▼ 二男が誕生した年に父は亡くなった。
もう47年も前になる。
享年70歳、胃がんだった。
余命3ヶ月と医師に宣告されたが、
一時は自宅で療養するまでに回復し、
9ヶ月後に逝った。
最後の言葉は、「俺の生命力もそろそろ終わりのようだ」。
看取った兄たちからそう聞いて、さすが私の父と思った。
母は、96歳まで生きた。
膵臓にガンがあったようだが、
それよりも死因は老衰だった。
次第に弱っていったが、
亡くなる1ヶ月程前に母を見舞った。
しきりに「私にだけ見える虫が飛んでるのよ。
わずらわしいわ」と愚痴った。
そして、「きっと、もう会えないね」とも。
病室を出ると、車いすで廊下まで出てきた。
私がエレベーターに乗るのを見届けた。
そのドアが閉まるまで、母は小さく手を振り続けた。
私は、変わらない表情のままでいようと必死だった。
さて、私に「その時」が来たら、
どんな振る舞い方をするのだろうか。
2人のように、ありのままを受け止めて、
鬼籍に入れるだろうか。
悪い夢見で目覚めた朝、
気だるい体を起こしながら、そんなことを思った。
最近は、最期のことが頻繁に心を横切るようになった。
そんな年齢だからなのか。
それとも私の精神が老けたからなのか。
▼ 小中学校が夏休みになり、
今年も2週間のラジオ体操が行われた。
70人もの子どもと大人が集まる日もあった。
多くは、6時半ぎりぎりに会場の広場に駆け込む。
ある朝、私とは反対方向から来たご夫婦と、
広場の入り口でバッタリ。
挨拶を交わし、少しの時間だが立ち話になった。
いつも、ご主人との会話だ。
「特にどこが悪い訳でもないけど、
最近は何をやるにも腰が重くなってしまい、困ります」
同世代だ。共感できた。
「同じですよ。どこへ行くのも、
ちょっと体を動かすのも。
いやですね。歳ですかね」。
すぐ横をラジオ体操のカードを首に提げた子どもが
勢いよく走って行く。
やや恨ましそうな目で追っていると、
珍しく奥さんが加わってきた。
「そうですよ。
あの子たちのようにはいきませんが、
まだまだお若いですよ。
主人とは違います。
羨ましいくらい」
誰のことかと思った。
「私ですか。そんなことはありません」
「いつお会いしても、お元気で明るくて、
はつらつとしていらっしゃる」。
「とんでもない」と否定しながらも、
奥さんの言葉を真に受け、気を良くした。
いつもより元気にラジオ体操をした。
体操を終えての帰り、
連休の時、10数年ぶりに再会した大学時代の友人夫妻を思い出した。
わずか数時間の我が家訪問だったが、
帰る際に、私の事を
「うちの主人より、ずっとずっと若々しい」と、
家内と同級の彼女が言った。
そう! 彼女もあの奥さんも、
私の容姿を言ってるのじゃない。
きっと雰囲気に若さを感じてのこと。
「それでもいいじゃないか!
若く思ってもらえたのだから」
少し浮き浮きしていた。
今日も暑い日になるだろうと思いつつも、
やけに足どりが軽かった。
▼ ところで、最近の私の実際はどうだろうか。
コロナ禍前と比べると、老化は確実に進行しているように思う。
視力・聴力の機能低下は明らかに進行している。
2か月毎に眼科へ通院し、
1日3回点眼薬を欠かさないようにしている。
それでも、ゴルフボールの落下地点が見えなくなった。
車を運転していても視野の狭さを感じ、不安なることもある。
聴力は、「耳が遠くなった」に尽きる。
テレビのボリュームを上げないと、
聞き取れないことが多くなった。
特に、バラエティー番組での早口でのやり取りが、
聞き分けられない。
だから、家内が笑っていても、
一緒に笑えないことが増えた。
野球中継の解説も同じで、
応援の歓声と一緒になるともう聞き取れないのだ。
人との会話でも、不都合がある。
よく聞こえずに、聞き返すこともたびたびだ。
発言者の声も、一部が不明瞭な場合が多くなった。
聞こえたふりを粧ったり、
話の前後から類推したりすることも・・。
そんな機能低下と同時に、体力の低下も著しい。
スロージョギングでさえ、無理なように思えてきた。
朝、5キロをゆっくり走っても、
その後は疲れたまま1日を過ごすことになるのだ。
もう2ヶ月も走ってない。
ようやく1週間前から朝の散歩を始めたが、
継続には自信がない。
加えて感受性の衰えだ。
柔らかな感性が、陰ってしまっている。
大自然の豊かさにも、人々の温もりにも、
想像を超えた劇的な出来事にも、
さほど心躍らないのだ。
だから、それを期待しての行動も当て外れになる。
ドキドキ感やわくわく感が減っている。
そんな近況をひと言で言おう。
「これら全てが、私のストレスになっている!」。
年齢とともに、できないことが増えていく現実。
もう歳だからと、諦めることのなんと多いことか。
しかし、「そんなあるがままを受け入れていいの?」
年齢と共に訪れる老いは当然だが、
「どう老いるか」を決めるのは、私自身と思いたい。
このまま老いのストレスを抱えたまま過ごす・・?
それとも、「あるがまま」へチャレンジする・・?
「老いることの意味」は、
いずれの道を選択するかなのではなかろうか。
収穫の時 玉ねぎ
もう47年も前になる。
享年70歳、胃がんだった。
余命3ヶ月と医師に宣告されたが、
一時は自宅で療養するまでに回復し、
9ヶ月後に逝った。
最後の言葉は、「俺の生命力もそろそろ終わりのようだ」。
看取った兄たちからそう聞いて、さすが私の父と思った。
母は、96歳まで生きた。
膵臓にガンがあったようだが、
それよりも死因は老衰だった。
次第に弱っていったが、
亡くなる1ヶ月程前に母を見舞った。
しきりに「私にだけ見える虫が飛んでるのよ。
わずらわしいわ」と愚痴った。
そして、「きっと、もう会えないね」とも。
病室を出ると、車いすで廊下まで出てきた。
私がエレベーターに乗るのを見届けた。
そのドアが閉まるまで、母は小さく手を振り続けた。
私は、変わらない表情のままでいようと必死だった。
さて、私に「その時」が来たら、
どんな振る舞い方をするのだろうか。
2人のように、ありのままを受け止めて、
鬼籍に入れるだろうか。
悪い夢見で目覚めた朝、
気だるい体を起こしながら、そんなことを思った。
最近は、最期のことが頻繁に心を横切るようになった。
そんな年齢だからなのか。
それとも私の精神が老けたからなのか。
▼ 小中学校が夏休みになり、
今年も2週間のラジオ体操が行われた。
70人もの子どもと大人が集まる日もあった。
多くは、6時半ぎりぎりに会場の広場に駆け込む。
ある朝、私とは反対方向から来たご夫婦と、
広場の入り口でバッタリ。
挨拶を交わし、少しの時間だが立ち話になった。
いつも、ご主人との会話だ。
「特にどこが悪い訳でもないけど、
最近は何をやるにも腰が重くなってしまい、困ります」
同世代だ。共感できた。
「同じですよ。どこへ行くのも、
ちょっと体を動かすのも。
いやですね。歳ですかね」。
すぐ横をラジオ体操のカードを首に提げた子どもが
勢いよく走って行く。
やや恨ましそうな目で追っていると、
珍しく奥さんが加わってきた。
「そうですよ。
あの子たちのようにはいきませんが、
まだまだお若いですよ。
主人とは違います。
羨ましいくらい」
誰のことかと思った。
「私ですか。そんなことはありません」
「いつお会いしても、お元気で明るくて、
はつらつとしていらっしゃる」。
「とんでもない」と否定しながらも、
奥さんの言葉を真に受け、気を良くした。
いつもより元気にラジオ体操をした。
体操を終えての帰り、
連休の時、10数年ぶりに再会した大学時代の友人夫妻を思い出した。
わずか数時間の我が家訪問だったが、
帰る際に、私の事を
「うちの主人より、ずっとずっと若々しい」と、
家内と同級の彼女が言った。
そう! 彼女もあの奥さんも、
私の容姿を言ってるのじゃない。
きっと雰囲気に若さを感じてのこと。
「それでもいいじゃないか!
若く思ってもらえたのだから」
少し浮き浮きしていた。
今日も暑い日になるだろうと思いつつも、
やけに足どりが軽かった。
▼ ところで、最近の私の実際はどうだろうか。
コロナ禍前と比べると、老化は確実に進行しているように思う。
視力・聴力の機能低下は明らかに進行している。
2か月毎に眼科へ通院し、
1日3回点眼薬を欠かさないようにしている。
それでも、ゴルフボールの落下地点が見えなくなった。
車を運転していても視野の狭さを感じ、不安なることもある。
聴力は、「耳が遠くなった」に尽きる。
テレビのボリュームを上げないと、
聞き取れないことが多くなった。
特に、バラエティー番組での早口でのやり取りが、
聞き分けられない。
だから、家内が笑っていても、
一緒に笑えないことが増えた。
野球中継の解説も同じで、
応援の歓声と一緒になるともう聞き取れないのだ。
人との会話でも、不都合がある。
よく聞こえずに、聞き返すこともたびたびだ。
発言者の声も、一部が不明瞭な場合が多くなった。
聞こえたふりを粧ったり、
話の前後から類推したりすることも・・。
そんな機能低下と同時に、体力の低下も著しい。
スロージョギングでさえ、無理なように思えてきた。
朝、5キロをゆっくり走っても、
その後は疲れたまま1日を過ごすことになるのだ。
もう2ヶ月も走ってない。
ようやく1週間前から朝の散歩を始めたが、
継続には自信がない。
加えて感受性の衰えだ。
柔らかな感性が、陰ってしまっている。
大自然の豊かさにも、人々の温もりにも、
想像を超えた劇的な出来事にも、
さほど心躍らないのだ。
だから、それを期待しての行動も当て外れになる。
ドキドキ感やわくわく感が減っている。
そんな近況をひと言で言おう。
「これら全てが、私のストレスになっている!」。
年齢とともに、できないことが増えていく現実。
もう歳だからと、諦めることのなんと多いことか。
しかし、「そんなあるがままを受け入れていいの?」
年齢と共に訪れる老いは当然だが、
「どう老いるか」を決めるのは、私自身と思いたい。
このまま老いのストレスを抱えたまま過ごす・・?
それとも、「あるがまま」へチャレンジする・・?
「老いることの意味」は、
いずれの道を選択するかなのではなかろうか。
収穫の時 玉ねぎ
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