▼ 4月の総会で選任されてから、8ヶ月が過ぎた。
当地に居を構えて、11年だが、
まだまだ地域の事情を熟知していない。
当然、顔なじみも少ない。
だから、私なりに特別の覚悟をもって、
自治会長の責務を受けた。
1ヶ月程前になるだろうか。
花壇じまいの作業をしていた時に、
見かけない老夫婦が、通りがかった。
誰にでも挨拶を欠かさないように、
心がけている。
一瞬、作業の手を止めて、
2人に声をかけた。
「こんにちは!」
すると、私を見たご主人が、
「会長さんのお宅は、こちらでしたか」と言う。
すぐ、不思議そうに奥さんが「会長さんって?」とご主人に訊いた。
「ほら、自治会の会長!」
「そうですか。自治会の」
奥さんは、丁寧に私に頭をさげた。
私も頭をさげながら
「お出かけですか。お気を付けて」と返した。
ご主人は、どこで私を知ったのだろう。
自治会のイベントか、会議か・・・。
人前で会長として挨拶に立つ機会がある。
次第に、私を知る人が増えているのだろう。
私は、それに追いついていない。
私が知らなくても、
地域には私を知る人が増えている。
これは「大変なこと!」。
少々重たい気持ちになった。
▼ 朝刊を開くと、真っ先に見るのは、
『お悔やみ』欄である。
地域に住んでいる家庭にご不幸がなかったかが、
毎日気になる。
一昔前までは、自治会が葬儀を取り仕切った。
多くの場合、葬儀委員長は自治会長が務めた。
しかし、最近はほとんど葬儀場が全てを仕切る。
だから、自治会がやることは、
近隣の住民に訃報(お知らせ)を届け、
葬儀情報を知らせることと、
役員が自治会規定にある香典を持って、
お通夜などに参列することだけになった。
どこの家族も自治会への連絡まで気がまわらない。
ご不幸を知るのは、もっぱら『お悔やみ』欄になった。
先日、私が担当するブロックでご主人が亡くなった。
それも朝刊で知った。
朝食を済ませ、8時を待って急ぎご自宅を訪問した。
近隣へお知らせを届けることの確認のためだ。
ご主人も奥さんも、何度か言葉を交わしたことがあった。
インターホンを押すと、若い女性の声が出た。
自治会の会長であることを伝えた。
しばらくして、年老いた奥さんが玄関を開けた。
憔悴した表情だった。
型どおりのお悔やみを述べた。
勧められるまま、
お線香をあげさせてもらった。
奥さんと札幌で暮らす娘さんが、
闘病の日々を話された。
「きっとまた元気になると信じてたんです」
と言う。
少しでも気が休まるのならと、
出されたお茶を飲み、聞き役を努めた。
そして、夕方は自治会を代表してお通夜へ出席した。
最後に、故人を偲ぶ沢山の写真が映し出され、
生前の足跡がアナウンスされた。
その一節にこみ上げるものがあった。
「故人は、奥様についてこんな言葉を残しました。
君のような心のきれいな人と一緒でよかった」。
享年88歳、大柄な方だった。
素敵な生涯を直感した。
心からご冥福を祈ることができた。
この8ヶ月、何人かの葬儀があった。
その度に、故人の貴重な歩みに触れた。
悲しさとともにいつも私の心に残るものがある。
▼ ゴミの集積所を北海道ではゴミステーションと言う。
当地では、その場所の確保とダストBOXの管理は、
自治会が行うことになっている。
ダストBOXは、市から多少の補助金はあるものの、
自治会費で購入する。
金属製や木製がある。
どれも決して安くはない。
だから、利用者は自治会加入世帯だけかと言えば、
通りすがりの人でも誰でも関係なく、
そのBOXへゴミ袋を入れていく。
釈然としない気持ちになるのは当然だ。
しかし、打開策がないままの現状である。
もう1つの課題は、ゴミステーションの場所である。
私が居る分譲宅地は、
販売時に市がゴミステーションとして土地を取得し、市有地にした。
そこを利用している。
しかし、それ以前の宅地では、
市がそのような土地の取得をしなかった。
仕方なく、目的の違う市有地や広い歩道の一角、
空地のままの私有地をゴミステーションにしている。
さて、伊達市でも人口減少は進んでいる。
だが、私の居住地域は今も新築工事がしばしばある。
ある日、自治会役員さんから電話があった。
「ゴミステーションのことで、
直接会長と話がしたいと言う方がいるんですが・・」
会長を指名してのことは珍しい。
何か深い事情でもあるのではと、話を聞くことにした。
その方はいずれ2世帯住宅にでもと、
隣の宅地も所有していた。
しかし、それを手放すことにした。
利便性もあり、買い手が決まった。
角地だったので、歩道が広くなっている所があった。
居を構えた時からずっとゴミステーションになっていた。
長年にわたりご近所さんが利用していた。
ところが、購入した方の新居に、
ゴミステーションが隣接することになる。
ご近所さんに不便をおかけするが、
どこかにゴミステーションを移動してほしいというのだ。
その方は、ゴミステーションがそこにあり、
便利なことを、一番よく理解していた。
移動する先が近くには見あたらないことも、
分かっていた。
だからこそ、本当に困り抜いた。
これは会長へ直接訴えなければと考えたようだ。
ご近所さんの理解や移動先の調整など、
担当の役員さんが中心になり、
長い月日をかけた取り組みになった。
私も市役所へ足を運び、相談した。
今までよりも不便になり、十分とは言えない。
不満も残ったが、致し方ない。
ゴミステーションを別の場所へと移した。
ダストBOXがなくなったその宅地では
新築工事が始まっている。
はたして、会長として期待通りのことができたか。
不安だけが残っている。
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羊蹄山 真っ白!
当地に居を構えて、11年だが、
まだまだ地域の事情を熟知していない。
当然、顔なじみも少ない。
だから、私なりに特別の覚悟をもって、
自治会長の責務を受けた。
1ヶ月程前になるだろうか。
花壇じまいの作業をしていた時に、
見かけない老夫婦が、通りがかった。
誰にでも挨拶を欠かさないように、
心がけている。
一瞬、作業の手を止めて、
2人に声をかけた。
「こんにちは!」
すると、私を見たご主人が、
「会長さんのお宅は、こちらでしたか」と言う。
すぐ、不思議そうに奥さんが「会長さんって?」とご主人に訊いた。
「ほら、自治会の会長!」
「そうですか。自治会の」
奥さんは、丁寧に私に頭をさげた。
私も頭をさげながら
「お出かけですか。お気を付けて」と返した。
ご主人は、どこで私を知ったのだろう。
自治会のイベントか、会議か・・・。
人前で会長として挨拶に立つ機会がある。
次第に、私を知る人が増えているのだろう。
私は、それに追いついていない。
私が知らなくても、
地域には私を知る人が増えている。
これは「大変なこと!」。
少々重たい気持ちになった。
▼ 朝刊を開くと、真っ先に見るのは、
『お悔やみ』欄である。
地域に住んでいる家庭にご不幸がなかったかが、
毎日気になる。
一昔前までは、自治会が葬儀を取り仕切った。
多くの場合、葬儀委員長は自治会長が務めた。
しかし、最近はほとんど葬儀場が全てを仕切る。
だから、自治会がやることは、
近隣の住民に訃報(お知らせ)を届け、
葬儀情報を知らせることと、
役員が自治会規定にある香典を持って、
お通夜などに参列することだけになった。
どこの家族も自治会への連絡まで気がまわらない。
ご不幸を知るのは、もっぱら『お悔やみ』欄になった。
先日、私が担当するブロックでご主人が亡くなった。
それも朝刊で知った。
朝食を済ませ、8時を待って急ぎご自宅を訪問した。
近隣へお知らせを届けることの確認のためだ。
ご主人も奥さんも、何度か言葉を交わしたことがあった。
インターホンを押すと、若い女性の声が出た。
自治会の会長であることを伝えた。
しばらくして、年老いた奥さんが玄関を開けた。
憔悴した表情だった。
型どおりのお悔やみを述べた。
勧められるまま、
お線香をあげさせてもらった。
奥さんと札幌で暮らす娘さんが、
闘病の日々を話された。
「きっとまた元気になると信じてたんです」
と言う。
少しでも気が休まるのならと、
出されたお茶を飲み、聞き役を努めた。
そして、夕方は自治会を代表してお通夜へ出席した。
最後に、故人を偲ぶ沢山の写真が映し出され、
生前の足跡がアナウンスされた。
その一節にこみ上げるものがあった。
「故人は、奥様についてこんな言葉を残しました。
君のような心のきれいな人と一緒でよかった」。
享年88歳、大柄な方だった。
素敵な生涯を直感した。
心からご冥福を祈ることができた。
この8ヶ月、何人かの葬儀があった。
その度に、故人の貴重な歩みに触れた。
悲しさとともにいつも私の心に残るものがある。
▼ ゴミの集積所を北海道ではゴミステーションと言う。
当地では、その場所の確保とダストBOXの管理は、
自治会が行うことになっている。
ダストBOXは、市から多少の補助金はあるものの、
自治会費で購入する。
金属製や木製がある。
どれも決して安くはない。
だから、利用者は自治会加入世帯だけかと言えば、
通りすがりの人でも誰でも関係なく、
そのBOXへゴミ袋を入れていく。
釈然としない気持ちになるのは当然だ。
しかし、打開策がないままの現状である。
もう1つの課題は、ゴミステーションの場所である。
私が居る分譲宅地は、
販売時に市がゴミステーションとして土地を取得し、市有地にした。
そこを利用している。
しかし、それ以前の宅地では、
市がそのような土地の取得をしなかった。
仕方なく、目的の違う市有地や広い歩道の一角、
空地のままの私有地をゴミステーションにしている。
さて、伊達市でも人口減少は進んでいる。
だが、私の居住地域は今も新築工事がしばしばある。
ある日、自治会役員さんから電話があった。
「ゴミステーションのことで、
直接会長と話がしたいと言う方がいるんですが・・」
会長を指名してのことは珍しい。
何か深い事情でもあるのではと、話を聞くことにした。
その方はいずれ2世帯住宅にでもと、
隣の宅地も所有していた。
しかし、それを手放すことにした。
利便性もあり、買い手が決まった。
角地だったので、歩道が広くなっている所があった。
居を構えた時からずっとゴミステーションになっていた。
長年にわたりご近所さんが利用していた。
ところが、購入した方の新居に、
ゴミステーションが隣接することになる。
ご近所さんに不便をおかけするが、
どこかにゴミステーションを移動してほしいというのだ。
その方は、ゴミステーションがそこにあり、
便利なことを、一番よく理解していた。
移動する先が近くには見あたらないことも、
分かっていた。
だからこそ、本当に困り抜いた。
これは会長へ直接訴えなければと考えたようだ。
ご近所さんの理解や移動先の調整など、
担当の役員さんが中心になり、
長い月日をかけた取り組みになった。
私も市役所へ足を運び、相談した。
今までよりも不便になり、十分とは言えない。
不満も残ったが、致し方ない。
ゴミステーションを別の場所へと移した。
ダストBOXがなくなったその宅地では
新築工事が始まっている。
はたして、会長として期待通りのことができたか。
不安だけが残っている。
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羊蹄山 真っ白!