。
不安げな様子が伝わってきた。
それでも、少し強い口調で続けた。
「みかんを、かんでごらん!」
Tちゃんは口を動かした。
しかし、それはみかんを咬んで房を裂くのではなく、
飴をなめるように、口の中でころがすだけだった。
「違う、違う。みかんをアウッンってするの!」
やがて、子ども達も察したのだろう。
「Tちゃん、アウン!」
「アウーッンだよ。」
「頑張れ!」
Tちゃんを囲んで、口々に言い出した。
私も、子ども達と一緒に声をかけた。
Tちゃんは、私や子ども達の声かけに答えようと、頑張った。
子ども達と一緒に、「アウッン!」と声を出した。
でも、みかんの房は、口の中でそのままだった。
「ちがうよ。ちがう。」
「上の歯と下の歯でかむの。」
「みかんをギュッとつぶすの。」
口々にアドバイスする子ども達。
そして、「アウッン!」
声を出すTちゃん。
だが、口の中でみかんはそのまま、
飴のように右へ左へと動いた。
とうとう、Tちゃんの目から大粒の涙がこぼれた。
ポケットから真っ白なハンカチを取りだした。
何度も、涙と鼻水を自分で拭いた。
Tちゃんの悲しさが伝わってきた。
「Tちゃん、ゴクンしていいよ。」
私が言うと、みかんを房のまま飲み込んだ。
その後、給食にみかんが出るたびに、
教室では同様のことがくり返された。
「小さい時から、何度教えても、
みかんはできないんです。」
お母さんは、ため息交じりに肩を落とした。
みかんの一房をかみ砕くことが、
こんなに難しいことだとは・・・。
その難しいことに、何度も挑戦し、
できないことに涙を流したTちゃん。
その姿を見て、いつも私は心を濡らした。
そして、たった1つのことを、
教えられない歯がゆさに揺れた。
あれから35年が過ぎた。
でも、あの真剣なTちゃんの姿は、私の目から離れない。
何かにチャレンジしようとする時、
今も力をくれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/20/780c91a31b5596c686fccd516f1376f0.jpg)
雪の紋別岳と夕焼け雲 そして月