9月 某日 ①
夕食も入浴も終えた就寝前、
特に見たいテレビもないまま、
リモコン片手に番組探しをしてみた。
すると、長崎の精霊流しを取り上げたドキュメンタリーがあった。
もう21年も前になるが、
9月の学校だよりに校長として記した一文を思い出した。
一部を抜粋する。
* * * * *
夏休み、私は長崎を旅する機会に恵まれました。
時はちょうど8月15日、旧盆でした。
プライベートな話題になりますが、
私は若い頃から『さだまさし』のファンで、
彼の代表的な曲「精霊流し」の原風景を見ることができました。
3拍子の流れるような「精霊流し」の歌曲とはうって変わって、
長崎の精霊流しは、夕方から深夜まで街中が爆竹の裂ける音で、
耳をつんざくばかりでした。
そうして町中をねり歩く精霊船。
新盆をむかえた家から出されると言うその船は、
その夜一夜で1400艘。
私は何万人という見物人の1人として、その行列を見ながら、
人の死を悲しみ、送り出す長崎特有の伝統行事に、
一種の違和感を持ちました。
ところが、ある精霊船の先頭を歩く喪服の初老に胸を打たれました。
ものすごい爆竹の炸裂音ともうもうと立ちこめる煙につつまれる中、
明々と提灯の灯る精霊船の先頭に立ち、
その初老は見物の人混みにくり返しくり返し頭を下げながら涙を流し、
その姿は悲しみに包まれていました。
船には初老によく似た青年の遺影がありました。
私は、何故か目頭が熱くなりました。
この1年間で亡くなった人々をあんなにもにぎやかに送る。
そんな習慣や感性は私にはありません。
だが、長崎の人々は、そう言う伝統の中で生きてきたのです。
9月 某日 ②
1年半におよんだ歯の治療から半年が過ぎ、
予約してあった日に定期検診へ行った。
予約の定時に受付を済ませたが、
案の定30分以上も待たされた。
やっと診察台につき、
歯間洗浄が済むと、これまたしばらく待たされた。
そして、相変わらず、
院長先生の小走りの足音が近づいて・・・。
穏やかな話声で「お待たせしました」の決まり文句を言う。
この声が、いつものように私のイライラ感を鎮めた。
不思議な現象である。
平常心で私は、歯の状態についていくつかの説明をする。
院長先生は手際よく、私の訴え通り治療を行い、
「これで、様子をみて、1週間後にもう1度見せてください。
予約をお願いします」と。
さて、1週間後の診療を了解したその後だ。
診察台を降りた私に、タブレットを持った看護師さんが寄ってきた。
「スマホをお持ちですか。
次から診察券ではなく、スマホのアプリで予約診療ができます。
それに切り替えていいですか」。
「へえ! そんなことができるんですか。
ビックリ!」
私は、ポケットからさっとスマホを取り出した。
看護師さんは、手慣れていた。
「スマホで、このQRコードを読み取ってください」。
スマホをかざす。
『my Dental』のアプリが、瞬時に取得できた。
その後は、看護師さんの指示通りパスワードの入力を行う。
すると、確認した予約日時が『予約状況』として表示された。
「次回は、受付の読み取り機に、
このアプリのQRコードをかざしてください。
それで受付は済みます」。
まだ半信半疑だった。
それにしても、スマホの時代は益々進化している。
「すごい!」。
9月 某日 ③
自治会は5つの地区=ブロックに分かれている。
私のブロックでは、昨年から親睦事業として「焚き火の集い」を行っている。
今年は、参加者が20名も増えた。
12台の焚き火を囲み、60名がピアノとサックスの音色に耳を傾け、
暮れゆく夕日を見ながら、幻想的な時間を過ごした。
さて、集いが終了した後、
この会の運営に当たったメンバー10人で、残り物を囲んだ。
参加者からたくさんの好評の声が届き、
明るい雰囲気で10人の会話は弾んだ。
どんな話題から発展したかは覚えがない。
それは、私と同世代の男性のひと言から始まった。
「まさか、逢い引きしてたんじゃないべ」。
すると、同じ世代の女性が、
「逢い引きって言ったって、今の人、わかんないでしょ。
ねえ、わかる?」
と、40代の女性を見て訊いた。
「私は、何とかギリギリわかります。
でも、Sさんはどうかな?」。
名指しされたSさんは40歳になったばかりの男性だ。
「何です! アイビキって?」。
すかさず、横やりを入れ、混乱を楽しむ輩が現れ、
「40にもなって、アイビキを知らないのか。
牛肉と豚肉の合い挽き、あれだよ」。
それには敏感に反応し、Sさんは続ける。
「合い挽き肉なら知ってますよ。
でも、それじゃないでしょう。
なんですか。本当のこと、教えて下さい」。
世代ギャップである。
『逢い引き』は、Sさんの世代では死語らしいのだ。
ここはと『逢い引き』の意味を、
私も同世代も口口に説く。
するとSさんは、まとめた。
「わかりました。要するに不倫のことでしょ!」。
「いや、不倫もそうだけど、それだけじゃない」。
同世代は皆、口ごもる。
「だけど、男と女が人目を避けて逢うことでしょう。
それなら不倫でしょ」。
「いや、不倫でなくても、
人目を避けるようにして逢っていたんだ。
俺たちの頃の男女は・・」。
Sさんは、納得がいかない。
「不倫でないのに、人目を避けるなんて変ですよ。
あり得ませんよ。変じゃないですか」。
「いや、私たちの時代は、そうだったのよ」。
確かに、男女のあり方は変わった。
人目を避けるようにして男と女が逢う『逢い引き』。
逢い引きのような男女関係は、すでに消滅している。
死語になって当然であった。
男と女が人目を気にせず逢うのは当たり前。
いつの間にか、ずっと前からそんな時代になっていた。
そう思えた時間だった。
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9月26日 昭和新山・山頂崩落
夕食も入浴も終えた就寝前、
特に見たいテレビもないまま、
リモコン片手に番組探しをしてみた。
すると、長崎の精霊流しを取り上げたドキュメンタリーがあった。
もう21年も前になるが、
9月の学校だよりに校長として記した一文を思い出した。
一部を抜粋する。
* * * * *
夏休み、私は長崎を旅する機会に恵まれました。
時はちょうど8月15日、旧盆でした。
プライベートな話題になりますが、
私は若い頃から『さだまさし』のファンで、
彼の代表的な曲「精霊流し」の原風景を見ることができました。
3拍子の流れるような「精霊流し」の歌曲とはうって変わって、
長崎の精霊流しは、夕方から深夜まで街中が爆竹の裂ける音で、
耳をつんざくばかりでした。
そうして町中をねり歩く精霊船。
新盆をむかえた家から出されると言うその船は、
その夜一夜で1400艘。
私は何万人という見物人の1人として、その行列を見ながら、
人の死を悲しみ、送り出す長崎特有の伝統行事に、
一種の違和感を持ちました。
ところが、ある精霊船の先頭を歩く喪服の初老に胸を打たれました。
ものすごい爆竹の炸裂音ともうもうと立ちこめる煙につつまれる中、
明々と提灯の灯る精霊船の先頭に立ち、
その初老は見物の人混みにくり返しくり返し頭を下げながら涙を流し、
その姿は悲しみに包まれていました。
船には初老によく似た青年の遺影がありました。
私は、何故か目頭が熱くなりました。
この1年間で亡くなった人々をあんなにもにぎやかに送る。
そんな習慣や感性は私にはありません。
だが、長崎の人々は、そう言う伝統の中で生きてきたのです。
9月 某日 ②
1年半におよんだ歯の治療から半年が過ぎ、
予約してあった日に定期検診へ行った。
予約の定時に受付を済ませたが、
案の定30分以上も待たされた。
やっと診察台につき、
歯間洗浄が済むと、これまたしばらく待たされた。
そして、相変わらず、
院長先生の小走りの足音が近づいて・・・。
穏やかな話声で「お待たせしました」の決まり文句を言う。
この声が、いつものように私のイライラ感を鎮めた。
不思議な現象である。
平常心で私は、歯の状態についていくつかの説明をする。
院長先生は手際よく、私の訴え通り治療を行い、
「これで、様子をみて、1週間後にもう1度見せてください。
予約をお願いします」と。
さて、1週間後の診療を了解したその後だ。
診察台を降りた私に、タブレットを持った看護師さんが寄ってきた。
「スマホをお持ちですか。
次から診察券ではなく、スマホのアプリで予約診療ができます。
それに切り替えていいですか」。
「へえ! そんなことができるんですか。
ビックリ!」
私は、ポケットからさっとスマホを取り出した。
看護師さんは、手慣れていた。
「スマホで、このQRコードを読み取ってください」。
スマホをかざす。
『my Dental』のアプリが、瞬時に取得できた。
その後は、看護師さんの指示通りパスワードの入力を行う。
すると、確認した予約日時が『予約状況』として表示された。
「次回は、受付の読み取り機に、
このアプリのQRコードをかざしてください。
それで受付は済みます」。
まだ半信半疑だった。
それにしても、スマホの時代は益々進化している。
「すごい!」。
9月 某日 ③
自治会は5つの地区=ブロックに分かれている。
私のブロックでは、昨年から親睦事業として「焚き火の集い」を行っている。
今年は、参加者が20名も増えた。
12台の焚き火を囲み、60名がピアノとサックスの音色に耳を傾け、
暮れゆく夕日を見ながら、幻想的な時間を過ごした。
さて、集いが終了した後、
この会の運営に当たったメンバー10人で、残り物を囲んだ。
参加者からたくさんの好評の声が届き、
明るい雰囲気で10人の会話は弾んだ。
どんな話題から発展したかは覚えがない。
それは、私と同世代の男性のひと言から始まった。
「まさか、逢い引きしてたんじゃないべ」。
すると、同じ世代の女性が、
「逢い引きって言ったって、今の人、わかんないでしょ。
ねえ、わかる?」
と、40代の女性を見て訊いた。
「私は、何とかギリギリわかります。
でも、Sさんはどうかな?」。
名指しされたSさんは40歳になったばかりの男性だ。
「何です! アイビキって?」。
すかさず、横やりを入れ、混乱を楽しむ輩が現れ、
「40にもなって、アイビキを知らないのか。
牛肉と豚肉の合い挽き、あれだよ」。
それには敏感に反応し、Sさんは続ける。
「合い挽き肉なら知ってますよ。
でも、それじゃないでしょう。
なんですか。本当のこと、教えて下さい」。
世代ギャップである。
『逢い引き』は、Sさんの世代では死語らしいのだ。
ここはと『逢い引き』の意味を、
私も同世代も口口に説く。
するとSさんは、まとめた。
「わかりました。要するに不倫のことでしょ!」。
「いや、不倫もそうだけど、それだけじゃない」。
同世代は皆、口ごもる。
「だけど、男と女が人目を避けて逢うことでしょう。
それなら不倫でしょ」。
「いや、不倫でなくても、
人目を避けるようにして逢っていたんだ。
俺たちの頃の男女は・・」。
Sさんは、納得がいかない。
「不倫でないのに、人目を避けるなんて変ですよ。
あり得ませんよ。変じゃないですか」。
「いや、私たちの時代は、そうだったのよ」。
確かに、男女のあり方は変わった。
人目を避けるようにして男と女が逢う『逢い引き』。
逢い引きのような男女関係は、すでに消滅している。
死語になって当然であった。
男と女が人目を気にせず逢うのは当たり前。
いつの間にか、ずっと前からそんな時代になっていた。
そう思えた時間だった。
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9月26日 昭和新山・山頂崩落