「坂の上の雲・第二部」の2回目は正岡子規の死を描いていた。死の直前まで子規庵には人の出入が絶えなかったようで、その意味では幸せな最後だったろう。ただ、生涯の友といわれる夏目漱石の姿がそこになかったのは彼にとっては残念なことだったに違いない。漱石のロンドン留学からの帰国がもうちょっと早ければ死に目には会えたかもしれない。漱石は熊本にいる時も、自作の句を添削してもらうため子規に送っていたそうだが、そんな中の一つが下の“すみれ”の句である。この句は漱石の俳句の中でも傑作の一つと言われているが、僕も大好きな句だ。しかし、正岡子規も漱石自身も今日、この句のように“小さき人”とはならなかったことは皮肉である。
「すみれ程の 小さき人に 生れた志」(漱石 明治30年)
※わが家からほど近い京陵中学校前の道路脇に設置された句碑。
この道は漱石が五高教師として熊本に着任した時に通った道。
「すみれ程の 小さき人に 生れた志」(漱石 明治30年)
※わが家からほど近い京陵中学校前の道路脇に設置された句碑。
この道は漱石が五高教師として熊本に着任した時に通った道。