校長として赴任した小学校のことだ。
K駅から一直線、徒歩15分程のところに学校はあった。
同じ区内でも、H地区とM地区では街並みが、
大きく違った。
H地区は、江戸の頃に道路整備が進み、
碁盤の目のような区画であった。
それに比べ、M地区は畑道がそのまま道路になり、
今も、所々に行き止まりがあり、曲がりくねっている。
私などは、H地区は分かりやすく、
M地区ではよく道に迷った。
ところが、M地区に住み慣れた方は、
「Hは、変化がなく分かりずらい。」
と、困り顔をする。
「どこにでも、何にでも、一長一短がある。」
そう思える一事だ。
その小学校はH地区にあった。
縦と横に走る道路で、区画された地域だ。
学校も四方を道で囲まれ、
校庭は、校舎を背に3方が通りに面し、
高い金網で仕切られていた。
狭い校庭での全校朝会は、
通勤や散歩で学校の横を通る人に丸見えだった。
時には、全校児童への私の話を、
立ち止まって聞く方もいた。
「都会の小学校ならでは、・・」。
そんな1コマと言えるだろう。
学校周辺の地域は、歴史が古かった。
赴任して、真っ先に驚いたのは、町会の数だ。
当然、小学校によって、
学区域内の町会(自治会)の規模や数に違いがある。
しかし、この小学校には町会がなんと12もあった。
各町会は、さほど大きくなく、
3百~5百世帯程で構成されていた。
そして、それぞれの町会には、
なんと江戸の頃から受け継がれてきた御輿が、
一基ずつあった。
毎年の夏祭りでは、町会毎に神酒所が設けられた。
数年に1回の本祭では、
担ぎ手を募り、神社まで御輿詣をした。
それが町会の伝統であり、
代々受け継がれ守られてきたことだと言う。
大きくて立派な御輿だ。
着任した夏、各町会のそんな歴史を知った。
御輿を守り継いできたことを想像し、心を熱くした。
そのご苦労に加え、歴史の重み、
それを支え続ける心意気に感激した。
だから、前任校長を踏襲せず、
私は、夏祭りの日には、全ての神酒所を回ることにした。
神酒所に日本酒各1本、計12本を持参した。
運び役を、PTA役員さんとそのマイカーにお願いした。
各神酒所に出向き、日本酒を納めた。
突然の校長訪問に、町会の役員さんは恐縮したり、喜んだりした。
恒例だからと、コップ酒が1杯、勧められた。
次に、三本締めをした。
私は、そのお酒を全て飲み干せないまでも、
祭りの場である、そこそこ口をつけた。
そして、次の神酒所へと向かった。
その日、それを12回もくり返した。
4時間をはるかに越えた。
その全てで、お酒が振る舞われた。
飲んだり飲まなかったりはできなかった。
決して酒豪ではない。
7,8軒目の神酒所では、もう相当酔いが回った。
10軒目あたりでは、声も大きくなった。
陽気になった。
私が神酒所回りをしている情報が、
次第に各所に伝わった。
最後の12軒目では、
20名ほどの方が急こしらえの酒席を設け、
私を待ち構えてくれた。
「私の勝手な振る舞いが、迷惑をかけてはいないか。」
途中でそんな想いがよぎったが、
酔いの勢いが吹き飛ばした。
遂に12軒目では、注がれるままに飲み、
帰りの電車は、乗り過ごす寸前になった。
翌朝、学校付近で出逢った方々から、
神酒所回りのお礼を言われた。
学校では、何人もの子どもが、
私に同じ事を言った。
「お母さんが、校長先生がお祭りに来てくれたって、
言っていたよ。」
どの子も、嬉しそうだった。
だから、翌年も、その翌年も祭りが近づくと
「今年も、是非」の声が届いた。
私は、喜んで12軒の神酒所を回り、
酔い潰れそうになりながら、
やっとの思いで、帰りの電車に乗った。
そんな学校周辺で、
重大なニュースがささやかれ出したのは、
着任して4年目の頃だったと思う。
『第二東京タワー建設の誘致』話だった。
いつからそんな話題があったのか知らない。
どこから出てきた話かも知らない。
私の耳に入ってきたのは、
「町の人が言っている。」と言った噂話だった。
現実感のないことと聞き流した。
ところが、次第にそれを耳にする機会が増えた。
職員室での雑談で、その話題が飛び交うのも聞こえてきた。
そんな時、私の性分は、ついミーハーになってしまうのだ。
大きな短所の1つだが、その時の私はこうだ。
「この学校のこの周辺! 近くに第二東京タワー!
東京の名所ができる! すごい! すごいよ!」
そう思うだけで、気分は高揚した。
そんな軽さで誘致の成功を、私は期待したのだ。
私のテンションはどんどん上がった。
胸膨らんだ。
だから、お酒が入ったPTA役員さん達との歓談の場だった。
ついに口走った。
「第二東京タワーか・・。
誘致がうまくいって、凄いタワーが建つといいなあ。」
まだ誘致がささやかれている頃のことだ。
まだ、地域でも様々な考えがくすぶっていた時だった。
私は、そんな状況も知らずに、好き勝手に『憧れ』を口にした。
歓談の帰り道、
いつも気さくに話しかけてくれる男性の役員さんに、
呼び止められた。
肩を抱かれ、小声で言われた。
「私もよく分かりませんが、第2タワーのこと、
簡単に建つといいなあって、言っちゃだめですよ。
それがいいかどうか、みんな真剣なんですから。」
一気に酔いがさめた。
長い歴史と伝統をもつ地域である。
そこでの一大事なのだ。
みんな軽く口を開けないでいるのだ。
地域発展の好機だろう。
だか、人の流れが変わり、
この地域が変わり過ぎはしないか。
それぞれが頭を痛めていたのだ。
私の高揚感は、消えた。
それよりも、時代の流れに沿いながらも、
伝統を継承する人々の強さを、思い知った。
軽薄な私を恥じた。
伊達に 新しい道路が開通した
※次回のブログ更新予定は 4月20日(土)です。
K駅から一直線、徒歩15分程のところに学校はあった。
同じ区内でも、H地区とM地区では街並みが、
大きく違った。
H地区は、江戸の頃に道路整備が進み、
碁盤の目のような区画であった。
それに比べ、M地区は畑道がそのまま道路になり、
今も、所々に行き止まりがあり、曲がりくねっている。
私などは、H地区は分かりやすく、
M地区ではよく道に迷った。
ところが、M地区に住み慣れた方は、
「Hは、変化がなく分かりずらい。」
と、困り顔をする。
「どこにでも、何にでも、一長一短がある。」
そう思える一事だ。
その小学校はH地区にあった。
縦と横に走る道路で、区画された地域だ。
学校も四方を道で囲まれ、
校庭は、校舎を背に3方が通りに面し、
高い金網で仕切られていた。
狭い校庭での全校朝会は、
通勤や散歩で学校の横を通る人に丸見えだった。
時には、全校児童への私の話を、
立ち止まって聞く方もいた。
「都会の小学校ならでは、・・」。
そんな1コマと言えるだろう。
学校周辺の地域は、歴史が古かった。
赴任して、真っ先に驚いたのは、町会の数だ。
当然、小学校によって、
学区域内の町会(自治会)の規模や数に違いがある。
しかし、この小学校には町会がなんと12もあった。
各町会は、さほど大きくなく、
3百~5百世帯程で構成されていた。
そして、それぞれの町会には、
なんと江戸の頃から受け継がれてきた御輿が、
一基ずつあった。
毎年の夏祭りでは、町会毎に神酒所が設けられた。
数年に1回の本祭では、
担ぎ手を募り、神社まで御輿詣をした。
それが町会の伝統であり、
代々受け継がれ守られてきたことだと言う。
大きくて立派な御輿だ。
着任した夏、各町会のそんな歴史を知った。
御輿を守り継いできたことを想像し、心を熱くした。
そのご苦労に加え、歴史の重み、
それを支え続ける心意気に感激した。
だから、前任校長を踏襲せず、
私は、夏祭りの日には、全ての神酒所を回ることにした。
神酒所に日本酒各1本、計12本を持参した。
運び役を、PTA役員さんとそのマイカーにお願いした。
各神酒所に出向き、日本酒を納めた。
突然の校長訪問に、町会の役員さんは恐縮したり、喜んだりした。
恒例だからと、コップ酒が1杯、勧められた。
次に、三本締めをした。
私は、そのお酒を全て飲み干せないまでも、
祭りの場である、そこそこ口をつけた。
そして、次の神酒所へと向かった。
その日、それを12回もくり返した。
4時間をはるかに越えた。
その全てで、お酒が振る舞われた。
飲んだり飲まなかったりはできなかった。
決して酒豪ではない。
7,8軒目の神酒所では、もう相当酔いが回った。
10軒目あたりでは、声も大きくなった。
陽気になった。
私が神酒所回りをしている情報が、
次第に各所に伝わった。
最後の12軒目では、
20名ほどの方が急こしらえの酒席を設け、
私を待ち構えてくれた。
「私の勝手な振る舞いが、迷惑をかけてはいないか。」
途中でそんな想いがよぎったが、
酔いの勢いが吹き飛ばした。
遂に12軒目では、注がれるままに飲み、
帰りの電車は、乗り過ごす寸前になった。
翌朝、学校付近で出逢った方々から、
神酒所回りのお礼を言われた。
学校では、何人もの子どもが、
私に同じ事を言った。
「お母さんが、校長先生がお祭りに来てくれたって、
言っていたよ。」
どの子も、嬉しそうだった。
だから、翌年も、その翌年も祭りが近づくと
「今年も、是非」の声が届いた。
私は、喜んで12軒の神酒所を回り、
酔い潰れそうになりながら、
やっとの思いで、帰りの電車に乗った。
そんな学校周辺で、
重大なニュースがささやかれ出したのは、
着任して4年目の頃だったと思う。
『第二東京タワー建設の誘致』話だった。
いつからそんな話題があったのか知らない。
どこから出てきた話かも知らない。
私の耳に入ってきたのは、
「町の人が言っている。」と言った噂話だった。
現実感のないことと聞き流した。
ところが、次第にそれを耳にする機会が増えた。
職員室での雑談で、その話題が飛び交うのも聞こえてきた。
そんな時、私の性分は、ついミーハーになってしまうのだ。
大きな短所の1つだが、その時の私はこうだ。
「この学校のこの周辺! 近くに第二東京タワー!
東京の名所ができる! すごい! すごいよ!」
そう思うだけで、気分は高揚した。
そんな軽さで誘致の成功を、私は期待したのだ。
私のテンションはどんどん上がった。
胸膨らんだ。
だから、お酒が入ったPTA役員さん達との歓談の場だった。
ついに口走った。
「第二東京タワーか・・。
誘致がうまくいって、凄いタワーが建つといいなあ。」
まだ誘致がささやかれている頃のことだ。
まだ、地域でも様々な考えがくすぶっていた時だった。
私は、そんな状況も知らずに、好き勝手に『憧れ』を口にした。
歓談の帰り道、
いつも気さくに話しかけてくれる男性の役員さんに、
呼び止められた。
肩を抱かれ、小声で言われた。
「私もよく分かりませんが、第2タワーのこと、
簡単に建つといいなあって、言っちゃだめですよ。
それがいいかどうか、みんな真剣なんですから。」
一気に酔いがさめた。
長い歴史と伝統をもつ地域である。
そこでの一大事なのだ。
みんな軽く口を開けないでいるのだ。
地域発展の好機だろう。
だか、人の流れが変わり、
この地域が変わり過ぎはしないか。
それぞれが頭を痛めていたのだ。
私の高揚感は、消えた。
それよりも、時代の流れに沿いながらも、
伝統を継承する人々の強さを、思い知った。
軽薄な私を恥じた。
伊達に 新しい道路が開通した
※次回のブログ更新予定は 4月20日(土)です。