1994年春のヨーロッパ旅行、デジタルアーカイブス、シリーズ第1弾
1991~93年の3年間は、海外旅行をしないで国内で大人しくしていました。その反動で、1994年は、まず3月下旬から4月上旬の春休みを利用して短期間でしたが初めてイタリアに出かけました。
とは言え、いきなり成田からイタリアへ飛ぶのも面白くないので、まずはドイツのフランクフルトに降りたち、国際列車でスイス・アルプスを越えてイタリア入りすることにしました。3月下旬のドイツはまだ寒く、とくに早朝の冷気は身に凍みました。3年間ご無沙汰している間に、ドイツでは高速列車ICEが走り始めていました。乗る予定だった国際列車はフランクフルトに立ち寄らないので、それをいいことに?、フランクフルト中央駅からマンハイムまでのわずかな距離でしたがICE初乗車を果たしました。
マンハイムでミラノ行きの国際列車EuroCity「ヴェルディ号」Verdiに乗り換えです。
ヴェルディとは、もちろんオペラ作曲家のこと。アイーダ、トラヴィアータ(椿姫)、オテロなどの演目が有名ですね。イタリアへの列車旅にふさわしい愛称です。
スイスの国境の駅バーゼルで小休止。DB(ドイツ鉄道)の103形電気機関車(写真はないです)からスイスの電気機関車に交代です。
乗車した1等車はDBの客車。それと編成中につながっていたスイスの食堂車は、しゃれたデザインだったので写真を撮ったようで、残っていました。
スイス国内の車窓は、どこをとっても絵になります。ルツェルンを出て、湖畔を走っているときに撮った写真が残っていました。
さらに進むと、アルプスの高峰が大きく迫ってきました。いよいよゴッタルド越えです。
長大なゴッタルド・トンネルの前後にループ線がありましたが、そこで撮った1枚。どこかの路線と合流するかと思ったら、そこはこれから列車がぐるっと回って通るところ、写真の列車は、そのあとすれ違うことになる上り列車なのです。
何時間もかかってスイスを縦断し、イタリアとの国境駅キアッソーに到着。ここで何両かの客車を切り離し、電気機関車もイタリアのもの(FS)に交代し、いよいよイタリア鉄道の旅がはじまりました。45分ほど走って、終点ミラノ中央駅着。
<参考>
ヨーロッパ鉄道旅行写真 デジタルアーカイブス、ポータルサイトは、こちら
1991~93年の3年間は、海外旅行をしないで国内で大人しくしていました。その反動で、1994年は、まず3月下旬から4月上旬の春休みを利用して短期間でしたが初めてイタリアに出かけました。
とは言え、いきなり成田からイタリアへ飛ぶのも面白くないので、まずはドイツのフランクフルトに降りたち、国際列車でスイス・アルプスを越えてイタリア入りすることにしました。3月下旬のドイツはまだ寒く、とくに早朝の冷気は身に凍みました。3年間ご無沙汰している間に、ドイツでは高速列車ICEが走り始めていました。乗る予定だった国際列車はフランクフルトに立ち寄らないので、それをいいことに?、フランクフルト中央駅からマンハイムまでのわずかな距離でしたがICE初乗車を果たしました。
マンハイムでミラノ行きの国際列車EuroCity「ヴェルディ号」Verdiに乗り換えです。
ヴェルディとは、もちろんオペラ作曲家のこと。アイーダ、トラヴィアータ(椿姫)、オテロなどの演目が有名ですね。イタリアへの列車旅にふさわしい愛称です。
スイスの国境の駅バーゼルで小休止。DB(ドイツ鉄道)の103形電気機関車(写真はないです)からスイスの電気機関車に交代です。
乗車した1等車はDBの客車。それと編成中につながっていたスイスの食堂車は、しゃれたデザインだったので写真を撮ったようで、残っていました。
スイス国内の車窓は、どこをとっても絵になります。ルツェルンを出て、湖畔を走っているときに撮った写真が残っていました。
さらに進むと、アルプスの高峰が大きく迫ってきました。いよいよゴッタルド越えです。
長大なゴッタルド・トンネルの前後にループ線がありましたが、そこで撮った1枚。どこかの路線と合流するかと思ったら、そこはこれから列車がぐるっと回って通るところ、写真の列車は、そのあとすれ違うことになる上り列車なのです。
何時間もかかってスイスを縦断し、イタリアとの国境駅キアッソーに到着。ここで何両かの客車を切り離し、電気機関車もイタリアのもの(FS)に交代し、いよいよイタリア鉄道の旅がはじまりました。45分ほど走って、終点ミラノ中央駅着。
<参考>
ヨーロッパ鉄道旅行写真 デジタルアーカイブス、ポータルサイトは、こちら