ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

学校の移り変わり ここにも

2022-11-05 12:34:07 | あの頃
 大学を卒業して、東京で小学校教員になったのは、
50年も前のことだ。
 当然だが、学習内容や方法をはじめ、学校の様相は、
その時々で大きく変わった。
 学校を支えるここも、変わった。
その一端を記す。
 
 ▼ 50年前の着任初日のことだ。
手違いで、住まいが決まっていないことが分かった。
 その日、宿泊当番だった警備員さんの計らいで、
学校の保健室に泊めてもらうことになった。

 当時、都内の公立学校の夜は、警備員が宿泊し、
校舎を管理していた。
 だから、知り合いの伝手もない東京での初めての夜を、
路頭に迷わずに済んだ。

 ところが、夜の学校警備は、
それから数年すると、体制が次第に変わった。
 校舎警備の機械化が始まったのだ。

 今では、都内の全ての学校が、深夜は無人になっている。
学校に限らず、警備システムが進化した。
 不審者の侵入、火災だけではない、窓や出入り口の施錠の不備まで、
システムは知らせる。
 その上、無人でも有事の警報があると、
瞬時に警備会社より人員が急行する。
 警備員が宿泊するよりも、夜の学校は安全になったと言える。

 ▼ 給食業務も大きく変わりつつある。
私が教頭をしていたK区は、
区の職員が各学校に配属され、給食を作った。

 ところが、校長をしたS区では、
多くの学校で給食業務が、
民間企業への委託に切り替わっていた。
 行財政の経費削減が主な目的だった。

 しかし、これによって、
学校給食が様変わりする第一歩が始まった。

 民間委託前は、学校規模によるが4名程度の区職員が配属になり、
調理をした。毎日、どんな献立でも、その4人で作業をした。

 ところが、民間委託は違った。
委託された会社には、学校に常駐する調理員の他に、
献立によって人手を必要とする場合は、臨時に派遣するスタッフがいた。

 従って、回数には制限があったが、
子ども達が2つの献立から1つを選べる、
『セレクト給食』ができるようになった。

 また、年に1回だったが、
5年生と6年生には、バイキング給食も実施された。


 ▼ 学校警備の機械化も給食業務の民間委託化も、
長い年月をかけ徐々に進められている。

 さて、3番目は、主事さんである。
この項は、やや長くなる。
 私が小学生だった頃は
『小遣いさん』と呼んでいた方々だ。
思い出がある。

 私の小学校はペチカがあることで有名だった。
教室のペチカに、毎朝、石炭を投げ入れ、
暖かい冬の教室へ私たちを迎え入れてくれたのは、
口数の少ない『小遣いさん』だった。

 放課後に、『小遣いさん』のおばさんに呼び止められた。
ズボンの膝頭に開いた穴を、一針一針かがってくれた。
 その温かさが、心に浸みた。

 いつから『主事さん』と呼ぶようになったか、
分からない。
 小学生の頃の『小遣いさん』と変わらず、
私が勤務したどこの学校にも労を惜しまず、
仕事をする主事さんがいた。
 学校にはなくてはならない人たちだ。

 その主事さんにも、
ついに民間企業への業務委託案が持ち上がった。
 私が、校長会長の任にあった時だった。
学校関係者として、
教育委員会の検討会議に何度も出席した。
 
 そして、丁寧な議論を重ね、
翌年から数校で主事さんの民間委託による業務が始った。
 実は、S区のこの委託は全都でも先駆けだった。
区が提携した民間企業でも、
社員を主事さん業務に派遣するのは初めてだった。

 委託内容や経過を熟知しているからと、
私の学校が最初の委託校に選ばれた。
 
 内容までは知らないが、企業での半月間の研修を終え、
4月1日、50歳前後の男性1人女性2人が民間企業から、
主事さんとして私の学校に来た。

 S区と主事さん派遣の業務提携を結んだ会社は、
業務内容を明示して社員募集をした。
 選考の結果3人が採用になった。
3人とも、学校の主事としての経験はなかった。

 1日目、私が出勤すると、3人はすでに作業着姿だった。
男性を主任と呼び、職員室の掃除を終えるところだった。
 私の部屋の掃除はすでに終わっていた。

 「経験がないのに・・!」。
その日の仕事ぶりに目を見張った。
 3人は、時間を惜しむように、
一日中、学校の内外を忙しく動き回っていた。

 そして、入学式から数日が過ぎた朝だった。
1年生は登校に慣れていないのに、雨が降った。

 体にはまだ大きい真新しいランドセルを背負い、
不慣れな雨傘をさして、
上級生と一緒に1年生が玄関まで来た。

 その時、今まで見たことのないシーンを私は目撃した。
3人の主事さんが、1年生の靴箱前で、
両手にタオルを持って、待ち構えていた。
 1人1人の頭と背中、そしてランドセルの雨を、
忙しく拭きはじめたのだ。

 「頭も背中も鞄も拭いたから、教室へ行っていいよ」。
主人さんの声かけに振り返り、一瞬明るい顔で1年生は、
「ありがとう」と言い、教室へ向かった。

 3人の足下に置かれたカゴには、どこから集めたのか、
乾いたタオルがたくさん入っていた。

 「雨の日は、全員の頭や背中を拭いてあげたかったけど、
今日は、1年生にしかしてあげられませんでした」。
 私が礼を言うと、主事さんは残念そうな顔をした。

 以来、雨の朝の玄関には、
いつもタオルを手にした3人がいた。
 1年生だけでなく高学年も嬉しそうに、
主事さんに頭と背中を向けていた。

 ある日、近隣の方から電話があった。
私に直接言いたいとのこと。
 やや緊張して、受話器を握った。
明るい声だった。

 「4月から、学校の横のゴミ集積所を綺麗にしてくれる方がいて、
助かっていたのです。小学校の主事さんだと今朝分かりまして、
ひと言お礼をと思い、お電話しました」。

 受話器を置きながら、誰にだろうか、
深々と頭を下げていた。

 男性の主事さんが、校長室の蛍光灯交換作業していた時だ。
私は、日頃の仕事ぶりを取り上げ、感謝を伝えた。
 すると、いつも遠慮がちな彼が、小さく言った。

「私たちは、今までの方々と同じじゃ、ダメなんです。
いろいろ考えて、頑張りますので、よろしくお願いします」。
 新規事業に参入した意気込みが伝わってきた。
ここでも、小さな変化が歩み出していた。


 

    ご近所の花壇 マリーゴールド
                   ※次回のブログ更新予定は11月19日(土)です   
コメント
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