▼ 陽気に誘われ、早朝散歩に出た。
ご近所のご主人が、自宅横で庭いじりをしていた。
「最近、カラスがうるさいね。」
それが、私への挨拶替わりだった。
確かに、朝から大声を張り上げ、
鳴き叫んでいた。
小鳥のさえずりとは違い、耳障りだ。
だが、これも春だからと、思い直した。
月曜日だ。
2階にある私の部屋から見える電柱に、
カラスが巣を作っていることに気づいた。
これも、年中行事の1つだ。
ご近所さんが電力会社に連絡したらしい。
翌日には、高所作業車など数台が出動し、
その巣を撤去した。
きっと、何日もかけての巣作りだったろう。
それが、あっと言う間に無くなってしまった。
カラスの立場からすると無念なことだろう。
巣のない電柱を見ながら、
例年通り、変な感傷が心をかすめた。
ところが今年は若干違った。
翌朝、いつも以上にカラスの鳴き声が大きい。
2階の窓から電柱を見ると、
再び巣作りを始めていた。
小枝を集め、2,3羽がしきりに飛び交い、
電柱の梁に止まったり、体の向きを変えたりしていた。
その日は、まだ巣の形状までには至っていなかったが、
翌日には、撤去前と変わりない物になった。
きっと、カラスだけではないのだろう。
生き物はみんな、外敵の理不尽な攻撃に、
めげてなんかいないのだ。
つい、コロナ、コロナの日々に沈みがちだ。
世界が元に戻るには相当の歳月がかかるだろう。
もう老兵だが、
私もコロナなる外敵にめげてなどいられない。
みんなも、頑張れ!
こんな時だ。楽しい思い出話を綴るに限る。
今回は、幼稚園児に登場してもらう。
▼ 最後に校長職を勤めた小学校は、
幼稚園が併設されていた。
だから、私はそこの園長を兼任していた。
幼児教育の経験などなかった。
いつも、副園長からレクチャーを受けた。
園児とのふれあいは、新鮮だった。
未経験なだけに、色々なことに心を熱くした。
幼稚園は、区内のどこの公立幼稚園も同じで、
5歳児、6歳児のそれぞれが1学級の編制だった。
約30名ずつの園児が、
浅草の花屋敷公園まで遠足に行った。
制服に制帽、
それに背負った園児カバンも同じ姿で
最寄り駅から、電車で浅草に着いた。
駅から花屋敷までは、仲店通りなどを
2列になって進んだ。
9時半を回っていた。
カメラを持った外国からの観光客が何人もいた。
その横を、年長さんと年少さんが、
2人で手をつないで歩いて行くのだ。
青い目の人たちからは、
珍しいかわいらしさ、微笑ましさなのだろう。
カメラを向け、笑顔をつくっていた。
その数人が、列の前、横、後ろから、
シャッターを切りながら、つかず離れず着いてきた。
子ども達は、そんな観光客など気にもかけない風だ。
目的地を目指して、淡々と歩く。
そして、方向が変わり、
今までと違い年少さんが車道側になる。
すると、誰かが「チェンジ!」と声を張り上げる。
続いて、一斉に「チェンジ!」と声をそろえ、
一瞬手を離し、年長さんが車道側に移るのだ。
着いてきた外国人が、驚きの声を上げる。
私は、ついその声に笑顔になる。
だが、園児はみんな、それに構わず前を向き、前進だ。
また道を曲がり、「チェンジ」の声とともに、
一斉に左右が入れ替わる。
またまたシャッターを切りながら、
「ワンダフル」とでも言ってるのだろうか、
声が飛んでくる。
園児は、いっこうに関心を示さず歩く。
ところが、園児には長い道のりだったのだろう。
ようやく目的地の花屋敷に着き、
つないでいた手を離し立ち止まる。
そして、やっと入園するその時だ。
どの子も、そこまでカメラ片手についてきた外国人に、
笑顔を向け、みんな手を振るのだ。
「車に気を付けて行きましょう」。
先生からのその言葉を必死に守った。
その任が終わった。
ようやく手を振ることができる。
だから、園児らの笑顔は飛びっ切り輝いていた。
その懸命さに、私の心は洗われた。
▼ 秋のことだ。
江戸川を渡り、千葉県内の農園まで、
電車で芋掘り遠足に行く。
毎年利用させてもらっている農園は、芋の蔓などを切り、
準備を整えて待っている。
畑に着くと、園児達はシャベルを使って掘り始める。
土に隠れていた芋が現れる。
それぞれ決められた自分のエリアから、
ゴロンゴロンと大小様々なサツマイモが掘り出される。
その年は、特に豊作だったらしい。
畑からは、次々と芋が採れた。
園児らは、芋の出現に歓声をあげ、
飽きることなく掘り続けた。
私も園児らの手助けをしながら、
楽しい時間を過ごした。
ところが、その後が大変な事態になった。
自分で掘った芋は、持参したレジ袋にそれぞれ詰めた。
どの子の袋もパンパンになった。
「いっぱい掘ったね。」
「うん、こんなにいっぱい!」
両手でその袋を持ち上げたが、
その重たさで、手元がふらついた。
いやな予感がした。
芋の詰まったレジ袋を横目に、
昼食を済ませた。
そこまでは、笑顔笑顔だった。
農園から駅まで徒歩で10分少々あった。
そこまで、掘った自分の芋を持って行くのだ。
帰路の出発は、まだ元気よかった。
ところが、すぐにその重さを園児らは感じた。
やがて足どりが鈍った。
立ち止まって、袋を地ベタに置き、腕を休めた。
そして、再び袋をぶら下げ、ゆっくりと進んだ。
「なんだ、これ。重たすぎ。」
「重たいね。芋ってこんなに重い!?」
「とり過ぎた。仕方ない、がんばろう!」
そんな言葉も次第に消えた。
今にも、袋の芋を持て余し、音を上げそうなのだ。
でも、自分の力で、幼稚園まで運ぶしかないのだ。
手を貸してくれる人などいない。
持ち上げられなくなった子は、レジ袋ごと引きずった。
袋が裂け、芋が見えた、
それでも、諦めず駅へ向かった。
駅に着くとホームまでは階段だった。
エスカレーターがない。
見かねた駅員達が総出で、手助けをしてくれた。
しかし、年長さんの多くは、
自分で運ぶと言い張った。
「なんで、こんな所に階段があるの。」
そう呟きながらも、一段一段芋の袋を持ち上げた。
「これは、芋との闘いだ。」
そう言って、袋の芋を両手で抱え、階段を一歩一歩上る。
「闘いだ。闘いだ。」
口々に言いあい元気を振り絞る。
ようやく電車に乗った。
幸い全員椅子に座れた。
次の駅を待たず、話し声がさっと消えた。
芋の袋を床に置き、
どの子も寝入ってしまった。
夢中で芋を掘り、それを電車に運び込んだ。
まさにエネルギー補給の睡眠だ。
30分後、全員を起こし、電車を降りる。
幼稚園まで再び、重たい芋との闘いである。
ここでも、投げ出す子などいない。
「だって、僕が掘った芋だもん」。
ついに、園児らは口を揃えて、明るくそう言った。
私の心はまた温かくなる。
『クロフネツツジ』の ピンク色
※次回の更新予定は5月30日(土)です
ご近所のご主人が、自宅横で庭いじりをしていた。
「最近、カラスがうるさいね。」
それが、私への挨拶替わりだった。
確かに、朝から大声を張り上げ、
鳴き叫んでいた。
小鳥のさえずりとは違い、耳障りだ。
だが、これも春だからと、思い直した。
月曜日だ。
2階にある私の部屋から見える電柱に、
カラスが巣を作っていることに気づいた。
これも、年中行事の1つだ。
ご近所さんが電力会社に連絡したらしい。
翌日には、高所作業車など数台が出動し、
その巣を撤去した。
きっと、何日もかけての巣作りだったろう。
それが、あっと言う間に無くなってしまった。
カラスの立場からすると無念なことだろう。
巣のない電柱を見ながら、
例年通り、変な感傷が心をかすめた。
ところが今年は若干違った。
翌朝、いつも以上にカラスの鳴き声が大きい。
2階の窓から電柱を見ると、
再び巣作りを始めていた。
小枝を集め、2,3羽がしきりに飛び交い、
電柱の梁に止まったり、体の向きを変えたりしていた。
その日は、まだ巣の形状までには至っていなかったが、
翌日には、撤去前と変わりない物になった。
きっと、カラスだけではないのだろう。
生き物はみんな、外敵の理不尽な攻撃に、
めげてなんかいないのだ。
つい、コロナ、コロナの日々に沈みがちだ。
世界が元に戻るには相当の歳月がかかるだろう。
もう老兵だが、
私もコロナなる外敵にめげてなどいられない。
みんなも、頑張れ!
こんな時だ。楽しい思い出話を綴るに限る。
今回は、幼稚園児に登場してもらう。
▼ 最後に校長職を勤めた小学校は、
幼稚園が併設されていた。
だから、私はそこの園長を兼任していた。
幼児教育の経験などなかった。
いつも、副園長からレクチャーを受けた。
園児とのふれあいは、新鮮だった。
未経験なだけに、色々なことに心を熱くした。
幼稚園は、区内のどこの公立幼稚園も同じで、
5歳児、6歳児のそれぞれが1学級の編制だった。
約30名ずつの園児が、
浅草の花屋敷公園まで遠足に行った。
制服に制帽、
それに背負った園児カバンも同じ姿で
最寄り駅から、電車で浅草に着いた。
駅から花屋敷までは、仲店通りなどを
2列になって進んだ。
9時半を回っていた。
カメラを持った外国からの観光客が何人もいた。
その横を、年長さんと年少さんが、
2人で手をつないで歩いて行くのだ。
青い目の人たちからは、
珍しいかわいらしさ、微笑ましさなのだろう。
カメラを向け、笑顔をつくっていた。
その数人が、列の前、横、後ろから、
シャッターを切りながら、つかず離れず着いてきた。
子ども達は、そんな観光客など気にもかけない風だ。
目的地を目指して、淡々と歩く。
そして、方向が変わり、
今までと違い年少さんが車道側になる。
すると、誰かが「チェンジ!」と声を張り上げる。
続いて、一斉に「チェンジ!」と声をそろえ、
一瞬手を離し、年長さんが車道側に移るのだ。
着いてきた外国人が、驚きの声を上げる。
私は、ついその声に笑顔になる。
だが、園児はみんな、それに構わず前を向き、前進だ。
また道を曲がり、「チェンジ」の声とともに、
一斉に左右が入れ替わる。
またまたシャッターを切りながら、
「ワンダフル」とでも言ってるのだろうか、
声が飛んでくる。
園児は、いっこうに関心を示さず歩く。
ところが、園児には長い道のりだったのだろう。
ようやく目的地の花屋敷に着き、
つないでいた手を離し立ち止まる。
そして、やっと入園するその時だ。
どの子も、そこまでカメラ片手についてきた外国人に、
笑顔を向け、みんな手を振るのだ。
「車に気を付けて行きましょう」。
先生からのその言葉を必死に守った。
その任が終わった。
ようやく手を振ることができる。
だから、園児らの笑顔は飛びっ切り輝いていた。
その懸命さに、私の心は洗われた。
▼ 秋のことだ。
江戸川を渡り、千葉県内の農園まで、
電車で芋掘り遠足に行く。
毎年利用させてもらっている農園は、芋の蔓などを切り、
準備を整えて待っている。
畑に着くと、園児達はシャベルを使って掘り始める。
土に隠れていた芋が現れる。
それぞれ決められた自分のエリアから、
ゴロンゴロンと大小様々なサツマイモが掘り出される。
その年は、特に豊作だったらしい。
畑からは、次々と芋が採れた。
園児らは、芋の出現に歓声をあげ、
飽きることなく掘り続けた。
私も園児らの手助けをしながら、
楽しい時間を過ごした。
ところが、その後が大変な事態になった。
自分で掘った芋は、持参したレジ袋にそれぞれ詰めた。
どの子の袋もパンパンになった。
「いっぱい掘ったね。」
「うん、こんなにいっぱい!」
両手でその袋を持ち上げたが、
その重たさで、手元がふらついた。
いやな予感がした。
芋の詰まったレジ袋を横目に、
昼食を済ませた。
そこまでは、笑顔笑顔だった。
農園から駅まで徒歩で10分少々あった。
そこまで、掘った自分の芋を持って行くのだ。
帰路の出発は、まだ元気よかった。
ところが、すぐにその重さを園児らは感じた。
やがて足どりが鈍った。
立ち止まって、袋を地ベタに置き、腕を休めた。
そして、再び袋をぶら下げ、ゆっくりと進んだ。
「なんだ、これ。重たすぎ。」
「重たいね。芋ってこんなに重い!?」
「とり過ぎた。仕方ない、がんばろう!」
そんな言葉も次第に消えた。
今にも、袋の芋を持て余し、音を上げそうなのだ。
でも、自分の力で、幼稚園まで運ぶしかないのだ。
手を貸してくれる人などいない。
持ち上げられなくなった子は、レジ袋ごと引きずった。
袋が裂け、芋が見えた、
それでも、諦めず駅へ向かった。
駅に着くとホームまでは階段だった。
エスカレーターがない。
見かねた駅員達が総出で、手助けをしてくれた。
しかし、年長さんの多くは、
自分で運ぶと言い張った。
「なんで、こんな所に階段があるの。」
そう呟きながらも、一段一段芋の袋を持ち上げた。
「これは、芋との闘いだ。」
そう言って、袋の芋を両手で抱え、階段を一歩一歩上る。
「闘いだ。闘いだ。」
口々に言いあい元気を振り絞る。
ようやく電車に乗った。
幸い全員椅子に座れた。
次の駅を待たず、話し声がさっと消えた。
芋の袋を床に置き、
どの子も寝入ってしまった。
夢中で芋を掘り、それを電車に運び込んだ。
まさにエネルギー補給の睡眠だ。
30分後、全員を起こし、電車を降りる。
幼稚園まで再び、重たい芋との闘いである。
ここでも、投げ出す子などいない。
「だって、僕が掘った芋だもん」。
ついに、園児らは口を揃えて、明るくそう言った。
私の心はまた温かくなる。
『クロフネツツジ』の ピンク色
※次回の更新予定は5月30日(土)です