7月 某日 ①
数年前から家族4人のグループLINEがある。
6月末、そこに長男からメールがあった。
『なんとまあ6月が終わりそうですねえ。
40代最後の1年が始まるわ』。
月が変わり7月になった。
彼の40代最後の誕生日がきた。
東京と北海道、離ればなれの暮らしだ。
お祝いは、グループLINEで、
ハッピーバースデーのスタンプを送るだけ・・。
でも、幾つになっても親は親。
大きなお世話と思われるのを承知で、
様々な心配がいつも続く。
ふと、彼が誕生してすぐのエピソードを
思い出した。
昭和49年のことだ。
まだ育休制度がない時代だった。
産休が終わると、
家内は職場復帰をしなければならなかった。
住まいは、できて間もない新興団地。
新しい保育所は12月に開設予定だった。
開設と同時に、長男の入所は決まっていた。
しかし、家内の復帰はそれ以前だった。
それまでの間、保育ママが必要だった。
今と時代が違う。
保育ママを募集する手段がなかった。
私は行動に出た。
募集案内を書き、密かに学校の印刷機で、
300枚のチラシを作った。
『共働きの夫婦です。
12月に保育所ができるまで、
ご自宅で我が子を預かって下さる方を探しています!』。
そんな文面だった。
日曜日、団地の一軒一軒の玄関ポストに入れて回った。
電話のベルに期待する日を送った。
誰からも連絡がなく、
翌週、募集範囲を広げ、再びチラシを配って歩いた。
再び、誰からも連絡がなかったらと、
考えるだけで、気持ちが沈んでいた。
そんな矢先だった。
「お困りのようですね。
我が子以外育てたことはありませんが、
それでいいなら」
女性の声だった。
そして、3ヶ月余り、大事に大事に
長男を預かってくれた。
翌日から保育所に行く日、
2人で迎えに行った。
「いつかこの日が来るって分かってました。
でも、辛いです」。
そう言って、ずっと長男を抱いて離さなかった。
7月某日 ②
昨年から自治会の親睦事業として「夏まつり」を行っている。
今年は、コロナの規制緩和も進み、
ちょっとした飲食も提供することにした。
その1つが串焼きだった。
豚串2本と鳥串1本をセットにし、予約をとり販売するのだ。
私とYさんが、串に刺した肉を調達する係になった。
どこでどう調達するか、当てがなかった。
そこへ、ある方からいい情報が入ってきた。
豚も鳥も冷凍だが、すでに味がついている。
解凍して、温めればいいだけだと言う。
私もYさんも、その製品の話に喜んだ。
その方を通して、扱う業者から価格や納品の条件などを、
尋ねてもらうことにした。
何度も何度も、回答を催促した。
「私も早く知りたいと言ってるんです」とその方は言う。
そして、ついに夏まつりのお知らせを作成する今日になった。
私も気が気でなくなった。
そこへ、やっと回答があった。
「鳥串は、何本でも応じられるが、
豚串は、品薄で応じられない」。
それを聞いて、目の前が真っ暗。
途方に暮れた。
「近くのスーパーに頼んでみては・・」。
回答と一緒にそんなアドバイスがあった。
スーパーの食品担当に青ざめた顔で尋ねた。
案の定「品薄だから難しい・・」と歯切れが悪い。
2件目のスーパーも同じだった。
私もYさんも困りに困った。
「今日中に調達業者と価格を決めないと・・・」。
カッカカッカと血が上った。
「怒るのは後にして、考えましょう」。
Yさんのひと言で、ひらめいた。
自治会が過去の催しで、
精肉を仕入れた店があるのではないか。
Yさんの持っている資料で、それが分かるかも。
Yさん宅前に車を止め、待った。
10分もしないで、肉を発注したコピーを持ってきた。
その店がどこにあるか分からないまま、
急ぎ車の中から市内と違う局番に電話した。
女性が電話にでた。
「ハイ、J畜産です」
「伊達市T町で自治会会長をしている者です。
大変失礼ですが、お宅はどこにあるのでしょうか」。
そんな失礼な質問から、切り出した。
でも、女性は私の思いをくみ取り、丁寧に応じてくれた。
そして、
「お急ぎでしょう。
たぶん大丈夫だと思いますが、
1時間以内には、価格を含めお返事します」。
思わす、スマホに向かい一礼した。
1時間もしないうちに、スマホにその女性の声が、
「豚串も鳥串も50本単位で何本でも注文に応じます。
塩コショウの味付けは、そちらでお願いしますね」。
「ありがとうございます」。
何度、くり返したことか。
浮いたり沈んだり、長い一日だった。
「クサキョウチクトウ」だけ 涼しげ
※次回のブログ更新予定は 8月19日(土)です
数年前から家族4人のグループLINEがある。
6月末、そこに長男からメールがあった。
『なんとまあ6月が終わりそうですねえ。
40代最後の1年が始まるわ』。
月が変わり7月になった。
彼の40代最後の誕生日がきた。
東京と北海道、離ればなれの暮らしだ。
お祝いは、グループLINEで、
ハッピーバースデーのスタンプを送るだけ・・。
でも、幾つになっても親は親。
大きなお世話と思われるのを承知で、
様々な心配がいつも続く。
ふと、彼が誕生してすぐのエピソードを
思い出した。
昭和49年のことだ。
まだ育休制度がない時代だった。
産休が終わると、
家内は職場復帰をしなければならなかった。
住まいは、できて間もない新興団地。
新しい保育所は12月に開設予定だった。
開設と同時に、長男の入所は決まっていた。
しかし、家内の復帰はそれ以前だった。
それまでの間、保育ママが必要だった。
今と時代が違う。
保育ママを募集する手段がなかった。
私は行動に出た。
募集案内を書き、密かに学校の印刷機で、
300枚のチラシを作った。
『共働きの夫婦です。
12月に保育所ができるまで、
ご自宅で我が子を預かって下さる方を探しています!』。
そんな文面だった。
日曜日、団地の一軒一軒の玄関ポストに入れて回った。
電話のベルに期待する日を送った。
誰からも連絡がなく、
翌週、募集範囲を広げ、再びチラシを配って歩いた。
再び、誰からも連絡がなかったらと、
考えるだけで、気持ちが沈んでいた。
そんな矢先だった。
「お困りのようですね。
我が子以外育てたことはありませんが、
それでいいなら」
女性の声だった。
そして、3ヶ月余り、大事に大事に
長男を預かってくれた。
翌日から保育所に行く日、
2人で迎えに行った。
「いつかこの日が来るって分かってました。
でも、辛いです」。
そう言って、ずっと長男を抱いて離さなかった。
7月某日 ②
昨年から自治会の親睦事業として「夏まつり」を行っている。
今年は、コロナの規制緩和も進み、
ちょっとした飲食も提供することにした。
その1つが串焼きだった。
豚串2本と鳥串1本をセットにし、予約をとり販売するのだ。
私とYさんが、串に刺した肉を調達する係になった。
どこでどう調達するか、当てがなかった。
そこへ、ある方からいい情報が入ってきた。
豚も鳥も冷凍だが、すでに味がついている。
解凍して、温めればいいだけだと言う。
私もYさんも、その製品の話に喜んだ。
その方を通して、扱う業者から価格や納品の条件などを、
尋ねてもらうことにした。
何度も何度も、回答を催促した。
「私も早く知りたいと言ってるんです」とその方は言う。
そして、ついに夏まつりのお知らせを作成する今日になった。
私も気が気でなくなった。
そこへ、やっと回答があった。
「鳥串は、何本でも応じられるが、
豚串は、品薄で応じられない」。
それを聞いて、目の前が真っ暗。
途方に暮れた。
「近くのスーパーに頼んでみては・・」。
回答と一緒にそんなアドバイスがあった。
スーパーの食品担当に青ざめた顔で尋ねた。
案の定「品薄だから難しい・・」と歯切れが悪い。
2件目のスーパーも同じだった。
私もYさんも困りに困った。
「今日中に調達業者と価格を決めないと・・・」。
カッカカッカと血が上った。
「怒るのは後にして、考えましょう」。
Yさんのひと言で、ひらめいた。
自治会が過去の催しで、
精肉を仕入れた店があるのではないか。
Yさんの持っている資料で、それが分かるかも。
Yさん宅前に車を止め、待った。
10分もしないで、肉を発注したコピーを持ってきた。
その店がどこにあるか分からないまま、
急ぎ車の中から市内と違う局番に電話した。
女性が電話にでた。
「ハイ、J畜産です」
「伊達市T町で自治会会長をしている者です。
大変失礼ですが、お宅はどこにあるのでしょうか」。
そんな失礼な質問から、切り出した。
でも、女性は私の思いをくみ取り、丁寧に応じてくれた。
そして、
「お急ぎでしょう。
たぶん大丈夫だと思いますが、
1時間以内には、価格を含めお返事します」。
思わす、スマホに向かい一礼した。
1時間もしないうちに、スマホにその女性の声が、
「豚串も鳥串も50本単位で何本でも注文に応じます。
塩コショウの味付けは、そちらでお願いしますね」。
「ありがとうございます」。
何度、くり返したことか。
浮いたり沈んだり、長い一日だった。
「クサキョウチクトウ」だけ 涼しげ
※次回のブログ更新予定は 8月19日(土)です