伊達に本格的な春がやってきた。
一緒に、71才になった。
日常に大きな変化はない。
なのに、この機を逃さず、
「小さなことでもいい、脱皮を試みよう。」
そんな心境になった。
その第1歩は、このブログだ。
「ブロク、読んでるよ。」
先日も、散歩で出逢った方が声をかけてくれた。
その一言が、励みになる。
ところが、そんな声に混じって、時折、こんな言葉が聞こえる。
「長すぎる!」「もっと短くしては!」
「その方が読みやすいよ。」
謙虚さを無くし、その助言を無視してきた。
それには、
「少し長めの原稿を通して、思いを表してみたい。」
そんな欲求があったから。
でも今は、素直。
できるだけコンパクトに、見えたこと、聞こえたこと、
心に止まったことなどを、私らしく記してみようと決めた。
ただ、そのやり方が、
行き詰まらないことを祈ってはいる。
さて、今回は、伊達に移住していち早く、
親しく声をかけてくれた近所のご主人のことだ。
首都圏から運転してきたマイカーを、
寒冷地仕様に買い換えようとした時だ。
「ずっと車関係の仕事をしてきたんだ。俺に任せろ。」
退職して数年になると言いながら、そのご主人は、
数日後、トヨタの販売員を連れて、やってきた。
私が、希望車種を伝えると、
そのベテランの販売員は、電卓をしきりに叩いた。
そして、ご主人を気にしながら、販売価格を提示した。
「そんな値段じゃ、買えないなあ。」
私ではない。ご主人が即答した。
販売員は、ビックリ顔になった。
私は、その提示価格をのぞき込んだ。
準備していた購入額より、はるかに安かった。
私も、ビックリ顔になった。
その後、さらに値引した価格提示が2度くり返された。
私は、その値でもう十分だった。
販売員は、弱りきった表情で言った。
「これ以上の値引きは無理です。」
「分かりました。その値段で・・。」
そこまで、私が言った時だ。
「黙ってろ。こっちは客なんだから・・。」
ご主人は、私にそう言うと、販売員の顔をジロッと見た。
「もう少し、なんとかなるべサ。」
販売員は、再び電卓を叩いた。
最終価格は、驚きの安値だった。
マイカーの買い換えだけでなかった。
慣れない庭仕事で、雑草取りに手間取った。
「見ていろ。こうやってやるんだ。」
ご自宅の車庫から、庭仕事の道具を持ち出し、
手取り足取りで教えてくれた。
我が家の庭から、すっかりスギナが消えた。
冬になると、
「雪道の運転で、気をつけることはなあ・・・」
そう言って、急ハンドル、急ブレーキ、急発進の危険性を、
私にも家内にも、くり返し教えてくれた。
そうやって慣れない伊達の暮らしに、
いつも心をさいてくれた。
そのご主人が、肺炎で長期入院をしたのは、
5年前だったろうか。
ひとまわり体が小さく見えた。
それから、1年余り後、今度は喉頭癌が見つかった。
手術の前日、
「声を取られても、命を取られるよりかはマシだべ。」
強気にそう言って、笑った。
無事手術を終え、退院後は元気に散歩する姿があった。
ところが、次第次第に活気を無くしていった。
言葉がない暮らしが、影響したのかどうか・・・。
私には分からない。
やがて、外での姿が消えた。
デーサービスの迎車に乗り込むようになった。
いつしか車いすでの乗り降りになった。
そして、1年前位からは入院生活のままに・・。
時折、奥さんが
「頂き物なんだけど、食べて・・。」
と、野菜や海産物を持ってきた。
そんな折りに、ご主人の様子を尋ねた。
その様子を知る度に、
私も家内も暗い気持ちのまま、その日を過ごした。
だが、それは突然だった。
つい最近の午後だ。
ご自宅前に、何台もの乗用車があった。
胸騒ぎがした。
何度も窓越しに様子をうかがった。
すると、お坊さん風の方が玄関から出てきた。
その後、何人もの方が、肩を落とし、ご自宅を後にした。
もう我慢できなかった。
ご自宅を訪ねた。
昼過ぎ、入院先から病状急変の知らせがあった。
それから、1時間余りで息をひきとったと言う。
奥の間で、静かに眠るご主人の小さな姿があった。
「まだ逝くの、早いのに・・。」
「そんなに早く逝かなくても・・・・。」
何度も何度も声になっていた。
「ご主人は、思ったことはすぐに口にした。
すぐに動き出した。心のある方だった。」
そう言いながら、畳に涙のシミをいくつもつくってしまった。
享年79歳。
北の大地で生きた強い人が、またひとり旅立った。
合 掌
今年も咲いた 『キバナノアマナ』
一緒に、71才になった。
日常に大きな変化はない。
なのに、この機を逃さず、
「小さなことでもいい、脱皮を試みよう。」
そんな心境になった。
その第1歩は、このブログだ。
「ブロク、読んでるよ。」
先日も、散歩で出逢った方が声をかけてくれた。
その一言が、励みになる。
ところが、そんな声に混じって、時折、こんな言葉が聞こえる。
「長すぎる!」「もっと短くしては!」
「その方が読みやすいよ。」
謙虚さを無くし、その助言を無視してきた。
それには、
「少し長めの原稿を通して、思いを表してみたい。」
そんな欲求があったから。
でも今は、素直。
できるだけコンパクトに、見えたこと、聞こえたこと、
心に止まったことなどを、私らしく記してみようと決めた。
ただ、そのやり方が、
行き詰まらないことを祈ってはいる。
さて、今回は、伊達に移住していち早く、
親しく声をかけてくれた近所のご主人のことだ。
首都圏から運転してきたマイカーを、
寒冷地仕様に買い換えようとした時だ。
「ずっと車関係の仕事をしてきたんだ。俺に任せろ。」
退職して数年になると言いながら、そのご主人は、
数日後、トヨタの販売員を連れて、やってきた。
私が、希望車種を伝えると、
そのベテランの販売員は、電卓をしきりに叩いた。
そして、ご主人を気にしながら、販売価格を提示した。
「そんな値段じゃ、買えないなあ。」
私ではない。ご主人が即答した。
販売員は、ビックリ顔になった。
私は、その提示価格をのぞき込んだ。
準備していた購入額より、はるかに安かった。
私も、ビックリ顔になった。
その後、さらに値引した価格提示が2度くり返された。
私は、その値でもう十分だった。
販売員は、弱りきった表情で言った。
「これ以上の値引きは無理です。」
「分かりました。その値段で・・。」
そこまで、私が言った時だ。
「黙ってろ。こっちは客なんだから・・。」
ご主人は、私にそう言うと、販売員の顔をジロッと見た。
「もう少し、なんとかなるべサ。」
販売員は、再び電卓を叩いた。
最終価格は、驚きの安値だった。
マイカーの買い換えだけでなかった。
慣れない庭仕事で、雑草取りに手間取った。
「見ていろ。こうやってやるんだ。」
ご自宅の車庫から、庭仕事の道具を持ち出し、
手取り足取りで教えてくれた。
我が家の庭から、すっかりスギナが消えた。
冬になると、
「雪道の運転で、気をつけることはなあ・・・」
そう言って、急ハンドル、急ブレーキ、急発進の危険性を、
私にも家内にも、くり返し教えてくれた。
そうやって慣れない伊達の暮らしに、
いつも心をさいてくれた。
そのご主人が、肺炎で長期入院をしたのは、
5年前だったろうか。
ひとまわり体が小さく見えた。
それから、1年余り後、今度は喉頭癌が見つかった。
手術の前日、
「声を取られても、命を取られるよりかはマシだべ。」
強気にそう言って、笑った。
無事手術を終え、退院後は元気に散歩する姿があった。
ところが、次第次第に活気を無くしていった。
言葉がない暮らしが、影響したのかどうか・・・。
私には分からない。
やがて、外での姿が消えた。
デーサービスの迎車に乗り込むようになった。
いつしか車いすでの乗り降りになった。
そして、1年前位からは入院生活のままに・・。
時折、奥さんが
「頂き物なんだけど、食べて・・。」
と、野菜や海産物を持ってきた。
そんな折りに、ご主人の様子を尋ねた。
その様子を知る度に、
私も家内も暗い気持ちのまま、その日を過ごした。
だが、それは突然だった。
つい最近の午後だ。
ご自宅前に、何台もの乗用車があった。
胸騒ぎがした。
何度も窓越しに様子をうかがった。
すると、お坊さん風の方が玄関から出てきた。
その後、何人もの方が、肩を落とし、ご自宅を後にした。
もう我慢できなかった。
ご自宅を訪ねた。
昼過ぎ、入院先から病状急変の知らせがあった。
それから、1時間余りで息をひきとったと言う。
奥の間で、静かに眠るご主人の小さな姿があった。
「まだ逝くの、早いのに・・。」
「そんなに早く逝かなくても・・・・。」
何度も何度も声になっていた。
「ご主人は、思ったことはすぐに口にした。
すぐに動き出した。心のある方だった。」
そう言いながら、畳に涙のシミをいくつもつくってしまった。
享年79歳。
北の大地で生きた強い人が、またひとり旅立った。
合 掌
今年も咲いた 『キバナノアマナ』