ヨーロッパ鉄道旅行写真デジタル・アーカイブス、1999年夏、チェコ
プラハは、1998年夏に続いて2回目。最初の時に市内の主だった場所は訪ね歩いていたので、この年はプラハの郊外へ。まずは、プラハから北へ1時間ほどのところにあるネラホゼヴェスに出かけました。チェコを代表する作曲家ドヴォルザークの生地です。

↑ネラホゼヴェス駅に到着した列車
プラハの発駅は本駅やホレショヴィッツェ駅ではなく、マサリクという小さなターミナル駅でした。



この駅から近郊電車に乗車しました。ただし、直接ネラホゼヴェスへ行くのではなく、手前のKralupy nad Vltavou行き。終点でローカルな客車列車に乗り換えました(最初の写真の列車です)。マサリク駅を発車すると、いつの間にかドイツのドレスデン方面へ向かう幹線を走っていました。近郊電車の終点で、ローカル列車に乗り換えるのは、東京の中央線快速電車で高尾まで行って、そこで甲府方面へ向かう普通列車に乗り換えるのと似た感じです。
そして、2つ目か3つ目の駅がネラホゼヴェスだったので無事到着。

生家は駅前と聞いていたのですが、それらしきものはなし。駅員さんに聞こうにもチェコ語しか分からず、途方に暮れていたら、駅長さんらしき偉い人が、ドイツ語なら話せると言うので、意を決してドイツ語で会話することになりました。
続く
<参考>
ヨーロッパ鉄道旅行写真 デジタルアーカイブス、ポータルサイトは、こちら
プラハは、1998年夏に続いて2回目。最初の時に市内の主だった場所は訪ね歩いていたので、この年はプラハの郊外へ。まずは、プラハから北へ1時間ほどのところにあるネラホゼヴェスに出かけました。チェコを代表する作曲家ドヴォルザークの生地です。

↑ネラホゼヴェス駅に到着した列車
プラハの発駅は本駅やホレショヴィッツェ駅ではなく、マサリクという小さなターミナル駅でした。



この駅から近郊電車に乗車しました。ただし、直接ネラホゼヴェスへ行くのではなく、手前のKralupy nad Vltavou行き。終点でローカルな客車列車に乗り換えました(最初の写真の列車です)。マサリク駅を発車すると、いつの間にかドイツのドレスデン方面へ向かう幹線を走っていました。近郊電車の終点で、ローカル列車に乗り換えるのは、東京の中央線快速電車で高尾まで行って、そこで甲府方面へ向かう普通列車に乗り換えるのと似た感じです。
そして、2つ目か3つ目の駅がネラホゼヴェスだったので無事到着。

生家は駅前と聞いていたのですが、それらしきものはなし。駅員さんに聞こうにもチェコ語しか分からず、途方に暮れていたら、駅長さんらしき偉い人が、ドイツ語なら話せると言うので、意を決してドイツ語で会話することになりました。
続く
<参考>
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