ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

いつまでも 青二才!?

2017-02-24 22:02:30 | 思い
 昨年末もそうだったが、年々喪中ハガキが増える。
その多くは、知人友人からで、主にはご両親の他界である。
 しかし、稀に夫や妻のものがあり、心の痛みが倍加する。

 それに増した悲報は、
私より年若い同僚だった方々のものである。
昨年は、3人も帰らぬ人となった。

 1人目は、私が30才後半の頃同学年を組んだ、
2才下の女教師だ。
 他区だったが、校長として活躍し定年退職をした。
理詰めで物事を考える方で、
時間を忘れ、よく教育談義をした。

 2人目は、同じ区の校長で、私より6才違いだった。
小柄だったが豪快で、
リーダー性はどんな後輩校長よりも、抜きん出ていた。
 人伝えだが、癌の告知を受けていたようだ。
しかし、それを知っていた者は少なかったらしい。
 彼らしいと思った。

 3人目は、わずか1年間だが、
私の片腕だった副校長である。
 確か5才下だと思う。
理科教育では注目された時もあったようだが、
穏やかすぎる性格が、管理職としては力不足だった。
 酒豪で、いつも明るい宴席にしてくれた。
彼も癌に倒れた。

 3人とも、これから再びの開花が待っていたはずだ。
どれだけ無念だったことか。
 その思いの一端すら聞いて上げることができず、
残念でならない。

 さて、先日、80才になるご近所さんのところに、
東京で暮らす娘さんが久しぶりにいらした。
 お世話などしていないのに、
お土産を持って、突然訪ねてくれた。

 50才になろうとしていた方だったが、
すぐにうち解け、話の花が咲いた。

 「ところで、終活はお考えですか。」
真顔で、話題を向けられた。

 私は、悲報を受けた3人の無念さを語った。
そして、
「今、最も我慢ならないのは、
自分の死に方を、自分で決められないことですよ。」
 彼らは、自分の死を自分で決めたわけじゃないと、
伝えたかった。

 「もし、死に方を決められるなら、
喜んで終活も頑張ります。」
 どう受け止められるか不安だったが、そう答えた。

 その上、最近の心の変化まで語り始めてしまった。

 ー ー ー ー ー 

 現職の頃、誰かの役に立つことが、
生きていることの最大の意味だと思っていた。
 未来を担う子ども達、それを支える先生や親、
周りにいる知人や友人、家族のためにならと、
毎日を過ごした。
 そんな私への期待が、さらに嬉しかった。

 だから、「不要となったら、老兵は去るのみでいい」と、
漠然とだが、その思いでいた。

 その終焉の地として、伊達に移りきた。

 ところがだ。
この地での日々は、私に、
数々の驚きと熱いものを教えてくれた。

 それについて、ここで安易に言葉を並べることは避けたい。
ただ、この地だからこそ、この年齢だからこそ、
見えた、感じたものが数々あった。

 その思いが、こんなことを考えさせた。
「もし、このまま年齢を重ねたらどうなる。
きっと、その年齢ならではの、気づきや温もり、
感情に出会えるのではないだろうか。」

 人生の折り返しを過ぎて久しい。
今後は、誰の役にも、何の役にも立たなくなるだろう。
 それでも、例え意地汚いと言われてもいい。

 ー ー ー ー ー

 そこで、私は、言い切った。
「終活どころじゃない。
 長生きがしたい。
80歳、90歳、100歳と、
その年齢でなければ見ることができない風景がきっとある。
それを、是非見てみたい。」

 来客も家内も、若干あきれ顔をしていた。
それでも、私一人、勝手に高揚感の中にいた。
 その場の雰囲気だけが言わせた言葉ではない。

 それから、約2ヶ月、
私の思いを後押しする文に出会った。
 3つ列記して、結ぶ。
いつまでも青二才でいいのではなかろうか。

  (1)
 人生は挑まなければ、応えてくれない。
うつろに叩けば、うつろにしか応えない。
               城山三郎
 人生、「不完全燃焼」が延々と続くこともあれば、
「長いリハーサル」ののち一気に燃え尽きることもある。
いずれにせよ、挑まなければ限界にも突き当たらない。
おのれの限界に歯ぎしりすることもない。
悔しい思いでそこを乗り越えると、
きっとこれまでより見晴らしのよい場所に立てる。
その時、苦労してたどった上り坂が平坦に見えてくる。
 作家の「人生余熱あり」から 
≪2017/1/5朝日新聞 折々のことば 鷲田清一≫

  (2)
 「昨日今日不同」(昨日今日と同じからず)という
禅語があります。
一度過ぎ去った日は二度と戻ってこない、
という意味です。
体力もいつまでも若いときと同じということは
決してないのです。

 1日1日波が岸に寄せてくるごとく、
毎日同じような日がくり返されていると、
私たちは思いがちです。
しかし、好むと好まざるに関わらず
老いを重ねていくわけです。
人はそれを常に意識して生きていかなければいけません。

 だからこそ、目の前のことに全力で取り組み、
一瞬一瞬を大事にしていく仕事の取り組み方が必要なのです。
≪曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー 枡野俊明≫

  (3)
 たぶんわれわれはある例外的な瞬間にしか
自分の年齢を意識していないし、
たいていの時間は無年齢者でいるのだ。
           ミラン・クンデラ
 60代とおぼしき女性がプールで
若い男性教師に水泳を習っている。
レッスンが済んでプールから去るとき、ふとふり返り、
彼に「色とりどりに塗りわけた風船を
恋人めがけて投げ」るかのような合図を送る。
ひとの存在もまた風船のよう。
歳など知らず気ままに漂う。きゅんとなる。
亡命作家の小説「不滅」(菅野昭正訳)の冒頭の場面
≪2017/2/7朝日新聞 折々のことば 鷲田清一≫




 大きな栗の木の下 春の足音がする
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする