確か2月のはじめだった。
『連載を終了するわけではなく、
あくまでも「一時休載」です』との予告があった。
そして、翌日から、朝日新聞の朝刊から、
鷲田清一さんの『折々のことば』が消えた。
毎朝、同紙の『天声人語』と共に、その小欄を愛読していた。
それだけに、朝のリズムが1つ奪われた気持ちになった。
空いた穴を惜しんでいても、仕方ない。
同世代の鷲田先生が、深刻な病気などではなく、
いつか再び紙面に登場することを願うことにした。
そして、5か月が過ぎた6月30日。
紙面には、「明日から連載再開」の文字があった。
暗いニュースの最中、珍しく嬉しい知らせだった。
そして、翌日。
休載など無かったかのように、いつも通りに、
小さなコラム欄に、鷲田先生が厳選した「折々のことば」があった。
その日からは毎朝、今まで以上に熱く、
必ず3回は熟読することにした。
時に、私には咀嚼が難しいものもあるが、
哲学者からのアドバイスに、日々のエネルギーを頂いている。
7月の掲載から、私の想いと共に、
琴線に触れたものを転記する。
① 7月23日掲載
人はその行動によってのみならず、行動せぬ
ことによっても他人に対して害悪を与えうる
ジョン・スチュアート・ミル
明白な不正や差別を目にしつつも、その
兆しに気づいても、声を上げずにいること
が結果としてそれらを後押しし、より大き
な災禍を招くという例を、私たちはこれま
で何度も目にしてきた。個人にあっても、
したことよりもしなかったことへの後悔、
してもらったことよりしてもらえなかった
ことへの怨念の方が、傷は深い。19世紀英
国の哲学者『自由論』(早坂忠訳)から。
※学級内でくり返し上履きを隠すいじめがあった。
臨時の保護者会を行った。
「隠している子が誰か、それくらい分からないのですか」。
保護者から強い声が飛んだ。
当時教頭だった私は、こう説明した。
「誰が隠しているか、全く気づいていない子がいます。
でも、中には気づいているけど、
気づいてないふりをいている子もいるんです。
そこが、いじめ問題の難しさ、根の深さなのです。」
『折々のことば』が上げた「行動せぬことによっても・・・
害悪を与えうる」は、いじめに限ったことではない。
こんなことも・・・・。
日中の暑い最中、
「うちの庭でできた野菜、食べてもらってもいい」。
ご主人の運転する車で、
奥さんが大きな袋にいっぱいの夏野菜を届けてくれた。
私はオリンピックのテレビ観戦で、
家内だけが玄関でお礼をいい、
その後、ご主人が待つ車まで行って、頭をさげ見送った。
私の『しなかったことへの後悔』である。
自戒を込め、「恥」を書いておく。
② 7月27日掲載
モノはね、壊れたら捨てるのではなくて、直
すものなんだよ
ディエゴ・マルティーナ
『甘い嘘よりも、苦い真実』、イタリア
人は素直な物言いを好むと、イタリア育ち
の日本文学研究家・詩人は言う。幼い頃、
喧嘩ばかりしている祖父母に「どうして離
婚しないの」と訊いた。答えがこれ。もち
ろん摩擦にも限界はある。が、その限界値
を高めておけば、関係はいずれ金継ぎされ
て前より強くなると。では社会においてこ
の金継ぎとは。『誤読のイタリア』から。
※親元を離れ、自立した頃から、
ずっと「大量生産、大量消費」社会だ。
だから、「壊れたら捨てる」のが常だった。
しかし、「安物買いの銭失い」が、
いつも頭の片隅にあった。
「安かろう悪かろう」だけは、極力避けた。
でも、高価な傘でも、
骨が折れると直したりはしなかった。
振り返ると、人との関係も同じだったかも・・。
青少年の頃から今まで、私を育て支えてくれた一番は、
周りの人々の力だった。
幸いにも素晴らしい知人・友人に恵まれた。
それは、今も変わらない。
どれだけ感謝しても、尽きることはない。
しかし、年齢や仕事環境の変化などで,
行き違うことがあった。
訳もなく次第に関係が遠のき、疎遠にもなった。
やがて、いつしか新しい人々との関係が始まった。
それは自然なことと理解し、
そのくりかえしが今に続いている。
あえて私から関係を壊したりはしない。
でも、「壊れたら・・・直す」なんて、
ましてや「金継ぎ」で強くするなんて・・・。
想いも、至らなかった。
新たな課題になりそうだ。
③ 7月30日掲載
一人の人間の一日には、必ず一人、「その日
の天使」がついている。
中島らも
ひどく落ち込み、思い詰めて自死すら考
えた時、知人から思いがけない電話がかか
ってくる。ふと開いた画集の中の一枚の絵
に震える。そんな偶然に救われることがあ
れば、それがその日の天使なのだと作家は
言う。幼児や酔っ払いかもしれないが、彼
らが神の使いとして日に一度、誰にも訪れ
るのだと思えば、ふんづまりの毎日にも隙
間が空く。随想集『その日の天使』から。
※今日までを振り返ると、
『その日の天使』にどれだけ出会ってきただろうか。
あの時は天使とは思わなかった。
しかし、一本の電話に救われた経験を思い出した。
校長経験が浅かった頃、全職員と確執が生じた。
長時間の職員会議がくり返された。
四面楚歌の精神状態で、疲労しきった。
解決の糸口さえ見つけられなかった。
そんな状況を聞きつけ、友人から電話があった。
「あのね、ホームで電車を待っている時は、
線路の近くはダメだよ。必ず、真ん中にいてね。」
通勤の朝夕、確かにホームに入る先頭車両を、
ジッと見ている日々が続いていた。
その前からも、その後も、
様々な『その日の天使』に出会ってきた。
だから、幸運に恵まれていると自負している。
最近の天使は、何と言っても『食』かな・・。
暑さで食欲も無くなる。
「そんな時は、馴染みの蕎麦屋で昼食を!」
と、出向いた。
夏の特別メニューに、「揚げなすそば」があった。
向かい合う家内も、同じそばに無言で箸を動かす。
最後は、二人とも、残った冷たい汁をそば湯で割って、
全てを飲み干す。
「そうだ!」。
そんな日常を、天使と思える私を大事に、
これからも暮らそう。
『折々のことば』から多くを学ぶ。
農道に咲く 『エゾノシシウド』?
※次回のブログ更新予定は8月21日(土)です
『連載を終了するわけではなく、
あくまでも「一時休載」です』との予告があった。
そして、翌日から、朝日新聞の朝刊から、
鷲田清一さんの『折々のことば』が消えた。
毎朝、同紙の『天声人語』と共に、その小欄を愛読していた。
それだけに、朝のリズムが1つ奪われた気持ちになった。
空いた穴を惜しんでいても、仕方ない。
同世代の鷲田先生が、深刻な病気などではなく、
いつか再び紙面に登場することを願うことにした。
そして、5か月が過ぎた6月30日。
紙面には、「明日から連載再開」の文字があった。
暗いニュースの最中、珍しく嬉しい知らせだった。
そして、翌日。
休載など無かったかのように、いつも通りに、
小さなコラム欄に、鷲田先生が厳選した「折々のことば」があった。
その日からは毎朝、今まで以上に熱く、
必ず3回は熟読することにした。
時に、私には咀嚼が難しいものもあるが、
哲学者からのアドバイスに、日々のエネルギーを頂いている。
7月の掲載から、私の想いと共に、
琴線に触れたものを転記する。
① 7月23日掲載
人はその行動によってのみならず、行動せぬ
ことによっても他人に対して害悪を与えうる
ジョン・スチュアート・ミル
明白な不正や差別を目にしつつも、その
兆しに気づいても、声を上げずにいること
が結果としてそれらを後押しし、より大き
な災禍を招くという例を、私たちはこれま
で何度も目にしてきた。個人にあっても、
したことよりもしなかったことへの後悔、
してもらったことよりしてもらえなかった
ことへの怨念の方が、傷は深い。19世紀英
国の哲学者『自由論』(早坂忠訳)から。
※学級内でくり返し上履きを隠すいじめがあった。
臨時の保護者会を行った。
「隠している子が誰か、それくらい分からないのですか」。
保護者から強い声が飛んだ。
当時教頭だった私は、こう説明した。
「誰が隠しているか、全く気づいていない子がいます。
でも、中には気づいているけど、
気づいてないふりをいている子もいるんです。
そこが、いじめ問題の難しさ、根の深さなのです。」
『折々のことば』が上げた「行動せぬことによっても・・・
害悪を与えうる」は、いじめに限ったことではない。
こんなことも・・・・。
日中の暑い最中、
「うちの庭でできた野菜、食べてもらってもいい」。
ご主人の運転する車で、
奥さんが大きな袋にいっぱいの夏野菜を届けてくれた。
私はオリンピックのテレビ観戦で、
家内だけが玄関でお礼をいい、
その後、ご主人が待つ車まで行って、頭をさげ見送った。
私の『しなかったことへの後悔』である。
自戒を込め、「恥」を書いておく。
② 7月27日掲載
モノはね、壊れたら捨てるのではなくて、直
すものなんだよ
ディエゴ・マルティーナ
『甘い嘘よりも、苦い真実』、イタリア
人は素直な物言いを好むと、イタリア育ち
の日本文学研究家・詩人は言う。幼い頃、
喧嘩ばかりしている祖父母に「どうして離
婚しないの」と訊いた。答えがこれ。もち
ろん摩擦にも限界はある。が、その限界値
を高めておけば、関係はいずれ金継ぎされ
て前より強くなると。では社会においてこ
の金継ぎとは。『誤読のイタリア』から。
※親元を離れ、自立した頃から、
ずっと「大量生産、大量消費」社会だ。
だから、「壊れたら捨てる」のが常だった。
しかし、「安物買いの銭失い」が、
いつも頭の片隅にあった。
「安かろう悪かろう」だけは、極力避けた。
でも、高価な傘でも、
骨が折れると直したりはしなかった。
振り返ると、人との関係も同じだったかも・・。
青少年の頃から今まで、私を育て支えてくれた一番は、
周りの人々の力だった。
幸いにも素晴らしい知人・友人に恵まれた。
それは、今も変わらない。
どれだけ感謝しても、尽きることはない。
しかし、年齢や仕事環境の変化などで,
行き違うことがあった。
訳もなく次第に関係が遠のき、疎遠にもなった。
やがて、いつしか新しい人々との関係が始まった。
それは自然なことと理解し、
そのくりかえしが今に続いている。
あえて私から関係を壊したりはしない。
でも、「壊れたら・・・直す」なんて、
ましてや「金継ぎ」で強くするなんて・・・。
想いも、至らなかった。
新たな課題になりそうだ。
③ 7月30日掲載
一人の人間の一日には、必ず一人、「その日
の天使」がついている。
中島らも
ひどく落ち込み、思い詰めて自死すら考
えた時、知人から思いがけない電話がかか
ってくる。ふと開いた画集の中の一枚の絵
に震える。そんな偶然に救われることがあ
れば、それがその日の天使なのだと作家は
言う。幼児や酔っ払いかもしれないが、彼
らが神の使いとして日に一度、誰にも訪れ
るのだと思えば、ふんづまりの毎日にも隙
間が空く。随想集『その日の天使』から。
※今日までを振り返ると、
『その日の天使』にどれだけ出会ってきただろうか。
あの時は天使とは思わなかった。
しかし、一本の電話に救われた経験を思い出した。
校長経験が浅かった頃、全職員と確執が生じた。
長時間の職員会議がくり返された。
四面楚歌の精神状態で、疲労しきった。
解決の糸口さえ見つけられなかった。
そんな状況を聞きつけ、友人から電話があった。
「あのね、ホームで電車を待っている時は、
線路の近くはダメだよ。必ず、真ん中にいてね。」
通勤の朝夕、確かにホームに入る先頭車両を、
ジッと見ている日々が続いていた。
その前からも、その後も、
様々な『その日の天使』に出会ってきた。
だから、幸運に恵まれていると自負している。
最近の天使は、何と言っても『食』かな・・。
暑さで食欲も無くなる。
「そんな時は、馴染みの蕎麦屋で昼食を!」
と、出向いた。
夏の特別メニューに、「揚げなすそば」があった。
向かい合う家内も、同じそばに無言で箸を動かす。
最後は、二人とも、残った冷たい汁をそば湯で割って、
全てを飲み干す。
「そうだ!」。
そんな日常を、天使と思える私を大事に、
これからも暮らそう。
『折々のことば』から多くを学ぶ。
農道に咲く 『エゾノシシウド』?
※次回のブログ更新予定は8月21日(土)です