ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

次第に わたしも・・・

2018-06-09 15:46:41 | 北の湘南・伊達
 ▼ 30代になり、抜け毛がひどくなった。
そんなに遠くない年令で、頭髪がなくなると予感した。
 その頃のことだ。

 勤務校のPTA主催で、野球大会があった。
貴重な日曜日だが、
多くのお父さん達が河川敷のグランドに集まった。

 学年ごとに、チームをつくり、その対抗戦だった。
私も、担任をしていた学年のチームに参加させてもらった。

 父親の保護者と教員が交流する機会は少ない。
ほとんどのお父さんとは初対面だ。
 私は、ベンチで代打要員になった。

 野球経験のある方が多く、どの人も動きが俊敏だった。
その中でも、私のチームの三塁手に目がいった。

 打球への動き、送球の姿勢が、かっこよかった。
打席では、ヒットを連発し、大活躍だった。
 試合中に、Fちゃんのお父さんだと知った。

 全試合が終わった午後、町会会館で打ち上げがあった。
私も、その酒席に喜んで参加した。

 選手のお父さん、お手伝いのお母さん、教職員などで、
会場はいっぱいになった。

 私は、そのにぎやかな宴席で、Fちゃんのお父さんを探した。
「野球、上手ですね。すごい」。
 そのひと言が、言いたかった。

 目で追いかけた。どこを探してもいない。
仕方なく、横にいた役員さんに言った。

 「Fちゃんのお父さん、上手でしたね。
ここにいたら、いいのにね。」
 「先生、隣のテーブルにいますよ。ほら」。
そう言って指さした先に、ツルツル頭の方がいた。

 グランドで野球帽を被っていた勇姿とは、大きく違った。
私は、「そうですか」の後が、続かなかった。
 「いつか、私もそんな対象になるのだろう。」
急に、気持ちが沈んだ。

 さて、その経験は、伊達に来て、
しばしば私にも降りかかった。
 その一例を記す。

 日頃、私は帽子を愛用しない。
それでも、ジョギングやゴルフでは必需品だ。

 4年前になる。
ご近所さんのパークゴルフ会に仲間入りさせてもらった。

 初めて一緒にプレイした日だ。
大ベテランの方と一緒の組で回った。
 初対面だったが、時間が過ぎ、
ラウンドが進むにつれ、うち解けた。
 人柄の良さが、プレイにもにじみ出ていた。
後半は、冗談を言い合ったりもし、楽しく終わった。

 たまたま、その夜は打ち上げ会が計画されていた。
遠慮なく、参加させてもらった。
 20人近い方々だったが、
そのほとんどが馴染みのない顔だった。

 私は、座る席に困った。
つい先ほど一緒だった大ベテランの隣が、空いていた。
 軽く会釈して、そこに腰を下ろした。

 「こんな会に誘って頂き、嬉しいです。」
私は、挨拶もそこそこに話しかけた。
 「そうですか。」
大ベテランからは、それだけしか返ってこなかった。

 しばらく時間をおいて、再び声をかけた。
「みなさんと初めてご一緒させてもらって、
楽しかったです。」
 「あっ、そう・・・。」

 ラウンド中とは、別人のようだった。
不思議な違和感に包まれた。

 次の瞬間、「もしや」と思い立った。
当然、この打ち上げに帽子は不要だった。
 頭髪の少ない私の頭をおおうものは、何もなかった。
大ベテランの目に、私は違う人なのではなかろうか・・・。

 今度は、ポケットから今日のスコアカードを取り出し、
「Aコースの2番で、OB。あれにはまいりました。」

 大ベテランの表情が一変し、私の顔を見た。。
「ああ・・、あそこ・・。残念だったね。
でも、それからはまあまあで・・。」
 その後は、ラウンド中と変わらない、楽しい会話が続いた。

 伊達で暮らし始めてから、これに類似したことはいくつもあった。

 家内と一緒の朝のジョギングで、挨拶を交わしていた女性と、
はじめてスーパーで会った。
 家内には、笑顔を向けたが、
キャップなしの私には、不思議そうな顔で会釈し、立ち去った。

 自治会の会議で同席した方と、
朝のジョギングで、すれ違った。
 ランニング姿に帽子の私に、よそよそしい挨拶が返ってきた。
後日、それを伝えると、
「気づかなかった」の答えがもどってきた。
 「どうして?」と訊きたかったが、愚問だと気づいた。

 ▼さて、今年も6月7日がきた。
伊達に移住して、丸々6年が過ぎた。

 頭髪と帽子による、初対面の洗礼を受ける機会は、
めっきり減った。
 それどころか、私は随分と『伊達の人』になってきた気がする。

 冬から続いた風邪による体調不良も、
春爛漫に誘われ、かなり回復した。
 今は、週に数回は、朝のジョギングに汗を流している。

 「今、我が家の前を走って行きましたね。もう大丈夫ですか。
次の大会には出られそうですね。よかった。」
 5キロを走り、自宅に戻るなり、
マラソン仲間からのラインだった。

 「まだまだ体力が回復していません。
次の大会は、参加できそうにありません。」
 「そうですか。いい走りのように見えましたけど。」

 思いがけないラインの嬉しさが、
走り終えた爽快感に加わった。

 それから数日後だ。別の仲間からのラインだ。
「大会不参加なんですね。
先日、走っている姿を車から見ました。
 てっきり大会に向けて走っていると思いました。
残念です。
 僕は、頑張って走ってきます。」

 考えもしない現役バリバリのランナーたちからのエールだ。
しかも、2人ともランニング中の私を見てのもの。
 大きな励ましを貰った。

 そして、つい先日。
久しぶりに10キロコースの終盤だった。
 車道と歩道の段差に腰かけて、
愛犬の毛づくろいをしている女性がいた。

 その方の後ろを通り過ぎながら、当然のように
「おはようございます」と声をかけた。

 その時、振り向いた同世代のその女性が、とっさに言った。
「あら、いつも見てますよ。」
 ビックリして、その顔を見た。
女性も、自身が発した言葉に驚きの表情を浮かべた。

 自然と表情がゆるんだ。
なぜだろう。
 やけに心が弾んでいた。

 伊達でも今日までの日が、
こうして私の周りに人の輪を広げてくれている。
 大切な1コマ1コマだと思う。
大事にしたい。

 この後だが、私の筆が若干滑ることを許して欲しい。
まずは、朝のジョギングですれ違った2人だ。
 
 旧胆振線のサイクリングロードを走っていた。
前方から、小さな愛犬2匹と散歩する男性が近づいてきた。

 白文字がプリントされたしゃれた藤色のTシャツを着ていた。
それが、今年の洞爺湖マラソンの参加賞だと気づいた。

 「アッ、そのTシャツ、洞爺湖マラソンのだ。」
朝の挨拶もそこそこに、私は言った。
 通り過ぎながら、「そう」と返ってきた。
ニコッとした。

 同じ日、歴史の杜公園までようやく走り着いた。
そこに大型犬と散歩する男性がいた。

 ロシアの女子スケーターに秋田犬を贈ったと、
しきりに報道していたことを思い出した。

 その秋田犬と特徴が同じだった。
耳が折れ、尾を巻いていた。

 ここでも、朝の挨拶もそこそこに、私は言った。
「アッ、この犬、秋田犬かな?」
 通り過ぎる私に、「そう」と返ってきた。
またニコッとした。

 自宅まで走り着いてすぐ、
「洞爺湖マラソンのTシャツ」、「秋田犬」を家内に教えた。

 以前、
「伊達の人は、挨拶も自己紹介もなく、突然フレンドリーに接してくる」
と、私は評した。

 家内は言った。
「今朝のそれって、伊達の人でしょう。あなた」。
 「エッ・・。あぁ・・。そう・・」。
どう切り換えしていいのか、迷いながら、
「次第に、わたしも・・・」。 





 満開の 大手毬 <だて歴史の杜公園>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする