昨年末もそうだったが、年々喪中ハガキが増える。
その多くは、知人友人からで、主にはご両親の他界である。
しかし、稀に夫や妻のものがあり、心の痛みが倍加する。
それに増した悲報は、
私より年若い同僚だった方々のものである。
昨年は、3人も帰らぬ人となった。
1人目は、私が30才後半の頃同学年を組んだ、
2才下の女教師だ。
他区だったが、校長として活躍し定年退職をした。
理詰めで物事を考える方で、
時間を忘れ、よく教育談義をした。
2人目は、同じ区の校長で、私より6才違いだった。
小柄だったが豪快で、
リーダー性はどんな後輩校長よりも、抜きん出ていた。
人伝えだが、癌の告知を受けていたようだ。
しかし、それを知っていた者は少なかったらしい。
彼らしいと思った。
3人目は、わずか1年間だが、
私の片腕だった副校長である。
確か5才下だと思う。
理科教育では注目された時もあったようだが、
穏やかすぎる性格が、管理職としては力不足だった。
酒豪で、いつも明るい宴席にしてくれた。
彼も癌に倒れた。
3人とも、これから再びの開花が待っていたはずだ。
どれだけ無念だったことか。
その思いの一端すら聞いて上げることができず、
残念でならない。
さて、先日、80才になるご近所さんのところに、
東京で暮らす娘さんが久しぶりにいらした。
お世話などしていないのに、
お土産を持って、突然訪ねてくれた。
50才になろうとしていた方だったが、
すぐにうち解け、話の花が咲いた。
「ところで、終活はお考えですか。」
真顔で、話題を向けられた。
私は、悲報を受けた3人の無念さを語った。
そして、
「今、最も我慢ならないのは、
自分の死に方を、自分で決められないことですよ。」
彼らは、自分の死を自分で決めたわけじゃないと、
伝えたかった。
「もし、死に方を決められるなら、
喜んで終活も頑張ります。」
どう受け止められるか不安だったが、そう答えた。
その上、最近の心の変化まで語り始めてしまった。
ー ー ー ー ー
現職の頃、誰かの役に立つことが、
生きていることの最大の意味だと思っていた。
未来を担う子ども達、それを支える先生や親、
周りにいる知人や友人、家族のためにならと、
毎日を過ごした。
そんな私への期待が、さらに嬉しかった。
だから、「不要となったら、老兵は去るのみでいい」と、
漠然とだが、その思いでいた。
その終焉の地として、伊達に移りきた。
ところがだ。
この地での日々は、私に、
数々の驚きと熱いものを教えてくれた。
それについて、ここで安易に言葉を並べることは避けたい。
ただ、この地だからこそ、この年齢だからこそ、
見えた、感じたものが数々あった。
その思いが、こんなことを考えさせた。
「もし、このまま年齢を重ねたらどうなる。
きっと、その年齢ならではの、気づきや温もり、
感情に出会えるのではないだろうか。」
人生の折り返しを過ぎて久しい。
今後は、誰の役にも、何の役にも立たなくなるだろう。
それでも、例え意地汚いと言われてもいい。
ー ー ー ー ー
そこで、私は、言い切った。
「終活どころじゃない。
長生きがしたい。
80歳、90歳、100歳と、
その年齢でなければ見ることができない風景がきっとある。
それを、是非見てみたい。」
来客も家内も、若干あきれ顔をしていた。
それでも、私一人、勝手に高揚感の中にいた。
その場の雰囲気だけが言わせた言葉ではない。
それから、約2ヶ月、
私の思いを後押しする文に出会った。
3つ列記して、結ぶ。
いつまでも青二才でいいのではなかろうか。
(1)
人生は挑まなければ、応えてくれない。
うつろに叩けば、うつろにしか応えない。
城山三郎
人生、「不完全燃焼」が延々と続くこともあれば、
「長いリハーサル」ののち一気に燃え尽きることもある。
いずれにせよ、挑まなければ限界にも突き当たらない。
おのれの限界に歯ぎしりすることもない。
悔しい思いでそこを乗り越えると、
きっとこれまでより見晴らしのよい場所に立てる。
その時、苦労してたどった上り坂が平坦に見えてくる。
作家の「人生余熱あり」から
≪2017/1/5朝日新聞 折々のことば 鷲田清一≫
(2)
「昨日今日不同」(昨日今日と同じからず)という
禅語があります。
一度過ぎ去った日は二度と戻ってこない、
という意味です。
体力もいつまでも若いときと同じということは
決してないのです。
1日1日波が岸に寄せてくるごとく、
毎日同じような日がくり返されていると、
私たちは思いがちです。
しかし、好むと好まざるに関わらず
老いを重ねていくわけです。
人はそれを常に意識して生きていかなければいけません。
だからこそ、目の前のことに全力で取り組み、
一瞬一瞬を大事にしていく仕事の取り組み方が必要なのです。
≪曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー 枡野俊明≫
(3)
たぶんわれわれはある例外的な瞬間にしか
自分の年齢を意識していないし、
たいていの時間は無年齢者でいるのだ。
ミラン・クンデラ
60代とおぼしき女性がプールで
若い男性教師に水泳を習っている。
レッスンが済んでプールから去るとき、ふとふり返り、
彼に「色とりどりに塗りわけた風船を
恋人めがけて投げ」るかのような合図を送る。
ひとの存在もまた風船のよう。
歳など知らず気ままに漂う。きゅんとなる。
亡命作家の小説「不滅」(菅野昭正訳)の冒頭の場面
≪2017/2/7朝日新聞 折々のことば 鷲田清一≫
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/ab/de7d98486f715b387796ed58c91a1954.jpg)
大きな栗の木の下 春の足音がする
その多くは、知人友人からで、主にはご両親の他界である。
しかし、稀に夫や妻のものがあり、心の痛みが倍加する。
それに増した悲報は、
私より年若い同僚だった方々のものである。
昨年は、3人も帰らぬ人となった。
1人目は、私が30才後半の頃同学年を組んだ、
2才下の女教師だ。
他区だったが、校長として活躍し定年退職をした。
理詰めで物事を考える方で、
時間を忘れ、よく教育談義をした。
2人目は、同じ区の校長で、私より6才違いだった。
小柄だったが豪快で、
リーダー性はどんな後輩校長よりも、抜きん出ていた。
人伝えだが、癌の告知を受けていたようだ。
しかし、それを知っていた者は少なかったらしい。
彼らしいと思った。
3人目は、わずか1年間だが、
私の片腕だった副校長である。
確か5才下だと思う。
理科教育では注目された時もあったようだが、
穏やかすぎる性格が、管理職としては力不足だった。
酒豪で、いつも明るい宴席にしてくれた。
彼も癌に倒れた。
3人とも、これから再びの開花が待っていたはずだ。
どれだけ無念だったことか。
その思いの一端すら聞いて上げることができず、
残念でならない。
さて、先日、80才になるご近所さんのところに、
東京で暮らす娘さんが久しぶりにいらした。
お世話などしていないのに、
お土産を持って、突然訪ねてくれた。
50才になろうとしていた方だったが、
すぐにうち解け、話の花が咲いた。
「ところで、終活はお考えですか。」
真顔で、話題を向けられた。
私は、悲報を受けた3人の無念さを語った。
そして、
「今、最も我慢ならないのは、
自分の死に方を、自分で決められないことですよ。」
彼らは、自分の死を自分で決めたわけじゃないと、
伝えたかった。
「もし、死に方を決められるなら、
喜んで終活も頑張ります。」
どう受け止められるか不安だったが、そう答えた。
その上、最近の心の変化まで語り始めてしまった。
ー ー ー ー ー
現職の頃、誰かの役に立つことが、
生きていることの最大の意味だと思っていた。
未来を担う子ども達、それを支える先生や親、
周りにいる知人や友人、家族のためにならと、
毎日を過ごした。
そんな私への期待が、さらに嬉しかった。
だから、「不要となったら、老兵は去るのみでいい」と、
漠然とだが、その思いでいた。
その終焉の地として、伊達に移りきた。
ところがだ。
この地での日々は、私に、
数々の驚きと熱いものを教えてくれた。
それについて、ここで安易に言葉を並べることは避けたい。
ただ、この地だからこそ、この年齢だからこそ、
見えた、感じたものが数々あった。
その思いが、こんなことを考えさせた。
「もし、このまま年齢を重ねたらどうなる。
きっと、その年齢ならではの、気づきや温もり、
感情に出会えるのではないだろうか。」
人生の折り返しを過ぎて久しい。
今後は、誰の役にも、何の役にも立たなくなるだろう。
それでも、例え意地汚いと言われてもいい。
ー ー ー ー ー
そこで、私は、言い切った。
「終活どころじゃない。
長生きがしたい。
80歳、90歳、100歳と、
その年齢でなければ見ることができない風景がきっとある。
それを、是非見てみたい。」
来客も家内も、若干あきれ顔をしていた。
それでも、私一人、勝手に高揚感の中にいた。
その場の雰囲気だけが言わせた言葉ではない。
それから、約2ヶ月、
私の思いを後押しする文に出会った。
3つ列記して、結ぶ。
いつまでも青二才でいいのではなかろうか。
(1)
人生は挑まなければ、応えてくれない。
うつろに叩けば、うつろにしか応えない。
城山三郎
人生、「不完全燃焼」が延々と続くこともあれば、
「長いリハーサル」ののち一気に燃え尽きることもある。
いずれにせよ、挑まなければ限界にも突き当たらない。
おのれの限界に歯ぎしりすることもない。
悔しい思いでそこを乗り越えると、
きっとこれまでより見晴らしのよい場所に立てる。
その時、苦労してたどった上り坂が平坦に見えてくる。
作家の「人生余熱あり」から
≪2017/1/5朝日新聞 折々のことば 鷲田清一≫
(2)
「昨日今日不同」(昨日今日と同じからず)という
禅語があります。
一度過ぎ去った日は二度と戻ってこない、
という意味です。
体力もいつまでも若いときと同じということは
決してないのです。
1日1日波が岸に寄せてくるごとく、
毎日同じような日がくり返されていると、
私たちは思いがちです。
しかし、好むと好まざるに関わらず
老いを重ねていくわけです。
人はそれを常に意識して生きていかなければいけません。
だからこそ、目の前のことに全力で取り組み、
一瞬一瞬を大事にしていく仕事の取り組み方が必要なのです。
≪曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー 枡野俊明≫
(3)
たぶんわれわれはある例外的な瞬間にしか
自分の年齢を意識していないし、
たいていの時間は無年齢者でいるのだ。
ミラン・クンデラ
60代とおぼしき女性がプールで
若い男性教師に水泳を習っている。
レッスンが済んでプールから去るとき、ふとふり返り、
彼に「色とりどりに塗りわけた風船を
恋人めがけて投げ」るかのような合図を送る。
ひとの存在もまた風船のよう。
歳など知らず気ままに漂う。きゅんとなる。
亡命作家の小説「不滅」(菅野昭正訳)の冒頭の場面
≪2017/2/7朝日新聞 折々のことば 鷲田清一≫
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/ab/de7d98486f715b387796ed58c91a1954.jpg)
大きな栗の木の下 春の足音がする