遂に3月だ。
待ちに待った春が近づいている。
そんな矢先、数日前だが、
当地での9回目の冬にして、
一番の大雪になった。
朝、重たい粉雪が降りしきる中、
2時間以上かけて雪かき。
そして、庭に高く積み上げられた雪山を、
これまた1時間以上かけて、
雪降る中で、平らにする作業。
ようやく小降りになってきた午後3時頃から、
今度は3時間もかけで、2度目の雪かき。
わが家だけじゃない。
隣近所、どこもみんな、
同じようなタイミングで雪と格闘した。
もう雪は、これが今年の最後と願いたい。
さて、例年なら、伊達ハーフマラソンまで1ヶ月余りとなり、
朝のランニングにも真剣さが増す頃である。
残念だが、早々大会はコロナで中止になった。
また、5月の洞爺湖マラソンも同じく中止。
こちらは、よく言うオンラインマラソンを行うらしい。
メールでそのお誘いが届いた。
参加するかどうか、迷っている。
いずれにしても、1昨年まで参加した各地のマラソン大会が、
懐かしく思い出される。
そこでのエピソードの続編を記す。
④ お先にどうぞ!
大会当日の朝食は、いつもとは違って、和食にする。
スタミナを考えると、大会の朝はパンよりごはんの方がいい。
そんな情報を耳にしたことを信じているからだ。
それ以外は、いつもと変わらない朝なのに、
どの大会でも、会場に着くとやけにトイレが近くなる。
マラソン会場のトイレ事情は、
どこでも年々よくなっている。
まず特設トイレの数が、増えている。
その上、以前は共同だったが、
男女別に設置されるようにもなった。
だが、私は特設トイレを使わない。
競技場や公園、近くの体育館にある常設トイレを、
使うようにしている。
旭川ハーフマラソンでのことだ。
ホテルで朝食を済ませ、会場へ行った。
ここは、会場の競技場近くにある体育館が、
ランナーの荷物置き場になっている。
身支度を整えて、そこへ私物を預けてから、
もう1度、館内のトイレへ向かった。
外には、沢山の特設トイレが並んでいた。
なのに、それに気づかないのか、
私のように特設を嫌ってなのか、
トイレ口から廊下まで、長い行列ができていた。
スタートまでには、十分に時間があった。
急ぐことはない。
列の後尾へついた。
するとすぐに、私よりやや小柄な中学生らしい少年が、
後ろに並んだ。
きっと少年の部にエントリーしているのだろう。
ランナーの身なりをしていた。
10分以上が過ぎただろうか。
ようやくトイレの入口まで進んだ。
列の先頭まで、5人程になっていた。
その辺りから、後ろの少年がモジモジとし始めた。
気になった。
少年は、時々列から横にそれ、
先頭やトイレ内を見ては、さかんに足を動かし続けた。
列は進み、ようやく私が先頭になった。
振り向き、思い切って少年に声をかけた。
「次に、空いたら先に行っていいよ。」
順番を譲ってあげたのだ。
なのに、少年はハッキリとした声で即答した。
「大丈夫です。お爺さん!」
その後、スタートまでの間、
少年の答えを何回も何回も思い出し、
そのたび大きなため息をついた。
そして、21キロの長い道々、
「お爺さんか・・、失礼な!」。
しきりに、私を励まし続けた。
⑤ 長い時間、すみません!
体育館のランニングコースで、
顔馴染みになったランナーがいる。
健康維持のためにと、走り始めたらしいが、
メキメキと力をつけ、今では私よりも走力がある。
その彼に一昨年のことだが、尋ねてみた。
「伊達ハーフマラソンは走らないんですか?」
「知っている人がたくさん見てるから、
恥ずかしくて・・。だから、無理!」
彼の回答は、私とは真逆だった。
「そんなことを気にかけるなんて!」。
驚きと違和感で、しばらく返答に困った。
私は、賑やかな声援がいつまでも続くコースを走りたいと願っている。
その中に、もしも家族や友人・知人がいたりしたら、
どんなにか嬉しいだろう。
どれだけ励みになるだろう。
ランナーなら、みんなそうだろうと思っていた。
彼と私は明らかに正反対なのだが、
ある年の伊達ハーフマラソンでのことだ。
家内の知り合いUさんは、
毎年、R橋のたもとでランナーに、
声援をおくっているとのことだった。
なのでと、家内はUさんから頼まれたと
「あなたのゼッケン番号を教えて欲しいんだって・・・」。
Uさんとはお会いしたことがないが、嬉しかった。
早々、私の番号とその日着るTシャツの色、
橋を通過する予想時間まで、家内を通して伝えた。
当日、予定通りランナーたちの長い列の後方から、
その橋まで来た。
先頭が走り過ぎてから、30分以上が経過していただろう。
橋のたもとには、10人程の方が立っていた。
その1人が、家内から得たイメージ通りのUさんだった。
Uさんは、私が近づいても、忙しなく首を動かしたり、
背伸びをしたりして、私を探していた。
ランナーたちの間を縫って、
Uさんに近づいた。
なのに、一向に気づきそうになかった。
「このまま通り過ぎたら、声援がもらえない。
いや、それよりも、Uさんはこの後も、
ずっと私を探し続けることになる。」
グズグズしていたら、Uさんの前を通過する。
私は沿道に向かって、言った。
「ツカハラです。Uさんですよね。」
驚きの表情で、通り過ぎる間際の私を見てくれた。
「はーい、Uです。」
私は走りながら振り向き、
「長い時間、すみません!」。
Uさんへ届くよう、声を張り上げ、
そのまま走り去った。
ほんの一瞬のやりとりだったが、
その後の私を、力づけてくれた。
昭和新山 再び冬景色
待ちに待った春が近づいている。
そんな矢先、数日前だが、
当地での9回目の冬にして、
一番の大雪になった。
朝、重たい粉雪が降りしきる中、
2時間以上かけて雪かき。
そして、庭に高く積み上げられた雪山を、
これまた1時間以上かけて、
雪降る中で、平らにする作業。
ようやく小降りになってきた午後3時頃から、
今度は3時間もかけで、2度目の雪かき。
わが家だけじゃない。
隣近所、どこもみんな、
同じようなタイミングで雪と格闘した。
もう雪は、これが今年の最後と願いたい。
さて、例年なら、伊達ハーフマラソンまで1ヶ月余りとなり、
朝のランニングにも真剣さが増す頃である。
残念だが、早々大会はコロナで中止になった。
また、5月の洞爺湖マラソンも同じく中止。
こちらは、よく言うオンラインマラソンを行うらしい。
メールでそのお誘いが届いた。
参加するかどうか、迷っている。
いずれにしても、1昨年まで参加した各地のマラソン大会が、
懐かしく思い出される。
そこでのエピソードの続編を記す。
④ お先にどうぞ!
大会当日の朝食は、いつもとは違って、和食にする。
スタミナを考えると、大会の朝はパンよりごはんの方がいい。
そんな情報を耳にしたことを信じているからだ。
それ以外は、いつもと変わらない朝なのに、
どの大会でも、会場に着くとやけにトイレが近くなる。
マラソン会場のトイレ事情は、
どこでも年々よくなっている。
まず特設トイレの数が、増えている。
その上、以前は共同だったが、
男女別に設置されるようにもなった。
だが、私は特設トイレを使わない。
競技場や公園、近くの体育館にある常設トイレを、
使うようにしている。
旭川ハーフマラソンでのことだ。
ホテルで朝食を済ませ、会場へ行った。
ここは、会場の競技場近くにある体育館が、
ランナーの荷物置き場になっている。
身支度を整えて、そこへ私物を預けてから、
もう1度、館内のトイレへ向かった。
外には、沢山の特設トイレが並んでいた。
なのに、それに気づかないのか、
私のように特設を嫌ってなのか、
トイレ口から廊下まで、長い行列ができていた。
スタートまでには、十分に時間があった。
急ぐことはない。
列の後尾へついた。
するとすぐに、私よりやや小柄な中学生らしい少年が、
後ろに並んだ。
きっと少年の部にエントリーしているのだろう。
ランナーの身なりをしていた。
10分以上が過ぎただろうか。
ようやくトイレの入口まで進んだ。
列の先頭まで、5人程になっていた。
その辺りから、後ろの少年がモジモジとし始めた。
気になった。
少年は、時々列から横にそれ、
先頭やトイレ内を見ては、さかんに足を動かし続けた。
列は進み、ようやく私が先頭になった。
振り向き、思い切って少年に声をかけた。
「次に、空いたら先に行っていいよ。」
順番を譲ってあげたのだ。
なのに、少年はハッキリとした声で即答した。
「大丈夫です。お爺さん!」
その後、スタートまでの間、
少年の答えを何回も何回も思い出し、
そのたび大きなため息をついた。
そして、21キロの長い道々、
「お爺さんか・・、失礼な!」。
しきりに、私を励まし続けた。
⑤ 長い時間、すみません!
体育館のランニングコースで、
顔馴染みになったランナーがいる。
健康維持のためにと、走り始めたらしいが、
メキメキと力をつけ、今では私よりも走力がある。
その彼に一昨年のことだが、尋ねてみた。
「伊達ハーフマラソンは走らないんですか?」
「知っている人がたくさん見てるから、
恥ずかしくて・・。だから、無理!」
彼の回答は、私とは真逆だった。
「そんなことを気にかけるなんて!」。
驚きと違和感で、しばらく返答に困った。
私は、賑やかな声援がいつまでも続くコースを走りたいと願っている。
その中に、もしも家族や友人・知人がいたりしたら、
どんなにか嬉しいだろう。
どれだけ励みになるだろう。
ランナーなら、みんなそうだろうと思っていた。
彼と私は明らかに正反対なのだが、
ある年の伊達ハーフマラソンでのことだ。
家内の知り合いUさんは、
毎年、R橋のたもとでランナーに、
声援をおくっているとのことだった。
なのでと、家内はUさんから頼まれたと
「あなたのゼッケン番号を教えて欲しいんだって・・・」。
Uさんとはお会いしたことがないが、嬉しかった。
早々、私の番号とその日着るTシャツの色、
橋を通過する予想時間まで、家内を通して伝えた。
当日、予定通りランナーたちの長い列の後方から、
その橋まで来た。
先頭が走り過ぎてから、30分以上が経過していただろう。
橋のたもとには、10人程の方が立っていた。
その1人が、家内から得たイメージ通りのUさんだった。
Uさんは、私が近づいても、忙しなく首を動かしたり、
背伸びをしたりして、私を探していた。
ランナーたちの間を縫って、
Uさんに近づいた。
なのに、一向に気づきそうになかった。
「このまま通り過ぎたら、声援がもらえない。
いや、それよりも、Uさんはこの後も、
ずっと私を探し続けることになる。」
グズグズしていたら、Uさんの前を通過する。
私は沿道に向かって、言った。
「ツカハラです。Uさんですよね。」
驚きの表情で、通り過ぎる間際の私を見てくれた。
「はーい、Uです。」
私は走りながら振り向き、
「長い時間、すみません!」。
Uさんへ届くよう、声を張り上げ、
そのまま走り去った。
ほんの一瞬のやりとりだったが、
その後の私を、力づけてくれた。
昭和新山 再び冬景色